不滅の聖女
わたしは死なない。
わたしは負けない。
わたしは傷つかない。
わたしは無敵だから。
わたしは不滅だから。
だから、誰もわたしを殺せない。
不死身の聖女。
それこそがわたし――。
『グギャァルルルルルルルルルルッ!!』
『ヴェッ、ヴェッ、ヴェッ、ヴェッ』
『ウォォォォォォォォォォォォォンッ!』
『キュギィィリィィィィィィィ!』
『ギギギギギギギギギギギ』
『シュルルルゥ、シャアッッ!』
巌のような、鬼のような外見をした魔族。
鼻息荒く呼吸を重ねる闘牛の魔族。
狼みたいな毛皮に包まれた魔族。
よだれを垂らした蟷螂のような見た目の魔族。
長い舌を不気味に揺らす蛇頭の魔族。
敵の正確な数はわからない。
わかるわけがない。
だって、目に見える全てが敵だ。
地平線までもが、敵に埋め尽くされている。
たぶん、千や二千じゃきかない。
一万、いや……もっといる。たくさんいる。
ぞろぞろと。
うようよと。
うじゃうじゃと。
まるで群れを為す獣の行進だ。
「今日はずいぶんと頭数が多いですな。ええ、少なくとも十万匹はくだらないでしょう」
城壁の前、ずらりと並んだ大規模な軍隊。
傷一つない銀の鎧を揃いに纏う軍人達の最前列。
帝国四大都市カランザ北壁要塞の指揮を取る、簡易椅子に腰を据えた中年の男が、わたしに言葉を投げてきた。
魔族の大群を見据えたまま、わたしは言葉を返す。
「わかってる。べつに、数は関係ない。十万だろうと百万だろうと、わたしのやるべきことは変わらない。あなた達はいつも通り、城壁前に防御陣形を布いて。もしも私が負けたら、そのときはお願い」
そう言うと、なぜか中年の指揮官は笑った。
「はっは、ご冗談を」
「冗談?」
眉根にシワを寄せ、今度こそわたしは男に振り向いた。
鼻を指す、強烈なアルコールの匂い。
顔を歪めて不快を示すわたしには一切構わず、男は酒瓶を傾け喉に直接流し込む。
「ええ、あなた様が負けるなど、万が一にもありえませんからね。いや、あってはならないと言ったほうが適切か。仮にあなた様が敗北したとすれば、それは即ち我々の全滅を指しているのだから」
何ともないふうに、男は言った。
まるでそれが運命だとでも言わんばかりに。
男の言うこともわからなくはない。
たしかに攻め行ってきている魔族の数は今までの比ではないし、対する兵力はその10分の1以下だ。
そして、戦を経験したことのある兵士はもっと少ない。
現実的に見て、勝ち目は薄いだろう。
でも、それでも――。
少しだけ、腹がたった。
「やってみる前から諦めるの? あなたたちの役目はこの都市の防衛でしょ? 指揮官のあなたがそんなふうじゃ、兵たちに示しがつかない」
「いやはや言い返す言葉もございません。しかし、あの数の魔族を前に、勇姿を振るえる兵士は果たしてこの場に何人いましょうか。聖女様無き戦場など、戦闘にすらなりませぬ。我々はあなた様と違って、なんの『祝福』も持たぬただの凡人なのだから」
「だからって――」
己を悲観するような発言に、わたしは反論を唱えようとして――
『早く行けよ』冷めた視線が、突き刺さる。
『聖女様がんばって〜!』城門の上では子どもたちが無邪気に手を振っているのが見える。
『早く終わんねぇかな、帰りてぇ』談笑する兵士たちのひとりが、そう言った。
誰も、心配などしていない。わたしを。
勝つとわかっているからだ。わたしが。
微塵も敗北することを疑っていない目。
純粋で、残酷で、なんて平和な世界。
「……みんな、幸せそう」
きっと世界はみんなに優しいのだろう。
その中に、わたしは入っていないけれど。
「聖女様、本日もよろしくお願い致します。我々の平穏を脅かす害悪な魔族を討ち取り、どうか無辜の民をお守りください。どうか我らが不滅の聖女様に勝利あらんことを」
「「不滅の聖女様に勝利あらんことを――!!」」
男の発言を、兵士達が揃って復唱する。
