何日かお風呂に入らないくらいで女の子は臭くならないらしい
目の前を、馬車が通り過ぎていった。
道の端では子どもたちがわいわい戯れていて、街の大通りらしい通りには街を行き交う様々な身分の人々が見受けられる。
行商人風の格好をした男だったり、街に在住していると思しき平服のカップル。中の良さそうな家族連れに、襟の付いた黒い学生服を身に纏った集団。
街を警備する鎧を着装した兵士もいれば、中には傘を差した貴婦人もいる。それとは別に、ぼろぼろの格好をした痩せた男も目についた。
街の外観。文化レベル的には、中世ヨーロッパ辺りが妥当だろうか。
建物のほとんどはレンガでできている。
とにかく、賑やかで平穏な街だ。
それらを横目にそれらしい感想を抱くのは、街の装いには全く馴染んでいない黒髪長身の異邦人。
何を隠そう、シドである。
「――というわけで、やって来ました新天地!!」
テンション高く、両手を上げてシドは伸びをした。
何がというわけかはさておき、シドは今、新たな世界に来ている――いや、降りている。
美神から簒奪した権能『世界転移システム』を手に入れたシドは、今やもうどの世界線だろうと好きに行ったり来たりできるわけであるからして、これはもう自らを神と名乗っていいのではないかというレベルの所業。
「――故に、我は降りたった」と。
言い直したのは決してカッコいいからという安直な理由ではない。
「そう、決して俺は末期の厨二病患者なんかじゃない」
そう言って黒いマントを翻すと、それを見ていた通行人があからさまに『やべぇこいつ』みたいな顔でシドを避けていく。
『チューニビョーってなに?』と、この場にノアがいたなら首をひねることだろう。
だが現在、シドの隣にノアの姿はない。
自由奔放、飽き性でわがまま気質の高いノアは、シドが目を離した隙に屋台で綿あめを買っているのだろうか? 否、それは違う。
ならばあれだけシドにぞっ婚しているノアが、あえて別行動を取っているのかと。
いいや、それも違う。
残念ながらこの場に、いや、文字通りこの世界にノアはいないのだ。
それはなぜか?
結論から言えば、シドは敗北した。
数多の英雄を屠り、ひいては神々さえ亡き者にした『簒奪者』シドが負けた。
虚偽でも誇張でも、ましてや比喩や揶揄などではなくシドは負けたのだ。
完敗だった。惨敗だった。
抗うシドを嘲笑うかのように。
まるでそれが運命であるかのように。
そしてあろうことか、ノアの心はヤツに奪われてしまった。
思い出すだけで、胸が張り裂けそうな痛みがシドを襲う。
「……っ、ノア」
あれは、数々の世界で暇つぶしという名の「俺Tueeeeee」を楽しんだ後のことだ。
楽しみすぎて疲れたシドとノアは、美神ラフィア・エレ・エステニアに勝利し手に入れた『白紙空間』で腰を落ち着かせていた。
当初はガランとしていて物寂しい白紙空間だったが、ラフィアを殺したことにより空間の主導権がシドに移譲し、空間のレイアウトを自由に創造することが可能となった今、リビングやらキッチン、ソファーにベッドと、シドは空間に自分好みの家を建てた。
ここまでは順調だった。
いや、順調すぎたのかもしれない。
今思えば、問題は、シドの記憶にあるものなら何でも産出できる空間再現能力が便利すぎたのが全て悪い。
「わたし、しばらく引きこもる。オソトコワイ」
シドが記憶から再現したダブルキングベッドに仰向けに寝転がり、宙で組んだ白い足をゆらゆら揺らしながら、ノアはシドの元いた現代世界最高峰の最も適した堕落の限りを示し象徴する体勢でそう言った。
「嘘つけ。漫画が気に入っただけだろおい」
ベッドの脇を横目で見れば、すでにノアが読み終わった漫画や雑誌が乱雑に散らばっている。
