第六話 私はメイドなのだから※モララ視点
――動悸が激しい。
「アシュリー様、お茶でございます」
「ありがとう。……今日もとても美味しいね」
「ありがとう、ございます」
平静をきちんと装えているだろうかと心配になるくらい胸の鼓動が早く、私は一言を返すので精一杯だった。
赤毛に金色の瞳。姉のアリーナ様と違ってどこか柔らかい印象があって、見つめるだけでとろけそうになる。
アシュリー・ドリクーン様。彼は私が働くこのドリクーン公爵家の長男、つまり後継ぎだ。
私とこの人の関係は、次代の主人とメイド。私は彼に仕える忠実な使用人のはずだ。なのに……なのに、込み上げて来るこの気持ちは、一体何なのだろう。
もちろんその正体はとっくにわかっていたけれど、そんな気持ちを抱いていいはずがない。
――恋心、だなんて。
きっかけはあのお忍びで街に連れて行かされた時だった。
元よりあれは、アリーナ様の計画だったのだと思う。私がうっかり泣いている姿をアリーナ様に見られてしまい、その時から彼女は私の仮面を剥がそうと必死だからだ。
――どうして彼女がそんなに必死になっているのかは、いくら考えてもわかりませんが。
そもそも私が普段、無表情で冷静な女を装っているのには理由がある。
私は元は男爵家の娘だった。母はそれなりの身分の人物で、嫁いで来た時にたくさんの資金を持ち込んだらしく私の男爵家は他に比べかなり裕福だったと思う。そんな環境で父にも母にも甘やかされて育った。
いずれ社交界に出て、きっといい人との出会いを見つける。そんな夢を描いていたのはいつの頃だっただろう。
しかしそんな未来が訪れることはなく、私が十歳の時に母が病死。それから人生の坂を転げ落ちていくのはあっという間だった。
母の死後、愛妻家で娘想いだった父は、一変して仕事をサボり呑んだくれた。暇さえあれば使用人に怒鳴り散らし、そうでない時はずっと泣いて過ごしてばかり。
そんな父を見て私は、母が死んでも平気でいられる自分が憎くてたまらなくなった。友達の令嬢の他愛もない話を聞くといつもと同じように笑ってしまう。自分には人の心がないのかと思い、悩み続けた。
そのうちに男爵家は破産寸前に追い込まれており、父が不正に手を出し始めた。しかしそれが長続きするわけもなくすぐに逮捕。爵位が取り上げられ、私は平民に堕ちた。
しかし路頭に迷うようなことがなかったのは、とある伯爵家が拾ってくれたおかげ。そうでなければきっと今頃死んでいるだろう。
そして、伯爵家でメイドとして働かせてもらうことが決まった日、私は決めたのだ。
もう二度と笑ったりしない。一生メイドとして生き、完璧な従者に生まれ変わるのだと。
伯爵家で働いている間中ずっとそのルールを守り続けた。
辛いことがたくさんあった。でも決して人前では表情を変えず、涙を流すのは一人の時だけ。それ以外の時は常に冷静かつ真っ当に仕事をこなす。
それは伯爵家が潰れてこのドリクーン公爵家に働きに来たところで変わらないはずだった。
アリーナ様に私の本性を知られてしまったことで調子が狂ったが、なんとかそれを暴露される事態だけは免れた。そのことに内心で安堵しつつ、今まで通り『真面目なメイド』を貫き通すつもりだったのだ。
なのに、それなのに、街へ出向いたあの日あの時、贈られた紫の花――ライラックの花言葉をアシュリー様に教えてもらった時。
素敵な方だと、そう、思ってしまった。
それが私が恋に落ちた瞬間だった――。
***
あのライラックの花はずっとドライフラワーにして取り置いている。使用人の宿舎の一室、私にあてがわれた部屋に飾っているそれを眺める度にうっとりとした気分になり、彼が欲しいと思うようになっていた。
日が経つにつれ高まるこの感情をどこへやったらいいのか、私にはわからなかった。
一人きりの時に思わず彼のことを口走ってしまっている自分が嫌になる。
私はメイドだ。このドリクーン公爵家で働くただの新人メイド。こんな気持ちを抱いていいはずがないのに。
昔の男爵令嬢時代でさえ公爵令息とお話しするなどとあまりにも恐れ多いことだというのに、今私のすぐ目の前には、アシュリー様がいて私に微笑みかけている。
「明日はハーブティーがいいな。あ、そうだ、あの。明日は一緒に飲まないかい?」
――彼はこの庭園でお茶をするのが日課らしい。そして私に何やかやと話しかけて来て、お茶にまで誘ってくださる。
どうして私なのか……。うっかり勘違いしてしまいそうになるが、その答えは単純で私のお茶を淹れる腕がアシュリー様に気に入られただけのことに違いない。私なんかと一緒にと言い出してくださるのだってきっと、一人では寂しいからだ。
意外とアシュリー様は子供っぽいところがある。姉のアリーナ様をかなり慕っているようだし、男性なのに花がとても好きでいらっしゃる。そこが素敵なのだけれど……。
……だから決して勘違いしてはならない。そう思い、私は、頭を下げながら断った。
「申し訳ございませんが私はご遠慮いたします。メイド、ですので」
「そ、そうだね。うん……」
アシュリー様がほんの少し落ち込んだように見えるのは、私の気のせい。
激しく高鳴り続けるこの胸に宿る感情が見せている幻影でしかないのだから――。
***
必死で息を整え、アシュリー様から逃げるようにして庭園を歩き去る。
――冷静になって考えてみなさい。あの方は私のご主人様のご令息です。その方が私とお茶をしたいなどと言ったのは単なるお戯れに過ぎないなんていうことはわかり切っているでしょう。さあ、早くいつもの完璧なメイドの顔を取り戻すのです――。
そう自分に言い聞かせながら、屋敷の廊下を早足で進んでいく。
そしてその途中にふと何かの気配を感じ、顔を上げた、その時のことだった。
「ねえモララ。『メイドだから』アシュリーとお茶がしたくてもできないのでしょう? なら、いいことを教えてあげるわ」
そんなことを言いながら妖艶に微笑む赤毛縦ロールの美しい少女――アリーナ・ドリクーン様が私の前に立ち塞がっていたのは。
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