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輪廻の圏士  作者: くろよ よのすけ
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07.彼女たちの苦難②

 街が人々の営みによる光で暖かな輝きを灯している中、討滅局本部敷地内に存在する獄舎。暗く、陰鬱な空気が充満する場所で、牢の外と中に一人ずつ。

 外の一人は女、軍服のような黒き隊服に軍靴。胸には略綬が隙間なく詰め込まれている。黒く長い髪を編み込んだ見目麗しい女性。


 中の一人は男、服装は罪人であることを示す拘束衣。さらに牢屋の全方位から、大量の呪札を吊るした鎖が男の力と動きを無理やり封じている。見るからに危険であることが分かる彼の姿。罪を犯したものを閉じ込めるための施設とはいえ、女性が一人でここに来るのは普通ならば危険であろう。

 

 この場所の空気を占めるのは圧倒的な神威だった。女性がたった一言、声を上げるだけで特殊な術式が施されたはずの鉄格子が悲鳴を上げる。

 それ程の力が充満した領域だ。常人であれば、神威を直接向けられてしまえば魂が消し飛んでしまう。しかし、実際に向けられている男はそよ風でも受けているといった様相。むしろ、普段見せる表情よりも機嫌が良く見える。

 その様子に苛立ちを隠そうともせず、女性が質問を投げかけた。


「なぜ、あのようなことをした」

「あのようなこと、か。それはトーレス諸共攻撃したことか? それとも、……別に問題でもあったのか?」

「当然、リベリカ二級……トーレスのことだ。アイレン貴様、他に心当たりがあるようだな。せっかくだ、ここですべて話しておくといい」

「何を言うかと思えば。その言い方だと俺が重大な問題を起こしているようじゃないか。たった三人の同期だろう? それなのに、随分と疑われてるみたいだ。なぁ、トーカ」

「普段と違って、良く喋る……。それと勘違いしているようだが、質問をしているのは私だ。お前はただ、それに答えていればいい」

「そうか」


 『表裏境界圏・残穢討滅局』において、たった二人の“特級”。その二人が会話をしている。ならば、彼女が他に誰も連れていないのも仕方がない。

 彼女がここに足を踏み入れた瞬間から、不純物が消え失せている。濃密な神威が充満し、彼女の認めないもの全てが外に追いやられている。不浄そのものを容認しない

 この場所は二人しか存在できない領域と化している。もし、誰か別の人間を連れてこようものなら、それだけで死人を大量発生させてしまう。

 そして、罪人側である彼が抵抗した時、制することができるのも彼女以外には存在しない。故に、一人だけでここに立っている。そして、それこそが最適解でもある。


「なあ、トーカ。聞きたいことがあるなら聞けばいい。そら、お前も腹の探り合いは特に苦手とするところだろうに。アリスを使っていたみたいだが、アイツは隠し事が下手だ。人選を誤ったな。……それでだ、トーカ。何を知りたい?」

「……ッ!」


 音が出るほどに強く噛み締める。彼は、彼女が何について聞こうとしているのか、完全に理解したうえで言っている。

 だからこそ腹立たしい。この男にとって、この件は大した問題ではないということが分かってしまうから。仲間と思っていた男が、こちらのことをどう思っていたのかを理解させられるから。

 だが、聞かないわけにはいかない。彼女は引き継いでから日が浅いとはいえ、討滅局局長なのだ。自分の身内が被害にあっていると聞いて何も感じない家族はいない。


「……チィッ、圏士の行方不明事件についてだ。……もっと早くにこうするべきだった。アイレン、お前はこの事件について関わっているな?」

「さあなぁ、そんな事件があったとは知らなかった。教えてくれるのなら、答えられるところもあるかもしれないな。……きっと、力になれる——」

「……そうか——」


 至極あっさりと、朝の挨拶をするかのごとき気軽さで答える。それに反比例するかのように神威の圧力を増す質問者。だが、それでも男は堪えた姿すら見せはしない。


「皆を、どこにやった」

「聞いていたか? 事件について知らないことを教えられるわけがない。知らん、行方不明事件だろうが。俺が知っていたらそれは完全じゃあないだろう」

「どうやって、『代行者』を『原型』から消し去った」

「そうか……、てっきりそれについては知っていると思ったんだが、意外だな……」

「答えろッ!!」


 誤魔化しているくせに、隠すことすらしない。

 怒りは波動となって、牢にたたきつけられる。罪人への対応がどうしようもなくなった時、罪人ごと生き埋めにできるよう、地下に作られている地下室。そんな場所の天井から、振動と共に細かな砂が落ちてくる。いよいよもってこの空間自体が限界に近づいてきているらしい。

