34.黄昏の彼女②
「心を、感情を失う、か。そんなことが代償として選ばれた時点で、お前が勝てるわけもない」
「———が———ぁっ」
急に全身に衝撃が走ったかと思ったら、視界は乱れ、全身が何度も打ち付けられる。
岩にでもぶつかったのか跳ね上がると、数舜後には肉塊を叩きつけたかのような音が耳元から聞こえて、ようやく止まった。
「……ぁ、が……あ。ゴホ———っ」
自ら生み出した衝撃は、自分自身へ帰ってきたらしい。それに胴体への斬撃も追加されてしまった。
「人が生きる上で、感情とは計り知れないほどの原動力だ。それが怒りであれ慈愛であれ、前へ進むことのできる力を持つ人間は強くなり続ける。だが、お前はどうだ? たとえどれほどの力を蓄えようが、前へ進む度に前進できなくなっていくお前は。永劫高みに進むための原型がない以上、お前が俺に勝てるわけがない」
刃を一振りし、付いたばかりの血を払う。
言葉は冷たく、そして腹立たしいくらいに冷静だった。
「だが、初めからそれくらい集中しておけば善戦もできたろう。何を恐れている。すでに失っているものを大切に握り締めていてもそこにあるのは乾いた砂だけだ。手を開くころには全て零れ落ちている」
初めから全力を出せと言っている。その程度で勝てるわけがないだろうと。
「どうした、どうするんだ。そのまま死ぬか、使って死ぬかだ。心を決めろよ、完全に失うその前に」
そんなこと、分かっていたはずなのに——
「……グッ、ッツゥゥゥウ——!!」
一目で、届かぬと分かっている断崖に挑んだ。
彼はずっと高い所にいる。だから手を伸ばすために、隣へ立つために、追い越すために手段を選んでいられなかったから。だから失うことの意味も考えずに飛び込んだ。
——その結果がこれだ。
失うことを恐れている。目に見えるものでも形としてあるわけでもない、絶対的な価値があるわけでもない、私だけの宝物。
「はあ———、ハァ……っ」
立ち上がろうと力を入れる。たったそれだけで切られた箇所がズレて滑って、上半身と下半身が泣き分かれてしまうような錯覚さえ覚える。
傷口からとめどなく血が流れ出すのを感じながら、涙が出そうなのを我慢する。
アイレンの言う通りだ、全力を出さなければ勝てない、届くことすらない相手にこの程度で構わないなんて、馬鹿な真似をしてしまった。
「そら、お前なら放っておいても問題ないと思っていたから手を回さなかったんだ。真価を見せろよアリス、その力は何のためにあるんだ」
「そん、なこと…っ! 決まって……ます!!」
一目で手遅れだと分かる血だまりを作りながらも立ち上がって、手放すことのなかった『原型』を突き立てる。
「っ———、ハァ……ク———ッ」
けど、宣誓ができないんです。
契約を行う、代償を捧げると。ただそれだけのことに、身体の痛みによるものではない震えが止まらないんです。
「ハァ……、ハァ———っ」
喜びを、心の底から感じ取ることが出来たのはいつだったろう。真偽が自分でも分からなくなって、愛想笑いが上手くなった。
怒りはずっと残っている。もしも無くなっていれば私はここまでこれなかった。失う順番はバラバラだったけど、ほんの少しだけ運は残っていたのかもしれない。
哀しみは、時間と共に薄れて行っているような気がする。そしてそのことに哀しさはもう感じない。
楽しいと感じる心はとうに風化してしまって、どんなことにも大げさに反応する悪癖がついてしまった。
恐ろしいと感じる心そのものが失ってしまいそうで、恐怖したいのにそれすら良く分からなくなってしまった。力を振るうことに何の痛みも感じなくなってしまうから、出来れば残っていてほしかったのに。
