23.地の宵闇①
空気が、大地が揺れたわけじゃない、目に見えて何かが変わったわけでもない。
けれど、けれど雷鳴の轟音が伝わったんだ。彼女の神格による終滅が、彼女の純真たる守護の心が、光届かぬ地の底にまで届く。
何が起こったのかは見ることができないというのに、……彼女の終わりだけはあまりにもはっきりと分かってしまった。
「———ッ!? ……トーカ———ッ!」
「ハッ、アイツのこと考えてる場合かァ!?」
不死すら殺しきる、神の剣が迫る。
神威を纏っていなければ反応すらできず、防ぐことも許されない必殺の一閃。それは特殊な素材で作られている『原型』であっても、契約を行っていない状態であれば例外なく死を与えられることが肌で感じ取れるほどの陰気。
「ミカ———ッ!」
「———っぅ!」
暗闇に火花が散る。僕の全身に張り巡らされているミカの根影を、持ち手を通じて剣まで拡げる。これなら彼の不死殺しの力も多少は抵抗することができる。
神さえ殺す剣を相手に、間接的とはいえ効果が及ばない。それはミカの契約している神格による特性なのか、まだ僕にはわからない。
「んな小細工で何とかできると思ってんかァ!!」
「グ……、ハァアァアア!」
根影がショーテルに触れた端から消し去られていく。他の神格であれ、いや神格だからこそ不死殺しの特性がより強く発揮される。
打ち合いを続けるのは危険と判断し刃をいなして距離を取る。一度離れさえすればミカの能力で強化し直すことができる。
「させるかよォ!」
だが彼はそんなことを許しはしない。僕からの反撃を度外視して無理やりにでも距離を詰めてくる。
蛇が獲物を狙うように、湾曲した刃がすり抜けるように防御をこじ開け、直接心臓を潰そうと迫ってくる。
「グ———ヅゥ……!!」
体を逸らしてギリギリ避ける。皮膚をかすった刃は影によって防がれた。触れていれば二度と治ることも無かっただろう。
「兄を連れ戻せだあ?! テメエは約束だのなんだの言ってるがなァ!
俺は一度たりともアレを妹として、いや人間としてみたことすら一度もねえよ!」
「な———っ」
「まさかテメェ、一度もあれを怪物だって思ったことがねえってのかあ? どんだけおめでたい脳みそしてやがる。今の状況と同じだろう。特級一人が敵に回った途端に瓦解するような平和なんざ、とっくの前から無かったようなもんだろうが!」
「トーカと、アイレンが同じだっていうのか!」
「実力差が分かり切ってるってのによぉ……、アイツらの気まぐれでいつ殺されるかも分からねえ。下手に触りに行けば殺される。常にそんな怪物の目の前で生きてきたんだ。だっていうのにテメエらときたら何の危機感も抱かねえときてやがる。本当にアレを同じ人間だと思ってんのか、よォ———!!」
死の刃は暗闇を引き連れたまま振り下ろされる。
彼が今まで内に秘め続けてきた怒りと共に———
「人の形をしてるのが余計に気持ちワリイ、そのガキだって同じだ。人の姿をしてるだけの化け物、怪物、『穢れ』と何が、どこが違う。生かしておく必要なんざありゃしねえ!! 気色悪いだろ吐き気がするだろ、見た目が同じようなモノでも中身の構造は全くの別物だ。そんなのが笑顔で、俺を兄だと言って慕ってきやがる。よせよやめろ近づくな、そう感じることの何がいけねえ!! ……そんな怪物なんぞッ、殺しておいた方が人間様の為ってやつだろうがァアアアア!!」
「———けどッ、トーカは皆の為に戦ってきた。今だって……っ、人を護るためにすべてを……、命を使い果たしたんだぞっ!? それなのに、貴方は彼女を認めないっていうのか……っ! ふざ、けるなぁ!!」
互いの怒号は神威の波動となって、閉じた空間を震撼させる。発電施設を作るほどに強固なはずの岩盤すら砕きうる、怒りの衝突。自分一人の命で誰一人の命すら失うことをしなかった彼女を愚弄することは許さない。例えトーカの兄であったとしても、いや兄だからこそ向き合うことから逃げた彼を認めることができないんだ。
