19.彼女の日誌のようなもの③
「はぁー、疲れたーー!」
「うん。本当に」
「今日は二人ともすごかったね」
「いやぁホント、トーレスさんったら調子いいのなんの」
気づけばいつの間にか街中を一周していたらしい。討滅局の本部まで戻ってきた時には既に日は落ち、どちらともなく剣を降ろした。
今は皆で屋根の上で寝ころび、ただ星空を眺めている。ミカは僕の腕を枕にしている。
「もう大丈夫そうですね。とりあえずただの打ち合いで死ぬことは無いと思います。契約についても何とかできればよかったんですけど……。まぁ護衛の方たちに任せます」
「それは仕方ないよ、本番で何とかするしかない。訓練で能力は使わなかったけど、ミカもいるからきっと何とかなる」
「頑張るっ」
流石に、契約もできない圏士を一人で一級相当にぶつけようとはしない。だから、僕とミカ以外に二人の圏士が一緒に戦ってくれることになっている。
市民の安全を考慮すると、これ以上は増やせないとのことだけどやっぱり中止にはできなかったみたいだ。
「ふふっ、そうですねぇ。闇討ちしかしてこない相手なら真正面からぼっこぼこにしてやればいいんです。私も一緒に行きたかったんですけど、当日はアイレン対策の方にまわされまして……」
「やっぱり見つからなかったんだね。そうなるとは思ってたけど」
この一週間、討滅局内部でも実戦部隊のみに伝えられた極秘の任務。アイレン、並びにトーレスを襲撃した圏士の捜索、殺害。
まだ、市民には獄舎でのことは家族にのみ伝えられたらしい。だが、事故が起こったとして処理されたらしく、式典の影に隠れながらも説明を求める声は続いている。
トーカとしても式典までに片付けたかった件だったろうに、追い込まれていなければいいけど。
「本当に明日来るのかな」
「うん、来ると思うよ。その辺り外さないというか、作戦立てるより力技で押し切る方が好みだし」
「そうですね、本当に困ったものです。どうしてもっと大人しく生きられなかったんでしょうか……」
その声は幼い頃から彼を知る者としての憐憫であり、納得だった。
「アリスちゃんはさ、もしも自分の目の前にアイレンが現れたら戦える?」
「それは……」
言葉が止まる。冷たい空気に白い吐息だけがゆっくりと風に流される。けれど彼女は空に向かって手を伸ばす。
「戦います、そして勝つ。絶対に自分のやったことを後悔させてやりますよ。今、実力が離れてるとか関係ありません。今からでも追いついて見せます、それが無理なら無理やり掴んで引きずり落としてでも勝って見せる」
空へ伸ばされていたのではない、伸ばしていた先は月だった。かつて人が存在する前から世界を見てきた月という星。彼女にとっての月がアイレンだというなら、アリスちゃん自身はその周りに点在する星だろうか。彼女なら一等星くらいの輝きはありそうだけど。
「今回こそあのバカに証明して見せます。私はアナタを追い越していた、って」
「うん……、応援してる。戦わなくて済むならそれが一番いいんだけどね。それはムリそうだし、皆で頑張るしかない」
月に伸ばした手を屋根の上に落とすと、飽きれたような口調で声を上げた。
「あーあ、あと50年早く生まれてればアイレンも変なことしなかったのになー」
戦いが望みだというなら、今の世の中は彼にとって退屈極まりないものだろう。昔と違って『穢れ』の出現は無く、出てきたと思ったら精々二級や三級。
そんな時代で特級にまで到達してしまったアイレンの心を、僕では計り知ることはできない。
「そういえば気になってたことがあるんですけど」
これまでの言葉の重みはどこへやら、あっけらかんと軽さを取り戻した彼女はこちらへと新たな疑問を呈してきた。
「えーと、何かアリスちゃんが気にするようなことあったかな?」
「あぁ、そんなに大したことじゃないんです。単にトーレスさんってなんで圏士になったのかなぁーって思ったんです。けど……、あれ? これ聞いていいヤツでした?」
「なんだそんなことか、話すのはいいけどアリスちゃんの言う通り大した話じゃないよ?」
「私も聞きたい聞きたいっ」
「えぇ……、なんだか緊張しちゃうな」
手をまっすぐ空に向かってあげるほど期待されると、話すのにも気後れしてしまう。