それらも全て、シドが元いた世界の漫画を改めて再現したものだ。
「そんなことないし。誰かが書いた薄っぺらい紙切れなんて、これっぽっちも面白くないし」
「にしてはお前、ずっと読んでるじゃん」
ぺらっと片手で漫画のページを捲りながら、もう一方の手で塩で味付けされたポテトチップを口に放る。
よほど漫画をお気に召したのだろう、ノアはシドをちらりとも見ずにつぶやいた。
「ただのひまつぶしぃ」
ここ最近、ずっとこの調子だ。
シドがいくらカマチョしても「今いいところだから後でね」と軽くスルーされる始末。
もう何日目になるだろうか。
「風呂入れって。そろそろ臭うぞ」
「嗅ぐ?」
「残念だが俺にそんな性癖はないんだ」
「とか言って、ほんとは嗅ぎたいくせに」
「それより一緒に風呂に入りたいんだが」
「また今度ね」
「そう言って何日経ったよ。不潔だぞ。ファンが減るぞお主」
「あのねシド」ノアが真面目な顔をする。
「ん?」
「女の子はね、何日もお風呂に入らないくらいで臭くならないの。いい匂いしかしないんだよ。だって女の子だから。女の子はおトイレにも行かないし、もし嘔吐するときも口からは虹が出てくるの」
それを聞いて、数秒シドは固まった。
「……それ、誰に聞いた?」
「漫画にそう書いてあった」
自信に満ち足りた返答が返ってきた。
「重症だな……」
シドは指で己のこめかみを抑えた。
「いいから風呂に入れって、脱がすぞ」
「えっち」
「うるせぇ」
「いーやーだー。シドのスケベ」
早速漫画で覚えた単語を披露するノア。
シドは「ぐぬぬ」と歯噛みする。
こうなったら仕方ない。奥の手だ。
「俺をスケベ呼ばわりするかノア。ああ、そうかい。じゃあいい。俺ひとり新しい世界に遊びに行くからな。お前はひとりで留守番でもしてな」
名付けて『置いてっちゃうぞ作戦』だ。
これはノアみたいにわがままな幼女にはかなり効くはずだ。
『やだっ置いてかないでシド! 私も一緒についてく!』
泣きそうな顔抱きついてくるノアの姿がでシドの脳内に浮かぶ。
はは、どうだ!!
シドは横目でちらりとノア見る。
「わかった。お土産期待してる。新しい漫画とか」
「あっそう」とでも言いたげな様子で、ノアはシドには一瞥もくれずに漫画を読んでいる。
シドは顔には出さずに愕然とした。
予想を裏切られたシドの顔には動揺が浮かんでいく。
「いいんだな……? 本当に行っちゃうぞ……? 本気だぞ……!?」
「うん、いってらっしゃい」
シドの必死な抵抗も虚しく、ノアはひらひらと手を振りシドに追い打ちをかける。
完全敗北だった。
ノアに背を向け、とぼどぼとシドは歩く。
その背中はまるで停滞期にサバサバ系と化した彼女にフラレる彼氏のようであった。
「あ、待ってシド」
そのとき、ノアがシドの背に向け声をかけた。
ぴたりとその場でシドの歩みが止まる。
シドの心境は泣きそうなほど嬉しかったことだろう。涙を浮かべて振り返るシドの顔を見ればわかる。
「ノア、お前やっぱり――」
振り返ったシドの瞳に、ぴっと親指を立てたノアの左手が映った。
満面の笑みだった。
「あいるびーばっく!」
「お前それ言いたいだけだろっ!?」
下まぶたに溜まった涙を服の袖で拭いながら、シドはノアの元から逃げ出した。
――ということがあり、現在に至る。
そう、シドは敗北したのだ。漫画に。
「いいもんね、俺ひとりで楽しんじゃうからっ」
今更何を言っても負け惜しみにしか響かない。
はぁ、とシドはため息をついた。
「でもなぁ、無双系はもうお腹いっぱいで飽きちゃったしなぁ」
かと言ってただ適当に美食を求めて世界食べ歩きするのも退屈だし、そろそろボキャブラリーを増やしたい盛りではある。