「ンなもん、初めから決まってたようなもんだろうがよ! 生まれてからこれまで人を護る皆を護るってよォ……、どこかの誰かに教え込まれた独善を振り回して、自己満足の内に死んだだけだ。自己愛も甚だしいだろうが、アァアア!?」
宵闇を纏っていた彼の怒りが沸き上がるとともに、その表情は熱を帯びる。声には侮蔑と憤怒の色。
トーカの言う通りだったのか、兄は自分を許しはしない。
だけど、だけど———、彼の怒りの矛先は、そこにはない気がした。
「自分はそのために生きてきたからそのために死ぬゥ? ハンッ! 気色もワリイし頭もワリィ…! 生まれたての鳥と何が違う!? 初めに言われたこと見たことが自分に与えられた全てだと思い込んでッ! あとは死ぬまで役目を果たし続けるだけェ!? 普通ならどこかで諦める。実力! 思想! 意志! どれかが欠落して当然なんだ、生まれや己の成長限界でいつか気付かされる時が来る!! だっていうのにあのクソ女ァ! 徹底して乗り越えていきやがる。そういう奴は人間だなんて言わねえ、化け物ってんだよ!!」
「———っ」
違うとは言い切れない。
トーカを否定する気は一切ないにしても、彼女が己の前に立ちふさがった壁を全て踏破してきたことは事実だ。生きてさえいればこの先もきっとそうなっていたと断言できるほどに。
「私の命は惜しくありません、この命は皆さまのためにあるのですからァ!? 人間として初めっから破綻してんだよ、ただその言葉と実力がテメエらにとって都合が良かったから祭り上げてただけだろうが!!」
宵闇の一閃。
一際強く打ちつけられた斬撃は余波だけでミカの神威の内側、僕の身体へと直接死を刻み込もうと侵食してくる。襲い掛かる虚脱感、身体という器から魂が抜けだしてしまいそうな感覚。だが、そんなものでは倒れられない!
「違、う———ッ!! トーカが強くあり続けたのは、皆が慕っていたのは、都合が良かったからなんかじゃない! その想いが本物だったからだ! 確かにその力は脅威ではあったけど、トーカ自身を恐れていたものなんて誰一人としていない!!」
確かに、彼女の前で下手なことを言えば鉄拳制裁だ。けど、彼女はそれしか分からないだけなんだ。
「人を護るという至上の想いを胸に走り続けた! 貴方を失って他者との関わり合いを恐れるようになったトーカは、自分からどうやって話しかければいいか分からないだけだ!! その不器用さは皆が分かっていた。口では何と言おうとも、彼女の平和に対する願いが純粋だったから、皆は討滅局の長として認めたんだ! 都合が良かったから!? そんなわけ、あるわけないだろうが———ッ!!」
気合で死の影を内から追い出す。
勘違いをするな、貴方は逃げただけだ。自分では理解できないから、怖くて仕方ないから何とか理由を付けて自分を安心させたかっただけに過ぎない。
「何が違う!? それならアイレンのことはどう説明するつもりだ。何でもかんでも目についたものをぶっ壊す怪物が敵に回った途端、見つけ出して殺そうって判断してんのは何処のどいつだよ! 結局アイツらは人間の皮被った害獣じゃァねえか。ソイツらが暴れたから駆除しようってのは、テメエら全員が同じ人間とすら見てねえって証左だろうッ!!」
それは、違う。
貴方がどれほどにトーカを恐れていたのか、それは分からない。けれど、彼女は間違いなく一人の人間で、僕の友達だった。そして、彼も———。
「害獣、なんかじゃないっ……、駆除したいわけでもない! どれほど強い存在だとしても、同じ人だから、同じ圏士だったから、罪を償わせなきゃいけないんだ……! 道を違えたとしても、違えたからこそ……ッ、同じっ、人間だからこそ……っ———、僕達の世界の法で裁かなきゃいけないんだ———ッ!!」
どれほどの規格外の存在であろうとも、人の世界で生きる以上は避けられない契約。それはアイレンも変わらない。倒すべき相手となってしまったことは事実だが、彼を怪物だなんて思ってはない。
