42.始まりの慈愛④
本エピソードの残りが丁度二週間分あったため、先週投稿できなかった文量を合わせて投稿しています。
そのため普段の約二倍ありますが、次回からは通常通りの文量に戻します。
「かつて人間は互いに滅ぼしあい、生物非生物問わず死滅する寸前にまで自らを追いやった。空を焼き大地を殺し、海を干上がらせたなどと伝わってもいるが、如何せん詳細な資料はない」
「ツ———ォ、そんなことは知ってる! 人同士の最後の戦争に決着をつけ、世界を荒廃させた原因だろう!」
千年近く前に起こったとされる、最大最終の戦争。この世界全てに拡がったと言われる炎は結局、勝者も敗者も生み出しはしなかった。いや、居たとしたのだとしても何もかも消え去りけがれてしまった世界では長く生きられなかったに違いない。
炎によって当時の情報も焼き尽され、公式的な記録も摩耗し、今となっては伝聞で伝えられるお伽噺に他ならない。
「あぁそうだ。愚かしくも過去の人間は、人という種を絶滅させることで平和を勝ち取ろうとした。放たれた大地を汚染し、数万年は満足に生物が存在できない領域を生み出しておきながら、我らは人間のために戦ったと宣う」
「ぐ———っ!」
切っ先が肩を掠めただけだというのに、それだけで胴体まで吹き飛ばされるもかくやという衝撃に襲われる。鞘に当てられた手、抜き放たれた刀身からして居合だ。
かろうじて防いだとはいえ、攻撃を受けたというのにしかしまだ見えない。もっと、もっと前へ、身に余る神威を持っているのだ。
制御では足りない、暴走をさえ意のままに行い覚醒へと至らねば勝機すら見えない。
「だが、結果はどうだ。生きる場所を自ら潰し、保有する領地、領民、糧食さえも潰えさせた。そして、奴らはどこへ行った? 戦争を引き起こし、人間を救うと言った奴らは?」
滲みだす怒りが鉄槌となって上空からの圧力を引き起こす。
「……、——————ッ」
神が、こちらを見つめている。
雷環の瞳は顕現した時と何も変わっていない。純然に過ぎる神威を現世に放出しながら視界に入る全てを破壊しつくすのみ。
だが分かる。今この時だけは僕を見つめ、自分の敵手にあたるにふさわしい存在かどうかを見定めようとしている。
「自分たちが引き起こした戦争に巻き込まれて死んだんだろう……っ! その頃は神話も神格もお伽噺に過ぎない筈だ!」
『原型』が生み出されたのはわずか数百年前に過ぎない。それ以前は神も神秘も科学に駆逐され、人類は繁栄を誇っていたという。けれど同時に、彼らに神の力は持ちえない。世界を焼き尽す兵器に巻き込まれて生きている人間がいるとは思えない。
「違うなッ! ならなぜ人間は今なお生きている。世界は焼き尽され、指導者も無く、食料とする生物すら焼き尽されたというのにッ!!」
だが、彼は怒りで否定する。
「生き残った人が力を合わせれば可能だ! 僕達だって、そうやって命を繋いできたんだろう!! 君の言うように、戦争を知らず、命を懸けて脅威から盾となってくれている他者を虐げるような恩知らずであったとしてもっ! 手を取りあって、苦楽を共にしながら命を繋いできたことに変わりはない!!」
はじき飛ばされた影の修復と共に傷口を即座に縫い合わせ、爆発的に増加した神威を以ってアイレンへ切りかかる。
「ハ……ッ! 傲慢な人畜どもを人間扱いするのか、お前はァ!!」
「ぐっ…!」
刃が触れ合った瞬間、踏み込んだ地上の方が耐えきれずに崩壊する。
衝撃波によって吹き飛ぶ岩石ごと切り裂く刃が躍る。その全てが必殺足りえる威力と狙い。容易く音を置き去りに、打ち合う金属音は数泊遅れで耳に届く。
「人畜だって! アイレン、君は人の未来を考えていると言ったのに! ナキと同じように、手段は認められないまでも多くの人々のことを考えての行動だと思っていたのに!!」
ミカ一人を犠牲にすることで、世界に自然を取り戻し、命を、そして人の繁栄を取り戻す。そう言ったナキの計画は、僕には認められなかったがその願いが間違いだとは思わない。
だからこそ、対立するしかなかったことが悲しかった。
「けどアイレンッ、君の言う人の未来って何なんだ! 圏士を殺し、『代行者』を殺し、挙句の果てに護るべき人達、この世界さえ壊そうとする君はッ! いったい何がしたいんだ!?」
縦横無尽に迫る刃を受け止めながら問いかける。人類史上初ともいえる安寧の日々を過ごす世界を敵に回し、ここまでする意味が本当にあるのか、と。
「何をしたいかだと!? 決まっている、人間を救う。誤った価値観の中で生きざるを得ない、力を持った弱者を救う! 自身に与えられた安寧の意味も考えることもせず、ただただ享受し、消費するだけの人畜のどこに救う理由がある!」
「ならッ、君の言う人間は!」
力を持った弱者、それはつまり——
「俺は……、この戦いで強き人間を救う、圏士をこそ救う。真に人間と呼べる存在を見出し、生きることすら舐め切っている連中に必要性を見せつける……! 己の無力さを思い知らせ、強者に護られているのだと知らしめ、学ばせる!」
破滅的逆境に抗う強き意志を持ち、自らの足で立って歩いて行ける者。しかし力あるゆえに使命を帯び、力なき者達を護る神秘の契約者。
「圏士を救うだって? どうしてそんなことを、僕達は戦う力を持っているとはいっても、争いを望んでいるわけじゃない!」
「それは違うぞッ、人が人である以上闘争は尽きない。これまで長い間、『穢れ』が人類共通の敵だったからこそ起きなかっただけだ! 『穢れ』を駆逐しきったその時、真に人が人に戻ることのできる瞬間だった!」
人が人である限り闘争はやまないという。
それはこの数百年誰も起こさなかったことで、起こさない現代の人間は弱者なのだと。