(トーレスさん、ミカちゃん……。最後に、貴方達の無事を確認したかった。……きっと次に合う時は、何も感じなくなっているだろうから)
私が一人の人間である内に残った後悔はそれだけだ。
今日失う心が何かは分からないけれど、二人のことを心配していたのは本心だったと思うから。二人の無事と、私の心を確かめてからなら、失うことにも耐えられたかもしれないのに。
「ふぅぅーーー……、————」
大きく息をつくと、消えかけていた黄昏の神威が集結する。
(あぁもう、ミカちゃんのことを気にしすぎました……。勝負事は早いもの勝ちなんですから、もっとがんばっておけばよかったな——)
考えるたびに後悔がまた一つ、もう一つと、いくつもいくつも湧き上がる。
泡沫のように沸き上がるそれは、見つめ直す前に割れてしまって後には何も残らない。
最後くらい女の子らしく残しておきたいものもあったけど、神との契約はそう甘くはない。むしろ大事なものほど優先的に奪っていく。
例えば……、恋とか。
(本当に、イジワルだ)
次第に凪のような心になっていくのを自分でも感じる。
平坦で、風もなく、一切何も起こらぬ無謬の世界。細波さえ起こらない安寧、理想郷という名の地獄だ。
心の内、緑の平原にはもう、穏やかな風が吹くことは無い。
「私は……、そんな世界嫌ですけどね」
自分にだけ聞こえるように小さくつぶやく。
契約を行うたびに、心の内が凪いでいく。何かにせき止められているかのように感情が表へ出てこようとしない。きっと、契約を解いたら少しは元に戻るだろう。でも、それは以前ほどの“心”ではない。
今生きている私は、ここに立つ私だけ。
失ってしまった後の私はただ、目の前の物を認識するだけだ。
……あぁ、なんてヒドイ契約相手だ。でももう、怒りすら湧きもしないことを感じる心すら、凪いだ世界に沈んでいく。
沈みながらも水面に波紋が立つことは無く、音は静かに消えていくだけ。
(えぇ、でも———)
でも、これでいい。
この時の為に強くなったのだから、使わなきゃ損だ。
「もう、いいんだな?」
「ええ、アナタを倒して人を護る。私が出来るのはそれだけです」
「……そうか、残念だ。……来い」
「言われなくても…。それに、すぐその口も利けなくしてあげますよ。乙女心を弄んだ報いです!」
一段と強く収束する神威は、彼女の周りを黄昏に染め上げる。まるで己の世界がどこへも行ってしまわないよう、覆いつくすかのように。
残るのは怒りだけだ。
私の持つ彼への怒り、黄昏に沈んだ悪龍の持つ”彼”への怒りが同調し、かつて神代に満ちていた純粋な神威があふれ始める。
彼女の元へ集結した神威は波動を放ちながら肉体に染み込んでいく。致命傷とも見えた傷口を癒し、より強く、より強固な肉体へと変質させる。
身じろぎするだけで、燐光のように漏れる神威は終末的な美しさすら秘めていた。
けれど、その黄昏は乾ききっている。
当然だ、心のこもっていないただの力の塊は純粋に過ぎる神の息吹に他ならない。
ならば今まさに乾き、消え去っていく心の雫こそ彼女が喪うことを恐れたものだから。
「……っ———」
残った心の全てをつぎ込み、アイレンを倒す。
この時の為に磨き続けた技も肉体も、最後は神の手によって定められるというなら私自身がその領域へ足を踏み入れるほかない。
「いい加減、背中を見続けるのも飽きたんですよ……! 今日こそ、終わりにしますッ!」
最後に感じた哀しみを怒りで塗りつぶして踏破する。長年積もり続けた怒りだ、私のすべてを覆うくらいわけはない。
それ全てを渡すと言っているんです。だから、力を寄越しなさい!
(アナタだって、“彼”に吠え面かかせたいでしょう?)