ぶつかり合う意思と力、どちらも引く気はなく相手を倒すまで止まることは無い。
そして、今の僕達の力では正面から打ち破ることはできない。……だけど。
『よく言った。あぁ———それでこそ、ボクの契約者だとも』
『原型』から伝わる”彼”の声。そうか、ようやく目が覚めたのか。
「———ぐゥゥゥゥ……ッ!! 関係あるか、俺はもうテメエらの法に従って生きるつもりもねェ、関係なんて……、一欠けらもねえんだよォオオオ!!」
「そうか……」
そしてこちらも、対話の時間は終わった。もう、彼は僕の言葉を聞こうとはしない。ただ一つ、彼を正面からねじ伏せる時まで———。
繰り出される無影の曲線。受ければ死、回避を続けてもいつか追い詰められる。
だが、アリスちゃんとの訓練によって速度にはついていける。斬撃を受け、いなし、反撃に転じることができるようになっている。
(けど、この能力がある以上……)
打ち合いが長引くことは許されない。刃が触れていれば触れているだけ、文字通りに死が目前に迫る。
彼の導者が為した神話の再現、巨人殺し。
命あるものであれば、その永さは関係ない。強制的に終わりを迎えさせる死神の鎌に他ならなかった。
だからこそ、気を抜くことは出来ない。すでにこの身は僕だけのものじゃない、僕が死ねばミカも死ぬ。忘れるな、心に刻め、怒りという名の薪をくべ続けろ———!
「この前とは大違いじゃねえか。だが、結局はそのガキに助けられてるだけだ。お前はともかく、ソイツはいつまで持つかな? 戦いが長引けば長引くほど俺にとって有利になり続けるぜ」
「ハァ……フゥ……。大丈夫、私のことは気にしないで……」
「———ッ……」
背中が熱い、戦いによって動き続けているからだけじゃない。能力の使用が長引くにつれ、ミカの体温が上がってきている。エイガの神器によって根影が殺されるたび、その反動がミカへと伝わっている。これではただ能力を使っている以上に消耗も負担も激しい。
「………っ」
彼女がいないと勝負にならない、けどこのままじゃ———回避に専念することで神器の攻撃に触れないようにするかいない。
「……約束、憶えてる?」
「えっ?」
発熱によって苦しむ言葉から彼女の辛さが伝わってくる。けど、その言葉は予想外のものだった。
「なんでも言うこと聞いてくれるっていう約束……今、使うね……」
「ミカ、それは」
「絶対に勝って、私の事なんて気にせずに。トーレスの為なら、ここで命を使い切ってくれてもいいの」
十にも満たない打ち合いで、放たれるのは熱に浮かされたようにぼんやりとした言葉。なのに、その言葉には力がある。決して譲ることのない決意がある。
「ずいぶんとまあ健気じゃねえか、もういいだろうが、ガキもそう言ってるんだ。俺も弱い奴をいたぶっても面白くねえ。持てる全部を使ってこい。そんなこともできない癖に、ここへ何をしに来たんだ、テメエは!」
俺を倒したいならより強い力を、そういう彼にはまだ余裕がある。
そして僕も、そうしなければならないことは分かっている。ミカを危険にさらさなければ勝つことはできないと。だが、素直に聞くわけにもいかないんだ。
「………分かってる、でもその約束はまだだ」
「えっ……?」
「今は君を信じる、信じて戦う。だからミカ、絶対に能力は途切れさせないでほしい」
「……うん、絶対に。なら別のお願い、生きて……ずっと傍にいてほしい」
その言葉と同時に送り込まれている力が、さらに上昇する。今ならば剣の一振りで山すら崩せるのではないかと感じるほど。
「言われるもでもない、何度だって言って見せる。ミカを護る、ミカの傍から離れたりするもんか———」
「……うん———」
ミカの呼吸が荒くなるのを感じながらエイガを見据える。
「もう、時間を掛けていられなくなった。トーカが居なくなった以上、貴方を連れて帰るっていう約束も果たす必要もなくなったのかもしれない」