「だがそうはならなかった、何故か!?」
問いかけと共に刃へ走る雷光が一閃、防御すら貫通して肉体を真っ二つにしようと疾走する。
「あまりに時間を掛けすぎた。生物としての闘争心を失い、外への関心よりも内に籠る弱者の精神性へとなり替わった! 過去から続く街を存続させるために資源は尽き、外界へと足を延ばすことも不可能となった!」
言葉と共に放たれる覇気はそれだけで指向性を持った破壊の結晶となり、砲弾となって襲い掛かる。
身を打つ砲撃に風穴を開けられそうになりながらも耐えて言葉を返すことは止めない。
「ッ———、だけど……ッ! それの何がいけないっていうんだ、確かに、僕も世界を見ずに内に籠ることを良しとは思わない。人はもっと広い世界で生きるべきだと思う! けれど君のやり方では誰彼構わず死んでしまう!!」
かつて病床に伏せた母のように、弱りきった醜い姿を見せたくないと家の中に閉じこもり、誰とも交流を持たず誰からの記憶からも消えていった女性を思い出す。
それではだめなんだ、人は一人で生きていけないから。目の前に広がっている世界を受け入れなければならない。逃げたとしても、世界は背後にも広がっているのだから。
「僕は間違っていた。いなくなってしまった人たちの分まで生きていれば、それが償いになるんだって! でもそうじゃない、今を生きている者は去っていった者達の遺志を継いでいかなければならない! 人はそうやって命を、想いを受け継いできたんだから……。アイレンのやり方じゃあ皆が去っていくばかりだ! 受け継ぐ者も、未来へ繋いでいく者も、誰も彼もが居なくなってしまうだけだろうっ!!」
放たれた攻撃を避けることもせず真正面から受け止める。アイレンの怒りから目を背けないように。質量さえ感じる雷光は受け止めた刃をジリジリと押し返す。余波だけで世界を殺し、人も動物さえ住むことのできない環境へと変貌させていく。
けれどこの刃を降ろすことはせず、そして問いかけることも止めはしない、ただの殺し合いではだめなんだ。
君の心の内が知りたい、強くありたいという願い、強者こそ人間であるという想い。それは元をただせば同一の感情から生み出された祈りだ。だけど、始まりの更に前。そう、君の怒りの根源が分からない。
「教えてくれアイレン……ッ、なぜ君はそうまでして、こんな方法でしか人を救えないと思ったのかを——ッ!!」
雷光の一閃を打ち破り、踏み込んだ先には防御の構えを取るアイレン。
大地はすでに固体であることを忘却したかのように波打ち、神威で足場を固めて居なければ液状化した地面へと呑み込まれるだろう。
その中で、剣戟の音と敵手の声だけは互いに聞き逃すことはしない。
「ならッ、教えてやる! どの道俺たちの、この世界の成り立ちは……避けて、通れん!」
震脚、自身の気と神威を籠めた脚は、原形を失いつつある大地へと撃ち込まれ足場として作り出していた僕自身の物と世界樹の神威が諸共破壊される。
「———ッ?!」
急に足場を失い、流体と化した地面に足を取られる。
これでは回避も——
「———シィィイヤァ!!」
「グェ————っ……」
カエルの潰れたような音を喉から出しながら空へと蹴り上げられた。
纏った影でさえ防ぎきることのできない、規格外の破城槌。
「———つ、ぅぅぅぉおオオオッ!」
内臓が破裂していることを感じながら、痛みを叫びで塗りつぶして眼下から迫りくるアイレンへと神殺しの神威を見舞う。だが、それは投擲された『原型』。いや、またしても具象したヴァジュラが無色の神威を打ち破り、こちらの心臓に向かって狙い違わず飛翔する。
神殺しの力を持つ神威でさえ打ち破る軍神の武力。
神々を殺し、神代の主権を簒奪した力を扱っているというのに、相性差など関係なく単純な力で押し切られる。
だがしかし、かつて神々を打倒した魔人の力だからこそ、純然たる力量差には敗北を喫するという性質もまた共有するのだ。飛び去った神雷の刃は空へ消え、防ぎきれずに受け止めた腕はちぎれかけ。服を剥げばそこにあるのは剥き出しとなった肉と骨だ。
そして、投擲した本人が飛び上がってきている。攻撃は止まらない、応急処置の暇を与えることなく、緩やかに回転しながら放たれる前後の二連脚をもろに受ける。
「ガァ———ッ!?」
打ち上げられ、更に上昇を続ける。
傷をふさぎ、武器を持たぬ相手に反撃を試みるが痛みをこらえながらの不完全な太刀筋では容易く払われ、間断なく拳を叩き込まれる。
「こ、———のォ——!!」
「記録が何もかも消え去ろうが間違いない事実も存在する。俺たちの祖先にあたる人間はな、かつての戦争を引き起こした張本人たちだよ。そいつらが選んだ人間を囲い、他者を切り捨て自分達だけで安全な場所に引きこもった! 俺に残された記憶も、具体的に記憶しているというわけでもないがな。そこに在るのは怒りだけだ。脳裏に記憶の欠片がよぎるたびに抗いようのない怒りに駆られる。例え何度記憶も肉体も回帰しようが自ら立ち上がろうともせず貪るばかりの人間を人畜と言って何がおかしい」
拳を、脚を、果ては頭突きさえくらわしながら、その中で話始めたのはこの世界の始まり。最初の人の世に生きた、アイレンにとって憎むべき精神性を持った人たちの事。
「他人の作った兵器を用い、他人を争わせ、他人の生み出した安全圏でのうのうと生をむさぼる。そいつらは神にでもなったつもりか? 自身では何一つ生み出すこともできなかった屑共が、誰かに与えられた地位、名誉! 焼野原の中でさえ権威を振りかざし、人を超えたと豪語する。ふざけるなよ気色の悪い、何の努力もせず、ただ与えられたものを使って、新たなものを生み出すことすらしない。その気になれば戦争さえも起こさずに、この世界で人間の繁栄が続いていたかもしれないというのにッ!」