いっそのこと冒険者になるのはどうだろう。モンスターを殺して金を稼ぐ。そしてすきあらばハーレムを気づくという、男の子なら誰でも憧れる定番ファンタジー。
「けどそれも結局主人公最強路線から降りられないんだよなぁ。てか俺もう魔王とか従えちゃってるし」
なにかないか。もっとこう、テンションが上がる系のやつ……。
旅する系はどうだろう。
「いや〜、でも転移使えば一瞬で次の街に着いちゃうし。ん〜、街作りのシュミレーションとかやろうかなぁ」
王国作りのシュミレーションゲームは元いた世界でも好んで遊んでいたジャンルだ。
スライムが王国を一から作るというストーリーのラノベがあったことをシドは思い出す。
「懐かしいなぁ……元いた世界か」
薄れつつある遠い記憶。
もう父や母の顔すらろくに覚えていない。
頻繁に世界間を行き来している影響で、時間軸がバラバラになって正確な年月は測れそうにないが、シドの感覚では何十年も昔の話に思える。
戻ろうとすれば、戻れるのかもしれない。
あの世界に。
生涯シドが送るはずった、平凡な日常に。
世界間を行き交うためには、何千何万とある無数の糸の束から行きたい世界を探し当てるという途方もない手間と労力が必要になるがしかし、その中には必ずシドがいた世界の切符もあるはずだ。やれないことはない。
何しろ今のシドにはそれができてしまう。
元いた世界に未練など欠片もないが、全く戻りたくないと言えば嘘になる。
当時未成年だったため手を出せなかった煙草や酒にはかなり興味がある。
「日本酒飲んでみてぇなぁ……」
他にも完結まで読んでいない漫画やラノベが多数存在しているし、それを見たいがためだけに戻るのも悪くはない。
「ラノベとか今はどんなジャンルが流行ってんだろうなぁ。たしか俺がいた頃はサオの影響でほとんど主人公最強系ばっかだったし」
何を言おう、シドが主人公無双ばかりやるのはサオの影響だと言っても過言ではない。
「ヤバイ、いっきに帰りたくなってきたな……これがホームシックってやつか!!」
魔法概念のない機械化現代でチート無双したら楽しいだろうなぁ……などと、妄想にふけってシドの横。
「ん?」
厳つい顔の軍人数名とすれ違った。
よく見ればこの短時間ですれ違う軍人が増えた気がする。
何やら周囲が騒がしくなってきた。
シドは『コンニャクホンヤク』ならぬ、『言語通訳』スキルで聞き耳を立ててみることにした。
「おいおいまたかよ、面倒くせぇ」
「思っても口には出しちゃいかんだろビル。上官に聞かれでもしたらどうするんだお前」
「どうもこうも。上官も上官、アラン中将まで文句言ってんぜ?」
「そりゃ言いたくなるだろう。昨日に続いて今日もだ。やつらも懲りないねぇ」
「どうせ俺らの出番はないんだから、非番まで担ぎ出さんくても罰は当たらねぇと俺は思うんだが?」
「そう言うなって。これも仕事だ」
「仕事ねぇ……」
「ただ突っ立ってるだけでいいなんて、これ以上楽な仕事はないだろ」
「ははは、違いねぇ!」
「中将はまた酒でも始めるんじゃねぇか?」
シドの隣を、三人の軍人が通り過ぎていった。
すれ違う軍人は皆、似たような腑抜けた面で談笑し合っているのがほとんどだ。
話を聞いた限り、今から戦いが起こるらしいが、呑気なものだ。
シドは大通りに並ぶ商店のひとつに立ち入った。
店の前には数種類の串焼きが並んでいる。
串焼きの札にはミミズみたいな文字で商品名か何かが記載してあり、言語スキル『世界文字』を所持していなければ、文字の解読に学者が数年を要したに違いない。
改めて翻訳系のスキルは万能だと思い知る。
略奪しておいて正解だった。
シドは串焼きを指差し、強面の店主に話しかける。
「おっちゃん、この……ピグの串焼きってのひとつくれ」
「あいよ、60ポップね」
「OK。60ポップ、60ポップと……」