 だが、仮に生き埋めになったとしても、この二人ならばどうということも無いのだろうが。


「クソっ、この程度も持たんのか! 略式契約ッ! 代償をここに、代替により履行するッ!」


 吐き捨てるかのように結ばれた契約。それは彼女の立っている地点から、波紋が起こるかのように床へと広がり、壁、天井に染みわたっていく。それと同時に、天井からの崩壊も収まっていった。


「相も変わらず便利だな。それがあれば、どんなボロ家でも堅牢な城塞と化す」

「黙れ、お前は質問に答えていればいい」

「分かった。なに、それほど難しくもない。お前でも簡単にできることだ」


 彼は肩をすくめると、淡々と説明を始める。まるで、期待していた反応とは違っていたイタズラっ子のよう。


「『代行者』自身はそれぞれ『原型』に一体ずつ、各々の個体が存在する。そして奴らは俺たちの代わりに神格との契約を仲介してくれているわけだ。契約者である俺たち圏士、その力量と性質に合った神格をな。そして、紹介料兼仲介料として俺たちから大事なものを奪っていく。これについては圏士ならば全員が分かっていることだ。お前が何を差し出したのかは知らないが……」

「続きを話せ、戯言に付き合うつもりはない」


 そうだな、と退屈そうにため息をつき、続きを話し始める。


「だが、奴らとて神格との交渉に対して、常に安全圏に立っているわけじゃない。何かの手違いで、交渉時に神の怒りを買い、交渉そのものをしくじれば——、どうなると思う?」

「『代行者』は、神の力によって……裁かれる」

「ああ、その通りだ。奴らは交渉の途中だとしても、自ら席を立って交渉そのものを打ち切ることができる以上まずありえないことだがな。交渉の際に神格との接続を『代行者』側から破棄できる以上、被害は無い。だからこそ、これまで一度も『代行者』が消滅するなどありえなかった」

「なら、“犯人”はどうやってその交渉を継続させた。それこそ、神の怒りを買わせるほどに」


 この男のやったことはそれだ。怒りを買ってしまった時、殺されないように交渉の席から逃げ出す道を破壊した。だからこそ、その場に残るしかなくなった『代行者』は消え去るしかない。だが、どうやって?


「俺が、方法について把握していないことに驚いたのはここだ、トーカ。お前なら理解できていると思っていた。それとも、お前の傍にいる『代行者』は無口なのか? それだけいるのに、全員が?」

「……そうか、貴様。自分の『代行者』を相手の『原型』に送り込んだな。契約の為に世界が止まるほんの一瞬。その時に、空になった器に自分の持ちうる中身を入れた」

「おそらく、な」

「おそらくだと? ふざけた口を利く。それほどに手法を理解し、実践できる男が、疑われないと? 認めさえしなければ乗り切れると思っているほど軽い頭をしているわけじゃないだろう。何が目的だ」

「落ち着けよ、俺の話はまだ終わっていない。最後まで聞いたらどうだ? そうだな、やられた圏士は誰だ? あぁ、全員一級か。それはそうだろうな、略式契約では他者が契約中に干渉するほどの隙は生まれない」


 神格との契約を行うには、代償が必要だ。そしてそれは、使用にあたって契約者が行使しようとする力が多くなればなるほど、供物として捧げる代償も大きくなっていく。

 いくら強大な力を得ることができるとはいえ、常に最大出力を扱う者はいない。

 『穢れ』の中にも、強さによって個体差が存在する以上、圏士も相手の能力に合わせた出力で力を引き出す必要がある。

 だからこそ、扱う力の総量によって、契約にはいくつかの段階がある。


 最も安易なものとして、『略式契約』。これは、契約者である圏士自身の持つ生命力、魔力を代償として、神格の性質のさらに一部を得る契約。引き出す神威にもよるが、自分の体力を多めに使うだけだ。長時間や大規模な能力行使でなければ、多少の疲労を覚える程度。


