第三話 無表情メイドを笑わせるには
翌日、わたくしを起こしに来たモララは、完全に無愛想なメイドに戻っていた。
「おはようございますお嬢様。お食事ができたとメイド長から」
「まあ。ありがとう、モララ。……こんな心地のいい朝、素敵だと思わない? 晴れやかな空の下駆け出したい気分だわ。ねえ?」
「それは私への挑発ですか」
「ええ、そうね。ふふ。モララと一緒にお庭を駆け回ってみたいわ」
「――――」
モララはわたくしへ温度のこもっていない無の視線を投げかけると、そのまま黙って部屋を出て行ってしまった。
本当につれないメイドだこと。そう思いながらわたくしは、遠くに揺れる黒と白のエプロンドレスを見つめる。
――でもその無愛想猫被りも今日までよ。わたくしが絶対、あなたを笑わせてやるんだから。
あれほど泣いたり動揺したりしていたのだ、当然ながら笑うことだってするだろう。
今の氷のような印象も悪くはないが、明るく微笑んだらきっと花のように美しくなると思うのだ。だからわたくしは彼女を笑わせるため夜の間ずっと計画を考えていた。
そのおかげで少し眠たいが、構わない。
あのメイドの冷めた顔が笑顔に変わるその瞬間を思い描きながらわたくしは、朝食を取るべく食堂へと向かって歩き出した。
***
「今日、暇かしら?」
わたくしは弟のアシュリーにそれとなく聞いてみた。
アシュリーは我がドリクーン家の長男にして嫡男。赤毛と金色の瞳と容姿はわたくしにそっくりなのに、そのくせ頼りないナヨナヨ男である。
「暇だけど……姉さんどうしたの?」
「あのね。わたくし、お忍びで少し街に出ようと思っているの。あなたも一緒に来ないかしら?」
アシュリーはわかりやすく驚きに目を丸くした。「え、街に出るって。そんな話聞いてないんだけど」
「今思いついたのよ。思い立ったが吉日というやつね」
正しくは昨夜のうちに思いついたのだけれど、そんなのは些細なことだ。
アシュリーはどうやら今日はのんびりしようと考えていたらしいが、わたくしの言葉には逆らえぬようで簡単に頷いた。どうも我が弱いところがあるのが弟の一番の欠点だとわたくしは思っている。
実際、その性格のせいで未だに婚約者はいない。なんとも情けない話である。
ともかく、うまくアシュリーを丸め込んでしまえば後は簡単だ。
わたくしは街へ降りる約束をして、それから厨房で働いていたモララの元へ走った。
「モララ、少しついて来てほしい場所があるの。一緒に出かけるわよ」
「――私には職務がありますので」
そう言ってあっさりわたくしを追い返そうとする彼女に、わたくしは少し意地の悪い笑みを見せて、
「あら。これはドリクーン家の雇い主の娘としての命令よ? それが聞けないのかしら?」
「……」
「悔しいなら悔しいと言ってくれてもいいのよ? じゃあわたくし、先に着替えて待っているから」
今回お忍びで街へ向かうのはもちろん、モララを楽しい気分にさせて笑わせてやろうという魂胆があるからである。
年頃の乙女ならば誰しもが目を輝かせるような、そんな店の数々をわたくしは知っているのだ。それを前にして彼女の無表情は崩れ去ること間違いなし。
アシュリーにはつまらないかも知れないが、荷物係としては彼がちょうどいいのである。押し負けたのは彼なのだから文句は言わせない。
これでわたくしの計画は完璧だ。どうやってもわたくしに逆らえないと気づいたモララは、あっさり折れた。
「……。わかりました。メイド長とご主人様に報告して参ります」
***
――それから数時間後。
馬車に揺られて訪れたのはドリクーン領にあるとある小さな街。
庶民が行き合う通りを、わたくしは地味な焦茶色のドレスに身を包んで歩いている。
わたくしの背後をモジモジしながらついてくるアシュリーには構うことなく、わたくしはひっきりなしにあちらこちらを指差しては、モララに話しかけていた。
「ねえモララ。あちらの方に綺麗な宝石店があるわ。ぜひ行ってみましょう」
「…………」
「あら、あちらに素敵な洋服店を見つけてしまったわ。そういえばあなた、私服がないと言っていたわね? 買ってあげるわ」
「結構です」
「あの花、可愛らしいとは思わなくて? あなたの髪に飾ったらきっともっと輝くわよ?」
「――。アリーナ様の方がお似合いだと思われます」
どんなに人気のある宝石店へ立ち寄っても、可憐なドレスを買おうとしても、花屋に行って珍しい花を買っても。
モララは眉一つ動かさず、沈黙を貫き通していた。わたくしが何か話しかけた時でもほとんど無反応に等しい。予想とまるで違う展開に、わたくしは内心戸惑っていた。
――乙女心くすぐるものばかりなのに、どうしてこんな平静でいられるの? もしかして実は彼女、趣味が違ったりするのかしら!?
なんとかこの状況を打開したいわたくしは思考を巡らせたが良案は出そうもない。そんなわたくしの一方で、弟のアシュリーもまたモララに言葉をかけていた。
「これはね、ライラックという花なんだ。花言葉は『思い出』と『友情』。紫色だからこれは『初恋』『恋の芽生え』という意味になるんだよ」
「……アシュリー様はお詳しいのですね」
「まあね。昔、ちょっとした理由で花言葉をたくさん覚えたことがあるんだ」
――まだ彼が幼いと呼べる年頃の時、庭師と毎日話して花言葉を猛勉強していたことがある。
何のためにそんなことをしていたかといえば、好きな女の子に告白するためだった。一体どんな少女に恋をしたのだろうと我が家では結構関心を集めたのだが、結局花束を手渡されたのは実姉であるわたくし。なんと彼はわたくしに恋していたのである。
その後「姉さんと結婚したい」などとふざけたことを言った弟を嗜めたのは何年前のことだったか。ちなみに以来彼は恋愛を一度もしていない。
それ以降笑い話になって今でも時々持ち出されている昔話だ。
もっとも、そんな裏話を新人のモララが知るはずもないけれど。
花言葉を聞いて何を思ったのかはわからないが、モララは静かに頷き、それきり黙ってしまった。
笑顔にさせるつもりが作戦失敗だ。わたくしはため息を吐きたいのをグッと堪えながら、モララに花を、その他の荷物をアシュリーに押し付け、適当な喫茶店で一服してから帰途についたのだった。
なかなかに手強いメイドだ。でもそう簡単に諦めてやるつもりはなかった。
そしてわたくしは早速次の手を考え始めたのである。
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