08.宵闇の男①
「……、———」
意識を奥深くへ、自らの精神を見定める。あの日起きた出来事を最後の瞬間まで追想する。
目の前に広がる黒い樹、表出する昏き影。背後に生まれた神の雷。呑み込まれるその瞬間。僕は何かをしたはずなのに、それが思い出せない。
きっと、大事なことだ。だから、思い出さないといけないと思う。僕自身の力だけで助かったとは思えない。なら、きっとあの子が助けてくれたんだ。ちゃんとお礼を言うためにも、思い出したい。
僕は光に呑まれるその瞬間まで意識があったのだから、思い出せるはずだ。
座禅を組み、手を組む。意識が眩き暗闇に呑まれる瞬間、その刹那。
意識を集中しろ。意識の海を浚え。きっと、答えはそこにあるはずなんだ。
『キ———、いい、……か———。な————、償……』
「———ッ……」
額に汗が流れる。僕は、誰かと話して……、誰、だ?
『へ……、———いよ。———、……敵だね』
もう、少し……、もう少しで———、聞いたことのあるこの声を……、より鮮明に……
「———レ、さ……」
この声の主の姿を——。
「お……、……えて、かー」
あの日起こった真実を——。
「トーレスさーん。起きてますかー?」
「え……? わっ、アリスちゃんっ?!」
「はは、そんなに驚かなくても……」
苦笑いしつつ、頬を掻く。目の前にはいつの間にかアリスちゃんが立っていて、僕の肩に手を置いている。
まさか、ここまで近づかれてたなんて、思ったよりも集中してしまってたみたいだ。今度からは、一人の部屋でやることにしよう。
「ハハハ……、ゴメンね。ちょっと瞑想をしてたんだ。……?」
「どうしました? キョロキョロして」
「えっ、ううん。あの子は……一緒じゃないのかと思って」
「あぁ、そこですよ。自画自賛ですけど、自信作です。ま、元がいいからなんですけどね!」
そう言われて、病室の入り口付近に目をやる。初めは誰もいないように見えたけど、確かにそこに居る。……はずなんだけど。
「……えと、なんで隠れてるのかな?」
「………、うぅ……」
「アハハ……」
昨日の約束通り、アリスちゃんがあの子を連れてやってきた。でも、壁に隠れて顔を半分だけ出して、こっちをのぞき込んでいる。
近づこうとも思ったけどすぐに全身を引っ込めてしまうから、様子を見ることにした。のだけれど……
「ぅう……」
「出て、来ないね」
「出てきませんねぇ」
どうにもこうにも入ってこない。
病室の外を通る人たちがあらあらウフフ、などと微笑んでいるのを見ると、こっちまで気恥ずかしくなってしまう。仕方ない、何とか呼んでみないと。
「入らないの? そこだと、ゆっくりお話もできないよ?」
「もう、いけませんよトーレスさん。こういう時、男の人はどーんと構えて待っているものです。まあ、単にちょっと恥ずかしがってるだけなので、ちょっと待ってあげてください」
「う、うーん? そういうものかな? 分かった、それならゆっくり待つことにするよ。君も、入りたくなったらいつでも入ってきていいからね」
「……うん」
結局、その後十分してようやく彼女は入って来てくれた。どうして、そんなにも時間がかかったのだろうと疑問だったけど、姿を見て何となく察した。
「——————」
「どうです! 可愛いでしょう! この子に手を出そうものならギッタンギタンですけどね!!」
「あぁ、……うん、良く似合ってる」
「ぁ、うぅ……」
黒いワンピースの上に彼女には少し大きめのジャケットを羽織っている。全身黒ずくめだけど、彼女自身の銀を思わせる白さが全身の調和を保っている。
そのジャケットもロックというか、パンクというか。少女自身の純真無垢な魅力とは逆の衣装でありながら、真逆でありながらその魅力を引き出している。
「———、あぁっと、ごほん」
少し、見とれてしまったけど、これはこの子の美しさにであって、そういう変な意味があるわけじゃないんだ。だからそんな顔で見ないでほしいアリスちゃん。
「ふふ、私のお古なんでこの子には少し大きいですけど、ここまで似合ってくれると元所有者としても嬉しくなっちゃいますね」
「へぇ、アリスちゃんこういう服が好きなんだ。もっと動きやすい服を着てるイメージあるけど……」
「ち、ちっちゃい頃ですから! それに、結局あんまり着なかったのもあって、綺麗な状態で残ってたんですっ。そ、そんなことより、トーレスさん退院がいつになるかとか分かりますか? もうすぐ『式典』なんですから、寝たきりはもったいないです」
「あぁ、それならこの後に検査して、その結果次第みたいなんだ。異常がなければすぐにでも出てけって言われちゃったよ」
昨日の夜。目覚めたのならなぜすぐに医師を呼ばないのか、私たちの仕事は貴方達を万全の状態に支援することだが、食事を用意することは主ではないっ!