「だから、せめて『代償契約』は起こさせなければならない。方法は、相手次第だろうがな」


 略式契約の名には、略式とつくのだ。ならば、正式なものがある。

 『代償契約』 つまり、生命力などで代替せずに、『代行者』が提示したものを代償として神格に捧げる。

 確かに、この契約ならば『代行者』は神格との交渉席へと向かう。人の尺度で考えれば、世界が止まり、動き出すまでの刹那に満たぬ狭間の時。

 その瞬間に、自分の持つ『代行者』を相手の『原型』に送り込む。あまりにも短い、一瞬を切り刻み、更に細断された時間の中で、そんなこと、普通は不可能だ。

 だが……、だが。


「もしも、お前ならばどうやって起こさせる……っ」

「俺もお前も、出来ることなんて限られてる。分かってるはずだろ。理由は誰にもわからないが……、『穢れ』も昔に比べて数を見せなくなった。仮初めの平和っていう奴だ。俺たち圏士も、存在自体は必要だが、必要性自体は減ってきている。その中で、俺たち——」

「もういい、黙ってくれ……」


 あぁ、分かってしまう。確かに私たちは似ているから。

つまり、力づく。死にたくなければ、全力を出せ。逃げれば殺す、助けを求めれば殺す、殺せなければ殺す、力を見せろ、能力を見せろ、代償を支払う覚悟を見せろ。お前の持つすべてをさらけ出してかかってこい。

 特級など、そんなものだ。強さしか誇る物がないから、相手と対話する方法も限られる。

 そして、相手が代償を支払う覚悟を決めた瞬間、力を与える存在そのものを消し去る。能力、代償への覚悟、その悉くを踏みにじる下劣な行為。


「……そうか、残念だ。お前なら、分かってくれると思ったんだが」

「戯言を言うな。私には討滅局局長としての使命がある。誇りがある。正しき意志なき力では正義は為せん、私を侮るなッ!!」

「ふっ、お前らしいよ。トーカ……」


 ここに来てから、一度たりとも崩れなかった彼の表情が崩れる。それは彼女と初めて出会った時から何も変わらない姿への憧憬と、変わらなかったことへの悲哀。

 それらが混ざりあった彼の姿は、小さく、脆く見えた。触れただけで崩壊してしまいそうなほどに……。


「それで、俺が力になれるのはこれくらいか? それなら、もう帰ったらどうだ。熟睡したいと言っていただろう。チャンスだぞ?」


 だが、その姿は次の瞬間には消え去っている。見間違いだったのかと、蜃気楼を見せられたかのようだ。


「バカを言うな、これからが本題だ。むしろこれまでの会話からより興味深くなった。これは誤魔化す必要もないだろう。貴様何故、トーレスを任務に連れて行った。手が空いているのが他に居なかったとはいえ、お前たち二人が……いやどちらか一人いれば問題ない筈だったろうに。それなのに、何故だ」


 ここへ来たのは、行方不明事件について聞くための建前上の本題だった。

行方不明事件に限っていうならば、これまでの会話から、この男が犯人、ないし関わっているのは間違いない。だが、だからこそ疑問が生まれる。


『なぜ、トーレス・リベリカを任務に連れて行ったのか』


 アイレンがトーレスを巻き込むほどの攻撃を放ち、それを生き延びた。その報告をアリスから受けたとき、私は一つ疑問を覚えた。


(この『穢れ』のことは確かに気になるが、……アイレンならば、わざわざ略式契約を行う必要はない。それこそ、能力一つ使わずに圧倒できるだろうに……)


 報告にあった意志を持っているらしき『穢れ』。触れれば死、生者を呪う黒き霧。

ああ確かに危険な相手だ。攻撃に一度失敗すれば霧に囲まれて逃げ場をなくす。手をこまねいて攻めなければ被害は大きくなる一方。

 等級に分類するなら、一級には入る。だが、トーレスを連れて行かなければアリス一人でどうにかなる程度だ。

 アイレンなら、それくらい分かっていたはず。戦闘しかできない代わりに、その領域においては他の追随を許さない。それほどの高みに立っている存在。

 それが、わざわざトーレスを巻き込む必要など、無い。それこそ、トーレスが死に瀕したその瞬間でさえ、契約を行わずに一撃で殺しきることが可能。

 なら、そこに理由があるはずだ。 


『なぜ、トーレスだったのか』

『連れていきながら、殺そうとしたのか』

『何が目的だったのか』


「それについては任務に向かう前に許可を取った時、言ったはずだろう。経験を積ませたかった」

「二級であるトーレスを、一級相当と一人で相手をさせてか? 経験を積ませたかったというほどだ。トーレスが強くはないことは分かっていたはずだし、お前なら『穢れ』の強さも把握できていた」