「いいの、トーレスの話ならどんなものでも面白いのっ」
「そうですそうです、そういうわけなのでどうぞ」
「そ、そう……。えと、それじゃあ話すけど本当に大したことじゃないよ?」
そうして、好奇の視線にさらされながら思い出すのは18歳の時の事。
「学校も卒業間近で、家の近所にある雑貨屋で働くっていう予定でさ。卒業までのんびり過ごしてたんだけど、友達に誘われて繁華街に向かってたんだ」
何のことも無い、ただの子供の遊びの約束。もうすぐ卒業だからその前に遊んでおこうという、よくある話だった。
「ただ、その時に討滅局の前を通りかかったらさ。……アイレンに会ってね」
「はい? なんでそこでアイレンが? ああ、その時から知り合いだったとか」
「ううん、初対面。変なもの見るような目でこっちのこと見てくるなぁ、なんて思ってたらいきなり腕を掴まれてね。『こっちに来い』って一言だけ言われて局の中に引きずり込まれちゃって……」
「ゆうかい……?」
「あのバカその時も……、ひどすぎません? それで、なんでまた?」
「うん、その日は圏士の入隊試験だったみたいでさ、引きずり込まれた挙句なぜかそのまま受けさせられちゃって……」
入隊試験といっても誰も使っていない『原型』を前に並び、『代行者』に選ばれるかどうか、誰にでもチャンスはある。まぁ、僕にあるとは思わなかったけど。
「えっ、まさかそれで受かっちゃったから。ってことですか? 適性があるからって今は別に強制じゃないはずですよね!?」
「あー、その……。そういうことなんだ……、僕にできるのならってことで……。まぁその後は急激に『穢れ』もいなくなっていったから事務仕事に甘んじてたわけだけど」
「へぇ……! すごいね、トーレス偉いっ! ……? アリス、どうしたの?」
「………いや、なんていうか……上手い言葉が見つからなくて……」
そう思われても仕方ない、給料だったり人を護りたいだったり異能を以って戦ってみたいだったり、理由なんて人それぞれあるしそれでいいと思う。ただ、そういった目的が一切ないのに圏士になったのは僕ぐらいじゃないかと思う。ただ出来ることだったから入った。
そのことをついトーカに喋ってしまった時に、怒りに満ちた表情で『リベリカ貴様、命を軽く考えすぎだぞ……ッ』そう言われたときの顔は今でも覚えている。
あの時は死ぬかと思った……。
「というか、その理由で入ってよく今までやめませんでしたね。確か、他の同期って皆さん辞めたでしょう?」
「えっ? トーレスと一緒に入ったのってアイレンとトーカだけじゃないの?」
「いえ、それが他にも何人かいたみたいなんですよ。ただ、皆さん辞めちゃってて、比較対象があの二人なので仕方ないかもしれませんけど……」
「アリスちゃん良く知ってるね。そうなんだよ、最初は全員で7人いたんだけどね。皆辞めちゃってさ」
「どうして? 戦うことも無くなってたんでしょう?」
「うん、僕も圏士になってから戦いに行ったのは数えるくらいだしね。ただ、アイレンとトーカがね……、強すぎたというか……」
「? でもそれっていいことでしょう? 仲間が強かったら安心だと思うんだけど……」
「強すぎる人が近くにいるというのも考え物でして。そうですね……、例えばミカちゃんがトーレスさんの為に料理をしていたとしましょう」
「私、料理できない……」
「あ、あー。いえ、この場合はそれでいいです、大丈夫っ。これから上手になればいいです。……で、ですね? ミカちゃんは頑張って包丁を扱えるようになりました。スゴイ!」
「う、うん」
「そしたらミカちゃんの隣で料理していた人は、何と高級フルコースが完成してるではありませんか。そしてそれを周りの人は皆で褒めている。ミカちゃんが頑張って包丁を使えるようになったことなんて誰も興味を持たないし、褒めてもくれません」
「それじゃつまんないね……。で、でもトーレスは褒めてくれるよね……?」
「たとえ話だから大丈夫、だからそんな顔しないで。ね?」
「うぅ……」
その光景を想像したのか涙目になって身を寄せてくるミカの頭をなでるとすぐに落ち着いてくれた。急成長していたと思っていたけど、こういうところはまだまだ子供なんだな。なんだかほほえましい。