それを合図に、喝采が湧き上がる。
胸が苦しくなった。
「……。――出る」
それだけ言って、わたしは戦場に飛び出した。
魔族の大群の前に躍り出ると、眼前。
『ギィッ、ギィッ、ギィィィリィィィィ!!』
巨大な猿のような見た目の魔族が、これまた巨大な大剣を頭上から一気に振り下ろす。
剣はまるで石包丁のような見た目をしている。
刃はざらざらとしていて、柄の部分には薄汚れた布が巻いてあるだけの簡素な造り。
いかにも切れ味は悪そうだが、力技で押し斬るのだろうから刃の切れ味などは関係ない。
あれは当たったら痛そうだ。
一瞬、防ごうか迷って、やめた。
『ギィィィィィッ!!』
猿の振るう大剣を、わたしはその身で受けた。
「っ」
普通の人間なら、即死だったろう。
でも、普通じゃない人間のわたしには効かない。
猿の振るった大剣は、わたしの身体をすり抜け、そして勢い良く地面にかち当たる。
直後。猿の肩口から腰までが大きく裂けた。
まるで自分の放った攻撃が、そのまま跳ね返ったかのように。
『ギギャっ!?』
面くらったように、猿の魔族は目を見開き、間抜けな声を上げた。
「っ、ぁぁぁぁぁぁぁぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ッ!!」
そんな猿の胴を、わたしは両手持ちした『聖剣ヲリキス』で躊躇なく両断する。
鏡面のように鋭利な断面をさらし、猿の胴体が真っ二つになって崩れ落ちた。
「つぎ」
踏み込み、更に違う魔族をわたしは斬った。
蛇のような魔族の硬い鱗を断ち斬り、狼のような魔族の毛皮を紅に染め、蟷螂のような魔族の腕を鎌ごと斬り落とした。
バカのひとつ覚えみたいに、斬って斬って斬り続ける。それをひたすら繰り返す。
そうこうしているうちに、周囲に魔族がいなくなっていた。
まさか全部殺し尽くしてしまったわけではあるまい。
「……?」
無心で斬り続けていたからわたしは気づかなかった。
見れば魔族はわたしと一定の距離を取っている。
次の瞬間、シュパパパパパ、と乾いた弓鳴り音。
弾かれたように空を見上げる。血で染まる真っ赤な大地とは正反対の、ひどく眩い青い空から無数の射矢が落ちてくる。
敵も無能ではない。わたしに斬撃は効果なしと悟ったのだろう。敵は中距離からの間接攻撃を仕掛けてきたようだ。
「むだなのに」
直後、幾重もの矢が、わたしの身体を貫いた。
雨のように射られた大量の矢が周囲に降り注ぐ。
だが、その全てがわたしの身体をすり抜ける。
何度やっても同じだ。
どれだけ工夫を重ねようと結果は変わらない。
わたしに攻撃は通用しないのだ。
なぜならわたしは――。
「反響する愛の拒絶」
わたしは敵から受けたあらゆる攻撃を撥ね返す。
『グギャァっ』
『ンギィィィ!?』
『ヒィィィッ』
『グェアガっ?!』
戦場に響く魔族の悲鳴。
攻撃を仕掛けたはずの魔族の身体に、まるで矢にでも穿たれたような穴が幾重にも出現し、矢を放った魔族たちの口からどす黒い血が溢れる。
今の一瞬で千を越える魔族が倒れた。
魔族は混乱している。
ひどく怯え、恐れている。
攻撃の通じない、不死身のわたしに。
今が好機だ。
わたしは聖剣の力を開放した。
「聖剣開放!!」
聖剣ヲリキス――その固有能力は『諸刃ノ剣』。
所有者の身体の一部を代償に、途方もない威力の攻撃を発動するという究極の自傷強化能力。
代償に捧げる供物の量や質に比例し、聖剣は力を増す――故に〝諸刃ノ剣〟。
傷を負わない不死身のわたしとは相性がいい。
わたしは開放した聖剣ヲリキスを中段に構えた。
「まずは、左腕一本分」
直後、わたしの左腕が喰われると同時、誰の目にも止まらぬ速度で瞬時に左腕が生え変わる。
《可憐なる愛の奴隷》。
そう、それがわたしに与えられた神の祝福。
斬撃を受けても死なず、矢で射抜かれようと倒れず、浴びせられた魔法を全て撥ね返す。
