ニコラシカ
「なにこれー。かわいいですね! センパイ!」
後輩を連れてバーに来た。
仕事のストレスが限界を超えた時に来る、落ち着いて一人で飲めるこの店は、私のお気に入りで穴場だ。なによりナンパしに来る軽そうな男がいないのがとても気に入っている。
店内は席数が少なく、カウンター8、テーブル8席程度。紺を基調にした内装は、暖色の間接照明で照らされていて、隣の隣の席に座っている人物の顔を確認するのも一苦労だ。それだからこそ他の席に誰も干渉しようとせず、店主の出すカクテルを純粋に味わえるのだ。
そしてメニュー表の写真を楽しそうに見つめる後輩。
かわいらしい見た目と、地に足がついたしっかりした実直さ。愛想のいいころころ変わる表情。いかにも女の子然としたコンパクトな見た目と裏腹、着やせするのは一部の女子社員しか知らない彼女の秘密のセールスポイント。
そんな誰からも愛される彼女が私と飲みたいと突然言い出し、金曜日の夜にまともに飲めるところはここしか知らなかったので連れてきた。
メニューとにらめっこして2杯目を悩んでいた彼女言い出したのは、先ほどのセリフ。
覗き見る、というか見てくださいと指さしたのは、ニコラシカ。
レモンの輪切りがショットグラスの上に載っていて、レモンの真ん中にこんもり盛られた砂糖がまるで麦わら帽子をかぶった貴婦人のようで、とてもかわいらしい見た目のカクテル。
しかしその外見を裏切るように、ニコラシカは割りもの系でなく、ショットグラスに注がれているのはブランデーのみ。飲み方は簡単。まずレモンの輪切りを口に含み、ショットグラスを一気に煽る。口の中でレモンと砂糖をブランデーを混ぜ合わせ飲むスタイルはかわいらしい外見と違い、飲んだものに強烈なパンチを食らわせる代物だ。
「それ、ブランデーよ? 貴女、お酒強くないじゃない」
香りづけとして多用されるブランデーだが、そもそもは非常に度数の強いお酒だ。度数は40度もあり、それをショットで一気に煽るとなると大抵は腰砕けになる。
「えー。でもちょっと見てみたいです。帽子被ってるみたいでかわいいのに……」
顔文字のしょぼんのような、本当にしおれるような顔。
かわいらしい見た目。実直な態度。それなのに、たまに見せるあざとさ。
私が男より女が好きで、こっそりと彼女を狙っていた事を、勘付かれているのかもしれない。ここで私をつぶして、解散という流れか。
なかなかうまくいかないものだ。
「じゃあ、私が飲んであげる。でも一杯だけだからね」
「やったー! ありがとうございます!」
にっこりと大輪のひまわりのような笑顔。本当にかわいらしい。この顔が見れただけで、今日は大収穫という事にしよう。
出されたニコラシカを一気に煽りながら、私は中々手強い彼女の顔を見た。
「よっこいしょ」
ベッドの上に尊敬する彼女を寝かせた。
上気した顔でかすかにうめき声を漏らす彼女。
ばりばりのキャリアウーマン然とした見た目。レイテツでいかにも仕事女子、な見た目なのに、実は気づかい屋さんで上司や同僚からの信頼が厚い第二営業部の課長。私の先輩で上司。
度数の強い眼鏡が理知的でとても似合うけど、今は寝にくそうだからそっと外して枕元に置いた。
「センパイ、これ飲んでください」
テレビの横に置かれた、どこで売っているのかよくわからないミネラルウォーターのラベルをはがしながら、私は先輩の頭を自分のモモの上に置いた。
小さい頭。完璧なメイクは、少し汗ばんでいるせいで崩れかけている。元の差があるから、それでも彼女の顔はきれい。
軽く閉じられていた瞼がうっすら開いた。
「おみず、ちょうだい……」