「あぁ? 最初っからそんなもん出来るわけねえだろ。思い上がるな新参野郎、確かにそいつは『具象契約』に近いもんだが所詮は紛い物だ、本物には届かねえ」
「けど、約束は果たす。貴方を倒して連れ帰ることになんの間違いもない」
「何度言えば分かるんだ低能が。テメェじゃあ俺に勝てねえつってんだろうがッ!!」
「それは、やってみなければわからない———!」
「ぬかせェ!」
持てる力を以って行うただの斬撃、たったの一歩踏み込んだだけで大地が揺れ、空気が震える。彼の神器に触れる時間は刹那すら与えない。あのまま避け続けたとしても、僕かミカにいつか限界は来る。この男を倒すために最適な方法があるとするならば、すべての攻撃を彼では防ぎきれないほどの力で打ち込み続けること。
「こい、……つ———ゥ!?」
ガードなんてさせない、力任せに剥がしとり続ける。
「ハアアアァアア!!」
あまりに当たり前すぎて、誰も彼もがやろうとしないチキンレース。反撃を許せば死ぬ、それどころか鍔迫り合いに持ち込まれた時点で勝機は急激に遠ざかる。
二撃、三撃と続けるうちにガードは間に合わなくなっていく。隙は少しずつ大きくなる。
攻撃の時には有利に働く湾曲した刃も防御の際にはほんの少し手間を取る。
(それにこの人、防御は上手くない———)
同じ速度で動けるようになってからの、これまでの攻防で分かった。この人、防御はうまくない、むしろ下手な部類だ。なまじ一撃必殺を握っているから攻撃にしか意識が行っていない。
「くそ、なんでだっ! なんで押し切られるッ!?」
「分からないのか! ただこれまでのツケを払う時が来たにすぎない! 圏士であることを辞めてからどれだけ鍛錬を積んだとしても、貴方はたった一人だ。どれほどの強敵を想定していたとしても、自分が誰よりも強いと、誰よりも優れていると思いたかっただけで、誰とも手を取り合おうとしなかった。……結局は独りだ、『具象契約』が使えたとしても何も変わらないッ! 貴方は、弱いッ!!」
彼が討滅局を去ってからどれだけの間、自らの力のみで鍛錬を行っていたのか、それは僕にはわからない。けどただ一つ言えるのは、彼は独りだったということ。刃を振るうことはできただろう。身のこなしを限りなく軽く、神器の扱いを覚え、練度を高め続ける。だが、それを試す相手はいない。
たった独りの彼に出来たのは、想像の中の敵を倒すような子供が眠る前に見る夢に他ならない。
「ふざけんな、俺は強い……。甘っちょろい圏士どもの……っ、二級なんぞに遅れはとらねぇ! それもこれも、コイツが! 役立たずの『原型』が悪ィんだ、もっと俺に使える神器さえすれば……!!」
「それは———違うッ!」
剣を弾き、空いた胴体に肘鉄を撃ち込む。
「ガアッ! グ、フウ……。なあにが違うってんだクソッたれがあああ!!」
たたらを踏みながらも決して倒れることなく、斬撃は先ほどよりも力強い。
「もっと別の道があったはずだろう!? 圏士でなくても貴方の力を生かせる場所が!」
「そんなもんッ、あるわけ無ェだろうが! 後継として育てられて、全部上手くいくはずだったんだ、それなのにそれが全部ひっくり返った! そこにしか俺の求めるものは無いんだよ!!」
後退を続けて背後の壁に背を付けてなお、自らの問題からは目を背け続ける姿。
彼の心は今なお、古き日の幻影に囚われている。
「貴方は圏士であることから逃げたんじゃない、逃げた事実から逃げたんだ、トーカの言葉に傷ついた日から何一つ成長していない!」
「———カハッ……」
死の刃を持つ彼ごと壁へ打ち付ける。だがまだだ、常に反撃を狙い続ける彼へ近づきはしない、10メートル程度の距離を保ったままに身をねじり、剣を振りかぶる。
「———ッ!?」
「ハアァ———ッ!」
解き放たれたのは目の前の空間ごと削り取る力任せの一撃、空気中に満ちた神威が引っぺがされ、閉じた空間に神威の洪水を起こす。