呼応するように『原型』から神威があふれ出す。これは怒りだ、果てしない神格の怒りが、彼を殺すと私という器を破壊しつくさんほどに暴れまわる。
「落ち着いてくださいよ……っ! 今度こそ、勝たせてあげますから。だからありったけを私に寄越し続けなさいッ!!」
ひときわ輝く渇きの黄昏、己以外を否定する燐光はしかし、彼女にだけは慈悲を以って接する。いや、慈悲ではない。止まるな、殺せ、肉の一片残さず殲滅しろという神格の怒りが、体に染み込み心を侵食する。
内から湧き出る神秘によって傷が完全にふさがり、肉体には神威が満ち満ちている。
燐光が大地に落ちるたび、世界に神威が満ちていく。しかしそれは悪龍からなるものゆえに、世界へ恵みはもたらさない。
ただ奪い、ただ殺す。実りのない荒野が燐光に触れた端から乾いていく。
いつか遠い未来において、微かに残っていたかもしれない命が次々と終わりを迎えていく。『穢れ』ではない、人の手によって。
「これで、追いつきましたよ。まだ余裕を見せるつもりですか?」
「口ではなく手を動かせよ。何のために心を捨てるんだ?」
「そうですか——」
狙うのは心臓がいい。さしものこの男でも潰せば死ぬ、死ななくても急所であることに変わりはない。目の前が雷光で埋め尽くされる。背後に回り込ませないよう、辺り一帯への範囲攻撃を仕掛けるつもりか。
「———」
けれどもういい。
”躱す必要などないのだから“
「———ッ!」
突き出した切っ先はギリギリで逸らされ、肩口を掠めていく。
同時に雷光が着弾する。空間自体が爆発したかのように地面を抉り、空気は熱風となって肌を舐める。神威で身を護っていなければ死を迎える灼熱地獄。
だがもはや、その程度だ。地獄は人を裁く場所ならば、神の一部となった彼らには狭小に過ぎる。
すでに大地に雷光は奔っていない。黄昏が狂い叫ぶように食い散らし、大地を渇きの世界へと変えていく。命の存在できない世界、そこに立つ二人の人間は果たして本当に人間だと言えるのか。
なぜなら、笑っている。
「はは……いいぞ、それなりに集中しているつもりだったが今のは見えなかった。だから、お望み通り見せてやる」
この地獄の中心においてすら嗤う男が神を呼ぶ。己の身を以って神話を具象する。
来るぞ、来るぞ来るぞ来るぞ———
雷霆の神、勝利を約束された覇王の力がやって来る!
「どうあがこうが、何を捨てようが、お前が永劫見続けるのは俺の背中だけだ。追いつくことなど、ありはしない……ッ!」
「言って……なさいっ!」
大地が揺れ、空が轟く。
履行される契約、紡がれる神の所業。
輝くばかりの日輪が黒く染まる。どこから出現したのか、雷霆を伴った黒雲が空を覆って光をさえぎってしまう。
ここに一つの神話が再現される。
放たれるは宣誓、神々の原型をその身に宿す英雄、怪物としての極地。
「具象契約———、代償をここに、来れ黄昏、其は万象退ける不滅の悪龍」
「具象契約———、代償をここに、来れ雷霆、其は万象破壊する神雷の覇王」
空は黒々として日輪が消え去った。大地には黄昏の光輝が満ちている。だがしかし、見えるものと実際は違う。
触れた端から命が消える。かすかに残った命すら、契約者である彼女へと燃料として供給され、男を殺すための力と変換する。大地に氾がる黄昏こそ、世界に対する呪いに他ならない。
なれば雷霆はどうか、黒雲によって空を黒く染めながらも雷光の輝きは日輪をも上回り、世界を純白に染め上げる。
だが、これは破壊の光だ。誰かを救うための光では、力ではない。
天を覆う雷霆こそ、世界に許されぬ破壊に他ならない。
「分かっていましたが、つまらない神話の再現とはいきません」
「分かっていたぞ、くだらん神話の再現といこうか」
雷霆の覇王と黄昏の龍、英雄と怪物、相反する神格。
——かつて勝利した者と敗れたモノ。
「私に残った全てを、ここで使い切ってでも——ッ!」
「俺に残った時間を、ここで使い切るつもりはないが——」
戦いに掛ける思いはかけ離れている。命を懸ける覚悟を以っていたとしても届くかどうかわからない実力差。
「ここでアナタを——!」
「ここでお前を——」
だが手を抜くことはしない、自分が自分であるために。
アレは……、そういう男だ。
ゆえに勝たなければならない。私が私であるために、私に残った怒りを燃やし続けろっ!
