13.怒りを以てその先へ③
「———っ……」
雷鳴の音で目が覚めた。痛む体で周囲に目をやるとまたしても病室。
また意識不明か、自嘲気味に笑いながらも生きていることを確認して安堵する。外を見ると日が昇り始めたころで、窓を開ければ澄んだ空気が広がっているだろうな。
さっきの雷のような音は、気のせいか?
いや目下最大の問題はあの男、名を名乗りはしなかったがそう遠くない内に再会するだろう。少なくともあちらはそのつもりのはずだ。
『略式契約』すら行えなくなっている自分がどうすれば勝つことができるのか、目覚めた瞬間から不安が生じてしまう。
(どれくらい眠ってたんだ、ミカは無事か? それに、今見た夢は一体……ん?)
覚えのある感触、少しだけ身を起こし、布団をめくるとそこには守りたかった少女が眠っていた。
「ミカ……無事で、良かった……。———っ」
貫かれた痛みは残っているが、胸の中が安心で満たされていく。
彼女を護ることができたというなら戦った意味があった。自分の命と引き換えくらいには思っていたし、その想定を超えて二人とも生きていられたならそれ以上を望むのは贅沢すぎる。
再度横になって彼女の寝顔を見つめていると、安心したせいもあって再びまどろみの中に落ちていく。
自分では瞬きしただけのつもりだったけど、いつの間にか日が昇っていた。それから少しして時計の針が八時を指し示した時、ミカもゆっくりと目覚め始めた。
「んっ……んぅ……、トー、レス? トーレスッ!!」
「わっ!?」
目覚めた瞬間、勢いよく抱き着かれる。あまりに勢いがつきすぎていて軽くベッドに頭をぶつけてしまった。
「テテ……、急に抱き着いたら危ないよ。僕、寝起きだしさ」
「ああっ、ゴメンねトーレス。私、嬉しくってつい……」
「っ———」
彼女の吐息がかかるほどに目の前まで近づけられた顔はまるで妖精だった。この世のものではない。
幼い子供だからと、あまり気にしないようにしていたけど目覚めてすぐ、気が抜けていたせいか。…つい言葉を失ってしまった。
「どう、したの? やっぱり今ので怪我が悪くなっちゃった? でも大丈夫、傍にいる」
「? それって、どういう……」
「ふふっ、トーレスはゆっくりしてて。先生呼んできたら私もすぐ戻るから、チュ———」
頬に柔らかな感触が触れる、顔が近いと思っていたら頬にキスをされてしまった。
「え……?」
余りに急の事だったので少し考えこんでしまったけれど、親愛の情を示すという意味ではおかしくは……いやミカが自分から!?
「……ちょっ、ミカ?! ———い、っつぅぅ……」
遅れながらもやっと反応できた。しかし彼女は素早い、手を伸ばした時にはすでにドアの向こうから顔を出し、柔らかな笑顔でこちらへと向き直る。
「ダメだよ、病人はゆっくりしてないと。すぐに戻るから、ね?」
「ええと……ハイ、そうします……」
いつものミカなら僕の傍から離れようとしなかったし、あんなに流暢にしゃべらなかったし、あんなに跳ねるような動きもしなかった。
「う、ううん?」
僕の記憶にあるミカと大分違う今のミカ。僕の眠っている間に何があったのだろうか……、またしても意識不明となっていた以上何があったのかを知るすべはないのだけど、ミカが先生を連れてくるまで頭の中はしっちゃかめっちゃか、ある種の天変地異が起こってしまった。
□ □ □
その後、ベッドで上体を起こしながら、前回もお世話になった老医師と問診を行うことになった。前回に引き続き死にかけていたせいか、あちらも呆れたようにペンで頭を掻きながら問診を終えると老眼を細めながら自身で記入したメモを見返している。
「しっかしなぁ、本当に丈夫だなお前ぇ。刃物胸に深々と突き刺されたのに目覚めるんだもんなぁ。ちょっとだけだが心臓に傷ついてたぞ、小指の先くらいの力で押し込めばもう助からなかったな」
「あー、それは……どうもお手数おかけして……」