刹那に音が消え、総てが止まった。そして巻き起こる局所的最大被害。
神威と共に壁も、空気も剥がされる。ならどうなるか、瞬間的にでも真空状態となった以上、周囲の空気は殺到する。
「ヅ———ぐううううぅぅぅ!!」
人工的に生み出された鎌鼬が無色透明な刃が体中を切り刻む。暴風と共に浮き上がった体が血霧で周囲を染め上げながらもみくちゃにされる。あれではミキサーに放り込まれた食材と何の違いがあるのか。
「もう、何もさせない。貴方にその力はない」
「ふっ———ざけや、がッて……———!!」
「……っ!」
全身を切り刻まれながらも剣を地面に突き刺す。風の流れに乗らない以上さっきよりも傷の増える速度も上がっていく。だが、もうひるむことすらしない。
「俺が、弱い……だと? 舐め腐ったことを言いやがる。何もさせない? やってみろ……、出来るもんなら……やってみろよォオオオ!!」
地に両足をつき、構えをとる。それは術理も何もない、ただ近づいて斬る。それだけのあまりにも単純でそれゆえに対処が難しい一撃。
「躱してもいいぜ、その時は俺諸共生き埋めだ。防ぐってんなら防がせねえ、そのガキの影ごとテメエら二人を真っ二つにする」
エイガの持つ神器に周囲の暗闇が全て集まっているかのように、際限なく闇が収束する。今なお刃に籠められ続ける大量の神威は些細な衝撃で爆破する火薬庫に他ならない。
避ければ地下空間を終滅させ、防げば僕へ指向性を以って炸裂する殺戮の一撃。
不死殺しの刃、巨人を殺し、怪物を殺す。神格にすら効果を発揮する死の具現だ。だからこそ、本当ならば僕に勝ち目はなかった。
例え『具象契約』を行えていたとしても、僕自身が契約をしていたのであればあの刃に触れた途端に神話が再現されて、良くて契約の解除、悪ければ死に至っていた。
だけど、そうはならなかった。
「……スー、ハァー……——」
一人じゃない、そうでなければ僕もここまで戦えなかった。
ミカの力はあくまで間接的なものといってももう限界も近いのは肌で感じる。そして彼も次で終わらせるつもりだ。だからもう、お終いにしないと。
「ミカ、まだいける? これで終わらせよう」
「……う、んっ。全然……平気、だから私を全部使って? そのために、私はトーレスの所に来たんだもの。ねぇトーレス……キス、していい? そしたら、もっと頑張れる」
「うん———」
「……嬉しい」
肩越しに熱い唇が重なり合う。触れあっただけで溶けあうほどに熱く、彼女の存在をより強く認識する。注がれる熱と共に生命の息吹が注ぎ込まれ、体に纏った影がさらに広がる。墨に浸した紙のように、指先まで隙間なく黒く染まり、その手を通して剣にまで黒く黒く、純黒に染め上げていく。
「ハ……、最後の最後まで……舐めやがって———、そんなもんで強くなれるんならあの時殺しとくべきだったか———」
「大真面目だよ、ミカが居なければ僕には何もできなかった。それに、貴方みたいな人にミカは渡さない……」
「ハッ、抜かせよ———。だがそれもいいさ、……死ね」
「———来いッ!!」
収束した闇が足元で弾け飛ぶ、ただそれだけで彼の背後は衝撃によって砕け散り、駆ける姿は視認すら許さない。ほんの少し遅れて黒い直線が目に映りこんだ。その刹那、自らの加速を以って神速と化した曲剣が振り下ろされる。避けなければ万物総てを殺しながら切断する死の直線。
回避をしたければするがいい。だが、そのようなものは許さない。
そう言いながらも回避させるなど塵ほども考えていない。生き埋めのような決着は望まない、自らの手で殺して勝利する。
感じるのはその一心、自分を認めない、馬鹿にする相手は絶対に許さないという彼自身の性格が表れた最後の一撃。ほんの少しでも、逃げようと考えていれば対処出来ずに終わっていた。
(けど……、僕には護りたい人たちがいるんだ———! 逃げるなんて出来るわけがないだろうッ!!)