「———ッ、ゥゥウ———!」
憤怒と共に攻撃の速さも威力も上がり続ける。
しかしどれほどの怒りを籠めようが、そこに隙は生まれない。反撃の機会が与えられることなく、生身で竜巻の中に放り込まれたようにただボロボロになっていく。
「なぜ間違った者達が高みに上る! 人畜に過ぎない貴様らが、他者の為に命を投げ出すことのできる尊き存在を、命を愚弄しやがってッ!!」
これがアイレンの怒りの根源、生きることから堕落した人間への激憤。
正しく強く生きられるはずのものが、そのように生きられない世界を憎んでいる。それは他者の為に命を懸けることのできる者への敬意であり、信じているからこその悲観だ。
すなわち、敵が消え人間同士での争いすら起こす余裕のないこの世界において、堕落した精神が再び上り詰めることは無いという諦観。
圏士としての最上位、人世界における最強であるアイレンからすれば、そのことを当然のように受け入れている現代人への怒りはどれほどのものか。
「どうして生きることに対してそこまで手を抜くことができるッ、足搔いたとしても精々100年生きられないんだぞ! それなのに奴らときたら努力もせず、与えることもせず、誰かが自分の為に何かをしようとしてくれているのを、ただ口を開けて待っているッ! どれだけ……ッ、どれだけ生きることから目を背ければ気が済むという!? その上、屈辱的なことにそんな卑怯者達の血が俺たちにも流れている」
アイレンにとって、これまでの人生はどれほど苛立ちに満ちたものだったのか。
「なぜ……ッ、そんなことが分かるんだ!?」
内臓をえぐり取る威力の拳を、受け止めた影を突き刺して縫い留めるように拘束する。
胸ぐらを掴み、膝蹴りを鳩尾へ力いっぱい叩き込む。
「グ——ッゥ……当然だッ、灯日という名の街こそ屑共が最初に作り出した安息の地だ。だからこそ、この周囲はまだ人が住むことのできる領域を保っている。いや、保つ機能を呼び寄せたッ!」
「がフ……ッ」
持てる力を打ち付けたというのに、生まれた隙は連撃を許さぬほど。影によって縫い留められている拳で、怪我の悪化も気にせず何度も殴り続ける姿は人間のそれではない。
互いに打ち付け合う拳に血が滲む中——。
「グゥ……ッ!」
「ァア———ッ?!」
瞳が揺らいだと認識した瞬間、これまで直撃を免れていた雷撃に打たれた。
体が破裂したような衝撃に襲われ、全身が硬直する。視界が暗転し、焼け焦げた匂いと共に目が覚めた時、影の拘束が外れたアイレンは眼下で蹴りを放つために力を溜めていた。
当然、掴みあっていたアイレンも一緒に稲妻が落ちたはず。その証拠に体の一部は焼け焦げ、皮膚には雷光の奔った痕が火傷として皮膚から顔をのぞかせているというのに、その瞳には曇り一点なく、闘争から手を引く姿は見えない。
「この世界を……見てみろォォオ、トーレスゥ!」
「ッ、ガアアアアアっ?!」
足場のない空中で放たれる、杭打機を思わせる強烈な一撃。
咄嗟の防御すら機能せず、防いだ腕ごと吹き飛ばされる。
(世界を———見ろ、だって?)
砕けた腕の骨を治しながら吹き飛ばされる。その中で流れる景色に映る世界は、荒れた荒野だ。草木一本生えず、見渡す限り褐色の地平が延々と続いている。
更に僕たちの戦いによって地形は大きく変わり、今後数百年に渡って命が生まれないことが直感として伝わってくる。
「何も、ないぞ……ッ、アイレン……っ、僕たちの争いで可能性すら奪おうとしている」
「そうだ、何もない。だがそれこそおかしいだろう! この土地には数百年にもわたって『穢れ』がいたというのに草木の一本も生えていない! 奴らの機能は生命の循環だ。今ある命を食らい、純化した後に世界に還す。そうやってこの星の環境を守る存在だ。時間はかかるが1さえ10にする、最高効率の循環機構。だというのに、この土地には何もない!」
いつの間に握られていたのか、アイレンの手には刀の形状に戻った『原型』が握られており、視界を埋め尽くす数多の斬撃と雷光を仕掛けてくる。
「それはッ、圏士が倒してきたからに過ぎない——! 溜め込んだ命が活用されぬままに消え去ったせいだろう!!」
肉体の消耗によって、神威は純化が進んでいる。
質、量ともに乗数的に強化した無色の波濤で迎え撃ち、反動を利用して地上へ帰還を果たす。
「殺された『穢れ』が例外なく、命の循環を果たす寸前に殺され続けたと? 有り得んだろう。俺たちが数百年かけなければ殺しきれなかった程度には数がいた。討滅局局長先々代の時期に行われた大規模戦闘で名が付けられたような連中も消え失せたが、灯日を中心に散らばった街周辺を根絶するだけでそれだけかかったんだ。だというのに、この大地には草一本見当たらない」
「数が減ったのなら循環効率も必然悪くなる。それに彼らは仲間を殺す人間を憎んでいた。それなら溜め込んだまま死んだって———」
「ありえん……なァ!!」
極大の剣戟が空気を裂いて飛んでくる。帯雷し、もはや切断を超え圧殺という言葉が正しい神威の刃は、触れたもの全てを灼き殺しながら敵手を圧殺せんとする。
「なにが、だ———ッ!」
逃げはしない。
全てを防ぎきる必要はない、人一人だ。それだけの隙間を作り出せれば前へと飛び出すことができる。
纏い、構え、放つ。
空を覆う面を突き破るべく点となった一撃は、アリスが行ったものと同種の攻撃だ。
彼は、彼女の戦いを見ていなければ声を聞いてもいない。だがこの短時間、実戦経験の少なさを凌駕するほどの速度で成長を続けている。
まだだ、まだ終わらせはしない。まだ、追いついていないのだから———!