『手、握ってくれないの?』
「……っ」
「どうしたのトーレス? どこか痛い?」
「っ、ああいや、何でもないんだ。今日はすごく調子がいいよ、ゴメンね話の途中で」
「それは良いですけど、ホントに体調悪いんだったら言ってくださいね? 狙われてるのは間違いないんですから」
「うん、大丈夫。続けて続けて」
「…………」
不意に抑えていたものが飛び出してきた。けど、もう大丈夫、大丈夫だ。
「で、まあ今の話でいうところの辞めちゃった人たちがミカちゃんで、フルコース作ってたのがアイレンとトーカさんです。どんなに頑張っても評価されない上に、どの分野でも絶対に勝てないんだから心も折れるってもんです。そういう部分を感じ取ろうとしないのと感じ取れない二人ですからねぇ……。むしろトーレスさんが辞めなかったことが驚きですよ、私は」
「それ、褒められてる?」
「半分は」
「もう半分は……?」
なぜ人は分かり切った答えをあえて尋ねてしまうのか、それは相互理解を望んでいるからなのだと思うことにする。
「呆れてます」
「だと思った。ただまあ、うん。自分でもびっくりだ、その上命を懸けてるなんてあの時の自分では想像もできなかった。これはアイレンに怒るべきかな?」
「そうですっ、会ったらぼっこぼこにした後に文句言ってやりましょう! 私たちにはその権利があります」
「でも……」
「うん?」
「でも、私はトーレスに会うことができたから、お礼を言いたい」
意を決したかのように、弱弱しくも届いた言葉には芯が通っていた。
「……そうだね、そこについてだけはお礼を言わなきゃいけないね」
「うん」
どこからどこまでアイレンが手を引いてるのかは分からないけど、ミカという一人の少女を救えたのならそれでいいと思う。後は明日、彼女だけじゃない。皆を護るために戦えるかどうか。
「頑張らないとね、絶対に皆を護らないと。これまで圏士の仕事も満足にやってこなかったんだから今回くらい頑張らないと」
「えぇ、ただ相手が『穢れ』じゃなくて人間なのはどうかと思いますけど」
「私も頑張る。足手まといにはならないようにする」
1週間も訓練に付き合ってくれたアリスちゃんと、腕の中で意気込むミカの気持ちを無駄にはできない。
『なん……、お—————、どうし……て——』
(今度こそ、失くすわけにはいかない……)
「……トーレスさん? やっぱりもう帰った方が良いんじゃ……」
「う、うんそうだね、アリスちゃんの言う通りだ。でも、もう少しだけ夜風にあたっていくよ。そうしたい気分なんだ。また明日、頑張ろう」
「明日のことについては考えてても仕方ありません。現れたら叩きのめす、これで行きましょう。それじゃあ私は行きますね。お祭り騒ぎだからって街に繰り出したりとかしないですぐに休んでくださいね」
(気になることも増えましたしね……)
「あぁ、アリスちゃん」
「はい?」
立ち去ろうとした彼女の背に声をかけると、小首をかしげて振り返る。
「ありがとう、君のおかげで何度も助けられた」
「……よしてください、私にできることをしただけです。ではっ」
クシャリと笑うと、風のように去っていった。言える時にお礼を言っておきたかった、明日には戦いが始まる。だから、今のうちに伝えておきたかった。
(そろそろかな……)
「ねぇ、トーレス」
「どうしたの? 明日の事かな」
「うん、トーレス自身はそのアイレンって人と戦えるのかな、って……」
横に目をやると、腕の中で縮こまったミカが上目遣いで僕の方を見ていた。
僕にとって、この答えは難しくない。
「戦える。アイレンがそういう人間だっていうのは何となく分かってたから、今更戦えないことも無い、と思う」
「友達なんでしょ? もしも私がアリスと戦うことになったら、私には無理かもしれない。傷つけるのが怖いの。トーレスはそうじゃないの?」
「そうだね、そういう部分では怖いよ。けど———」
地上の喧騒の隙間を縫うように、一人の足音が近づいてきた。
「ぅん? アリスかな?」
ミカが確かめるために身を起こして振り向くと、僕の袖を掴む。その手は寒さ以外の原因で震えていた。彼女が彼女として、”一度も会ったことのない“相手を見ただけだというのに。
