第二話 メイドの本性を知ってしまった日の話
わたくしの屋敷には、本邸の隣に使用人用の宿舎がある。
そこでメイドも執事も皆夜を過ごしているのだ。普通はもう少し狭々しいものなのだが、ドリクーン家は公爵家にしては使用人が少ない方だしおまけに宿舎が無駄に大きい。ので、もはや家と言ってもいいくらいではあった。
ドリクーン家当主の娘であるわたくしは本来ここへの立ち入りは禁止なのだけれど、今日はこっそり宿舎へやって来ていた。その理由は、今度婚約者の誕生日パーティーの際に渡す手作りの菓子をメイドたちに味見させようと思っていたからだ。
公爵家の娘ともあろうものが料理などと、と父には怒られるに決まっているので、こうして黙って来ている。ちなみに菓子作りはメイド長にお願いして隠れてやらせてもらった。
「こんな深夜には不謹慎かもしれないけど、ちょっとくらいいいわよね」
後でメイド長経由で使用人全員に配ればいいことに気づいたのだが、この時のわたくしはとりあえず自分の手で渡すことしか考えていなかった。
ともかく、そんなわけで足を踏み入れた宿舎。メイドたちに驚かれ、あるいは叱られつつも「少しだけよ」と悪戯っぽく笑って見せると、皆が「仕方ないなぁ」で許してくれるので問題なく皆の部屋を回っていった。
そして試作品の菓子も残りわずかとなり、残りは全部自分で食べてしまおうと思ったところで、わたくしはあの新人メイドのモララにまだ渡していなかったことに思い至った。
けれど無愛想で堅物の彼女のことだ。もしかするとうっかりこのことを父に言いつけるのではないかしら? わたくしはしばし考えた。けれど彼女だけ仲間はずれというのも可哀想だったしどんな反応が返ってくるのかを見たいと思っていたので、結局、モララの部屋へ足を運ぶことにしたのだ。
…………そしてその先で予想もしていなかった光景を目の当たりにしてしまった。
***
「う、うぅっ。うぅぅっ」
モララの部屋の扉をノックしようとしていたわたくしは、中から漏れ聞こえるその声を聞いて不審に思い、思わず立ち止まった。
……これは何? 呻き声? そう思ったがすぐにこれが何であるのか理解する。嗚咽だ。中で誰かが泣いている。
誰かというのは当然、部屋にいるのは彼女一人のはずだからモララで間違いないだろう。わたくしはそこまで考えてギョッとした。あの冷静沈着すぎると言ってもいいモララと泣き声がどうにも一致しなかったのである。
もし仮に彼女が涙するようなことあれば、それはきっと只事ではない。もしかすると、宿舎内にいる男の同僚に襲われて泣いているのではないだろうか。そんな風に考えてしまい、急いでドアノブに手をかけようとした……その時。
「今日も叱られました……。私、やっぱりダメな子なんですよね、わかって、るんです。
私だって遊びたいのに我慢してっ。だって、私、平民に堕ちましたから……。皆さんから嫌われて、私って迷惑なんでしょうか」
次に聞こえてきた声は、そんなものとはまるで違いすぎる内容だった。
――なになに、何が起こってるの!?
理解できないわたくしは目を白黒させるしかない。
そしてその混乱したままの勢いでモララの部屋を開けた。鍵はかけられていなかった。
「モララ!!!」
「――?」
部屋へ駆け込んだわたくしと、驚いて振り返ったモララの視線がぶつかる。
その状態でたっぷり五秒以上。それからモララは息を呑み、
「ひぃっ――!」
今までに聞いたことのない、小さな乙女の悲鳴を上げた。
***
その後は当然、大混乱だった。
幸い隣の部屋まではかなり距離があるので他のメイドたちが駆けつけてくるようなことはなかったが、わたくしとモララは互いに戸惑うばかり。モララなど真っ赤に頬を高揚させ、叫ぶように言った。
「あ、アリーナ様! 一体何の用でございますか。使用人の部屋だからと言って勝手に入っていいわけではありませんでしょう」
必死で平静を取り繕っているが、動揺しているのが丸わかりだ。
わたくしはその剣幕にたじたじとなりながら言った。
「……あなたが泣いているから、一体何事かと思って。その前はきちんとノックして入るつもりだったのよ?」
「な、泣いてなどおりません。アリーナ様の何かの勘違いではございませんか?」
そんなに紅い顔をして言われても全く説得力がない。
これは一体どういうこと? わたくしは理解が追いつかなかった。無愛想で堅物、何事にも無関心。そのモララが部屋で一人で泣いていて、しかも、それを見られて慌てまくっている。
これはあまりにも異常事態だった。
「何か隠し事があるのね?」
「ありません」
あくまで首を振るモララに、私は追撃を放つ。
「先ほど、叱られたって泣いていたの、わたくし聞いていたのよ。観念なさい」
……その瞬間にモララの顔が赤から一気に青白く染まったのをわたくしは見た。
モララの『堅物で無愛想、生真面目なメイド』というのはどうやら仮面でしかなかったようだと、彼女との出会いから数日が経ったその夜にようやくわたくしは知った。
彼女は繊細で可愛い乙女だった。なんたって、同僚に嫌われていると涙を流すくらいなのだから。
それを知られたモララはといえば、ガタガタ震えて「このことはどうか、どうか内密に……」と繰り返す始末。
わたくしはどうして彼女が堅物メイドを演じたいのかよくわからなかったが、とりあえず口外しないと約束しておくにした。その代わり、
「――わたくしの前だけでは素を晒しなさい。その方が可愛いし、面白いわ」
「嫌です」
「バラすわよ」
「嫌です」
「選びなさい」
「嫌です」
『嫌です』しか言わなくなってしまった。
わたくしは頭を捻ったが今すぐにはいい考えが思いつかず、このことは保留にしておくことにした。そして本来の目的であったところの手作り菓子を一緒に食べてから、何事もなかったかのように彼女の部屋を後にする。
「絶対に言わないでください。これはアリーナ様の夢ということで」
「ふふっ、どうかしらね?」
「…………」
人でも殺しそうな目で睨まれた。何なのかしら、この娘は。
わたくしはモララに対して初対面の時の何十倍もの興味を惹かれた。彼女のことを色々暴いてやりたい。好奇心旺盛なわたくしがそう思うのは当然の話である。
周りの使用人に言いふらす手もあったが、それではつまらない。何かもっと面白いことにならないかと考えながら自室へ帰り着いた。
そうして、わたくしとモララの戦い――と言ってもわたくしの一方的な挑戦だけれど――が幕を開けることになるのだった。
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