17.彼女の日誌のようなもの①
『1日目』
あの後打ち合いを続けていたけど、トーレスが気を失ってしまったからその日はお終い。とはいっても、5回目にしてやっとだったから病院に行った方が良いんじゃないかと思ってそのことを伝えた。
「うーん、病院を出てったのもあって、今戻ったら強制入院させられそうなんだよね。……だから病院には行けないよ」
青あざが出来た顔でいつも通りの笑顔を見せるトーレスは、一日目にして全身を怪我してるのに辛そうには見えなかった。だから普段からこのくらいの訓練をしているの? って聞いたらそうじゃないみたい。なのに辛い顔一つしないのは、私ではスゴイとしか言えない。
そして、今日からついにトーレスの家に住むことになった。もうやってないお店の裏にある小さなお家、大きなものじゃない。でも、部屋に入ると彼らしさのようなものを感じて、なんだか嬉しかった。
『2日目と3日目』
結局何もできないまま、トーレスは一方的に負け続けた。私も手を貸したいけれど、そういうわけにもいかなくてもどかしい。家に帰ってお風呂に入るとそのまま眠ってしまって、溺れそうになっていた。
心配だし、一緒に入ろうって言ったら『それはダメ、絶対ダメ』って言われてしまった。……残念。
帰り道で買っておいた晩御飯を食べようとしたけど、お風呂から上がったトーレスはイスに座った途端に眠ってしまった。ご飯も食べないで、明日は大丈夫かな?
そんなところで眠っても身体は休まらない。そう思って何とかベッドまで運ぼうとしたけど上手くできなくて彼につぶされてしまった。その時に目が覚めたトーレスが謝りながら自力でベッドまで向かったけど、これはこれでちょっと嬉しかったり。
『4日目』
朝から晩まで食事以外は同じ光景を別の場所で繰り広げる。トーレスは諦めたりしなくて、ずっと頑張っていたけどついに限界が来たみたい。
その日の夜、なんとか防げるようになってきたアリスの攻撃が直撃してしまって。
「あ……」
「う、ぐ———。カハっ……」
それは上った月が沈み始めるころで、気力だけで立っていたトーレスがついに気を失ってしまった。
それもこれもアリスが容赦なく私を狙うからだ。そのせいで守り切れないときは身を挺して攻撃を防ぐのだから、体力がなくなるにつれて傷ができる速度も加速度的に増えて行った。
その結果が、これだった。
「いやぁ、この前とは逆になっちゃいましたねぇ」
「トーレス……、大丈夫? アリス、もっと優しくしてあげて」
アリスのことはトーレスの次に好きだけど、それでもトーレスに怪我をさせるなら話はべつ。例え彼が自ら望んだ結果だとしてもイヤなものを好きになることはできない。
「んー……」
「優しく、してあげて」
多分、アリスは一度では流してしまうだろうから二回言う。
「んんっ、その……確かにちょーっとやりすぎちゃったかなぁ? とか自分でも思いますがダメです。それだと間に合いませんから。あと1日しかありませんし、結局『簡易契約』すらできない状況に変わりはありません」
「それは…そう、だけど」
トーレスと違って怪我はしていないのに、トーレスと同じ時間動き続けているのにすごく余裕がある。今だって少し汗をかいているだけで辛そうな素振りは見えない。
私の意見にもアリスはちょっと困った顔をしただけで却下されてしまった。間に合わないも何も、戦う準備が死にに行く準備になるんじゃないの。
「むぅ……、アリスの分からず屋。いいもん、トーレス連れてくから……んしょ、っと……わわっ!」
道の真ん中で寝かせて置いたら悪化してしまう。怪我の治療の為に運ぼうとしたけど、トーレスは想像よりも筋肉質で重たかった。……どうしよう、やっぱり私じゃ運べない。
「はい、それでかまいませんよ。だから、分からず屋の私は勝手にトーレスさんを運ぶのでした」
「あっ」
軽々とトーレスを持ち上げるアリス、私だってもっと大きくなれば運べるんだから……。
月に照らされた道を二人で歩く。私は何もできない自分を恨めしく思いながら、後ろからついていく。すると、急にアリスが笑い出した。
「ふふっ……」
「どうしたの、アリス。急に笑い出すなんて」