「トー、レス……トーレスっ!」
「うん、分かってる。大丈夫、ほら落ち着いて?」
震えるミカを抱きよせながら、ゆっくりと振り返る。
「遅かったね、一度は話しに来ると思ってた」
「アイツがいると喧しいからな」
「まぁ、確かに今は大騒ぎになっちゃうしね。下の人たちにも被害が及ぶ」
「そういうことだ、アレは必要とあれば見境がなくなる。猪突猛進とでも言えばいいのか?」
そこにいたのは見慣れた男だった。どこからか盗み出したのか、身に纏うのは囚人服ではない。上下ともに黒い隊服を着て、腰には彼の『原型』。不愛想なのを隠そうともしない表情からは彼が圏士内から好かれていない要素が漏れ出している。
彼は当然のように隣へ腰かけると起きてる問題なんて何一つ存在していないかのように、友人同士がするのと同じ世間話を始める。
「大変そうだな本部は、といってもお前は訓練漬けだったみたいだが」
「アイレン、それは君のせいだろ。なんであんなことをしたんだ」
獄舎の惨劇を思い出す。あの時だけで多くの人が死んだ。そして、その犯行を行った人間が隣で何食わぬ顔で座っている。
「いい加減地下牢も飽きたんだ。外へ出たら、部外者が目をむいて飛んできたから対処した。それだけだ、虫を払ったにすぎん」
「彼らには家族がいた。その人たちもどうでもいいっていうのか」
「ああ、どうでもいい。お前は一度も会ったことも無い人間の死を一々気にするのか? それに、ヤツらはあまりに弱かったよ。仮にも一級とはいえ落ちたものだと、本気で思ってしまった」
「………っ、だけど、彼らは同じ圏士の仲間だった……ッ」
瞬間、胸に生じた微かな動揺。いま、僕は何を思ったんだ?
「……仲間、か。そんなものいつかは無くなるものだろうに、相変わらず優しい奴だ。そんなことで俺を何とかできるのか?」
「僕にはきっとできない。けど、皆がいる。例え一人では無理でも皆で君を止めて見せる」
「そうか、皆で……か。まあ今はそれでいい。その時になれば分かることだ」
話は終わったのか、組んでいた足を解いて元来た道へ戻ろうとする。
「アイレンッ、君は本当に明日襲撃をするつもりなのか? 圏士だけじゃない、たくさんの人が巻き込まれる……」
「ああ、そのつもりだ。局長とはいえ新米のトーカの言葉を街の連中が聞くとも思えん。獄舎での戦闘が響くかと思ったが、結局式典は行われる。……これで、トーカ自身が出る必要が出てくるからな」
「まさか、トーカと戦うために……?」
「どうかな?」
「アイレン……っ、君が何をしたいのか僕にはわからない。でも、君の行いは違っている」
「そんなことは分かっているさ」
「なら———っ!」
振り向きながら立ち上がる。彼はこちらへと背を向けていて顔は見えない。ただ、言葉を届けることがあまりに遠く感じてしまって、それ以上声を上げることができない。
「だが、俺が俺であるために必要なんだよ。トーレス、止めたいなら強くなれ。お前になら出来る。
あぁそれと、お前を襲ったヤツのことだが、アレなら工業地帯だ。待機するように言ってあるから明日もそこにいるだろうさ」
そう言うと今度こそ足を進めていく。仲間であるはずの男の居場所を教えるのはどういうことなんだ、まさか本当に戦いたいだけだなんていうつもりなのか。
聞きたいことはあったはずなのに言葉になって出てこない。ただ伸ばした手を見つめるだけだ。
「待っ———」
「まって!」
「……?」
そう言ったのは今まで黙っていたミカだった。これにはアイレンも興味を持ったのか足を止める。
「あなたのことはひどい人だと思うけど、会ったらお礼を言おうと思ってた。……トーレスに会わせてくれて、……ありがとう」
「………っ」
かすかだが気配に揺らぎが生じた。振り返るほどではないがほんの少し、こちらへと視線を向ける。
「———、—————」
「え?」
だけど、アイレンはすぐに去っていった。何かを言っていたような気がしたが、風に阻まれてよく聞こえはしなかった。
「………」
「ミカ、大丈夫? ……ミカ?」
「……えっ? う、うん私は何ともないよ。うん、大丈夫。心配しないで」
そういう割には明らかに様子がおかしい。さっきのアイレンの言葉が聞こえたのか?