「———ッラァッ!」
不死殺しを迎え撃つ、刃が触れた瞬間に空気が爆発する。
不死殺しを超え、万物問わず殺すほどに籠められた神威が、ミカの影を、『原型』を、そして僕達を両断せんと黒き極光として具象した殺意をこの身で受け切れなければ勝利はない。
「グ———、ゥゥウウウウウァアアアアアア———ッ!!」
刃が触れた衝撃だけで体が砕け散りそうになる。踏ん張っている足が耐えきれずに吹き飛ばされそうになる。このままでは『原型』諸共両断される。だが、まだだ、まだ僕は膝をついてすらいない。なら返せる、受け止めきった上で勝利する。
「避けなかったのは、認めてやる———ッ! だがな、俺の…勝ちだァアアアアア!!」
「間違える、な……ッ! 避けなかったんじゃない……逃げなかっただけだ!!」
「どこまでも……、舐めやがってぇぇえエエ———ッ」
「———ッ!?」
だが決着よりも早く足場に限界が訪れた。防ぎきれず、周囲へ伝播した衝撃波は地下空間に亀裂を生みだす。全方位に広がったそれは、発生源であるこの場所において最も色濃く表れていた。
目前には死神が立ち、亀裂の下には地獄が広がっている。
足元の崩壊と共に、否が応にも態勢が崩されていく。ほんの一瞬見えた純白の空があまりに遠い。
「これで終わりだあああああッ!!」
(押し、きられる———)
力を籠め、押し切ろうとする死の曲剣。耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ……! ミカだけの力じゃ勝てない、命を懸けさせているのにこれ以上甘えるな! 自身の持つ力を総動員しろ。あと少し、ほんの少しなんだ。体勢を崩してなお何とか拮抗している以上、彼も限界が近い。
ならここで加算させられる最後の要素があるのなら、それはこの手の内にある。
「もう———起きてるんだろ……! 目を覚ましたなら力を貸せ『代行者』! 君の欲しいものをくれてやる!! 僕と、契約しろォオオオオ———!!」
「ッ、ダメ———!」
叫ぶが如きミカの静止では止まらない。
寝ていたというならもう十分に休息はとっただろう。力を貸す契約なんだから、君も使命を果たす時が来た。
『まったく、君も罪作りな男だよ。……だがいいさ、契約は守る。それが我々の役目だからね』
脳裏によぎるいつか聞いた声。
そっか、どうして『代行者』が眠っていたのか、ミカは知ってたのか。その上で使わせたがらないなら、きっと僕の為なんだ。でもゴメン、後一手、ほんの少しが必要なんだ。
心配させたなら、後でいくらでも謝る。だから、だから今だけは———
「オ、マエェェエエエエ———ッ!」
悲鳴に似た慟哭が耳を劈く。
貴方も疲れただろう。これからのことも、少し休んでからでも遅くはない。
幕を引こう、今を見つめる瞳を渡すために……
「『具象契約』 代償をここに、来れ超越、其は天命覆す神座の簒奪者———!!」
こんな急ごしらえでは本来の性能なんて発揮することはできない。
神技も神器も、具象する余裕など在りはしない。ただ巨大な神威を、力の塊としてこの身に宿すだけ。折れてしまいそうな体に鞭を打て。今なお、この身で耐えきれぬほどの神威を注ぎ込まれながら、オーバーヒート寸前の体へさらに外部出力によって過負荷を掛け加える。
意識が遠のく、まだ倒れるな、足を地面に打ち直せ。
死を、踏破しろ———!!
