第十四話 仮に月
スイングバイの最下点で俺達は飛び出した。
最初の衝撃は予想外に速く来た。
そこから激しい回転と
間隔は短くなり
弱まって行く衝撃だ。
「ゴルフボールの気持ちが分かるぜ。」
鍛えに鍛えた俺達でも
コレはかなり堪えるハズなんだが
俺達の中でも強がりNo1のエドは
そう呟いていた。
程なくして
ゴルフボール地獄は終わり
静寂が訪れた。
「野郎共、生きてるか。」
4日振りの重力に内臓がビックリしてやがる。
腸が自分の定位置を定められず蠢いていた。
腹を抑えながらガスは
それでも船長の役割を行う。
「直、死ぬがな。」
副操縦士のエドが皮肉で答えた。
今は生きていると言う事だ。
それでいい。
「うぉおお俺は生きている。
生きているぞぉおおおおお!」
過大入力にスピーカが割れ割れだ。
飛行士のロジャーは元気なようだ。
まぁコイツはいつでも元気だが。
「着陸成功だ。」
「落ちて転がったのを着陸と呼ぶのか。」
「なぁ予定よりも速く落ちなかったか。」
「無駄口はイイ。エド、ロジャー
バルーンの解体に入れ。」
中心部に貨物
その周囲を幾つもの風船で囲い球状にする。
そのまま月面に落ちて転がる。
「これが人類の英知ねぇ。」
バルーンを解体しながらガスは呟いた。
「火星に行く頃には
もう少しスマートな方法になっているさ。」
まぁそんなエチケットよりも
その分、たとえ僅かでも水や酸素を
増やした方が良いに決まっている。
なのでマイクのON・OFFの機能が無い
くしゃみもゲップもまる聞こえだ。
エドはガスの独り言にそう応えて来た。
「二層までやられてやがる。」
バルーンの中身は貴重な酸素だ。
少しでも無事なバルーンが多ければ
その分だけ活動可能時間が増える。
ガスを包んだバルーンは一番外側は全滅。
その次の二層のバルーンも幾つか破損していた。
「俺のもだ。空気も水も無ぇから
岩も鋭利なままだろうぜ。」
ヘルメットの内側に取り付けられた
スピーカーから聞こえるエドも
同じ状態のようだ。
これは全てのミッションをやり遂げるのに
貨物の分のバルーンを当てにせににゃ足り無い事は
大雑把な計算でも分かった。
ガスは焦りを感じていた。
「おぉおおおおお月面だああああ。」
バルーンの外に出たのであろう
感動のあまり絶叫するロジャー。
突然の大声にビクリと反応したと言う事は
ガスの見えている人影
100m程離れた場所に居るのは
エドだと言う事だ。
「うるせぇぞロジャー
お前どこだ。何処に居る。」
「だから月面だぁああああ。
やった!俺達はやったんだ!!」
現在地を尋ねたのだが
見える人影もガスの方を見ていて
お手上げポーズをとった。
エドもガスを認識出来ていると言う事だ。
「見ろ!!イーグル号だ!!」
乗って来た宇宙船だ。
大体の現在位置と方角から
見える空の方角を即座に予想し
ガスは見上げた。
視界に入るエドも同様の判断をしたのだろう
ガスと同じ方角を見上げている。
この時間が止まったような
いや
時間など意味をなさず
存在していない静寂空間に
一つだけ動く光が暗い空を過っていく。
「・・・おぉ。」
エドも思わず声を漏らした。
ガスも目に涙が自然に浮かび上がっていた。
「ありがとーっ!
ありがとーイーグル号!!
ありがとーっヴェエルナー
お前はやっぱり天才だああああ」
最終加速を終え
宇宙の彼方に向け
イーグル号は見る見る離れて行った。
残すワケにはいかない。
あってはいけない証拠は
残せない。
割り当てられた無線電波を頼りに
3人は合流した。
「軽いのはイイんだけどよ。
ちっともゆっくりじゃねぇぞ。」
予想よりも着地の衝撃が速かった原因だ。
「落下の加速は変わらんのだな。」
月面だからフワフワする。
それは間違ったイメージだ。
変わるのはインパクトの強さだけで
落下速度自体は地球と同じだ。
見た目の挙動も何ら変わりは無かった。
「まぁそうで無きゃ
ガリレオも困るだろうさ。」
重い物は速く落ちるは間違い。
これは転じて
重力が大きくても速く落ちないと言う事だ。
月の重力が弱い(軽い)からといって
物はゆっくり落ちない。
「スタンの奴の作った映像。
アレでいいのか。」
ロジャーが本気で心配していた。
出発前に完成図として
3人は月面着陸の映像を見ていたのである。
そこにはフワフワと動く自分達の代役が
月面での作業を行っていたのだ。
「まぁ本物は本物っぽく見えない。
って本人も言ってたな。」
「目くらましにはアレで正解なんだろうよ。
時間が無ぇさっさ行くぞ野郎共。」
続きそうな雑談をバッサリと切るガス。
「おぅ!」
「だな。早いとこ片づけちまおう。」
エドもロジャーもプロだ。
素早く切り替えると
3人は作業に入る。
月着陸の証拠作りだ。
先に出来た映像に合わせ