「いえいえ、改めてミカちゃんがハキハキ喋るようになったことがなんだか不思議で、嬉しくなってしまって」
「変だ、って思ってるんでしょ……? 普通、ありえないもんね……」
「まさか、そんなことありません。もちろん不思議だとは思いますけどね、でもそれはミカちゃんをバカにしたり、排斥したりするつもりはありませんよ。変だったり不思議っていうのは、いい意味でも使う言葉ですから」
「……うん、ありがと」
「どういたしまして、ふふっ」
ただありがとうと言われただけで心の底から嬉しそうに笑う。そんな、月明かりに照らされた横顔がキレイだなって思った。
アリスはとてもまっすぐな人だと思う。裏表がないのかな、いいことがあれば声を出して笑う。悪いことには隠したりしないで怒る。私一人では、まだそんな風にできないから、少し羨ましい。だから、これはほんのちょっとした好奇心だ。彼に尋ねたものとは違う、ほんのちょっとの好奇心。
「ねぇアリス、一つだけ聞いてもいい?」
「はいはい、なんでしょうかお嬢さん」
「アリスは、トーレスのことが好き?」
「………」
ほんの少しだけ目を見開いて、これまでの笑顔とは違う愁いを帯びた微笑みを湛える。悲しみとは違う、苦しさとも違う、それはまるで何かを羨んでいるような———
「えぇ、大好きですよ! トーレスさんは良い人ですから、お兄ちゃんみたいな人です。もう一人の方は兄っていうよりガキ大将ですしねー」
「そっか……それなら、いいの」
それ以上は、聞かない。
少し前の、『あの時』のことを思い出す前の私であれば素直に喜んでた。けど、今は純粋にそうは思えない。溶ける雪のように儚げに微笑んだ彼女の姿は、届かないものに手を伸ばそうとしながらも伸ばすことそのものを諦めていた、救われる前の私によく似ていたような気がしたから。
「じゃあ、私からも聞いていいですか?」
「え? う、うん。いいよ」
沈み込んだ空気を断ち割るように、さっきまでのアリスが返ってきた。それは直前の儚さは消え去っていて、幻だったのかと思わされる。
「でも、私についての事は言えないよ? 分かることもあるけど……分からないことも多いの。嘘じゃ、ないよ?」
「そんなこと疑ってません。それにそういう個人的な問題は自分から話してくれるのを待つものです。だから、私はその時を楽しみに待っているのです。ふふんっ」
「はは……、ふふんって………アリスったら変なの」
わざわざ鼻を鳴らしてまで勝ち誇ったように胸を張る。そんなおどけた姿についつい笑ってしまった。
「でも、それならに何を聞きたいの?」
本当に分からない。アリスが私に気になることと言ったらそれくらいしか思い当たらない。頭をひねって考えていると、答えは頭上からやってきた。
「ミカちゃんは、トーレスさんのことをどう思ってるんですか?」
「えっ、好きだよ。大好き。誰よりも好き」
「アハハ……、そこまでハッキリ言われると逆にビックリです」
なんでわざわざ分かり切ったことを聞くんだろう。さっきとは別の方向に疑問が浮かんでくる。
「どうしてそんなことを聞くの? アリスだって私がどう答えるかは分かってたでしょ?」
アリスは苦笑いのままトーレスを背負い直す。その時にトーレスの陰に隠れてしまって顔が見えなくなった。
「そうですね、分かってました。前にちょっと失くしてしまったものがあって、ミカちゃんと話せばどこに行ってしまったのか分かるかもと思ったんです」
アリスの声は優しくて、活発さが隠れようとしないいつも通りの彼女だった。
『きっと辛かったろうね。『代行者』は僕たちの大事なものの中から『代償』を選んでいるから……』
でも、不意にトーレスが話していたことを思い出す。
「……そっか、力にはなれた?」
だからかな。
顔が見えないからなのか、私が気にしすぎているだけなのか、アリスが心の底からそう思っているように聞こえなかったのは———。
「はい、とっても。答えにたどり着くのはまだ先でしょうけど一歩は進めた気がします。戻らない物でも、受け入れることはできますから———」
「……なら、よかった」
本当にそう思ってるの?