軸足である左足を、地面に杭を打つように無理やり固定させる。中身がちぎれる感覚がしたけれど、ミカの影によって外部から補強、固定化されている。僕の意志で曲がることは無い。
「僕は……、貴方に勝つ———ッ!!」
神威の塊を『原型』に流し込み、無理やり曲剣を弾く。
「オオオオオオオーーーーッ!!」
次いで放った袈裟斬りの一撃は、吸い込まれるように刃が奔り、骨肉を斬り飛ばす感触をこの手に伝えた。がら空きとなった胴体、護るものは無く、その手段は初めから用意していなかった。なら、後は驚くこともない終わりが待つだけ。
だからだろうか。自身が斬られる瞬間をはっきりと感じているはずだというのに、その顔は初めて見たほどに穏やかだった。
「ク、ソが……。どうしてこうも、上手くいかないんだろうなァ———」
曲げるわけにはいかない約束をした。約束をした彼女は、笑って行けただろうか。
やり残したことは僕が引き受けるから、だからあっちでも笑っていてほしい。
「約束は……守るよ———、トーカ……」
次の瞬間には崩れそうな天井を仰向けに寝転んで見上げている男が一人。
神器と化した『原型』を握っていた右腕は、『原型』と共に飛んで行った。
□ □ □
「……、———」
「はぁ、はぁ……っ」
このまま放っておくと死んでしまう。意識を失った彼に応急処置を施し、この場を早く脱出しないと。
「ミカは、大丈夫?」
「……トーレスの馬鹿、どうして契約しちゃったの?! 私がもっと、がんばれ……ば、ケホッ、ケホッ——」
「ゴメン、でもあの時はあれしかないと思ったんだ。すぐに外に出よう、手持ちの薬で何とかできるかは分からないけど、ここにいるよりずっといい……痛ッ、こっちは、難しそうかな……」
地面に打ち込んだ左足を引き抜こうとすると左足隙間なく激痛が走るけど仕方ない、自分でやったことだ。体の痛みは我慢しろ———ッ。
「いっ……ガっァ、痛———ゥ……。よし、……あとは『原型』も、持っていかないと———」
足を引きずって近づくと、止血だけ急いで行う。腕がなくなったのだ、この短時間だけでも失われた血液の量はバカにできない。
天の光は届かず、人によって作られた光は機能を停止していた。
「登りきれるかな……」
来るときは穴を下ってくるだけでよかったが、この怪我では飛んだり跳ねたりはできない。周囲を見ると、さっきの戦いの余波でエレベーターは完全に死んでいる。となると後は階段しかない。
「トー、レス……だいじょう———ゴホっ……。ゴメ、ン……私も、もう———」
「ミカはしゃべらないで、大丈夫……何としてでも地上に戻るよ———よっ、と」
「———っ」
無理をさせ続けたミカももう限界だ、身体の重みだけで潰れる一歩手前の足を補強してもらうのもやめさせておいた方が良い。
まともに動ける人間は誰もいないが、多少でも動けるのは僕しかいない。
気を失った彼の腕を取り、肩を組む。
ひしゃげて穴の開いた金網の隙間に体を通して地上までの階段を見上げる。
「遠いな……流石に———」
無機質な錆色と、血の赤、小さな白が視界を埋める中で、歩き始める。
待て、今のは———
『やぁ、トーレス。勝ったみたいだね、おめでとう。そして今も苦労してると来た。ん? ふふっなんだその顔、よしてくれよ恩を売りつけたくなるじゃないか』
「ナキ……何の用だ。彼の言っていた通りなら君の仕事は誘導のはずだ、もう僕に用事はない筈だろう……」
階段で僕たちのことを待ってたのはナキの式神。先ほどと何も変わらず、何一つ悪びれた様子のない彼女の声、目的がいまだ不明瞭なそれは僕に言い知れぬ不安を与えてくる。
『言ったろう? 生きていたならまたあとで、君と同じく約束を守ったのさ。で、目的は至極簡単』
うさぎの姿の式神はその体に見合った軽快な動きで踊り場から下ってくる。
「く———っ」
剣を抜こうとするが、疲労からそれもままならない。
そうしているうちに、式神に異変が起こる。
『さっきさ、二人どっかに飛ばしただろう? あれの応用なんだけど、私の式神ってさ。この子たちのくっついた対象を飛ばせるんだから、逆にこの子の所に飛ばせるんだよ』
ポンっという気の抜けた音と、目を覆うほどの輝き。小さな煙が起きるとそこにいたのは二匹に増えた式神。
『ま、転移するときに眩しすぎるのが欠点なんだけど……、それは良いか。で、分かってると思うけど私ってアイレンに協力してるんだけどさ、その理由がその子な訳。理由はまあ……いっか、トーレスここで死んじゃうんだし』