言っていた通り、ミカはすぐに先生を呼んできてくれた。二度目ということもあって驚きは少なかったけど、僕の起きている姿を見た瞬間にカルテが投げられてきたのはどうかと思う。
ベッドの近くに置いてあった『原型』で咄嗟に防いでなければ危なかった。
「んなこたぁいい、それが俺の仕事だからな。だが解せんのは傷口に縫合されたような痕があったことだ。リベリカ二級、圏士ってのは自分で自分を縫えるのか?」
「いや、僕自身その経験はないですしそんなことをしたという話も聞いたことは……」
「ああその通りだ、んなこたぁ儂も知ってる。長い間医者をしてきてそんなことをした奴は誰一人としていなかったし、噂を聞いたことも無い。具象契約? ってやつをすればそういうのもできるのかもしれんが、お前二級だしなぁ……」
「はぁ、すみません」
ペンを額に当てながらぼやく医者、心当たりはあるがこの場で確かめるわけにもいかず、とりあえず謝ることしか思い浮かばない。その後もぼやき、というかそれにかこつけた仕事の愚痴を聞かされる。機材が古くなってきたとか、看護師の年齢層が上がってきたとか、ちょっと僕にはどうしようもできないことばかりだったので、曖昧な返事しか返すことができない。
「ねぇ、先生。他の患者さんは大丈夫なの?」
僕によりかかるようにベッドに腰かけ、今まで黙っていたミカが口を開く。
「ああお嬢ちゃん。なに、儂が一人いなくても問題あるめえさ。むしろ儂一人いなきゃ何ともならないならこんな病院潰しちまえ」
「ハハハ……」
当人がそれを言ってしまっていいのかな、そう思うと乾いた笑いしか出てこない。ここがなくなろうものなら圏士だけじゃなくて地域の人たちの生活に大ダメージなのだけど……。
「しっかし、カワイイもんだなぁ。儂んとこの孫はもうちょいデカいが生意気な坊主だよ。娘がもっと美人なら……、いやこれ以上はやめとくか」
それは自身の娘をバカにする発言だったからなのか、自分の容姿を貶める発言だったからなのか。……聞かないでおこう。
「で、リベリカ。この嬢ちゃんはお前の……幼妻ってとこか?」
「ゲホッ! ゴッホ……な、なにをいきなり!?」
「お、図星か? そっちの趣味なのは良いがな、こんなかわいい子供に手ぇだしたら腹切りもんだろう」
「ち、ちがいますよっ! ミカからもなにか……!」
助けを求めてミカに話を振ってみた、んだけど……。
「……そんな、妻……? 私とトーレスが? ど、どうしよう……」
赤みがかった顔に手を当てて照れている。まさに可愛らしい光景なんだけど助けてはくれなそうだ。先生の方を見ると先ほどよりも呆れのこもった眼差しとなったような気がする。
「あのー、先生?」
「仲がいいのは結構だけどな、倫理観ってのがあるからな。よし、次来るときはカウンセリングの用意もしといてやる。それまで手ぇ出すんじゃねえぞー」
「ちょ、先生!?」
こっちの気持ちなどつゆ知らず、あくびなんかをしている先生。どう弁明すればいいんだろう。
そう悩んでいると、病室の外から看護師が一人入ってきた。
「あぁ、こんなところにいた。先生、お客さんですよ。サボってないで早く来てください!」
「んー、客ぅ? ったく誰だこんな忙しい時に……。じゃあなリベリカ、せいぜい捕まらないこった」
おもちゃに興味を失った気まぐれな猫のように、尻尾の代わりに手を振りながらとっとと去って行ってしまった。あの先生のことも大概良く分からないな……。
「行っちゃった、けど……ミカ、だいぶ雰囲気が変わって、というかあれからどれくらい経ってて何があったの?」
「えとね? トーレスが倒れてから2日で、あれからは何も起きてないよ。しきてん? の準備もしてるみたい。外もなんだか賑やか」
「そっか、色々あって忘れかけてたけどもうすぐなのか……、じゃなくてっ」
「っ、どうしたの? あの襲ってきた男ならあれから出てきてないよ?」
「あ、あぁ。そうなんだ、それは良かった。けど、そうでもなくてさ」
「退院ならすぐ出来そうだって先生が……」
