第八話 初めてメイドが笑った日
わたくしを見つめて来る二つの視線。
アシュリーは呆けたように立ち尽くし、モララはほんの少し唇を噛んでいた。
――さて、これからわたくしはどうしたらいいのかしら?
本来姿を現すつもりはなかったのだが、あれほど叫んでしまってはいまさら『たまたま通りかかった』で済ませられるはずがない。わたくしはほんの少し考えた後――あえて怒声を続けることにした。
「見られてしまったものは仕方がないわ。そうよ、わたくしがあなたたちの仲をなんとかしようとしていたのよ! あなたたちがあまりに鈍感で見ていられないから手を貸してあげようと思っていたのに、あんなにあっさりなさようならで済ませようだなんて許さないわ。わたくしの努力を何だったと思っているの? モララはともかく、アシュリーは本当にヘタレね! 普通、『君が好きなんだ。どうか、行かないでくれ……』とか涙ながらに言うものでしょう! なのに!あんなに簡単に諦めて!いいわけ!ないでしょうが! わたくしはあなたたち二人の悲恋のためにここまで手を尽くしたのではないのよ!」
「……。やはり、そういうことでしたか」モララがいつになく氷のような声で言った。「どうして急に侯爵家から今になって養女の話が出て来るのか。いくら雇用主のお嬢様だとはいえ、私の気持ちを勝手に推しはかって余計な行動を起こされるのは不愉快です」
「あら、勝手になんかじゃないわよ。あなたが言っていたことはわたくし、きちんと聞いているのよ。復唱だってできるわ。
『ああ、アシュリー様、なんて素敵なんでしょう。今日もご一緒できたのに、あの方とまともにお話しすることもできなかった……! アシュリー様のあの柔らかそうなお手に触れてみたい。お花のことをお話しするあの甘やかな唇………』」
「やめてください!!!」
それまでと打って変わって鬼の形相になったモララがわたくしへ唾を飛ばした。……わたくしの狙い通りに。
それからすぐにハッとなって顔を赤くしたが、もう遅いというものである。彼女の態度そのものがわたくしの言葉を肯定したのだから。
「……モララ、僕のことそんな風に思っていたのかい」
「違います。これは何かの、そう、何かの勘違いです!」
「いいえ、決して勘違いなどではないわ。ああそうそう、それだったらあなたが夜に泣いていたこともバラしてしまおうかしら?」
「――! アリーナ様!」
普段の真面目で冷静な堅物メイドの仮面はどこへやら、すっかり彼女は慌ててしまっている。
それをヘタレ……もといアシュリーが驚愕に染まった顔で見ていた。彼もモララの素顔を知った、その瞬間である。
――なんとかうまくいったようね。後は二人に任せるとしようかしら。
わたくしは妖しく見えるようにして微笑むと、茹で蛸みたいに赤くなっているモララに軽く手を振ってその場から走り去る。
背後で何やらわたくしの名を呼ぶ声が聞こえたが気にしない。最後までお熱い二人の様子を見られなかったのは残念だが、モララの怒り顔を見られただけで満足しておくとしよう。
***
あの後何があったかは二人とも話してくれなかった。モララは人でも殺しそうな目でわたくしを睨んで来るし、アシュリーはそんな彼女を宥めるばかりだ。
少しはわたくしに感謝してほしいと思う。わたくしがいなければただの悲恋で終わっていたということを、この二人はどうにも理解していないらしい。
それはともかく、あの次の日に公爵家を辞したモララは数日後、一人の侯爵令嬢として再び我がドリクーン家を訪れることになった。
「クレノッタ侯爵家が三女、モララ・クレノッタでございます。……アシュリー・ドリクーン様に婚約を申し入れたく」
「ドリクーン公爵家の長男アシュリー・ドリクーンです。クレノッタ嬢、そのご婚約、お受けいたしましょう」
形式的な挨拶が済んで、二人は手を取り合う。
メイドと主人という関係だった頃には決して見られなかっただろう光景。それを前にして、例によって影から見ていたわたくしはとても嬉してたまらなくなった。
「……君とこうしていることができるなんて夢みたいだよ、モララ。今君とこうしていられるのは姉さんのおかげだね」
「…………。そうですね」
「これから僕と君は婚約者同士なんだ。少しくらい笑顔も見せてほしいな」
そう言って微笑むアシュリー。
対するモララは少し視線を彷徨わせ、戸惑っている。随分乙女な反応にわたくしの胸の鼓動まで早くなった気がした。
「私、笑うのが嫌いなんです」
「君のつれない態度も好きだけど、きっと笑顔も似合うと思うよ」
――いいわ、いいわよアシュリー。ヘタレなあなたでも口説くことができるなんて驚きだわ。
「そ、そうですか……? でも」
「なら」
直後、手を取り合う二人の影が重なって、チュッと甘い音が鳴る。
わたくしのいる場所からはほとんど何も見えなかったが、一体何が起きたかはすぐにわかった。
そして両者が顔を離した時、ちらりと、ほんの一瞬だけ見えたのは。
「嬉しい、です」
碧眼をわずかに潤ませながら恥ずかしそうに笑う銀髪の少女の姿だった。
その姿はまるで可憐な花のようで、アシュリーはもちろんわたくしの心すらも奪ってしまうほど美しく、とても煌めいて見えた。
***
「――と、いうことがあったのよ」
「そうか。それにしてもとんだ大恋愛だったな。成就させることができたようで何よりだ」
「ありがとう。この作戦が成功したのはレオンのおかげだわ。……あれ以来アシュリーはわたくしよりモララを大切にするようになってしまって少し悲しいのだけれど、弟の成長を見られて姉として喜ぶべきかしらね。モララの方も少しずつだけれど表情を見せるようになって来たようだし」
――後日、王城のとある一室にて。
わたくしはこの恋愛作戦の協力者であるレオン王太子にことの顛末を話していた。
面白そうにニヤニヤしながら話を聞き終えたレオン王太子は、「さすがアリーナだな」と言って褒めてくれる。それだけでわたくしは頑張った甲斐があったなと思えるのだった。
「次はわたくしたちの番よ、レオン。もうじき結婚式なのだからわたくしの花嫁姿に期待しておいてちょうだいね?」
「もちろん期待しているとも。ドレスはできればエメラルドグリーンがいいな。アリーナの赤毛とはよく似合うから」
「ああそうそう、その式の話なのだけれど、アシュリーとモララの結婚式と合同という形で行いたいと思っているのよ。陛下に認めていただけないかしら?」
「それは面白そうだな。後で相談してみようか」
合同結婚式の話はまだアシュリーたちにはしていない。きっとアシュリーなら「姉さんの花嫁姿が間近で見られる」と言って喜んでくれるだろうが、モララが聞いたら一体どんな顔をするだろう。
そんなことを考えつつ、わたくしは近く行われるであろう結婚式の日が楽しみだと思ったのだった。
〜完〜
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