「待て……、何を———、何をするつもりなんだナキ!?」
『んー、トーレス殺しちゃったらアイレンに怒られちゃうかなー? ま、流石にこの深さの穴掘り返したりしないだろうし、相打ちになってたとでも言えばいいか。よしっ、それでいこう!』
妙案を思いついたとばかりに弾んだ声が“全方位”から聞こえる。
際限なく増え続ける式神は、僕達を包囲するように上下左右から隙間なくこちらを見つめる。
「なんでミカをっ!? 確かに君はミカのことを気に入ってたけど、他に理由があるのか?! この子の姿も何か———」
『もー、トーレスったら分かってる癖してぇ。“見ないふり”、上手だよね。じゃ、作戦開始ィ! ミカちゃんを連れ帰るまでぇえ、カウントダウーンスターットゥ!』
「ナキぃッ!!」
悲痛な叫びと化した言葉は届かず、会話は初めから成立していなかった。
残されたのは手負いの僕達と、視界を埋め尽くすほどの式神。彼らはナキの声が潰えたと同時にミカに向かってとびかかってくる。
「くそ、よせ———」
手で払おうにも数が多すぎる、剣で捌こうにもその力は残っていない。踊り場の隅にミカをかばい、何とか守ろうとしても満足に動きもしない体は言うことを聞いてくれない。
「……トー、レス———?」
「ミカ……! ミカ———ッ!!」
抵抗は長く続かなかった。同行してくれた圏士の二人と同じように目を覆うほどの閃光を発しながら腕の中から重みが消え去っていく。
光が収まった時、すでにそこには誰もいない。背中の温もりも、香りも、柔らかさも、勇気づけてくれる声も、もういなくなっている。
「く、くぅぅぅぅ———」
声にならない声だけが喉から洩れる。
どれほど手を伸ばしても、声を上げてもミカが連れ去られた。
護ると言ったのに、傍にいると言ったのに。こんなにも早く、こんなにもアッサリと。
『『『個体消滅転移まで、一分———』』』
うさぎの姿をしていながら、無機物らしさを隠そうともしない機械音声が式神から発せられる。彼らは階段に、地下空間を支える柱にまとわりついていく。
(支柱ごと転移して、生き埋めにするつもりか———)
「上、に———、ミカを……、グゥゥゥ——ッ、……クソォッ!!」
立つことすらままならない情けなさから鉄柵に拳を打ち付ける。むなしく響く金属音、その空虚な音すら式神から発せられている機械音声で上書きされていく。
「ミカ———」
「——————」
絶望に包まれた心で、見ることのできない空を見上げるしかない僕の目の前で錆色だった柱は白く包まれていく。
『『『個体消滅転移まで、十秒———……』』』
死刑宣告までの秒読みが聞こえているのに、ここを離れないといけないのは分かっているのに……体が動かない、頭が働かない、手にした剣が重りとなってこの場所から離そうとしない。
「ハァ……、ハァ———、契、約を……」
『原型』を手に取り、再び契約を行おうとする。
しかし、膝をついたこの身はもう、神が宿る器としては不適合。僕自身の力が足りないのか、『代行者』自身が無理をしたのか。
そして、そのことを伝えるかのように、またしても『代行者』は言葉を発しない。
神格は本来あるべき居場所へ還り、地獄の釜に取り残された僕には、塵ほどの奇跡すら起こせはしない。真白に埋め尽くされた高い、あまりにも高い柱から数えきれないほど赤い瞳が僕を見つめている。手は抜かない、決して最期の姿を逃しはしないと。
『バイバイトーレス、すぐに”ミカちゃん“の所に行けるんじゃないかな?』
「く———、そぉ……っ」
光が発せられると共に届いた彼女の声は、それだけで僕の過去を掘り返す。けれど、色褪せながら呪いとなって残り続けた原初の記憶、幼い後悔の日々を追憶するための走馬灯すら、見る時間は与えられない。
爆破までのたった一分の死刑宣告は驚く暇もないほど、あっさりと迎えられた。
『本編について』
・エイガの神器具象『巨人を殺せ、多元を亘る不死殺し』
直撃すれば相手を絶命させる概念武装、当たれば勝ちの不条理な格上殺し。
……なのですが、諸事情によりこの攻撃で決着がついたことはエイガの人生においては一度もありません。
『定期連絡』
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