「奴らも生物だ、人と同じで切り殺されれば中身が飛び出るし、寿命で死ねば死体は土に還る。それは個の意志ではどうにもできない、そしてその時にこそ循環は果たされるはずだろうッ!」
「……それはっ」
「だが、それは行われていない。何故だろう、なァッ!?」
突き穿ち、穴の開いた斬撃の中央を跳躍するとそのまま攻撃に移行する。けれど予測されていた攻撃がその身に届くことは無く、雷撃に阻まれ回避を余儀なくされる。
「逆だ! 行われていない訳じゃあない、循環自体は常に行われていた。その上でこの世界が、人の生きることができる世界が存続している」
回避する先に幾重もの斬撃を飛ばしながら逃げ場を与えはしない。
逃げようとすればするほどに勝機は遠ざかっていく。
「グっ、……ハァア!!」
比較的層の薄い部分を撃ち抜き、欠片でも心が折れぬよう声を上げ続ける。
「ナキや、アイレンの言うことが正しいのならっ! どうしてこの世界に荒野が広がってるんだ! 分かってるなら……いい加減ハッキリ言ったらどうなんだ!!」
はぐらかして、後で分かるだなんて言って。そこに人々を救う道筋があるのなら、はっきり言えばいい。そうすれば皆が救われるかもしれないのに。
「さっきも言っただろう、この世界の成り立ちを! その上で考えれば、お前になら分かるはずだ!」
だが、返ってきた答えはまたもや不明瞭な回答。
「さっき———っ?」
けれど、そこに答えがあるという。なんだ、この世界の成り立ち……? 今生きる僕達の始まり、アイレンの言う弱者が行った愚行。
人による神の模倣、引き起こされた戦争。
星を殺す寸前に至った殲滅兵器の後遺症。
『放たれた大地を汚染し、数万年は満足に生物が存在できない領域を生み出しておきながら———』
「まさか」
「気づいたか! あぁその通りだ、世界が炎に焼き尽くされてからまだ二千年も経っていない。だというのに、この世界は生物の住める環境が広がっている」
「………っ」
聞いたことは、ある。
僕達にはすでに失われた技術だが凄まじい燃料としての機能を有しながらも兵器として活用した時の破壊力は、一つの国を焼くほどであると。
その上、数万年もの間、大地を汚染し続ける。まるで神の気まぐれによって生み出されたかのような、人の生み出した科学の結晶。
そう、数万年だ。
その間、生物非生物、大地も水も頭上に広がる空でさえ汚染され、何者であれ生き続けることはできない。これまで命が繋がれていること自体、有り得なかった。なら、その有り得ないことを実現させた存在がいる。
「それが、『穢れ』か……」
「あぁその通り、どこから、どうして生まれたかなんぞ知らん。だが、その力は本物だ。実質、自然に消滅することのない危険極まりない物体を、生物が生きていけるまで改善したわけだからな」
斬撃の雨は止み、わずかながらに静寂が訪れる。
それなら、人間はなんという恩知らずだろう。彼らが居なければ死に絶えていた現実を、彼らごと殺しきったのだから。
そして、人工的な『穢れ』の生成も、もう実行に移されることはない。最後の『穢れ』としての性質も持つミカも、その力は失っている。
「それでアイレン、君は何を伝えたいんだ。この世界の成り立ちは分かった。君が忌み嫌う存在によって戦いは消え失せ、人は弱くなったっていう君の怒りは伝わったよ。でも、今の君の目的が見えない」
「………」
人の未来を救うと言った。アイレンにとって、人とは圏士だ。戦うもの、誰かの為に命を懸け、その命終えるまで、決して折れることなく闘争に身をやつせる者達。
だが、現在多くの者は力を満足に使うことも無い。もう、戦うべき相手はいなくなってしまった。
「もう、彼らはいない。ミカも人として歩むことを決めた。もう、人類の敵はいなくなった。……あとは———」
人は、外の世界と争うことを忘れてしまったから。
今、敵として立ちふさがる存在はもう君だけになってしまったから。
「アイレン、君だけだ。君を倒しさえすれば平和が戻る。そしてもう、僕達に時間はない」
アイレンと僕、過去への回帰と未来の消失。
どちらが勝っても負けても、結果は同じ。アイレンは存在事消失し、僕は存在事棄却される。代償は契約者にとっての大切なモノが選ばれるから、どちらの方が辛いと言うものでもない。背負う心の痛みは同じだ。
「この戦いが終わってしまえばすべてが消える。傷跡だけを残して」
後の世の人達は、歴史に何と記すのだろう。
神の降臨、死に絶えた大地と呼び出した反逆者。目的も分からぬままに誰かと戦い、その誰かは誰も知らない存在。
「分かってるだろ。この戦いだけじゃない、君の目的そのものが誰の記憶にも残りはしない。そんなこと、アイレンが分かっていないはずがないんだ。だったら——」
“真意を知らせないこと自体に意味がある“
そう続けようとして、遮られた。
「……お前を選んだのは、本当に正しかったと思えるよ。嘘でも挑発でもなく、……本心からな」
「アイレン……」
「………」
先ほどの激しさは掻き消え、若き日の青年へと為った友人は微かに笑う。
「あの、戦いから身を置いていた。俺の忌み嫌う側の人間だったはずのお前がここまで強くなった。素質があった、適性が合った。だがな、それだけじゃ足りない。最後に必要なものはなトーレス、怒りを持つことだ」