ハキハキ、きびきび。しゃんとした完璧超人の先輩が、寝起きの弟のように呂律が回らないうわごとをつぶやく。
胸が締め付けられるような感覚。ときめきが止まらない。
「自分で飲めますか?」
「んぅ」
もう、ここまで酔っていたら、記憶なんて残っていないと思う。
私はミネラルウォーターを口に含んで、先輩の口に一気に押し込んだ。
少しこぼれた雫が、先輩のほっそりした顎に垂れる。
「ぇ? きむら、さん?」
キョトンとする顔。たまらなく愛おし。
「先輩、かわいいですよ。こんなギャップ見せられたら、めちゃめちゃにしたくなっちゃうじゃないですか……」
耳元でささやくようにいうと、彼女はくすぐったそうに身をよじった。
「スーツ、しわになっちゃいますね。脱いじゃいましょうね」
「え、だ、ダメ、よ……」
「大丈夫ですよ。先輩も私も、酔っぱらってるだけですから」
酔っぱらっている。という免罪符。
そう、彼女は酔っているだけ。私もそうだ。
私はたまらず笑みを浮かべて、ふにゃふにゃと力の入らない彼女の体を好き放題に堪能した。
ひどい頭痛だ。
明らかに深酒しすぎた朝の気分。
昨日は、そうだ。後輩に良い恰好を見せようと強い酒を飲み過ぎた。
よくよく考えれば、飲んだ酒はみんなレディーキラーと悪名高いカクテルばかりだ。
それにしても、ここはどこだ。
重い頭を何とかベッドから引き起こす。
小奇麗な室内。かすかにたかれたアロマの匂い。
全く見おぼえがない、が、そこがファッションホテルであるというのがわかる程度には私も経験はある。
一瞬さっと血の気が引けた。そして恐る恐る隣を見ると、彼女だ。かわいらしい少女のような後輩がいた。化粧を落としているせいで、童顔に拍車がかかり、未成年者を相手にしてしまったかのような背徳感が積もる。
「おはよう、ございます……」
私が勢いよく身を起こしたせいだろうか。目覚めた彼女はそそくさと赤らめた顔を白い布団で半分隠し、涙をためた大きな目で私をじっと見つめてきた。
私は、とんでもない事をしてしまったようだ。
また別の意味で血の気が引けた私は、言葉が出てこずに口を何度もぱくぱく動かした。
「責任、とってください、ね」
気恥ずかしそうにつぶやいた彼女の言葉に、私はだまってうなずいた。
まあ、結果としては彼女を手に入れられたわけだ。
自慢するわけじゃないけど、朝には強い。
今日もぱちっと目が覚める。小学生の頃から弟や妹たちより先に起きて朝食を作ったりなんだりしていたからだ。早起きは習慣付いている。
目の前には若干寝にくそうな、きれいな女性。
きっと先ほどまでの事は、何一つ覚えていないはずだ。
私だけに見せた、甘くよがる少女のような”先輩”。
その姿を思い出して、もう一度見たい欲望に突き動かされそうになる。
だめだ。こっちから手を出してしまったら、せっかく作った演出が台無しだ。
そこで堪えると、がばっと彼女は勢いよく起き上がった。
二日酔いで痛むだろう頭でも、現状把握に務めるのは、さすが仕事ができる先輩。
そして寝転がっていた私と目が合い、唇をわななかせる姿は、それはそれでかわいい。
「おはよう、ございます……」
私の声を聴いて、現実味を増した様子の先輩は、蒼い顔を罪悪感と申し訳なさでゆがめていく。
そして私は決め手となる言葉をしっかり伝える。
「責任、とってください、ね」
表情をしっかり作って言えば、どんな人でも絶対に頷く。
「は、はい」
複雑な表情で頷いた彼女。ほの暗い愉悦感が外に出ないように必死に答えて、私はせいぜいいつものように笑みを浮かべた。
これで、彼女は私のモノ……。