「え、そうなの? 心臓に傷ついてたとか言ってたのに? あの人は本当によく分から……あぁダメだ」
話が先に進まない。というよりもミカ本人が自分の変化に気づいているのかも怪しくなってきた。
「ど、どうしたの? トーレスのこと困らせた……?」
「……いや、そうじゃないんだ。あのね教えてほしいんだけど、自分に変化があったってことは分かってるのかな?」
変化があったとするなら僕が意識を失っていた時だ。あの後、目覚めることができたと思ったら彼女に違和感を覚えた。それに、この怪我も心臓に小さな傷だって? 間違いなく貫かれたと思っていたのに。ミカに救われた。けど、どうやったのかは記憶にない。
「変わった? そう、なのかな。良く分からない」
「そっ、か」
結果はハズレ。ミカ自身、僕と出会う前のことはよく覚えていないし、今回のことも過去が関係して——。
「それに、教えたくないから……」
「そうだよね、ミカも触れられたくないことだって……。え?」
「で、でも、もうトーレスのお荷物にはならないから。トーレスのためなら何でも———」
「ミカは、覚えてるんだね? 僕が気を失ってた時に何が起きて、何をしたのか。ちゃんと覚えてて、……その上で僕には教えたくない?」
「う、うん……。でも心配しないで、トーレスの為ならどんなことでも力になる」
優しく、そして妖しくも微笑むミカの姿に言葉が出てこない。膝と手をつき、獣のようにゆっくりと近づいてくる彼女の姿に身動きが取れずにいる。
「トーレスは私を助けてくれた。苦しみから救ってくれた」
目と目が合い、逸らすことができない。傷跡が残った胸に手を添えられると、恐怖による痛みは消え去り、触れられた傷跡が喜びに打ち震えているかのような錯覚を覚える。
「今回も、トーレスは命を懸けて助けてくれた。初めて出会ったのがあなたで良かった……。本当に、心の底からそう思うの」
『あなたの傍に———』
「———っ」
さっきの夢が重なる。
鼻先に触れる甘い吐息が、僕の思考を溶かしていく。
夢の続きを、見てるのか?
「トーレス、貴方は私の———」
なら、夢で見た顔の見えない男は彼に違いない——。
「英雄だね」
言動から、無垢な少女にしか見えなかった彼女が酷く妖艶に見えてしまう。ミカは微笑むと、夢の続きを口にする。
「絶対に一人にしない。大好きよ、トーレス」
「……ぁ———っ」
小さく開いた口の隙間から、微かに声が漏れた。キスを、されている。今度は頬にではなく、唇に。
頬にされるのとは比にならない。ミカの唇の柔らかさと温かさが直接伝わってきて、彼女から発せられる甘い香りを直に感じ取ってしまう。
唇が触れ合っているだけの軽いもののはずなのに、全神経がそこに集まっているかのように強く、感じてしまう。ほんの数秒、いやそれ以上に短い一刹那。すぐに離れた唇は、たったそれだけの時間しか経っていないはずなのに、この瞬間を永遠に欲してしまうほど満たされ、同時に物足りなさが膨れ上がっていく。
「ふふ、キス……しちゃった」
「ミ、カ……。どう、して」
「理由、言ったよ? でも、いいの。トーレスの傍で役に立てるなら。私はそれでいい」
僕の体に身を預け、胸に耳を当てる。
痛みは完全に消え去り、ミカの長い髪に触れた肌がくすぐられて喜んでいる。
「こうして、トーレスの心臓の音を聞いてるだけで、自分でも理由が分からないくらいに幸せ。トーレスは、イヤ?」
「僕は……」
「したいことがあるなら……、いいよ?」
「ミカ……」
手を伸ばして肩に優しく触れる。力を入れすぎて壊してしまわぬように。優しく、そしてゆっくりと。
「ん——」
再度、面を上げて目を閉じる。何かを欲しているように。
肩に添えた手に力がこもる。このまま抱き寄せぬくもりを感じたい、肌に指を這わせ押し倒してしまいたい。唇を重ね合わせ、愛を以って囁かれるその声を聞きたい。けれど、けれど——。
刹那に身を任せるわけにはいかない。それが本心からの気持ちだと誰が言えるのか。考えなければならない、自他ともに気持ちをはぐらかせば……きっと裏切ってしまう。