握った刀を見つめながらアイレンは続ける。
「俺は、物心ついた時から、いいや…そのずっと以前から胸の内に怒りを抱えていた」
代償を支払い、赤子にまで回帰したかつてのアイレン。
いや、アイレンという名ですらなかったであろう圏士。彼が持ちえた人類への怒りは記憶されていないはずなのに、それでも残り続けたものだ。
善悪どちらに傾いていたのかは分からないが、並大抵のものじゃなかったことだけは理解できる。
「この怒りをどうすればいいのか。幼い頃は何も分からなかったが、強さが必要なのだということだけは分かった。そして、決定的な瞬間と言えばお前の妹が死んだときの光景だ」
「………」
「あの時、人を護るために力を行使するはずの圏士が、命を弄ぶ真似を行った瞬間。この世界の弱さを知った。守護すべき存在を犠牲にしなければ生きていくこともできない組織と、ただ喚くだけの愚者共。だから圏士になり、自分なりに調べて、ブルーマンと接触した」
そこから計画は実行に移され、多くのものを犠牲に走り続けた。
そして、僕が強くなるのを待ち続けていた。
「どうして、僕だったんだ。素質があったのだとして、適性があったのだとして、こうまで待つ必要が本当にあったのか?」
疑問はそれだ。
出会いは偶然だったにせよ圏士になるように引っ張り、ミカと引き合わせ、成長を促すためにエイガやナキをあてがった。ミカとの信頼関係を築き、より高い領域の契約を扱えるように仕向けた。
そこまでする必要と理由があったのかどうか。上手くいく保証なんてどこにもない。
むしろ成功したのが奇跡だろうに、どうしてこんな方法を。
「お前しかいなかったさ。俺は……嫌われ者だからな」
「え?」
「圏士とは、他者の為に命を懸けられる者だ。俺はそう信じているし、それを為せない存在を圏士と、人間とは認めない。そして、誰かの為に戦うということは決して誰かを護るためだけじゃない」
言いたいことは分かった、……何となく。
「……アイレン、君まさか」
「ああそうだ、友人なんて呼べるようなのはお前しかいない。そして、敵となった相手の為に涙を流すことのできる男も。お前は良い奴だよ、トーレス。一見、戦いを忘れた屑と変わりない筈だというのに、お前だけは友であり続けた。不思議だろう?」
「———」
驚いたというか、呆れたというか。
戦闘態勢を緩めることはしないけれど、返ってきた答えがあまりに意外で緊張がゆるみそうになる。
「そんな顔をするな」
「いやでも……」
「はぁ、だがこれで疑問は解消だ。いいだろう? 最後の最後、俺の前に立ちふさがるのはアリスかお前だと思っていたし、事実そうなった。アリスは俺を超えるために戦える。どこまでも追ってくるからな、焚き付けるのは簡単だった」
だからアリスちゃんに対して、やけに挑発が多かったのか。
「リッカ辺りは勘違いしていたが、怒りとは決して負の感情じゃあない。人が前に進むための原動力、生の道程を果たすための燃料だ。トーレス、お前は誰かの為に怒り、悲しむことのできる人間だった。そういう人間こそが、窮地において最も真価を発揮する。自分の為だけに戦う者ではそうはいかない」
「それ、褒めてるの? 貶してるの?」
「それは当然——」
「アイレン自身のことだよ」
「……、褒めてるさ」
「そう、なら君は誰のために戦っているんだ」
「無論、人の為だ。お前が過去に縛られ生きてきたように、俺自身も過去を引き継いで生きてきた。正しさも分からぬ怒りに憑りつかれ、この道を疾走し続けた!」
微かな揺れと共に大気が震撼する。
強大な力が天からこちらを見ている。まだ倒さないのか、殺さないのかと。
足搔くさまを見るのはもう必要ない。我は敵手を討ち取るためにここへ降り立ったのだから、その役目を果たさせろと言っている。
その意思を、顕現させた契約者であるアイレンが理解していないわけがない。
「そして、その道もついに終点だ」
「……君は、どうやって人を救うっていうんだ」
「はは——っ、俺を打ち倒せば分かるぞ?」
「最後くらい、ハッキリと話してくれよ……アイレン」
「だから嫌われてる」
「そっか……、納得した」
寂しさと共に、友人との語らいは終わりを迎えた。
殺し合いの最中、友として話すことが出来たことは無駄じゃないし、決心が鈍ることも無い。
別に、僕は君のことを嫌っているわけじゃない。
……ただほんの少し、ほんの少しだけ寂しいと思っただけなんだよ。もっと早く、君の本心を知りたかったと思うのは贅沢だったかな。
「これ以上、お前の成長は待っていられない。今のままのお前では、俺を止めることはできない。すべきことは、分かってるな?」
「……あぁ――」
「行くぞ盟友——、我らが誓いを果たす」
『——————』
雷環の瞳は呼応するかのように雷霆を轟かせ、次の瞬間には避けきれぬほどに神の雷を降り注がせ、その一撃一撃がこの世界の法則から逸脱している。
本来攻撃と呼べもしない自然現象であるものの、それは必殺に足る雷撃。
回避は不可能。そして、この光速の刹那では神の怒りを押し返すための神威は練り上げきれない。
(やるしか、ない———!)