「でも、そうは見えないよ。気になることがあるなら言ってほしい。力になりたいんだ」
「……ううん、本当に何ともないの。ゴメンね、心配かけちゃって。でも大丈夫だから、聞いてた通り変な人だって思ってただけ、だから」
「そっか……、わかった。でも、何か気になることがあったら教えてくれると、嬉しい」
「うん、そうする。……寒くなってきたね」
地上の熱気に影響されたのか風が吹いてきた。荒れているわけじゃないけど、この肌を切るような冷たさはミカには辛いだろう。ミカは僕に寄り添うように手をつなぐと、それきり何も言わなくなってしまった。
「そうだね、帰ろうか。明日のことを何とかしないとその後のことも考えられない」
「………」
家へと帰ろう、今は冷たい風が吹いているけれど明日にはきっと何とかなる。しなければならないんだ。
アイレンがやってきたのも僕にやる気を出させるためか。そういった意味では確かに効果はあった。けど、ミカが話しかけた時の空気の変化。やっぱりミカも何かあるのか……、口を開かなくなったミカを盗み見ても何も分からない。
だけど、今からでは時間がない。戦いが終わった時にちゃんと話さないといけないな。
冷たい空気と裏腹に活気づく街の中を二人で歩く。
この賑やかさを護れるのなら、圏士になった意味はあったのかもしれない。そう、心の中で思いながら。
□ □ □
二人と別れてすぐ、彼女の向かった先は討滅局本部の資料室だった。
「……ない」
明かりのない資料室の更に奥の部屋。本来なら特別な許可のある者、それこそ各部門の責任者しか入ることの許されないその場所に一人、赤毛が揺れている。
「どうして? 他の皆の物はあるのに……、なぜトーレスさんのだけ……」
立ち入る権限を持っていないはずの彼女が探していたのは、全ての圏士が入隊時に作られるとある記録。だが、探している人物のものだけがすっぽりと抜け落ちている。これではまるで“初めから存在していなかった“かのようじゃないか。
(トーカさんに……。いえ……、この場所の書類ならトーカさんも知っていた可能性がある。それなら共犯? そうは思えない、けど……)
カタリと、何かが落ちる音がした。
「———ッ!?」
急いで棚の陰に隠れたが、焦りから棚に足をぶつけてしまう。音に気づかれていたら通報されるかもしれないが、今ここで問題を起こすわけにはいかない。
隣の部屋、一般の資料室に繋がるドアの覗き穴から光が差し込む。どうやらこちらに近づいてきているのは間違いない。重要機密を覗いていた以上はアイレンの仲間だと思われても一切不思議じゃないし、そうなれば一番大事な戦いに参加できないどころか自分が処分されてしまう。
(マズイマズイマズイ……! もう、なんでトーカさんに連絡がつかないんですかぁ!)
それもこれも時間がないのが悪い。式典が明後日だったら明日にでも許可を取ってゆっくり来ればよかったのに……、気付いてませんように気付いてませんように———!
「あの、誰かいるの———?」
(あぁーもぉー!?)
脳内の絶叫が外界に出ていないことを感謝しつつ音を殺す。だが無情にも足音は近づいてきている。
(何もないんで早くどっか行ってくださいよぉ……)
「あれ……? え、鍵……空いてる?」
(嘘でしょ、なんで気づいちゃうんですかー!?)
どうするべきか、ギリギリまで気づかれないことを祈って待機。もしくはこちらの顔を見られる前に気を失わせて逃亡。出来れば前者がいい、だって危なすぎるんだもの。
けれど悪いことは続くもの、一度起こった悪運は流れ続ける。
「誰かいるの? いるのなら返事をして、ここは決められた階級以上の人間しか立ち入りを許可されていないわ」
(そう思うならせめて誰か呼びに行ってくださいよぉ……、あぁでもそれだと逃げられちゃいますもんね、多分私もそうしますし。……仕方ない———!)
「……返事がない、つまりはそういうことね。これが最後の警告、出てきなさい———!」
「———ッ!!」
行動を決めたのなら迷っている暇はない、駆け出し気絶させるために首を取りに行く!