着陸船の下半分を建設し
星条旗を立て
各種の計測器を設置しなければならない。
貨物は重さの差から
転がる距離が3人より短くなった。
数キロ離れた場所に点在している事が
ビーコンで分かった。
そこに行かねばならない。
行軍は難航した。
重い物体程下に行き
軽い重量の物体が表面を覆っている。
足の裏の面積を拡大する
短いスキー板の様なオーバーコートを
装着しても足が沈み込みそうになる。
そんな中
最初の犠牲者が出た。
すり鉢状の岩盤が下にあるのだろうか
先行していたロジャーは
蟻地獄、底なし砂に飲まれた。
「悪ぃ!後頼むわ。」
ロジャーはそう言うと
自らの生命維持装置や
水、食料をガス達に投げてよこした。
「放せガス!!ロジャー
ロジャアアアアーっ!!」
エドまで失うワケにはいかない。
ガスは助けに行こうとするエドを
羽交い締めにした。
親指を立て
砂に消えて行くロジャー。
その手が完全に見えなくなってから
ガスは泣いた。
「どうせ、俺達も直ぐに行く
ちょっとだけ待ってろロジャー。」
二人になった事からも
作業は予想以上に手間取った。
特にエドが苦しそうだった。
「お前ぇ血ィ吐いてるだろ。」
オンオフの無いマイク。
息遣いも
のどに詰まる液体がある事も
ガスには分かった。
「どんなに鍛えても
放射線には勝てないな。」
ここまで旅路で
人が浴びる許容量を
遥かに超える放射線を
3人共浴びてしまっているのだ。
更に月面での反射で
宇宙船の中に居た時よりも
厳しさは増して
見えない悪魔は
瑞々しく弱弱しい細胞を
面白い様に壊し続けていた。
「お前さんのモルヒネまで
使わせて貰ったってのによ。
情けないぜ。」
「二人じゃなきゃ出来無ぇ作業は
仕方が無いが一人で出来る作業は俺がやる。
お前ぇは休んでいろ。」
「済まねぇ、有難くそうさせてもらうぜ。
疲れた・・・本当に疲れた。」
そう言うとエドは
お誂え向きに椅子みたいな形の岩に
腰掛けると背を預けた。
自分の分のバルーンは使い切った。
ロジャーの装備に助けられ
酸素を補充した。
自分の宇宙服の酸素
これを使うのは最後の最後だ。
一人で出来る作業を続け
最後の作業に入る前に
ガスは手を止めた。
「これは・・・二人でやらないか。」
星条旗だ。
これを月面に突き刺すのだ。
「なぁ、おいエド。」
エドのマイクは
もう何の音も拾っていない。
「・・・二人でやろう。
いや、3人だ。
ロジャー、お前も来い。」
ガスはそう言うと
エドに肩を貸し
中身を使い切り空になった
ロジャーの装備を
もう片方の肩に背負った。
そして月面に星条旗は立った。
「人類は月に来た。
これは紛れもない真実だ。
アメリカは止まらない。
かび臭いイギリス人にも
チーズ臭いフランス人にも
共産主義の熊共にも
東洋の黄色い猿達にも
俺達は止められない!
あった国じゃない
アメリカは一から
何も無い荒野に一から
アメリカ人が作り上げた国だ。
そして遂にここまで来たんだ。
これは真実だ!
ここに
今
ここにアメリカ人は居るんだ!!
どんなに死体を積み上げようとも
アメリカは決して止まらない
最初から今でもいつまでもだ!!」
自分の装備
自らの残りの酸素量を確認したガスは
いよいよその時が来た事を悟った。
クレバス
大地に刻まれた傷のような渓谷は
まるで笑っている口元の様にも見えた。
ヒューストンが言うには
深さ100mを超えるそうだが
どうでもイイ
見つからなければ良いのだ。
十分にその深さはある。
どの時間でも太陽光が
底を照らす事は無い。
どんな探査衛星が来ても
見つけられっこ無いさ
エドもロジャーの装備も
バルーンその他
アポロが持ち込んでいないモノは
もう全て飲み込ませた。
後は自分だけだ。
爆薬の起動時間が迫る。
落ちる瓦礫に少しでも
隠してもらわねば
先程、設置を終えた地震計は
俺達の最後の時を上手く
地球に送信してくれるだろうか。
ガスは渓谷を背に
遥か先の高さ数百メートルを超える
クレータの縁を見た。
「スタン・・・やっぱりお前の
映像はしょぼいよ。
月は・・・月は小さくなんかない
広大だ。
こんなにも広大だ。
あんな星の王子様が居そうな
ちっぽけな風景じゃない。
ちっぽけなのは俺達人類だけだ。」
地球が上る。
母なる青い地球を最後に目にし
ガスは最後のミッションを実行した。
「仮に
仮にこの後
月に誰か来たとしても
どうか俺達は放っておいてくれ
俺達はとっくに死んだ人間だ。
アポロ1号と共に燃えた死人だ。
ここには居ないんだ。
あぁニール
済まないニール
お前には損な役割を押し付けちうなぁ
・・・あいつ怒ってるかな。」
深い谷底で
ガスは再び仲間と合流した。
現在、アポロ着陸場所の上空は飛行禁止とされているそうです。