そんな風に怒られてしまって、少し肩身が狭い。僕自身、じっとしているのは嫌いではないけれど、病室というのはどうにも気が滅入ってしまう。それに、僕以外に傷を負った人のためにも一部屋でも病室は開けておいた方が良い。
「トーレス、かえれるの?」
「うん、体の方も絶好調だしね。すぐ帰れると思うよ。えと、出来れば君を連れて行きたいんだけど……」
「……ミカ———」
「え———? その、名前———」
「えっと、その……ミカ、って……」
「どうですどうです? トーレスさんに相談しなかったのは申し訳ないなーとは思いもしましたが、悪くないと思うんですよ! まあその名前がいいって言ったのはミカちゃん本人なんですけどっ」
「そう……だね、僕がつけるよりもずっといい名前だと思う。でも…」
思わず声が上ずってしまうけれど、アリスちゃんはそのまま話し続ける。
「ふふんっ、そうでしょうそうでしょう。いやぁ、ミカちゃんが自分で名前を伝えるまで黙ってるのも大変でした。口を滑らしたらミカちゃんに怒られちゃいます」
「……ミカって、へんじゃない?」
「そんなこと……、絶対にないよ。すごく、素敵な名前だと思う。ミカ、ちゃん…、僕が退院したら街を歩こうか。……きっと、色々なものが見れるよ」
「……うんっ」
透明なガラス玉のような瞳に輝きが灯る。あの時、命を懸けたのは決して間違いじゃなかったと、今のミカちゃんを見ているとそう思わされる。
「トーレスさん? どうかしました?」
落ち着いたからか、僕の様子を気にしたアリスちゃんが話しかけてきた。そうか、そこまで動揺しているのか僕は。
「ううん、何でもないんだ。……ずっと寝てたからか逆に疲れちゃったのかな……?」
「そう、ですか。まあ何かあれば教えてください。力になりますとも」
「……ありがとう」
「? トーレス、どうかしたの?」
「い、いや……なんでも無いんだ。大丈夫——」
アリスちゃんだけでなく、ミカ……ちゃんにまで見つめられてしまって逃げ道がない。なんとか、ここを離れる理由を。
「リベリカさーん、準備できましたので、検査室の方までお願いしまーす」
「あっ、はい。すぐ行きます。それじゃあ二人とも、少し待ってて。でも、ここには何もないし、外で時間をつぶしてた方が良いかも」
ちょうどいい、看護師さんが呼びに来てくれた。待たせても悪いし、早く向かわないといけない。そうなると、二人を誰もいない上に何もない所に置き去りにしてしまう。
それは悪いと思っての提案だったけど。
「ううん、ここがいい。ここで、まってる」
「そっか、えと、それじゃあアリスちゃん……」
「ええ、構いませんとも。ミカちゃんのことは任せてください」
「ありがとう、それじゃすぐ終わらせてくるよ」
手を振ってすぐに検査室に向かう。自分でいうのもなんだけど健康体そのものだし、検査自体もすぐ終わる。
……そう、思っていたのだけど。
□ □ □
カルテを血眼でのぞき込む年老いた医師と、その様子におののく患者。
「んー、んー?」
「……先生?」
「ぬぅ、ぐ……むむむぅ……!?」
「あの……、何か……ありました?」
「ふぅむ、なるほど。そういうこ———いや、違うな……」
想像の3倍長い時間、じっくりと検査を受けさせられて、終わったと思えばこんなことになってしまった。
時計を見ると、こんな状態になってから30分近くたっている。その間、明瞭な結果すら伝えられないと、気が滅入ってくる。とはいっても、話しかけてもさっきからずっと唸っては納得、しかし撤回。そんなことを延々と繰り返している。
二人を待たせているし、これ以上は流石に様子見してはいられない。
「…ぐぐぐぐ……! なぜだ……」
「先生、そろそろ教えてくれると嬉しいんですけど。何かおかしなところがあるならハッキリ言ってくださいっ!」
「なぜ……、なぜお前は———」
「え? ぼ、僕がどうしたんですか?」
カルテを持つ手をわなわなと震わせながら拳に力を籠めている。
勢いをつけて空気を断ち切ろうとしたけど、医師として常軌を逸したその姿に逆に呑まれてしまう。
えっ、僕自身健康だと思ってたけど、実はおかしいの? すでに末期なの?