「一人じゃない、アリスが援護していた。そして俺も、どうしようも無くなった時の準備はしていた。今回の相手は不可解な点が多かったからな。欠片でも残して禍根の要因を少しでも残すことを避けただけだ」

「それならば、トーレスを助けてからでも問題は無かった。その余裕はあったはずだ。無かったとして、お前ならば可能だ」

「ずいぶんと、買ってくれてるじゃないか。同期のよしみか?」

「ふざけるな、いくらお前でもそれほどの封印術式をかけられては動けまい。死ぬことは無いだろうが……、生き埋めになりたいか?」


 強化したはずの牢屋全体が軋みを上げる。この空間を掌握しているのは彼女だ。故に、その気になりさえすれば、彼の座す牢屋のみを崩壊させることも容易にすぎる。


「———ッ」

「………」


 視線が交差する。片や不条理に対する怒りに燃え、片や燃える怒りそのものを見つめている。しかし、それも長くは続かない。

 アイレンがぽつりぽつりと声を放つ。


「……アイツは困難から逃げる男じゃない、才能もある。ただ、開花する土壌がないだけだ。なら、俺はそれを見過ごせない。見落とすことはできない。例え世界中の人間がアイツのことを大したことのない男だというのなら、俺だけは否定する。トーレスなら特級にすらたどり着ける、その素養がある。今回の件で確信したよ。

……だが、アイツは優しすぎる。それなら、追い込むしかないだろう。間違いなく来るであろう助けがある以上、人は甘える。自分自身の命でさえ、最後は他人に結果をゆだねる。だが、アイツは……それを乗り越えた」

「………ッ、貴様そんなことの為にッ、ただ、強くなる可能性があるから、死ぬ間際まで追い詰めなければ成長しないからだと!? ふざけるなよ、そんな貴様の自己満足の為に多くの圏士が消えていったというのか……!!」

「勘違いするな、今はトーレスの話だろう。俺はそんな、塵芥のことなど知りはしない」

「……ッ、貴様———ァ!!」


 大きな揺れが地下を襲う。床に、壁に、天井に、ひびが入っていく。空間が圧縮していく感覚、アイレンを中心に周囲すべてが歪み溶け落ちていく。歪み、溶け落ちたそれは空間の圧縮と共に地下室すべての質量を持ってアイレンを圧殺しようと、物理的な原理を無視してひたすらに圧縮されていく。


「俺を殺すか? トーカ」

「命乞いならッ、もう遅い——!」


 溶けた地下室がアイレンを沈め、圧倒的神威を持って押しつぶしにかかろうとする。

 元々奪われていた自由が、更に強制的なものと化す。『原型』を取り上げられ、身動きすら封じられた状態では、どうすることもできないままに死ぬ。

 地下室だったものが纏わりつき、あとは、最後の一押しをするだけ。それで彼は死ぬ。新たな討滅局局長として、そうしなければならない。失われた命に弔うためにも、為さねばならない。だが——。


「………ク、ゥ———ッ」


 それが、出来ない。まだ、何かを隠しているのではないか。他に仲間がいるのではないか。実は、反撃のために攻撃そのものを待っているのかもしれない。仲間殺しを自分自身が行うのか。

 思考が邪魔をする。ここで殺すことが本当に正解なのか、自信を持てずにいる。

 だから、最後に一歩を踏み出すことができない。


「………っ——」 

「……そうか」


 元々の姿を失った地下室で、音が消える。彼女の発していた神威すら、成りを潜めた。

 そして、原型を失った地下室の入り口、その階段から足音が響き、その姿を現した。


「姉さん、もうやめましょう。少なくとも、アイレンさんはもう動けない」

「リッカ、なぜ来た……。来るなと、言っておいたはずだ……」


 リッカ・ルアック、父を失った中で私に残されたたった一人の家族、大切な弟。

 地下牢ごと、アイレンを握りつぶそうとしていた右手。リッカは自らの手を、上から包み込むように、優しく両手で押さえられる。

 それでもう、どうしていいか本当に分からなくなった。彼を、アイレンを殺すことが正しいことなのか? これは、正しき意志の元による正義なのか……、教えてほしい———、父さん……。