喉の先にまで出てきた言葉は世界に放たれることは無い。
聞いてしまっていいのか、アリスに嫌われてしまうんじゃないか。そう思うと怖くて聞けない。
きっとアリスなら怒ったりしないだろうけど、私は友達だと……思ってるから。友達でいたいと思ってるから聞かないし、聞けない。
(トーレスの言ってた通り、誰かと話すのって難しいね——)
彼の寝顔をのぞき込むけど、痛みからかぐっすり眠るというわけにもいかないみたい。
「ねぇアリス、やっぱりもっと———」
「ダメです、厳しくすることはあっても優しくはなりません」
「むぅ……、分からず屋」
「ふふ、これは嫌われちゃいましたかねぇ」
そんなことを、露ほどにも思っていない声色。私が怒ってなんかいないことを見抜かれているみたいでちょっと悔しくて、私のことを分かってくれているみたいで……すごく、嬉しかった。
「よぉし、到着です。いやー、男の人って重いですね。力が抜けてるからなおさらです」
「そんな風には見えなかったけど」
「いえいえ、私だって女の子ですよ? 当然、重たいものを持てば疲れるのです。よいしょ、っと……」
目的地はトーレスの家。アリスはこの3日間で手馴れたのかトーレスの服に手を突っ込んで鍵を開けると、ベッドまで運び込む。
怪我を悪化させないようにゆっくりと降ろすと、二人でベッドに腰かけた。
「………」
「………」
時計の秒針が時を刻む音だけが室内に響く中、特に理由はない筈なのにお互い黙ってしまった。
……こういう時は何を話せばいいんだろう。トーレスと一緒の時は沈黙も苦じゃなかったのに、他の人相手だとどうしていいのか悩んでしまって落ち着かない。
ソワソワと手は膝の上で踊り、目線はキョロキョロと宙を泳ぐ。
普段なら眠ってるトーレスのベッドに潜り込んだり、寝顔を見ていれば時間はすぐ経っていくのに、今日は気にしたことのなかった秒針の音がやけに大きく聞こえてくる。
こんなにも時間が経つのって遅いんだな。それに、人と話すのは難しい。
「不思議ですね」
「えっ? な、なにが?」
大きな声じゃなかった。ポツリと、口から洩れたかのような小さな声。だけどこの部屋の中では何よりも大きな音で、思いがけずビックリしてしまった。
そんな私の様子を知ってか知らずか、アリスはそのまま話し続ける。
「トーレスさんってどうしてここまで頑張れるんでしょう、普通は逃げ出したいとか思うんです。でも、絶対にしようとしない。『原型』が満足に使えない以上、襲ってきた人とは天地ほどの実力差があるのに」
訥々とただ思っていることを吐き出しているだけ、そこに彼を馬鹿にするつもりがないのは分かったし、本当に不思議なだけなんだというのが伝わってきた。
「アリスだったら、逃げる?」
「そう……、ですね。少なくとも一度は全力で退きます。誰かに手を貸してもらうとか、罠を張っておいて相手をおびき寄せるとか、方法はいくつかありますけど正面から戦えるように、とは思いません」
「アリスならそういうのは考えないと思ってた……、誰が相手でもいつも通りに向かって倒しにいくのかなって」
「んー、そうしたい気持ちもあるにはあるんですけど、自分が死んでしまったらどうしようもないですから、そこはどうしてもシビアに考えてしまうというか。……小さいころに住んでいたのが『穢れ』の被害が多い地域でしたから、死を肌で感じ取りやすくなってしまったんだと思います」
「それならどうしてアリスは圏士になったの? 死にそうな目にあったんだったら戦うのも嫌じゃないの?」
「そうなんですけどね。幼馴染が居たんです、身寄りがなくて家で預かってた3つ上の男の子。
同じ家に住んでるから当然なんですけど、小さい頃から一緒にいる機会が多かったんです。友達というよりも兄って感じでしたけどね」
「それって……」
「その子は幼いのに飽きもせずにずーっと鍛えてるような変わり者で、私も傍で見てたり一緒にやったりもしました。でも彼が13歳の誕生日に行方をくらませまして、皆が『穢れ』に襲われて死んでしまったんだって悲しんでたんです」
「でも、生きてたんだ」
「……はい、それから5年ほど経った時でした。その時の私は15歳で、日課になってしまっていた鍛錬を終えて家に帰った時です。偶然新聞を見ると討滅局局長の娘が無事圏士となった。そんな内容の記事が目に入ってきました。当時は今より『穢れ』も出現していましたし、正式な後継ぎが生まれたっていうのは市民の皆さんにもいい宣伝になりますから。でも、驚いたのはその後ですよ……」
過去を懐かしむように目を細めながら剣を握り続けたことによるタコが出来た指を合わせたり、離したり。記憶をゆっくりと引きだしていく。