謎が不安を呼ぶ医務室において、ついに先生が立ち上がると同時、声を上げる。
「なぜ、どこも悪くないんだ……!」
「……それの、どこが……、悪いんでしょうか……」
まさに、健康体であることが医師のお墨付きをもって証明された。のだけど、それで怒られるのは納得いかない……。直前に緊張してしまったのもあって脱力感が体を包む。
しかし、齢70を超える医師は止まらない。こっちが心配になるのでもう少し落ち着いてください。
「リベリカ二級、どうやって助かった。報告には『穢れ』により肉体を損傷、その上でランテカルア特級の攻撃を受けて意識を失ったとある! その上で1週間にわたる意識不明。これは分かる。儂も何度か似たような患者を見たことがあるからな。だが、なんで健康体なんじゃお前! そんなやつは患者とは言わん!」
「いや、えっと……その、えぇ……?」
何と返せばいいのか見当がつかない。いや、健康だと言い切ってくれてるし、そこは心配しなくてよくなったんだけど。
でも、僕自身どうやって助かったのか覚えてないし……。奇跡的に運が良かったか、本人は何とも言っていないけれど、ミカちゃんが助けてくれたとしか思えない。
だから、下手なことは言えなくて、黙るしかない。
アリスちゃんはその場にいたし、信頼できる子だから、ミカちゃんが『穢れ』であると伝えたけど、圏士の全員が納得してくれるだなんて、僕でも思ってない。
ここは圏士のための病棟だ。そして、目の前にいる医師も昔から圏士を支援してくれている。つまりは、根っからの人間の味方だ。そんな人にミカちゃんのことを伝えようものなら、どうなることか……。
「そのぉ……、あれです、あれ……。こう、『穢れ』がいい具合に壁に……」
具体的な話をするわけにもいかず、覚えてないから出来もしない。そんな明瞭さの欠片もない返答を、人でも殺してきたのかと思わせる視線で貫いてくる医師。
(これは、まずいかな? もしも下手に突っ込まれたら……)
せっかく光の世界に足を踏み入れたばかりの、ただの少女が危険にさらされる。それだけは何とか避けないといけない——。
「あの———」
「これから、毎週。いつでもいいから、ここに来なさい」
「え?」
「儂も、ランテカルア特級の戦いを一度見たことがある。アレは、人間の領域を超えている。欠片も全力を出していないだろうに、戦いについては素人の私がそう感じたんだ。……そんな彼の攻撃を受けて、無事なはずがない。だから、経過観察だ。これから毎週空いた時間にここに来なさい。何かあれば、すぐ対処する」
「……あ、ありがとう、ございます」
「意識不明だってのに無傷で運ばれてきた時から、変な奴だとは思っていたが……、まさか中身まで本当に無傷だとは……、はぁ、次からはもう少し分かりやすく怪我してこい。まぁ、そういうことだから。えーと、名前は……リベリカか、退院希望だったな。そら、面会時間が終わるまでにとっとと出てけ。空室を増やせ」
「はは……、そうします。ありがとうございました」
「ん、平和と言っても油断はするなよ」
「……、はい。ありがとうございます」
遅まきながら、病室の整理を始めるために急いで戻る。ずっと二人を待たせていたせいもあって、怒っているかと思っていたけど。
「もう、遅いですよぉ」
「すー……すー……」
「ごめんなさい」
アリスちゃんの膝枕で眠るミカちゃんがストッパーになってくれていた。これで雷は落ちなそう。
意識不明だったこともあって、当然自分で持ちこんだ荷物は一つもない。部屋にあるのはアリスちゃんの持ってきていた暇つぶし用の本や、お見舞い用の花くらいで、自分の物と言えるのは『原型』くらいのものだ。
「これなくしちゃったらトーカに殴られちゃうね」
「それこそ一撃必殺ですよ。こう、殴られた瞬間に気を失って、気が付いたら全く別のところで倒れてるんです。いやぁ、ひどいですよねぇ」
「……」
「な、なんですか、私何か変なことを……!?」
「ううん……、経験者の助言を受け取っておこうと思って……」
これは間違いなく実体験だ。しかもそのことを笑いながら話すあたり、彼女も相当だと思う。やっぱり一級ともなると精神構造からして違うのかな。
そのことを別に悪いことだとは思わないし、そうやって笑いながら話せることをすこしだけ、うらやましく感じる。