「クソッ……———」

「……姉さん、帰りましょう。一度落ち着いて、それから彼のことを考えましょう。それからでも、遅くはない」

「すまないリッカ……、皆が犠牲になったのも、私がふがいないせいだ。」

「違います、それは絶対に。だから、自信を持って。いなくなった人達にそんな姿を見せたら、きっと笑われる。だから姉さん、胸を張って」

「あぁ……、きっと、お前の言っていることが正しいんだろうな。ふぅ……、すまない冷静さを欠いた。この男はまだ殺さない、何としても情報を吐かせろ。後は任せていいな?」

「うん、任せてほしい。姉さんの期待は裏切りたくないしね。でも、僕がついていかなくて大丈夫?」

「問題ない、……あとは頼む」

「トーカ、一つだけいっておこう。俺は、俺自身の為だけに剣を振るうわけじゃあない」


 圧殺される寸前だろうに、それでもなお変わらない口調で話す男へ振り返ることはできなかった。


「……そうか、ならばもう私とお前の道は違ったと、言うことなのだろうな——」


 言葉はそれだけ、後はただ前だけを見て進んで行く。

 足元はしっかりと歩を刻んでいるはずなのに、それからは、どうやって自室まで帰ったのか、よく覚えてない。

 ただ、目覚めたときに鏡に映ったソレは、自分では見たことも無いひどい顔だった。


  □ □ □


 異形の空間に残されたのは、二人の男。


「お前は、空気を読まないと言われたことは無いか? 『リッカ、お前はいつもいいところで邪魔をする。わざとやっているんじゃないか?』とな。特に、トーカからだ」


 首より下が、子供の作った下手くそな粘土細工のように、無機物と融合したアイレンが口のみを動かして問いかける。それは、姉と同じ特級として尊敬していた時には見ることのなかった、あまりに冷たい言葉だった。


「ありませんよ。僕は家族だ、父がいなくなった今、姉さんを支えるため、一番の力になれるのは、僕だけだ」

「そう言うのをうぬぼれ、……いや、お前の場合は———」

「アイレンさん、あなたが何をしようとしているのかはわかりません。ですが、我々を甘く見ない方が良い。あなたのような強大な力を持った存在が立ちふさがったとしても、我々圏士は負けはしない。邪悪そのものを断ち切って見せる」

「そうか、そうだといいんだが」


 言葉を遮られたことなど一切気にせず、ぶっきらぼうに無関心。興味などなく、ただ話しかけてきているから応対しているだけ。

 彼は、僕に興味を持ちえない。


「……空気を読めていないのは貴方の方ではないんですか。どちらにせよ、処分についてはじきに下ります。その時になってから、見苦しい姿は見せないでほしい。僕も、まやかしだったとはいえ、尊敬していた貴方のそんな姿を見るのは忍びない。せっかくだ、地下室を直すまでの間、そのままにしておきます。……何もできない無力感と言うものを知るべきだ」

「………」

「僕は圏士として、人々を護る。『穢れ』から、そして、あなたのような争乱を求める邪悪から。もう、友としてお会いすることも無い。すぐに尋問官を派遣します。では、オサラバです」

「そうか、そうすればいいさ。後、俺個人の持論だが『人は怒りによって成長する』…トーカを止めたのは悪手だったな」

「………なにを」

「そして、道を違えているというならアイツの方だろう。どれほど力を持とうが……、力を持つがゆえに怪物は人とは共存できないのだから———」

「……っ———」


 言葉を返すことなく立ち去る。問答は無用、犯した罪、責任、悪は断罪しなければならない。だが、歪んだ世界で唯一形を残している、地下室階段の入り口へとたどり着いた時、何か悪い予感だけは拭い去ることができなかった。


