汗と白いハンカチ
鉄板が備えてある小さなL字型のカウンターに、中央に鉄板が備えてある4人がけ用のテーブルが4つ配置されてある、爽太の母である絹江が営むお好み焼屋。
そこの1つのテーブル席に爽太とアリスは互いに対面していた。
すこし古びた感じのある日本家屋に、美少女外国人のアリスがいるのは、異様な存在感があった。田舎のおばあちゃんの家に、キレイなフランス人形が飾られているような感覚。
母の絹江が、なんとも興味深々な瞳で爽太とアリスがいるテーブルを見つめていた。
爽太は背中越しに何とも言えない生暖かい視線を感じ額から汗がじわっとこみ上げる。
幸い、店はまだ開店前であり、お客はアリスだけ。
もし常連客のおっちゃんらがいたら、『おっ! そうちゃん何やそのべっぴんさんわ!』、『そうちゃんもそないな年頃になったんやなぁ~』などいろんな冷やかしが入っていたに違いない。
「そうた?」
ハッと、その声に向くと、不思議そうな顔をしているアリス。
「早く焼いてあげなさいよ~」
絹江のからかう様な声が爽太の背中越しに届いてくる。
爽太は、耳を赤くしながらも、ササッと鉄板に生地を落とし込んだ。
ジュウウウウウウウウッッッッ‼‼
と生地が焼ける音が店内に響き渡る。
アリスは丸い瞳で、興味津々に鉄板の上にある生地を見ている。
爽太は両手に持っているコテを器用に使いこなし、キレイな円状にしていく。
そして、ここからが一番の見せ場。
爽太は丸い生地の両端にコテを差し込んだ。
爽太が、チラッとアリスに視線を送ると、そこにはワクワクうずうずとしている瞳があった。
爽太はニッと口元に笑みを浮かべると、両手のコテを大きく自分の手前にアクロバティックに返す。と同時に裏返る丸い生地。
ジュワアアアアアアンンン‼‼
と無事に鉄板に着陸し再度美味しく焼ける音が響く。そして―。
パチパチパチパチ‼‼
と、とても楽しそうに手を叩いて爽太を見つめるアリス。
何とも心地良い気分。爽太は、得意げな顔で、今度はソースを生地の表面にたっぷりと塗る。
ソースが生地の上から滴り落ち、ジュウウウウウウッ‼‼ と盛大に焼ける音。と同時に、スパイシーな香りが店内に広がった時だった。
「same smell ‼」
「なっ⁉ ええっ⁉ セムセル⁉」
とても嬉しそうな表情で声を上げたアリス。
キラキラした瞳で爽太を見つめ、小さな鼻を楽しそうにクンクンと揺らしていた。
その小刻みに可愛く揺れる鼻。
転校初日に、俺に顔を近づけ見せたのと同じ動き。
あっ、そうかあの時、アリスが顔を俺に近づけたのは―。
お好み焼きのソースが焼ける良い香りが、2人をふわっと包み込む。
爽太とアリス、互いの目と目が合う。ニコッと楽しそうに笑うアリスに、爽太は頬を赤くする。思わず見惚れてしまう。
爽太は慌てて、仕上げの作業に入った。鰹節に、青のり、そして、キレイな線状のマヨネーズ。
その手際の良さに、アリスの目は釘付けだった。そして、完成されたお好み焼きを、大きな瞳で見つめている。
爽太は得意げな声を上げる。
「アリス! 食べていいよ」
爽太はそう言うと、アリスにキレイなコテを手渡す。だが、アリスは何だか困り顔だった。
「食べ方をちゃんと教えなさいよ~。エスコートがなってないわよ~」
「うっ⁉ うるさいな⁉ わ、分かってたよ‼‼」
背中越しに聞こえてくる絹江の冷やかすような声に、爽太は顔を赤くしながらも、自分のコテで器用に切り分け、その内の1つを取り口に運ぶ。するとアリスは目をキラキラさせ、不器用ながらもコテを使い、お好み焼きを口にした。
「んんんんんんんんっ‼‼」
アリスが幸せそうな笑みとともに、美味しさに唸っていた。パクパクとお好み焼きを口に運ぶ。その様子を満足げに見つめていた爽太は、ふと、アリスの口元にソースがついていることに気付いた。
「ぷふっ」
思わず笑ってしまった。すると、ピタッと食べるのを止めるアルス。
何だかキョトンとしている。
「口元、ソース付いてる」
爽太はジェスチャーで口元のソースを伝えると、アリスが少しおどおどしながらも、白のハンカチでそっと自分の口元をふいた。
ハンカチにサッとついたソース。
アリスは何だか恥ずかし気な様子だ。
「ぷふっ」
「そうた」
爽太の吹き出し笑いに、アリスが不満げな声を上げる。
爽太は笑いを押えながらも、アリスの顔を見た。少し頬を膨らまして、怒っているような表情。でも何だか楽し気な雰囲気。
爽太の気持ちが軽くなる。
救われた気がした。
スカートめくりのこと許してもらえたような気がした。
いや、でもそれは、また俺の勝手な思いかも知れないよな。
爽太の顔がスッと、真剣みを帯びていく。
だから、もう一度、伝えたい。
「アリス」
爽太の大人びた声音。アリスが不思議そうに見守るなか、爽太は口を開いた。
「あのときはごめん」
爽太は頭を素直に下げた。
会話が止まった。
ジィィィィィィ、と鉄板が熱され小さく焼ける音が爽太の鼓膜を揺らし、顔からは鉄板の熱が感じられる。アリスはどう応えてくれるのだろうか、そう思うと恐くて頭を中々あげれなかった。
「そうた」
アリスの優し気な呼びかけ。
爽太はバッと、顔を上げた。
ふわっ。
「えっ⁉」
額に感じる柔らかな感触。
視界を遮る、アリスの小さな手。
一瞬、何が起こったのか解らなかった。でも、すぐに分かった。
小さな手で遮られた視界に、僅かに覗く白い布地。
アリスは手にしていた白のハンカチを、爽太の額に、スッ、スッ、スッ、と優しく当てていた。そして、満足げな様子で手を引っ込めた。
爽太は自分の額に手をやる。滲んだ汗が拭われていた。
突然のことに、茫然としている爽太をよそに、ニコニコと笑うアリス。右手にはコテが握られ、フリフリと楽し気に動かし、何かを待ち望んでいる様だった。
爽太は頬を緩めながら、優しい声を出した。
「ちょっと待てて」
鉄板に新しい生地が落とし込まれ、勢いよく熱く焼ける音が店内に響き渡った。