できなければ死を与えられるのみ。
「う、オオオオオォオ———ォオオ!!」
世界が白く染まり、爆音轟く中で自分に迫る雷撃のみを迎え撃つ。
ミカから奪い取った神威を以って、足を通して大地に根を張る。衝撃波なら覚悟していれば耐えられる。だが、人一人分の雷撃が直撃すればそれで終わり。だから必要最低限を、自身の最大限を以って打ち消さねばならない。
(落ち着け、落ち着け落ち着け———ッ)
焦りから十全に神威を練ることができない。能力を使いこなしているとは言っても、最後には精神力がモノを言う。
”彼“の力を借りずに神との対話を行わなければ、”顕現“に到達しなければ勝利はない。
「こ、のおおおおおお!! グゥ———っ!?」
だが、振り上げた剣は考えるのも馬鹿らしくなる圧倒的質量によって押し返される。
雷という質量を持たぬはずの力場の塊、それに押されているのだ。
不滅の存在、不死殺し、質量を持った雷。神代における物質の法則は現代とは異なることは明白。その上相手は最強と言っても過言ではない神々の王、覇軍を率いる雷霆の主。
僕が目の前に立ち続けて居られているのも奇跡に違いはない。
(僕も———、呼ぶ、しか———ッ!!)
白く焼き尽された思考、神を相手にするために神を呼ぶ。
だが、その時間はない。いまだその領域には至っていない。長く空いていた心の孔が埋まろうとも、器自体の強度はどれほどのものか。これまで一時も止まることなく鍛え続けてきたアイレンとは違う。急激な成長を遂げているとはいっても、そんな所にまですぐ到達することはできない。
(考えろ———ッ! なんとかっ……この場を———!)
あの手この手を考えるが、ダメだ。どれほどの小細工を実践しようが、圧倒的実力を前にすれば正面から粉砕される硝子の城に変わりはない。
「ガッ、アアアアアァァァぁ………ァ!」
ならば、小細工は不要、純粋な力を以って打ち破るしかない。
世界樹の力があれば、死なない限りいくらでも治しきれる。
「腕の一本……持って、いけぇえええエエェェーーーッ!!」
伸ばした腕は雷光に触れるやいなや原型も残さず、音すらもなく微かな血煙を上げて蒸発した。失われた左腕、内から跳ね上がる修羅の神威。
己の危機に瀕してどこまでも強化し続ける神威を膂力へ変換し、神雷を打ち破らんと剣を振るう。
神ならざる身で神を超越した力は、望んだ以上の力を発揮し、触れるまでもなく死を覚悟した神雷へ対抗するための力は、十全にとめどなく、内から湧き上がってきている。
人の身で耐えきれる限界をとうに超えて、立ち向かう意思も定まっている。
だと、いうのに——。
「これ、でも———っ! ダメ、……かァッ!? グァ、…ああああッ———!」
体がひしゃげる。立っていられず膝をつきそうになる。降り注ぐ光は終わりを知らず、この世界に生きているのは自分だけなのではないかと錯覚する。
「——————っ」
どれほど強い意志を持ったつもりでも、力のぶつかり合いは単純だ。強い方が勝つ。
あっけなく圧し潰される。声もなく、音もなく、空を見上げているはずの瞳は、刹那先の死を見つめている。体ではなく、心が折れそうになっている。ミカを悲しませてまで戦った意味は結局何も無かったのか。
このまま、総てから忘れ去られるのだろうか、と——。
「……ッ! が、グっォオオオオアアアアァア———!!」
喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。
影を纏い、黒く染まった僕ですら真白に塗りつぶす破壊の光、神々の覇者たる雷帝の御業。
けれど、色の無い世界に別の輝きが混じっている。
「———ッ!」
漂う光は何も語らない。静かに僕を包み込んだかと思うと、暖かな優しさだけが伝わってきた。
「あぁ……、そうか———」
ここに来るまでに感じた、乾いた怒りの感情とは違う。この身を包む黄昏は、きっと彼女の意志で生み出されたものだ。剣を降ろすと押し留めていた白き光が降りかかる。触れただけで消し炭となり、世界から抹消する破滅の極光。
けれど、その力でさえ届かぬ終焉が、最果ての黄昏があるんだ。
□ □ □
少女の頬を伝う涙が、抱き留めた腕に落ちる。
「……ミカちゃん」
意識を失い、腕の中で眠るミカを見つめるアリス。
巻き込まないようにするためとはいえ、彼の行ったことは辛い選択だ。きっと、誰にとっても。
『ミカには、もっと色んな世界を見てほしい——』
トーレスさんがエイガさんを助ける直前、式神を通して伝言が残されていた。
この時にはすでに……いえ、もっと前から自分を犠牲にすることは決めていたのかもしれない。
『僕のように後ろを振り返らず、トーカのように今を見つめ、アイレンのように前に突き進む。それだけじゃあダメなんだと思う。もっと広い世界を見てほしい。
その行為がただ遠回りをするだけのものだったとしても、得られるものはきっとある。失うものも多いだろうけど、今回は僕が全部持っていくよ。君に辛い思いはさせたくないし、……苦しませてしまうから。重たいだけの荷物は世界から消えていく僕が全部持って行く。