「殺しきるッ!!」
「潰しきる……!」
誓約は言葉となり、形を成す。
もう止められるものは誰もいない、この場にいる二人の生死だけが決着を定める天秤となった。
ここに、契約者の元に具象されるは神話の再現。
黄昏の悪龍は不滅と化し、雷霆の神は世界ごと破壊しつくす神器を与える。
『神技具象、形骸鱗片、万物覆う幽閉の衣』
『神器具象、形骸神骨、黄昏殺す神滅の刃』
「———チィ……ッ!」
天から落ちる一筋の雷光が睨みあった二人を襲う。
どのような攻撃も躱す必要のない肉体と化したアリスが本能で飛び退く。
「ハハ……ッ」
光の去った後、アイレンの手には輝くばかりの神器、独鈷杵が握られていた。人が持つには不相応に過ぎる神の骨格。
煩悩を滅ぼす心の様を形にした金剛の武具。
上下に付いた刃には、これまでの比でない圧を伴った雷が、彼の周囲へ無造作に迸る。
その名はヴァジュラ。
雷霆の神が不滅の龍を殺した時に用いた法具、運命が与えし究極の逆境に他ならなかった。
□ □ □
常人であれば近づいた瞬間に灰と化す熱量を無差別に放出しながら、悪龍の発した黄昏を難なく切り払う。当然だ、物語の上で勝利した以上。人の身による再現であったとしても、圧倒的優位が働く。かつて、世界が神々の物であった頃と同じように事象が修正される。
ゆえに、この戦いはアリスにとって異常なほどの難易度と化していた。人の身で神話を乗り越えなければ勝利はないのだから。
そして男は笑っている、己の力を発揮できる存在が立ちふさがったことに。そして、同じ土俵にまで登ってきたことに。くそ……、なんて楽しそうに笑うのか。本当に、腹が立って仕方ない。
「コレを使うのは久しぶりだ。使い方を忘れるくらいにな……! 精々、黄昏時までは持てよ——ッ!」
「それは、こっちのセリフです、よオッ!!」
視線が交わされた瞬間には前へ出ている。止まる必要などありはしない。防ぐ必要など在りはしない。己の死した瞬間に満ちていたこの黄昏を決して忘れはしないと、裡に宿した怪物が叫ぶ。
「ハァァァーーーッ!」
怒りは同調し、限界を超える神威を放出し続ける。
「オォォォ——ッ!」
刃が触れ合った瞬間、ただそれだけで超級の爆発が起こる。
大地を吹き飛ばし、空気を燃え上がらせる。放たれる雷光は黄昏によって浸食され、眩いばかりだったはずの光輝は昏く侵食されている。
打ち合うたびに四方へ飛び散り破壊をまき散らす雷光ですら、触れた端から弱まっていく。
一度目の激突で起った爆発的衝突も、打ち合うたびに規模が縮小していく。雷刃から離れた雷は黄昏によって浸食され、黄昏の世界をより強固なものとする。
「テヤァァアアアアッ!!」
防御を考える必要はない。
この身はもはや万物万象通すことのない不滅と化している。どのような攻撃であっても殺されることは無い。
だからこそ、捨て身の攻撃など存在しない。一撃一撃に必殺の威力を乗せ、穿ち、貫き、切り刻もうと矢継ぎ早に技を繰り出し続ける。それら全て、受ければ数度は死ぬだろう。回避すれば隙をついて殺す。防御に失敗すれば体勢を崩しきって殺す。
「もう、ここから逃しはしない!!」
一撃でも防ぎ損なえば死を迎える疾風怒濤の攻撃もしかし、目の前の男は完全に防ぐ。