「それじゃあ、今日までありがとう。まあ、僕はずっと眠ってたからちゃんとしたお礼とは言えないかもしれないけど……。そうだ、今日の夜御飯奢らせてくれないかな。アリスちゃんが、よければ、だけど……」
支度はすぐに済んだ。当然私服などは無かったので、記憶よりもボロボロになった隊服を着ることになってしまった。
病院の外に出ると、すでに日も傾き始め、空が夕焼けに染まりつつある。アリスちゃんにこれまでのお礼をしたくて、食事に誘った。のだけれど……。
「えぇ、もちろんです。と、言いたいところですがそれはできません」
「そ、そっか。残念だな。この子も懐いてくれてるし、出来れば一緒に居たかったんだけど」
いまだ眠っているミカちゃんをおんぶしながら、つい苦笑いが出てしまう。人を誘うのがなれていないのもあって、上手くいかないものだなぁと自信を失ってしまう。
「ちょっとだけ納得いかない部分はありましたが良しとします。それに、できないって言ったのはそこじゃないですよ」
「え? と、つまり?」
「忘れちゃったんですか、この前の競争。最下位は私ですよ」
「ああ、あれ。で、でも。あれって無効試合みたいなものじゃ……、アイレンもいないし」
「えぇ、だから、アイレンの分をミカちゃんに上乗せします。はい、これで完璧ですっ!」
まさか、あの勝負が有効だったなんて思いもしなった。でも、年下の女の子におごってもらうというのは男の端くれとしてはどうなのだろう。
「気持ちは嬉しいけど、ここはやっぱり僕に出させてよ。毎日来てくれてたんだし、それくらいのお礼じゃ足りないくらいだし、この通り」
「え、ええ? まさか、人生の内に、自分から奢らせてほしいなんて人と出会うなんて思いもしませんでしたよ。でも、ふふっ……。分かりました、有言実行できなかったのは残念ですが、花を持たせるということで」
「はは……」
手を合わせて、頼み込む。お互いにおごらせてほしいだなんて、確かに僕の人生でもこの時くらいだと思うし、これから先はなさそうだ。
そうと決まれば、どこに行こうか。眠ってるとはいえ、ミカちゃんがいるし……、治安が悪いところにはいけないな……。
雑談を交わしながら、繁華街に向かって歩く。今の時間は仕事帰りの人も多いから、路面電車に乗ろうものなら、もみくちゃにされてしまうし、ミカちゃんにストレスを与えたくもない。
どこへ行こうか、今一番の問題を考えていると、アリスちゃんから一つ提案。
「じゃああそこにしましょうよ。えーと、何て言ったかな……。ナキさんがやってるところ。あそこならいいですよね」
「あぁ、『兎亭』の事? でも、空いてるかどうかが気まぐれだからなぁ。でも、行ってみようか。ダメなら別の所に行けばいいし」
「そうしましょう。あっ、それと一つ」
「ん?」
「ミカちゃん、狸寝入りはいけませんよー?」
「っ、………すー」
アリスちゃんの言葉をうけ、背負った物体がピクリと反応する。ずいぶんと静かだと思っていたけど、なるほど、狸寝入りだったとは。
「ミカちゃん、起きてたんだね。それならそうと言ってくれればよかったのに」
「……おきてない。……だから、ここがいい」
「もぅ、ちゃんと歩かないとダメですよー」
「まぁまぁ、良いんじゃないかな。無理させることも無いし、はぐれることも無いしさ」
実際、病院を出てから。いや、病院にいた時からミカちゃんの容姿は周囲の目を引き付けていた。現状、自分たち以外の人との交流は難しそうだし、安心させられるならその方が良い。……そう思っての発言だったのだけど。
「そんなこと言って、ホントはトーレスさんがおんぶしてたいだけなんじゃないですかぁ? 可愛いですもんねぇ、ミカちゃん」
「そ、そんなニヤニヤした顔で言われても僕にやましい気持ちは無いからね」
「わたし、トーレスのここがいい。ずっと、ここでもいい……」
「ハハハ……、流石にずっとは、困るかな……」
背中全体に体をしなだれかかる少女の温かさと甘い匂いを感じながら、緊張を誤魔化すために背負い直す。
良い意味で目立つ彼女を、ずっと背負い続けるのは周囲からの視線に堪え切れる気がしない。鍛えてるといっても、精神面はまだまだみたいだ。
「あ、今日はやってるみたいだね。珍しいな」
「運がいいですね。流石私、日ごろの行いが功を奏しました」
「……すごい、うさぎがそうじしてる……」