それはもう、ダメだ。
「ダメだよ、ミカ。僕にそれはできない」
「……どうして?」
頭を傾け、覗き込むように僕の眼を見つめてくる少女の肩から手を放す。綺麗な眼だ、その瞳に見つめられるのが怖くなってしまうほどに。
「僕には誰かを選ぶなんて……出来ないんだよ。たとえ、その人が僕を好きだと言ってくれても……」
顔に手を添えて、親指で眉を撫でる。くすぐったさと防衛本能から片目を閉じて、なすが儘に受け入れる。
「そっか……それなら、仕方ないね」
手を放すと、慈愛を司る女神のような微笑みをこちらへ向ける。僕は、その笑顔に向ける顔が分からない。少女の純粋な想いを、どこに仕舞っておけばいいのか分からない。
「ダメだね、僕は。君の想いにすら満足に応えられない」
自嘲気味につぶやく。昔からそうだ、誰かに期待されていることが分からないわけじゃない。けど、その想いに答えてしまうのが酷く怖い。人には偉そうなことを言っていながら、僕自身は今の世界が変わってしまうことから逃げてしまっている。
「ううん、いいの。私は、トーレスの傍にいられればいい。トーレスが傍にいてくれればいいの。だから、泣かないで」
「……泣いてなんか、ないよ? ただ、昔のことを思い出しただけ、ミカには心配かけてばかりだね。守るって言っておきながら情けないよ」
涙を最後に流してから、気が付いたら枯れてしまったように思う。
「謝らないで? トーレスがそう思うならそれでいいの。でも……その……」
これまでの大人びた空気が段々と薄れて行く。記憶にある少女らしさを感じるおずおずとした挙動を表に出しながら、聞いていいのか悩んでいる。
僕では、ミカの想いに応えられない。だったらせめてちゃんと聞きたいと思う。
「ゴメンねミカ、言いにくいのも僕のせいだね。でも、ちゃんと聞く。応えられることには精一杯応えられるように頑張るよ。だからどうしたのか教えてくれないかな?」
「……やっぱりトーレスは優しいね、さっきのは私のわがままなのに。
えと、ね? もしも、もしもいつか私に話してもいいって思ってくれたら……昔話を、聞かせてくれる?」
「———そう、だね。今は勇気がないけど、……きっと話すよ。絶対に話せるように僕も頑張る。だから、それまで見捨てないでくれると嬉しいな……」
これが、今の僕の精一杯だ。昔のことを思い出すだけで、自分でもわかるくらいに声や手が震えているし、すぐにでも目を背けて暗闇の中でうずくまっていたい。でも、それはできない。惨めでも情けなくてもミカだけにはちゃんと接したい。こんな僕を信じてくれているのだから、僕が逃げ出すわけにはいかない。
そしてその時はきっと、彼女自身のことも知らなくちゃいけない時だ。
「うん……うんっ、絶対に見捨てない。絶対に離れない。だからね、涙を拭って? 私、トーレスの笑ってるところが好きだから……これもワガママ、かな?」
小さな手が目尻に添えられ、込み上げていないはずの雫を優しく拭ってくれる。
「はは……っ、ミカだってすごく優しいよ。そうだね、笑ってられるように頑張る。約束する、ミカの前ではもう泣かない。せめて情けない所は見せないようにする」
「うん、じゃあ私もトーレスを見捨てたりなんかしない、約束ね。でも……ふふっ、トーレスの情けない所も偶には見たいな。ずっとカッコつけてるトーレスはなんだか変っ」
「そっか、……そうだね。確かに僕もそう思う。確かに、はは……っ。僕がカッコつけてる姿なんて……っ、泣いてるところよりカッコ悪そうだね。ははは————」
「うん、トーレスはいつも通りで十分だよ。私を助けてくれたのもいつも通りのトーレスなんだから、私はそんなあなたが好きになったの」
「そっか……、ううん……。なんだかホントに心配になってきたな……、ちゃんとできるか不安になってきたよ……」
彼女の信頼にこたえ続けるのは想像以上に大変そうだ。けど、一度決めたことなら貫き通すくらいやって見せないと。それこそ、見捨てられてしまう。ミカにそんな選択をさせないためにも、頑張らないと。