だから、未来のあるミカのことを頼むよ。
誰よりも大切な存在だけど、僕にはもったいないくらいだから。
さようなら、アリスちゃん。
君の存在は、僕の支えとなった時が何度もあった。感謝してもし足りない。
アイレンはなんとか僕が連れていくから心配しなくて大丈夫。
向こうでトーカも怒りながら待ってるだろうからさ、早く行ってあげないと。
……それじゃあね、僕が死ねばこの言葉も消えてしまうのかな? ……皆から忘れられるのは想像していたよりもずっと怖いよ。
強いね、ミカは———。
この数週間、僕は皆のおかげで充実していた、満たされてたんだ。犠牲になった人たちからは怒られてしまうけど、疑いようのない事実なんだ。
だから、もう悔いはない。
寂しいけど。君たちは幸せになってほしい。僕の願いは、それくらいだ———』
「…………っ」
腕の中で眠る少女を見やる。
目覚めた時、何て声を掛ければいいのだろう。笑えばいいのか、悲しみに同調すればいいのか。
その時にはもう、彼のことを覚えている人はいないかもしれないのに。その中で、私はどうすればいいのだろう。悪龍との契約が不当なものだったせいか乗っ取られた影響か。
代償を払う前の、アイレンと戦う以前よりも心が戻ったように感じるというのに、その取捨選択が下手くそになってしまっている。
しかし、隣に立つ男はその時間を与えはしない。
「おい女、リベリカの提案に乗ったのはお前だ。後悔する暇があるならアイツに応えてからにしろ。あの瞳が“あるだけ”でヤバイんだ、出来るっつったのはお前だろうが。さっさとやれ」
口は悪いし、空気を読まない男だが、これでもトーカさんのお兄さんらしい。
女心を考えないような男なのは見ればわかるので、殴り飛ばしてやろうかと思いましたが、ここは我慢の時。
実際、あの瞳が出現してから、見つめられた場所が跡形もなく破壊され続けている。ここもそう遠くない内に巻き込まれるでしょう。
「えぇ、分かってます———」
だから今は、私にできる最善をしないといけない。
この行為がトーレスさんを死に近づけ、この子に嫌われたとしても、私は圏士だ。
人を護る使命があって、残された想いを繋げる誓いがある。
『本当に、怪物を呼び出すつもり?』
「……、ええ———、それが私の使命なら……」
突如聞こえた少女の声は、背後から。
風景は静止し、吹き荒れる風も、鳴りやまぬはずの雷すら鳴りを潜めている。
振り返った先に、声の主の姿はない。
『もう一度、乗っ取られるかもしれない……っ』
またしても背後から。どうにも顔を見られたくないみたい。
「……ふふっ、心配性ですね。“今だけは大丈夫”なことは、貴女が一番良く分かっているでしょう?」
『確かに契約破棄の代償は神々にも適用される。だけど……』
「アイレンのことを殺してほしい、なぁんて厄介なことを頼んだのは貴女でしょう? 最後まで、やらせてください。今頑張らないと、きっと後悔してしまいます」
『……私には、何もできない……。神を降ろすということは、アリス自身の力でしないといけないから。……私には』
そうか、彼女も私と同じ。何もできない自分が悔しいんだ。
彼女は優しいから、手伝えることなら進んでしてくれただろう。
「でもこれまで、随分とあの意地悪なヤツの力を使うために契約の仲介してもらいましたから。ここから先は私だけの力で頑張ってみますよっ!」
『……、強いのね。本当に……』
ようやく姿を見せてくれたけれど、その表情は傘に隠れてよく見えない。
『本当に、いいのね?』
「はい、あの戦闘馬鹿を止めなくちゃいけませんから。それに、彼にはあの子を頼まれました。女の子一人が安心して暮らせないなんて嫌でしょう?」
『……そう、ね。その通り。アリスが決めたことに口をはさむなんて、それこそ信頼に反する行為でした』
ようやく下ろしてくれた傘の先には涙をこらえて笑う少女。
戦いの時も、そうでないときも、私の為に頑張り続けてくれた『代行者』、いいえ。
「……ありがとう、あなたは最高の、友達でした」
「———」
少女は、ハッと顔を上げこちらの表情を窺おうとして、やめた。もう一度傘を下げると、わずかに覗く口元をキュッとしめながらも言葉を飲み込む。
「私にとって、それ以上の言葉はないわアリス。……武運を、勝利を祈ってる」
それだけの言葉ですら辛そうに発する少女をこれ以上悲しませたくなくて、精一杯の笑顔で告げよう。きっと彼女には私の心なんて丸わかりだろうけれど、これでいい。
「…はいっ、ありがとうございます! それじゃ、行ってきますっ!」
別れの言葉を告げると、油をさした歯車がゆっくりと自身の性能を取り戻すかのように、止まった世界が色付きながら動き出す。
「すぅ……、フゥ———」
数度の深呼吸、肩の力を抜いて。己の心の内に没頭する。……すべきことなんて決まっている。黄昏の悪龍を再度世界に呼び起こす!