だが、その行動は読まれていた。ひきつけるために近づいてくるのを待っていた。それなのに想定よりも3歩、後ろに下がられている。これでは顔を見られてしまう。
「アリス——!? 何やってるの!!」
「ゲェ!? ユウキさん!?」
オワッタ、寄りにもよって優しい先輩筆頭。しかし規則に厳しいユウキさんと来てしまった。
(これはもう気絶させておいて、事が収まるまで軟禁するしか……)
「アリス、ここで何をしているの? あなたでは立ち入りは禁止だし、鍵が壊されてた。許可を取ってきたわけではなさそうね?」
「……あーいえ? 鍵は元々壊れてましたよ? ですので何ら問題はありません。つまりそう言うことなので調べ物を終わらせた私はこの場を去ろうと思うのですが……、どうでしょうか?」
「剣に手をかけて言うセリフじゃないわよ、それ」
見るべきところはちゃんと見られてしまっているから言い逃れもできない。
「……はぁ、降参です。ただ言っておきますけどアイレンの仲間ってわけじゃないですよ? どうしても式典までに調べなきゃならないことができたので仕方なくです」
「それ、自分で言ってて信じてもらえると思う?」
「思いませんけど……、これしか言いようがないんです。アイレンの目的を知るためにもこれはしなければならない行動でしたから」
「それで? 何かわかったの?」
「いえ……、ただ気になることはできました」
「それは私に言えないこと?」
「言えません。下手に話せばユウキさんまで巻き込むかもしれない。それは、いやなんです」
「そう……」
腕を組んで考え始める。その表情は苦々しいもので、別に気になっていることがあるような……。
「分かった……それなら、一つだけ教えて」
「なんでしょうか」
「あなたは……、どうしてさっきあのまま攻撃をしてこなかったの? その……あなたの力なら私なんて姿を見られた後でも何とでもできるでしょう?」
「へ……?」
何を探していたのかとか聞かれると思っていたから変な声が出てしまった。しかし、何と答えるのが正解なのかが分かりにくい質問が来てしまった。とはいっても、私に嘘を吐くような器用さはないのですけど。
「えーと、そうですね……。だってユウキさんいつも優しいからそんな人に怪我させたくないですし、それに仲間ですから……。えーとこれじゃダメ…ですかね?」
「そう、仲間だから。ね……」
心からの本心を伝えたつもりだけど、疑われている以上ちゃんと届くかどうかは分からない。
「えーと……通報、します? やっぱりしますよね……?」
「……はぁ、あなたと話すと悩んでるのが馬鹿らしくなってくるわね。本当、あなたが羨ましい」
「え? それって……」
「良いわよ、行きなさい。誰にも言わないでおいてあげるから」
「っ———、ユウキさん!」
「ただし、死んじゃダメよ。私は生きてるあなたを追い越したいの、すぐに昇級するから。それまで死なないで」
「……はい、ありがとうございます。ではっ!」
手に入れた書類を手に可能な限り早くその場を去る。ユウキさんは通してくれたけど、その後に通報するかどうかは彼女の言葉を信じるしかない。今は、中身をちゃんと確認しなければ……。
□ □ □
「はぁ、私も怒られるかしら……」
資料室に、一人残された彼女は考える。自分より階級が上の後輩のことをどうしても嫌いになりきれないのは自分の悪いところかもしれない。そうであればもう少しやる気も出ようものだろう。
「あれ……、あの子は?」
そして、あの部屋にいたはずの存在がいなくなっていることに気が付く。
あの子は資料室の外で鍵のことを教えてくれたからアリスの存在は分かっていないはずだけど、少し心配だ。
いついなくなったのだろう。しかし、考えても仕方ないことでもある。
「明日は式典か……、平和に終わるといいけど……」
圏士の中でも緊張が高まってきている。あのアイレンがことを起こさなければいいのだけど……。だが、きっとそういうわけにもいかない。
「私は、私にできることを、ね」
今はムリでも、この先にちゃんと戦えるように頑張らなければ。心機一転の後、部屋の明かりを消した彼女は己の向かう先に歩を進めていった。
探していたはずの小さな存在を、頭の隅に追いやって———。
『本編について』
・アイレンと他の圏士
アイレンから彼らに対しては「怠惰で上昇志向もなく、力を持ちながらも鍛え上げようとしない弱者」というのが基本姿勢です。だからこそトーレスに見た素質(?)を捨ててしまわないため無理やりでも圏士にさせました。
また、他圏士から見たアイレンは「割かし平和な現代において生まれた時代間違えた人、何考えてるか分からないし強すぎるから近づきづらい」という感じ。
『定期連絡』
・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。
・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。
・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。