他所から見れば、まるで攻撃がわたしの身体をすり抜けている――かのように見えるが、実際は違う。本質的に異なっている。世界はどこまでもわたしに甘くない。
ぱっと紅い血の斑点が舞った。
そして次の瞬間、――左腕に激痛。
「ッ、――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっッ!!」
《可憐なる愛の奴隷》は、この身に受けたありとあらゆる攻撃を無効化しているわけではない。そんな便利な能力だったのなら、どれだけ良かったことか。
――再生しているのだ。
攻撃を受けた瞬間、
傷を追った直後、
まるで傷など最初からなかったかのように、
誰の目にも止まらぬ速さで、
誰にも気づかれることなく、
わたし自身でさえ気づくことなく、
わたしの身体は再生する。
上位魔族が有する超即再生などとは比べ物にならぬ速さで、細胞レベル、繊維、末梢神経に至るまでが再生し、傷という概念を覆し、死という終わりを否定する。
それがわたしの持つ祝福――。
負傷を知らず、死を撥ね返す、異常なまでの再生力。
限りなく不死身に近いわたしは無敵の存在だといっても過言ではない、――だが。
どこまでいっても所詮は再生でしかないわたしの祝福は、万能という2文字には程遠い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい――ッ。
傷は負わずとも、余韻のように『痛み』だけは残る。
祝福はわたしに正当なる代償を求める。
世界はどこまでも、わたしに甘くはない。
「かっ、ぅ……ぁ"ぁ"ぁぁ……ッ」
神経が焼け切れるような痛みがわたしを襲う。
左腕を捧げた代償がわたしを苦しめる。
痛いは我慢できる。
でも遮断はできない。
どれだけ痛みに慣れても、痛いものは痛い。
「ッ、ぁ……ぅっ」
壊れてしまいそうだ、わたしが。
痛くて痛くて痛くてどうしようもなくて。
でも、死ねなくて。
誰かに殺して欲しいと幾度思ったことか。
何度神に願ったことか。
痛いのはいや。
どうしてわたしなんだ。
どうしてわたしが戦わなきゃいけないんだ。
本当はわたしは戦いたくなんかないのに。
助けてほしいのはわたしのほうなのに。
もう、楽になりたい。
死んでしまいたい。
消えてしまいたい。
でも――、
「わたしが戦わないと、みんな死ぬ」
無辜の民を守り、国を害する敵を撃つ。
戦いこそが、わたしに与えられた存在価値。
戦いだけが、わたしに許された存在理由。
戦いだけが、わたしの生きる意味で。
戦場こそが、わたしがいるべき場所。
そう定義しなければ、わたしは戦えなかった。
「―――」
捧げた左腕を代償に、聖剣が真価を発揮すべく、その銀紅色の刀身が淡い紅の光りを放つ。
わたしは一瞬ふりかえって、背後を確認した。
もしも後ろに味方がいたら、巻き込んでしまうと思ったからだ。
でも、そんな心配はいらなかった。
わたしの後ろには、誰もいなかった。
兵士たちは皆、わたしのずっとずっと後ろで、わたしの戦いを見守ってくれている。
誰ひとりとして、わたしと一緒に戦ってくれる愚かなかな人間はいない。
いつものことだ。
歯を食いしばり、痛みを噛み殺す。
視線を戻し、わたしは聖剣を振り抜いた。
「打ち滅ぼせ! ヲリキスっ!!」
誰かが傷ついてしまうくらいなら。
誰かが死んでしまうくらいなら。
そんな不安に怯えてしまうくらいなら。
わたしが戦えばいい。
わたしが戦えば、誰も死なないのなら。
わたしが戦うことで、誰も傷つかないのなら。
「傷つくのは、わたしひとりでいい――」
たとえ幾度殺されようとも、決してこの身が滅ぶことはないのだから。
傷つき、血を流しながら、それでも戦い続けるわたしを見て――。
『不滅の聖女』と、誰かがわたしをそう呼んだ。
わたしにぴったりの名だと、そう思った。