サイフの中の硬貨を漁っていると、店主がシドのサイフに気づいて少し目を見開いた。
「おっ、いい財布持ってんね兄さん。貴族かなんかかい?」
「ん? ああ。まぁ、そんなとこ」
シドは少し言葉を濁した。
流石に盗んだサイフとは言えない。
今度からはスル相手を気をつけよう。
シドはキラキラ宝石の誂われたサイフから銀の硬貨を1枚摘んで店主の前に出した。
「おいおい銀貨じゃねぇか兄さん。銅貨はねぇんですかい? これじゃあ釣り銭が銅貨だらけになっちまいますよ」
「チップだよ、釣りはいい」
文字や言葉は理解できても、その世界毎の金銭感覚まで把握できるスキルはシドにはない。
しかも世界を渡れば過去の硬貨は全く意味をなさない石頃同然の価値となってしまうため、多少色を付けて硬貨を支払ってもシドには痛くも痒くもない。
というか、そもそもが盗んだ金だ。
「マジか!? ありがたいねぇ。さすが貴族様だ」
なんて言いながら、店主は笑みを浮かべてピグの串焼きとやらを数本袋に入れてシドへと手渡した。
「そう言えば、軍人が騒がしくしてるけど何かあったのか?」
受け取った袋からピグの串焼きなるものをひとつ取り出し、シドは店主にそれとなく話題をふる。
ああ、と店主はひとつ頷いた。
「恐らく、また魔族のやつらが攻めて来たんでしょうな。ここアルダムは魔族の領土が近いもんで、いや最近は魔族の襲来が多いんですよ」
「ああ、この世界では魔族って呼ばれてるのか」
魔族とは――と、皆まで説明する必要はないだろう。
ファンタジー世界御用達の魔族ことモンスターは、どこの世界にも湧いて出る。
「でも、魔族が攻めて来たにしては危機感が足りてないんじゃないのか? 軍人以外、みんな落ち着いて見えるが」
「まぁ、慣れってやつですよ。なにせ俺がこの街で生まれてこの方、一度も魔族の連中が街の中まで侵入してきたことはないんでね。ほんと『聖女様』さまさまだ」
聞き慣れない単語を耳にし「聖女?」とシドは店主に聞き返した。
店主は「ああ」と頷く。
「聖女様がいなけりゃ、人間なんかはとっくに魔族の糞になってる。魔族領が近いこの街が平和なのも全て聖女様のおかげさ。だから俺たちはこうして魔族にも怯えず生きていられる。なーに心配いらねぇさ。今日だっていつも通り、聖女様が俺たちのことを守ってくれるんだからな」
街を見回す店主。
誰も彼もが安心しきった顔で、さっきまでと変わらず街を行き交っている。
魔族の襲来に怯えている者は誰もいない。
そればかりか「聖女様が魔族と戦うんだって! みんな見に行こうぜ!」なんて言って、子どもたちや一部の大人が城壁上の見張り台へと駆けていく。
戦争や闘争を知らない平和ボケしたような顔で。
「兄さんも一度くらいは聞いたことくらいあるだろう?」
シドに向き直り、店主は鼻を高くして言った。
「この街を守ってくれてるのは他の誰でもねぇ。聖女の中でも最強と名高い『不滅』を冠する第四聖女――アリステア・アルファーナ様だ」
皆様お久しぶりです!
能力奪う系ちーと、更新です!
1年ぶり? 2年ぶり? とにかく心機一転新章突入致しました!
物語中でシドも述べましたが、筆者としましてもネタに困っている今日この頃なわけです。なにせ当初、筆者が書きたかった無双系はすでに書き終えてしまったからでして……。
次なにを書こうかな、と。
なにか書いてほしい設定やらアイデアなどがあれば、コメントとして残してもらえると、筆者としてはとてもありがたく思います!
※代表作『レベル0のイレギュラー』の気分転換として『奪う系チート』を執筆しているため、不定期更新となります。
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