初めは見せかけていた、隙とも呼べぬ小さな穴すらももはや存在しない。彼が圏士となって数度目、もしかしたら初めてかもしれない死の恐怖。だというのに肉体が凍り付くことなどない。燃盛る内面はそのようなことを許しはしない。
「蛇が怒っているといったところか? ははは……、神話の時代から感情を維持し続けられるのは感嘆するところだが、いかんせん成長が無いな。感情でしか動けないからこその怪物だろうが」
「っ———!」
勢いが消えつつあったヴァジュラに再び光輝が灯る。上下に二本付いた刃の片方で攻撃を防ぐと、そのまま力任せに地面へ打ち付けた。
「怪物とどれだけ怒りによって同調しようが、どれほど怒りを燃やそうが届きはしない。怒りは人を強くする。だが、怪物はどうだ? 本能で戦い、感情のままに生きる怪物が怒り続けた所で、何が変わるという」
「この——!」
ヴァジュラが振るわれる度、山すら吹き飛ばす衝撃波が放たれる。
受ければ身を砕き肉片も残さぬ威力だが、威力は関係ない。今の私の体は傷つくことそのものから逸脱している。だが、大地へ打ち付けたことによって砕けた足場は、その場へ立ち続けるという行為そのものを否定する。浮き上がる体、お返しとばかりに刺突の構えをとるアイレン。
(ここで、距離を取られるわけには——)
「変わりはしない。そもそも怪物は、神や英雄に打倒されるのが役割だろう。なればお前も物語に倣えよ」
かつての神話で殺された武器である以上、彼が扱う法具と私の能力は相性が悪い、最悪といっても構わないくらいだ。
けれど、人の身で扱う以上は上限がある。アイレンの実力であればほぼ神話の再現として力を扱うことができるだろうが、悪龍の怒りによってその差はもはや消え去っている。なら届く、同じ領域で戦える。
だが、それは能力上の話であり私個人の技量ではない。アイレンの動きをある程度封じていなければ、勝ち目はどうしても薄くなる。
「そんな……っ、事を一々説教されたくないんですよッ!」
周囲に漂っている神威を、前面ではなく背後へと集束させる。
「返すぞ———ッ!!」
目に映る全てを染め上げる中心から放たれるは純白の極光。
光そのものとなって直進する雷撃の極点は、心臓を射殺さんと寸分違わずに極限まで加速する。
「そんな、攻撃ィ……ッ!」
白く染まった世界の中で構える。防ぐためでも、回避するためでもない。
空中にまで版図を広げた黄昏を集束させて足場にする。受け身で戦っていては絶対に勝てない相手、攻撃を凌いで反撃の機会を待つなんてする余裕もない。
防御など考えるな。常に攻勢を仕掛け、翻弄し、首を断ち切らねばならない。そしていま、私の肉体はソレを可能としている。
「———グゥ……!?」
身をひねり吹き飛ばされた勢いを以って足場を踏み込む。しかし光の速さには届かない、左の肩を貫いた極光はそのまま天へと飛び去り、雷雲に穴をあける。
「これくらい……、痛くなんてないッ!!」
なんて分かりやすいやせ我慢。けれどその実感じるのは肩を過ぎ去った時の衝撃だけ、肩から流れる血は一筋の赤い線を引きながら、輝きを放つ黒き天から焦土と化した地上へ墜落する流星と化す。
「……ッーーーァ!!」
芝生を剥がすかのように、着弾の瞬間荒野がめくれ上がる。
土砂だけで構成された濁流は中心にいた男を巻き込み押し流していく。だがこれでは足りない、まだ駄目だ。もっともっと、畳みかけないといけない!