「彼の名前が載っていました。トーカさんに比べれば小さな小さなものでしたけど、間違いなく彼の名前。ただ苗字は違ったので、その時点ではただ同じ名前の別人だと思うこともできました。でも、不思議と確信してしまったんです。あぁ、これは間違いなく彼だ、って」
「名前だけで? 探せば同じ名前の人なんていそうだけど……」
「なぜでしょうね。今思い返しても直感としか言えません。でもそこで生きてるんだって分かったら怒りが湧いてきちゃって、すぐさま準備して家を飛び出しましたよ」
「……? 生きてたんだったら喜ぶんじゃないの? 私だったら、きっとそう」
「ミカちゃんは優しいですね。でも私は、彼がいなくなったあの日から一度は文句を言いたかったんです。心配したとか、身勝手すぎるとか、育ててもらった恩を仇で返すのかとか、思いつく限りのことをぶつけてやろうって。……そう思ってました」
「思ってたってことは、言えなかったの?」
絡ませた指に視線を落とす。その内面を映すように彼女の指は複雑に絡み合っていた。
「討滅局本部まで行ったらあまりにあっけなく再会したんです。そしたら彼、久しぶりに会った私に何て言ったと思います?」
なぜだろう、絡めた指に段々と力が入っているように見える。
「え、えと……。久しぶり、とか?」
私はアイレンという人には実際に会ったことは無い。助けられる前に攻撃は受けた筈なのだけど、あの時のことは今でもあやふやだから顔も思い出せない。
だから、どんな人なのかはトーレスやアリス達の会話から想像するしかないけど……、正直良く分からない。だから普通の人なら言いそうなことを言ったのだけど……。
「それが違うんですよ…っ、あんまりにも突然だったので何を言っていいのか言葉が出てこない私を目の前にして最初に言った言葉が『アリスか、強くなったのか?』ですよっ! ありえないと思いません?!」
思い出した時に怒りが込み上げてきたのか、手近にあった目覚まし時計を強く握りしめながら立ち上がって天井に吠える。
「それは……うん、そうだね……」
前からアリスはアイレンのことを『自分が強くなること以外に興味がない』と言っていたけど、私の思っていた以上に凄い……変な人だった。
「はぁ……はぁ……。コホンっ、すいません取り乱しました……、まぁそんなことがありまして」
「えぇと、それでアリスはどうしたの……?」
肩で息をするアリスは落ち着きを取り戻したのか、咳払いと共にベッドに座り直す。
「その時にも文句の一つでも言えればよかったんですけどね。もう愕然としてしまって、言葉すら出てこなくて固まっちゃいまして。アイレンはアイレンでさっさと行っちゃうし、もう頭の中は真っ白でした。ちなみに、その様子を見て助け舟を出してくれたのがトーレスさんとの出会いです」
「トーレスが?」
「ええ、アイレンと一緒に食事に行ってたみたいで私と会ったのはその帰り。ほら、トーレスさんは圏士の中でも珍しく常識人ですから。どっか行こうとするアイレンを引き留めてくれて、今日行った喫茶店までアイレン引きずって話す席を設けてくれたりして……」
その時からアリス達から振り回されるのは変わらないんだなぁ。昔から今まで変わらずに優しい人だって分かったのは、私の知らないトーレスを知れた気がしてちょっと嬉しい。
「それで、何話したの? 今の話聞いてるとアイレンはちゃんと話さなさそうだけど」
「ミカちゃんは賢いですねぇ、まあおおむねその通りです。会話にならないというか、向こうは向こうの常識で話してるというか……、トーレスさんが居なかったらホントどうしようもなかったですよ。『それでアリス、お前はいつになったら圏士になるつもりだ?』『別に俺がいなくなったところで食い扶持が減ってありがたいくらいだろう』『そういえばアリス、お前何しに来たんだ?』ってね……、ひどいもんですっ」
「………うん……、そうだね……。そ、それでどうしたの? アリスも圏士になってるってことはすぐに入ったの?」
一度は落ち着いた怒りがまた燃え上がり始めた、アリスの気分を悪くしたくて話を聞いてるわけじゃないし、なんとか先に進めようと質問をしてみる。
「……いえ、すぐには入りませんでした。その時は結局一度帰って、さっさと乗り込んで余裕こいた顔面を殴ってやろうと思ってたんですけどね。色々考えてたら3年くらい経っちゃってて、このままではイカンと一念発起したわけです。ただ、家族からはスッゴイ反対されましたけど」
「危ないから?」
「その通りです。それに、その頃にはもう『穢れ』自体の出現も今くらいになってましたから。両親としてはそのうち無くなる仕事につかせて食べられなくなるのは可哀そうだと思ってたんでしょうね。実際、討滅局に使ってる税金は無駄だー、なんて声も大きくなってきてますし。そろそろ規模が縮小させられてもおかしくありません」