「じゃあ、これからもよろしくね。もう一度アイツが来ても、次は負けない。ミカを一人になんてさせない」
「分かった。私も、トーレスを一人にしない。アイツがやって来てもトーレスの力になる。今度は絶対に怪我させたりしないよ」
「……分かった。ミカは、その力があるんだよね。危険な場所には連れて行きたくないけど、僕一人じゃアイツに勝てない。その時は、力を貸してくれないかな?」
目線を合わせた上で、手を差し出す。
これまでの約束を口だけの物にはしたくない。だからちゃんと、対等な立場で向き合いたい。
「……嬉しい。きっと、ダメだって言われると思ってた。うんっ絶対、絶対に力になる。あんな奴、一緒に倒そう! トーレスと私の方が強いんだって分からせないと!」
伸ばした右手を包むように両手で握り返してくれる。
これでようやく、僕たちは本当に仲間だって言えるのかもしれない。
彼女の手の感触、暖かさ、心から嬉しそうなその笑顔。決して忘れないし、ずっと覚えている。これから先もそうしていられるように、僕は力を尽くす。決して、目を背けたりしない。背けたりはしないけど、でも……。
「ミカ、看護師さんの前ではちょっと恥ずかしいかなぁって……?」
「んー? ふふ……、やぁー」
約束をしてから1時間ほど、ミカというとずっと僕にべったりとくっついている。目覚めてすぐということもあって、看護師さんが様子を見に来てくれるのだけど、来るたび来るたび人が違うし、やってくる頻度も高い。
不思議に思って話を聞くと、どうにもミカは看護師内でも人気らしく皆がこぞって見に来てるらしい。その度に見られている僕たちの姿がどう見られているのか、流石にそこを聞くのはためらわれた。だって、たまにすごい目で見てくる人がいるし、病室の外からコソコソ話し声が聞こえてくる。絶対にいいようには思われてないだろうなぁ。まあ、ミカが嬉しそうにしてくれてるのは良いんだけど……。
そんな中でやることも無くのんびり過ごしていると、先ほどとは打って変わって病室の外が騒がしい。言い合いのようなものが聞こえてくるし、聞こえてくる声。
「先生? 何かあったのかな。ミカ、様子見てくるからちょっとだけどいてもらっていい?」
「それなら私もいっしょに行く」
一応、『原型』は持っていく。少し目を離したら盗まれていた、なんて言ったらトーカに怒られてしまう。……それは避けたい。
「じゃあ行こうか」
ドアを開けると声の発生源は思ったよりも近い。そして聞こえてくる声はやはりあの老医師のものだ。どうにも声を張り上げているのは彼らしい。
「ふざけんな、アイツは儂の患者だ。検査も終わってないんだぞ、例えアンタでも引き渡せるか! 理由は何だ、理由は!」
「機密事項です、時間もないしあまり煩わせないでください。あなたにとっては不本意なのは分かりますが、こちらとしても話を聞きたい」
「んなら病室で聞けばいいだろ、なんでわざわざ連れていく必要がある」
「先ほども言いましたが、機密事項です。不特定多数に聞かれるような場所で話を聞くなんて出来るわけがないでしょう。……そこをどいてください」
「だが———!」
僕を探していたのはよく知る声の友人で、僕の知る限り一番偉い人だ。
「トーカ、僕ならここだよ」
「おいバカ、出てくんな!」
「話が早くて助かるよ、……トーレス。聞きたいことがある、着いてきてくれるな?」
老医師の言葉には耳を貸さず、新たな討滅局局長は言葉を紡ぐ。
「うん、僕も君に怒られたくはないからね。ただ、この子は別の……いや、この子も一緒でいいかな?」
「トーレス……っ!」
体で隠すように背後に控えさせていたミカと共に行く。少し前なら誰かに預かってもらおうとしていただろうけど、今は違う。心配だから遠ざけるのではなくて、信頼を以って傍にいる。
「約束、したからね……」