「そこォォォ———っ!」
地形が変わって、アイレンは土砂の下。
掘り返さなければ見つけることができない? いや、そんなことはあり得ない。何故なら地中からでさえ、雷神の神威は己が存在を世界へと知らしめている。
居場所なんて分かり切っているじゃないか。
「殺したいんでしょう!? もっと、もっと、よこしなさい——ッ!!」
より強く、より高い濃度を。自身の器で耐えきれる限界まで黄昏を集束させ、真っすぐに放つ。
余波も衝撃もない、収束させた神威に対してあまりに静かな一撃。防御すら貫通させることに特化した点の究極は積み上がった濁流に到達した刹那弾け飛んだ。
質量なんて関係ない、悪龍の怒りはその程度吹き飛ばして消滅させる。
「これでも足りない、なら何度でも!」
しかし、手ごたえがない。雷神の神威が消えていないのなら、何度でも打ち込んでやるだけ。
再び構え、切っ先へ収束させる。
――瞬間、視界の端に黒い影が映り込む。
「———ッ!?」
何が起きているかなんて、理解したわけじゃない。けれど、体は勝手に大きく前に飛び込む。
「癖、だな。避ける必要はない筈だろう」
自分で飛び込みながらも満足に受け身も取れない。みっともなく転がると気配を感じた背後へ、型も何もない不格好な一閃を繰り出す。
刃を通して伝わる衝撃に押し込まれそうになるのを、崩しきった体勢で何とか踏ん張る。
「なんだ、やはり治るのか。細かく削り切ればいいかと思ったが、……流石に首を落とせば死ぬのか?」
「なんで……、ここに!」
散歩でもしているかのような語り口で狂刃を振るったのはアイレン。どうして、彼はあの土砂の下にいた筈。今だって神威は放出され続けて……!
「……くっ———」
しかし気付いた、彼の手にヴァジュラが握られていないことに。
「あれなら置いてきた。持ってると居場所がすぐにばれるからな」
「……っ、いいんですかっ? アレがないと私に傷を負わせられませんよ……!」
「あぁいいさ、どうせ傷つけても治るみたいだしな。それにどのみち黄昏時までは殺しきれん。はぁ……、時間稼ぎにはもってこいだな」
アイレンは私の左肩を一瞥しため息を吐く。
極光によって貫かれ、蒸発したはずの左肩。
しかしもう血の一滴も流れていない。衣服は消え去ったままに汚れていない白い素肌が顔をのぞかせている。原理はともかく、修復されたのだ。そして、この世界に留まらず神話の世界でさえ唯一、傷を負わせることのできる武器を自ら手放して挑んできた。
この男、余裕を見せつけてきているのか。
「……こ、のぉ……随分と、舐められたものですね———!」
「事実だろう、いつの間にか街の気配も消え去っている。大方リッカの能力で街一つ隠しきったんだろうが。……お前の役割はその時間稼ぎと、あわよくば俺を倒す。そんなところか」
命の消え失せた荒野の周囲には何もない。
元々見える位置にあった街一つすら、見えなくなっている。戦闘中の移動によって見えない場所へ来たわけではない。そんなことで見失ったりはしない。
まさに街が一つ消え失せている。しかし、そんなことは眼中にないように語りかけてくるアイレン。
「確かに、お前の能力であれば長期戦に向いている。特に足止めなんかはな。特定の時間まで決して傷つかず、その上傷つけるために必要な武器が定められている———」
「はぁああ!!」
言葉を遮るように剣を振るう。
立ち上がりざまに、一度でも防げなければ命を絶つ悪龍の神威を以って連撃を放つが、それですら全ていなされてしまって届かない。
「最も敵に回したくない相手だろうさ。こちらからの攻撃は通じず、あちらからは一方的に仕掛けてこれる。殺す方法も物語に定められている以上、例え死を内包した神器であっても傷を負うことも無いだろう。こと不死性に関して言うなら数ある神話の中でもダントツだ」
「……ハアァァ———ッ!」
個人を対象にした攻撃が防がれるならば、点ではなく面の攻撃を。周囲を巻き込み、大地諸共破壊の渦中へ放り込む。
「だが、皮肉だな。これも運命というのかもしれない、お前が追い続けた存在が天敵だったなんてな」
「がっ?!」
仕切り直すために一撃は、放つ前につぶされた。