「その人たちに護ってもらってるのに、自分からいらないって言ってるの? 変なの……」
「ふふっ、そうですね、すっごく変です。でも、人っていうのはそういうものです。喉元過ぎればなんとやら、難産色になんとやら。過ぎ去ったものより今の自分が大事なんですよ。そのこと自体はおかしくないですけどね」
「うん……、でもやっぱり変だね……」
知らず、言葉が落ち込んだ。
アリスやトーレスが命を懸けて戦うこと自体がなくなるのは私も嬉しいけど、戦っている彼らのことが悪く言われるのは悲しかった。
視界の中心が膝にまで落ちた時、頭に手が乗せられて優しく引き寄せられる。
「ミカちゃんは優しいですね、皆がそうならもっといい世の中になってるのに。人が多くなると上手くいかなくなるものです。でもね、皆がいるから毎日を楽しむことができるし、色々なことができるようになるんです。だからミカちゃんも、もっともっと色んな人と出会ってください。そうすればもーっと素敵な女の子になれます。私が言うんだから間違いありません」
「……ありがとう、アリスもすっごく優しいね。……トーレスの次だけど」
「えーそんなぁー、残念だなぁ。そういうのえこひいきっていうんですよぉ? そんなことする悪い子はこうですっ」
「ちょ、ちょっとっアリス……っ。くすぐったいよっ……アハハ———」
抱き寄せた頭が痛くならない程度に力を籠めて動けなくされたらそのままくすぐられる。
ダ、ダメだ……このままくすぐられ続けてたらい、息がっ……、なんとかやめさせないと……っ。
「そ、そう…くふふ、いえば……トーレスが教えてくれ、ハハ……たけど、一級になるのって、すごく大変なんでしょう? 大切なものを無くさなくちゃいけないって」
ピタリとくすぐりが止まり、顔を上げてみるとアリスが少しだけ驚いたようなそぶりを見せた。少しだけばつの悪そうな顔をするとトーレスに向かって恨めしい視線を向ける。
「もう、ミカちゃん相手だと何でも教えちゃうんですから……このー」
「う……ぅぅ……」
額を人差し指でグリグリと押し付けると、トーレスからうめき声が聞こえてくる。
「ダメ、トーレスが苦しんでる」
手を取って中断させると大きめのため息。そんなに『代償』って辛いのかな。
「『代償』ですか? ……そうですね、……とても辛いですよ。私の場合は他の方と比べればまだマシなんでしょうけど。それでも、却ってこないと思うと失ったことそのものが心を蝕んできます。まぁ、それ自体すらっていう感じですけどねー……」
「でも、それならどうして一級にまでなったの。別にならなくてもいいんでしょ? さっき言ってたみたいに戦う必要もなくなって来てるのに……」
「私の場合は、ただの意地だったんです。ただただアイレンを見返してやりたいって、そう思って鍛錬し続けて、気が付いたら戻れない所に行ってました」
「後悔、してるの?」
「んー……、そういうわけでもないですよ? 失くしたからこその今です。もしも過去に戻ることができて、『代償』を払っていないことに出来たとしても、私はその私を肯定するつもりはありません。その選択をした私は別人ですから。……自分の選択を否定するような生き方はしたくない」
ほのかに笑いながら自分の生き方を話すアリスの姿は、私から見てもすごく綺麗でついついトーレスが目覚めてないか見てしまう。……いくらトーレスでも、今のアリスの姿を見たら気持ちが向かっちゃうかもしれない。
それにしても、トーレスと話していた通りだ。アリスは凄い、頑張り屋で誰に対しても優しくて。……こんな人になれたらいいな、って思う。だから、少しだけ気になってしまった。
「そっか、アリスは強いんだね……。アリスの『代償』って……ううん、聞いちゃだめだよね。……ゴメン」
口にしてからすぐにいけないことをしてしまったと気づいたけど、もう発してしまった以上どうしようもない。アリスは辛い思いをしたのに、それを興味本位で聞いてしまうなんて……なんてヒドイことをしてしまったんだろう。
怒らせてしまったんじゃないか、嫌われてしまうんじゃないか。怖くて顔を上げられない。だけど———
「大丈夫、そんなに気にしなくていいんですよ。興味を持つこと自体は悪いことじゃありませんし、ミカちゃんはそのことが悪いことなんだって分かってますから。そんな子を怒ることはできません。だから……そうですねぇ」
眼を閉じ顎に手を当てて、考える素振りをすること数秒ちょっと。何かを思いついたのか手を合わせて私に向かい直す。
「こうしましょう、トーレスさんが私よりも強くなったら教えてあげます」
「え? トーレスが? それに教えちゃっていいの?」
まさか条件付きとはいえ教えてくれるとは思わなかった。つまり、この訓練でトーレスがアリスに勝てばいいのかな?