「ああそうだな、その方が私にとっても都合がいい。もしも断られていれば力づくでも連れて行くつもりだった。……出てきてもよさそうだぞ」
「え?」
トーカが声をかけたのは僕よりも向こうで、そこから現れたのは僕も良く知る赤毛の圏士だった。
「えーっとぉ、へへ……こんにちは、トーレスさん、ミカちゃん」
「アリスちゃん……。トーカ、どういうつもりかな? もし、僕が断っていたらこの子をどうするつもりだったの?」
知らず、声が低くなる。ミカが『元・穢れ』だと知っているアリスちゃんがトーカと一緒にいる。そして、アリスちゃんは隠れていた。明らかにミカ本人を狙っての行動。
「どうするもなにもない、必要なことをするだけだ。なんにせよお前たちに拒否権は無い、もしも断るというなら、私自身不本意だが力づくということになる」
「そうか……分かった、行くよ。眠ってた僕がどうこう言えないのは分かってるし、今の状況がどうなってるのか分からない。けど、君がこんなことをするだなんて思わなかったよ。トーカ」
昔から腕力に物を言わせるきらいはあったが、それでも彼女なりの親愛の情のようなものは皆が感じていたし、だからこそ圧倒的実力差を持っているにもかかわらず嫌われることなく慕われていた。
こんな、情のない行動を起こす人間ではなかった。
「……連れてこい、ナチュラレッサ」
それだけ言うと身を翻して去っていく、着いてこいということか。
「その、とりあえず……そういうことでして……、ゴメンナサイ……」
「いいよ、それだけ追い詰められてるってことなのは分かってる。ただ、ちょっとムッと来たというか……。そこについての話も聞けるんだよね?」
「はい、主にそのことについてです。……こんな真似をして、すみません」
「いいよ、アリスちゃんも考えがあっての事だろうし。そうだ、勝手に決めちゃったけど、ミカは大丈夫だった?」
「うん、大丈夫。むしろ嬉しいくらい、信じてもらえるって嬉しいね……っ」
手を差し出すと、自然と手を取ってくれる。これも一つの信頼だろうか。
「そうだね、それじゃあ行こうか。すいません先生、これで退院ってことでいいですか?」
先ほどから腕を組んで苛々といた気持ちを隠そうともしなかった老医師はというと、仏頂面の彫をさらに濃くしながら言葉を発する。
「ったく、気に喰わん。気に喰わんがもうどうしようもねえ、だからさっさと戻ってこい。死んでなけりゃ治してやるからちゃんと自分の体を気遣え。何度奇跡の生還をしようが、人は死ぬんだ」
「……はい、肝に銘じます。また来ますね、それじゃあありがとうございました」
手を繋いで歩き出す。
体は少し痛いけど大丈夫。心臓を貫かれた痛みに比べれば大したものじゃない。
繋いだ手から伝わる熱を、今度こそ離してしまわぬようにしっかりと握る。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
困難は目に見えているけど、きっと何とかなる。
そう、思わせてくれる少女が傍にいる限り。
「ねぇ、トーレス」
「うん?」
「着替えなくていいの?」
「あぁ……、そうだった……」
二人には少しだけ時間を貰いつつ、一応逃げ出さないよう彼女らの目の前で着替えをさせられて……。結局、出発したのはそれから十五分後のことだった。
『本編について』
・ミカつよい
さっさとキスまでこなしてしまったミカですが、他二人がヒロインとして数歩以上後ろを行ってしまっている状況です。とはいえトーカとアリスは仕事に潰されそうな社会人のため、時間に余裕が無いという悲しい現実に打ち勝つほかありません。
『定期連絡』
・高評価、いいねなどいただければ、皆様には特に見返りはありませんが自分が喜びます。
・更新日の後にそのことを伝える呟きをしているので、思い出す用にツイッターフォローいただけると幸いです。
・細かい設定や反省点等々は完結後にでもおまけでまとめようとでも思っているので、質問をいただければまとめて回答します。よければどうぞお願いします。