ヴァジュラによる攻撃でない以上、痛みはない、髪の毛一本の傷を負うことも無い。だが、人体の構造を超える動きができるようになるわけじゃない。神威の波動を振るおうとした腕の先に、アイレンの腕が差しこまれて止められる。離れようにも地力はアイレンの方が数段上だ。
関節を極められそうになるのを防ぐのが限界で、反撃に転じることができない。
これまでの地形を変える一撃の応酬とは打って変わって、体術による肉の打ち合う音だけが静かに響く。
「そもそも、俺たちに契約相手を選ぶことはできない。『代行者』が勝手に相性のいい神格と繋ぐだけだ。だというのに、唯一自身を殺すことのできる能力を持っている。なんていうのはいささか出来すぎだな。インドラ、シャクラ、帝釈天。呼び方なんぞどうでもいいが、どうだ? かつて殺された時の怒りはまだ続いているのか?」
「そう、みたいですよッ! だからとっとと殺されてください!!」
意図せず漏れ出した黄昏の神威がアイレンへと襲い掛かり、雷を伴った神威によって阻止される。
「はは——、そう言うわけにもいかない。一度取り決められた勝負を覆すことなんてできないだろう。なあ、ヴリトラ」
悪龍ヴリトラ。
神話における怪物であり、英雄に殺される障害。昼と夜、万象あらゆる物で傷つけることが叶わぬ肉体を得た存在。
殺す方法は一つ。昼でも夜でもない明け方と黄昏時、ヴァジュラを用いてとどめを刺すこと。そして、目の前の男はそれを為し得る力と武器を持っている。
「本当に、気に障りますよ……! その神格以外ならまだ良かったものを!」
取られそうになる腕をかばいながら上段蹴りを見舞う。
「そういうな、さっきも言ったが自分で選んだわけじゃない。これは運命だ、お前では決して俺に勝てないというな」
空気を破裂させながら迫る脚を、難なく防ぎながら掌底を放ってくる。
空気がはじける音が耳元を通り過ぎるのを感じながら、持ちうる技術を発揮して攻撃を繰り出し続ける。ほんの少しでも隙を見つけられるのならそれは意味のある行為だ。
(絶対に、あきらめたりしない!)
怒りに呼応して注がれ続ける怪物の恩恵。
傷つくことを知らぬ肉体は、心を乾かしながら強化され続ける。
「これ……ッ、ならァ!!」
渾身の一撃として射出された右拳は、標的に届くことなく受け止められる。
「はぁ……、はぁ……」
「息が上がってるぞ。いいのか? ここで倒れるようなことがあればこのまま街に向かうが」
「そんなことさせませんよ。それにもう場所なんて分からないでしょう……」
どこを見渡しても、痕跡すら残さず消えた巨大な街。その上、いまだリッカさんの能力が働いているのか、方向感覚も狂わされている。
これでは、灯日にたどり着くことすら困難だ。
「問題ない、あの時と同じだ。辺り一帯を焼き尽せばいい」
「———この……っ!」
だというのにこの男、事もあろうに力技で押し切ろうとしている。
トーカさんが防いだ、都市一つを焦土と化す神の雷をもう一度放とうとしている。誰を殺すとか、どれだけ殺すとか、何も考えていない。目についたなら、その分を殺す。その数自体を気にする必要などないとでもいうように。
「だからこそだアリス、お前は倒れるわけにはいかない。たとえその身が朽ち果て、心の内になにも無くなろうとも」
「初めから……、そのつもりですよ。物語に決まっているから勝てない? 怪物は英雄に殺されるだけ? 決してそんなことはないっ! かつて敗北した相手だからと言って、刃が届かない相手じゃない。契約の力だけじゃ足りないというなら、私自身の怒りを燃やして溝を埋めて見せる。トーカさんの仇は絶対に取るッ!!」
「だからだよ、アリス——」
「え……っ」
緩んだ力、物寂し気な言葉に虚を突かれる。罠かもしれないなんて考える余裕はない。わずかな隙をこじ開けでもしなければ刃は届くことは無いのだから。
「そんなことを理由にしている限り、お前は俺に勝てない。遺志を継ぐ、怒りを燃やして仇を取る。そんなことを自身の中心にあると思っていることが間違っている」
「なにを———、くッ!?」
離れた場所へ落雷と共に大地が割れる。積もり積もった土砂は跳ねのけられ、離れているこの位置からでも分かるほどに地中から輝きが漏れ出している。