「はい、その方がミカちゃんの応援にも力が入るかもしれませんし、私負けないのでっ!」
アリスは自信満々に笑いながら胸を張る。服を押し上げるソレは私にはないもので、正直うらやましい。いつか私のも大きくなるのかな……?
「いいもん、トーレスなら明日にでもすぐアリス追い越すからっ」
「あら、ミカちゃんちょっと怒ってます……?」
「別に怒ってないもん、私だって……じゃなくて、トーレスだって今は負けてるけど大事な時にはきっと何とかしてくれる。……私にとってのヒーローだから」
「ヒーローですか。えぇ、その時を楽しみにしてますね。ま、そう簡単には勝たせませんけど。それじゃあもうだいぶ遅い時間ですし良い子は寝る時間です。明日もいつもの時間なので遅刻しないようにトーレスさん起こしてあげてくださいね」
「うん、また明日。最後の日だし……優しくしてくれても———」
「ダメです。ふふっ、それじゃあおやすみなさいっ」
軽く手を振って、最後には笑顔で去っていった。
(聞かない方が良かったのかな———)
『代償』のこと、アリスは気にしてないと言ってくれたけどやっぱり言いたくないことなのは違いない筈なのに。
「私が考えてても仕方ないのかな……」
アリス自身が気にしないでいいと言った以上、その言葉を信じるしかない。ただ甘えるんじゃなくて信じること、それがアリスに対する一番のお返しだと思うから。
時計を見るとすでに0時を跨いでいる。私も早く寝ないと。
「ぅん……、んん———」
隣を見ると、怪我をしているのが信じられないほどにぐっすりと眠った彼の姿。私たちの声で起きなかったし、すごく疲れているのは間違いない。
今だって寝心地のいいところを無意識で探そうと寝返りを打って横になっている。
「………」
電気を消して、起こさないようにゆっくりと彼の向いている側のシーツに潜るとトーレスの腕の中に入りこむ。
「? んんー……」
「ふふっ———」
トーレスほどではないにしても、一日中一緒にいる私も疲れている。それならこれくらいは許してほしいな。すぐにベッドに寝かせたから、お風呂に入っていないトーレスからは砂ぼこりや血の匂いがする。でも、これも彼自身の一部だから嫌だとは思わない。
「ありがとう、トーレス……。何度言っても足りないけど、大好きだよ。もう、絶対に一人にしない」
寝息だけが聞こえる優しい暗闇の中、一人の少女は目を閉じる。
あれほど苦しかった暗闇が今は怖くない、手を伸ばせば暖かな優しさがあることが胸を満たしていく。
一人だけの寝息はすぐに二人分になった。それは誰が聞いても安心の中で眠る優しさに満ちた音だった。
『彼の——と、———しくね』
「……ぇぅ? …ん———すー、すー」
ただ少しだけ、夢と現の狭間にて、誰かの声は聞こえた気がしたけれど。
『本編について』
・討滅局の評判
序盤においても仕事が減ってきているなどの表記がありましたが、現代において『穢れ』はほとんどが灯日周辺にしか出てこない上、出現頻度も減ってきているので圏士の仕事も減少傾向です。
そのため、一般市民からは金食い虫との烙印を押されています。
『定期連絡』
・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。
・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。
・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。