 度重なる人為的な天災により、今にも崩れ落ちそうな合成獣の体内。

 トーカの力によって排除され、浄化されていた牢屋特有の陰鬱な空気が戻っている。それに加えて、空間ごと地下牢が破壊され取り込まれた時、かつて染みついた大量の死が掘り起こされた。


 拷問で死を迎えた。

 尋問で死を迎えた。

 斬首で死を迎えた。

 冤罪で死を迎えた。

 吊縄で、薬で、餓死で、事故で、悪意で、善意で、憎悪で、慈愛で——。


 理由などどうでもいい。かつて死した亡霊の狂気が情念が、掘り起こされて現世に放たれている。この場所は、罪人の阿鼻叫喚がひしめく現世における地獄の様相を呈していた。

 一人取り残された男は生者が誰もいなくなった中で、亡霊の狂気にさらされている。亡霊と化している以上、すでに世界に干渉することなどできないはずなのに、空気を歪める。淀みを伴った不浄と化す。

 ただ立っているだけで、狂気に呑まれ、死を幻視する。常人ならば気が狂う、亡霊と共に死へ向かう。ここはあまりに死に満ち溢れている。

 けれど、彼は認めない。死者ではない、死者が生にしがみつくことを。


「くだらない、死んだ奴がでしゃばるな」


 たった一言、それだけで狂喜乱舞していた亡霊は消え失せる。消滅して、淀んだ空気すら空虚なものとなる。

 大量の拘束具、封印を施された上、神の力によって指一本動かせない。それこそ、言葉と視線のみ。それでなお、抑えきれない。これではまだ足りない。

 そして、現在そのことを知る者もまたいない。

 本当に一人となった牢屋で一人、リッカとの会話に答えを返す。


「人の平和を望む、それもいい。何も間違いじゃない。だが、多くの物を護ることができたとして、それで一番大切なものが護れるのか? 俺に啖呵を切ったんだ、見せてもらうぞ。期待は、していないが……」


 誰もいなくなった階段に月明かりが差し込む。

 その光は目前まで伸び、手を伸ばせたなら届くほどの位置。


「で、ようやく俺の出番かよ。ったく、あのバケモン……前よりも出力が上がってんじゃねえか、クソが。外にいる分には何も感じなかったのに、中の様子を覗こうとした瞬間、壁の一部になるところだったぜ」


 ようやく静かになったか思った矢先、新たな声と影が来た。


「はぁ、次から次へと……、準備は?」

「安心しろ、進めてるよ。つっても、わざわざオレを使う必要もないだろうに、テメェほどの“最強”が」

「なに、適材適所というやつだ。必要なら手は問わない。そして、お前が能力、動機ともに適任だったというだけだ。それとも、さっきので怖気づいたか?」

「ぁん? バカ言うなよ。むしろ楽しみで仕方ねェ。ハッ、あの女をぶっ殺すために今までやってきたんだ。 ……にしてもいいのか? テメエ、唯一のチャンスをオレに譲る真似をしてるってのが分かってんのか?」

「気にするな、誰かに貰った善意は別の誰かに返すべきだろう? 巡り巡って俺の為になるかもしれない。なに、ただの気まぐれだ。機会が欲しかったんだろう? ちょうどいいとでも思っておけ」

「そうかよ。ま、いいさ。テメェの言う通りだ。オレはオレであの女に“恩返し”してやりたいしな。テメェはテメェ、オレはオレだ。くれぐれも、邪魔すんなよ。相手はその後にしてやっからよッ!」


 夜空の月が雲に隠れると同時に、差し込んだ影に同化するように音もなく消える。これで来客も最後だといいが。


「そうだな、邪魔になるようなことにならなければいいが——」


 今度はしばらくしても誰も来ない、自身の内へと意識を落とし、緩やかに眠りにつく。

 まだ、立ち上がる時じゃない。落ち着け、もうそれほど遠くもない。手を伸ばす必要もなく、待ち続けた時がもうすぐやってくる。

 人間を救うその時が。今はただ座し、その時を待ち続けるだけだ。


『本編について』

・代償契約

 神格の異能を扱える代わりに、その人間にとって大事なものを捧げる一種の儀式。

 略式契約が属性攻撃くらいのイメージならば、具象契約は武器を生み出したりより強力な異能の発現を可能とします。


『定期連絡』

・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。

・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。

・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。

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