天を終滅させるため、雷霆を地に堕とすため。矮小な人間を利用してでも現世に降り立とうとしたこと、その執念にはある種尊敬しなくもない。
ですが、アナタは破ってはいけないものを自ら引き裂いた。
人と神との契約書。交わされたが最後、解約なんて許されない悪魔の契約書だ。アナタへ代償を支払う代わりに私に力を与える。
だが、相手は怪物だった。自身の望みを叶えるためならば契約の隙をつき、都合のいいように書き換えてしまう。
一つ
「感情を差し出せと言っておきながら、奪っていたのは心。似ているようで別のモノ」
二つ
「力を与えるだけのはずが、契約者の体を乗っ取る行為」
三つ
「そして、契約者である私との対話もなく、現世に顕現したこと」
それら全てが、契約書にはなかったはずのモノ。
例え神であれ怪物であれ、『代行者』を通じて定められた契約に逆らうことは許されない。気まぐれで無かったことにできる契約など、初めからあってないようなものだ。
そして、神代から人の世となった現世において、神格が干渉できる手段は圏士との契約のみ。
圏士から代償を得ることで、自身の神威を与える。
この世界において神に与えられた唯一可能な権能。どれほど力を持つ神であったとしても、次元の違う世界への手出しは許されない。そして、その干渉を限定的に良しとするのが『代行者』を通じての契約ただ一つ。
だがしかし、彼の悪龍は自らの枠組みを抜け出した。
許されはしない。
唯一残された、人と神の間に交わされた絶対的な掟破り。
故にこそ、私が代償として差し出していた心は取り返せることができた。初めから払うべきのないものだったのだから当然の権利と言える。
そしてまた、契約不履行によって、悪龍の神格は徹底的に堕ちている。こと私との契約に限っていうならば、もはや逆らうことは許されない。不本意であろうとも、不履行分は断ることも認められはしない。
本来、神に届かぬ私の実力でさえ、神を降ろすことができるほどに。
「今度は私の言うことを聞いてもらいます、力を貸しなさい。アナタが先に契約を破ったんですから、その分は無給で働いてもらいますからねっ!!」
鞘から抜き放った『原型』、細剣からは黄昏が放出される。
しかし、その輝きは暖かさに満ちている。命を奪い、自分の力に変える枯れた世界を生み出す力はない。
その輝きはどんどんと強くなり、黒く覆われた空さえも突き破る。
それは神代に満ちていたはずの輝きであり、神でもない人が放つことのできる輝きではない。アイレンでさえ不可能なことだ。
だが、この瞬間だけ。悪龍の起こした契約不履行を糧にすることで、本来あり得ぬ事象が世界に生まれている。
「私が呼び出せるのは一度っきりです。アナタが戦うわけじゃありませんが、あの神様に嫌がらせができると思えばやる気も出るでしょう? もう黄昏時も過ぎました。だから精々、油断せずにその身を犠牲にしなさいッ!!」
紡がれるは使命への誓い、怪物を使役する破断の契約。
「顕現契約! 無明に眠りし黄昏龍、我に仇為した罪業者よ……!」
結局、ずっと追い続けた背中には届かなかった。
「始まりの契約は破られた、代償の零をも騙ったその行い。決して許さず見過ごしはしない」
最後の最後まであしらわれ続けて、しまいには内側から乗っ取られる始末。
「だがしかし、許しを請うなら応えよう。それこそ敗者に残された道ゆえに」
あぁもう、なんて情けない。彼が強いことは知っていたはずなのにうぬぼれていた。負けはしないと息巻いたのは、意地ですらないただの傲慢。
「侮蔑の心を今こそ滅し、この声に応えろ———ッ! 応え、なさいッ!!」
怒りは心の奥深く。私を殺そうとした彼ではない。ただ自分が戦場に立ち続けられぬまま敗者となったことが情けなくて心が砕けそうになる。
そうだ、私たちは似ている。相手は何も気にしていないのに、最初から最後まで心の赴くままに反撃を試みた。
まだそこにいるんでしょう? しぶとく、狡猾に、蛇のように。
これが最後の機会です、アナタの嫌いな神様に、現世で再度殺された人間に痛い目を見せられる。
「到達する場所は違えども、ともに歩んだ道は間違いじゃなかったのだから……!」
ただ超えたかったのだ。定められた物語を、一目で分かる力の差を。アナタも私も、そのために努力して努力して、ここまで来たのですから。
だから、ねぇ……アナタの声を聞かせてほしい。私は、アナタと違ってただ従わせるほど器は小さくないですから、ちゃんと聞いてあげますよ?
「既に戦場を駆けることはできずとも、為せることがあるのならっ! 彼らの戦いに、黄昏の輝きで幕を下ろすために!!」
『……ッ———』
胸の内から微かに響く憤怒の感情。だが否定ではない、怪物らしい天邪鬼を見せつけながら、沸き立つ神威は形となって天地を覆う。
「偽・神威顕現! 日輪に哭け、万象不滅の黄昏龍」
漂う黄昏が導かれたかのように戦場へ飛び去り、とある怪物の姿へと変じていく。
『——————ッ!!!』
天を衝く咆哮、降り注ぐ神雷などものともせず疾駆する巨大な躯体は神話通りの不滅を体現している。
彼の名はヴリトラ、世界の障害、天地を覆い隠すものゆえに。
その躯体は一切万象容赦なく、戦場とそれ以外を隔絶するため雷環の瞳へ吠え立てた。
『本編について』
・昔の戦争
世界は核の炎に包まれた、かは定かではありませんが人類が死滅寸前に至るほどの争いは起きています。その状態から環境状態を修復したものが現人類の言うところの『穢れ』となるので、星の生命維持装置(細胞に近い)としては人間の方がよほど悪影響を与えています。
・アリス、顕現契約(仮)
『偽・神威顕現 日輪に哭け、万象不滅の黄昏龍』
ヴリトラがアイレン(というよりインドラ)に復讐するためアリスとの契約を反故にしていたことで、本来あり得ない契約の上下関係が反転したために可能となった顕現契約。
アリスは非常に実力のある人物ですが、顕現に至るほどではなかったため名称にも”偽”がついています。
『定期連絡』
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