ミカちゃんの言う通り、店の前には雪のように真白なうさぎが一匹。けど、疑問を持つのも当然で、そのうさぎは、本来は物を持つ構造になっていないはずの肉球に箒を持って、店前を掃除しているのだから。
「こんばんは、入ってもいいかな?」
こちらに気づくと、すぐに箒を立てかけ、小さな体で開き戸を開けてくれた。そのまま席まで案内してくれる。
「相変わらず凄いですねえ、式神とはいってもあそこまで自由に動かせるのは達人ですよ」
「本当にね、もう僕たちが来たのも伝わってるだろうから、すぐに来るんじゃないかな」
式神うさぎが案内してくれたのは座敷。
並び立つは見るからに歴史を感じさせる木の柱。しかし、劣化しているわけじゃない。むしろ積み重ねてきたものをより熟成させた深みを感じるくらいだ。
昔から、大切に扱われてきたんだな。きっと、たくさんの人たちがやって来ては、それぞれの会話に花を咲かせたんだと思う。古いもの好きの店主の趣味が表されたかのような、レコードの音楽が素敵だ。
「はい、到着」
「んー……」
「あの、ミカちゃん。さすがに着いたから、もう降りてもらえると助かるんだけど」
「ねえトーレス」
「ん? どうしたの?」
「やっぱり、おりなきゃだめ?」
「んー……、そうだね。僕も座るつもりだし、その背中に捕まってても、ミカちゃん大変なんじゃないかな」
「じゃあ、おねがいがあるの……」
「おっ、取引ですよ取引。ミカちゃんもしたたかですねぇ」
ミカちゃんの言うお願いというと、なんだろう?
出会ったのは昨日、一昨日のことだけど、彼女はあまりそういったことを言う性格には思えなかった。
でも、黒い樹に閉じこもっていた彼女が自分の意思を伝えようとするっていうのは良いことだと思う。なら、聞いてあげたい。
「僕にできることなら、もちろんいいけど……何かな?」
「わたしのなまえ、ミカって」
「そん、な……、まさか嫌だったのを我慢してたというんですか……? それならそうと言ってくれれば……」
「アリス……。ち、ちがうの……。トーレスにね。ミカって、よんでほしいの」
それはつまり、ちゃん付けを止めてほしいということ……かな?
ミカちゃんが見た目通りの年齢なのかはまだ良く分からないけど、子供扱いされるのが嫌なのかもしれない。
「そういうことなら、構わないよ。えと、ミカって呼ぶようにすればいいんだね」
「んっ」
「ふふぅん…女の子ですねぇ、その気持ちは私も分かりますとも」
「? アリスちゃんも、呼び捨ての方が良いってこと?」
「あ、そ、そういうわけではなくてですね。私は、今のままでもいいっていうか、何て言うか……、まあいいじゃないですか私のことは。ほら、ミカちゃんもこれで降りなきゃだめですよ」
「うん、わかった」
そういうと、背中のぬくもりが離れていく。けど——。
「ふふ、さっきとあまり変わりませんね」
用意されていた座布団に座るため、ミカちゃんを降ろしたのだけど、結局しがみ付いているのが背中から左腕に変わっただけだった。
そうなると、当然隣がミカちゃん、正面がアリスちゃんとなる。一息つくと、人数分のおしぼりと水の乗ったお盆が運ばれてきた。これももちろんうさぎが運んでくれている。
上から見ると、お盆が大きいから、運んでいるうさぎが見えなくなってしまって、まるで宙に浮いてひとりでにここまで来たみたいだ。
「ありがとう、注文もいいかな?」
「……ッ」
声は上げないけど、鼻をヒクつかせながらどこから取り出したのか、伝票と鉛筆を取り出した。いつも、この瞬間は注視しているのだけど、隠す場所のない体のどこから出てくるのかは不思議でならない。
でも、あまり待たせるのも悪いから、早く頼んでしまおう。
『本編について』
・ミカ、本格始動
本編の通り、彼女はトーレス大好きガールなので、いい感じにトーレスを引っ張りまわしてもらいたいと思いながら書いていた覚えがあります。
『定期連絡』
・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。
・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。
・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。