「お前は誰かの為に戦うことはできない。そしてそれは代償によるものじゃない、自分で気づいていないのか? それとも、気がついていないふりをしているのか?」
「何をふざけたことを、私は皆を護るために戦っている!!」
「……そうか、なにまだ日が落ちるまで時間はある。ゆっくり行こうか、神話の再現の前に力尽きるなんていう拍子抜けな結末はよしてくれよ」
背後の輝きが強くなったと同時にしゃがみ込んで体勢を低くする。
躱さなければ心臓を貫いていたであろう位置に、瞬きする暇さえ与えず神器が奔る。
ヴァジュラを手に取ったアイレンは、雷光によって輝きを発し続ける刃をそのまま振り下ろす。
「その言葉、そっくりそのまま返してあげますよ!!」
迎え撃つは黄昏の刃、敗北した時の記憶が残った世界の色を纏い、天上の神へ向かって反逆の牙を突き立てようと立ち上った。
(やはりあの武器が厄介……、治るといっても限界は遠くない……)
傷一つつかぬ神秘の鎧を纏おうと、素体が人間である事実は覆らない。肉体が持っても精神は削り切られてしまう。時間稼ぎの為に戦ったとしても、持って一日、明日の日の出までが限界。だけど、私は勝ちに来たのだ。リッカさんには時間を稼ぐなんて名目でやってきましたが、そんなつもりはサラサラ無い。
(黄昏時に仕留めに来るのは確実。ならそれまでに何としても隙を見つけるか作り出す——!)
私を完全に殺すためには、日の出か黄昏時にあの神器を使って殺さなければならない。制限時間は、残されていない。今日、空が黄昏に染まった瞬間、私の命運が決まる。
「ふん———っ」
剣を振るい、構え直す。ただそれだけで大地が揺れることが、この短時間で当たり前になってきている。そのことが人から乖離しているようで、変な気分だ。
でも、悲しいとか、怖いとか。そんな風に感じることが薄らいでいるような気もする。このまま心が乾ききっていくことにすら、どう感じればいいのか分からなくなりそうになっている。
(ですが、もう止まれない所にまで来ている。倒さなければ皆が死ぬ——ッ!)
だから燃やせ、怒りをどこまでも際限なく。
自らが扱える限界まで神威を肉体に収束し、強く一歩を踏み込む。
「——ッ!!」
「ハッ——」
再びの衝突、それだけで既に死んだ大地が魑魅魍魎のように悲鳴を上げる。地表を灼き、大地を抉る。全てが奪われた墓場をさらに暴き続ける所業。もはや次代に残す基盤自体が破壊しつくされている。だがもう止まりはしない。ここから先の戦いは、持ちうるすべてをぶつけ合う力比べに他ならないのだから。
「ハハハ……ッ、もう止まれないな。俺も、お前も——!」
「ええ、決着を着けましょうか。私たちの腐れ縁にッ!!」
膨張し続ける神威が弾け、爆発を引き起こす。
その輝きは触れたものを浄化するかのように純白で、自分たち以外のモノを認めはしないと言わんばかりに破滅的な輝きだった。
『本編について』
・アリスの代償について
”能力使用の度に感情の消失”という内容ですが、普段元気いっぱいの彼女の内では酷い虚無感に襲われていたかもしれません。
当時書いていた時はもう一つ案があったと思うのですが、こちらの方がアリスにとってしっくりきすぎたため忘れてしまいました。
・アリスの具象契約
『神技具象、形骸鱗片、万物覆う幽閉の衣』
自身に実質的な無敵の状態を付与します。黄昏と夜明け以外の時間帯では傷一つ負うことはありません(例外有)。また、周囲の自然を犠牲に自身へと神威を供給できるので本来のスペック以上の戦力を得ることができます。
・アイレンの具象契約
『神器具象、形骸神骨、黄昏殺す神滅の刃』
インドラの武具であるヴァジュラを具象します。単純に強い武器を強い奴が使うというだけですが、それだけで脅威なのでアイレンにとっては十分な武器です。
『定期連絡』
・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。
・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。
・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。




