第44話「解き放たれしもの」
馬よりも速く駆け抜けてきた大型の異形を前に、クロードは神剣を振るう。
その刃と衝撃波によって、岩盤のような硬さを持つ化け物の身体が薄布を割くかのようにやすやすと切り裂かれた。
その光景を前にしたテオドールは魔力を込めて作り出した剣を、仕留めた異形の頭から引き抜いて言った。
「凄いね、デュラス将軍は。処理の速さが全然違う」
「貴君は苦戦しているようには見えんが」
「思ったより硬くてさ。しんどいんだよね、これ……はぁ、この身体も不便だよほんと」
「エルザの魔導銃はどうした?」
「面白かったけどすぐに飽きたからジュリアン――ああ、ミルディアナの特待生の竜族の少年なんだけどね。彼に渡してきた」
肩でも凝ったかのように首筋を揉むテオドールには余裕が満ち溢れている。
まるで、本気を出せばこの無数の化け物たちを瞬時に始末できるかのような口ぶりだった。
そう思っていた時、青髪の少年はちらりとクロードを見た。
「早く現場の様子を確かめに行きたいんだよね」
「グランデンの防衛が最優先だ。この化け物たちを始末しなければ」
「それくらいなら僕が引き受ける。早く行ってきなよ、向こうにはどうやらゼナンの竜騎兵も来ているらしいから」
クロードもまた、西方の空を舞う翼の群れを見ていた。
それの正体と、目的が何であるのかもおおよその見当はついているのだが。
「早く行かないと、大変なことになるかもしれないよ?」
「……この場を貴君だけに任せろと言うのか」
「シャルロットを助けただけじゃ、まだ信用されないかな。それとも信用できないのは僕の素性じゃなくて、実力の方かい?」
青髪の少年の翠玉のような瞳がすっと細められた。
「そうとも言えるな」
「へえ?」
大英雄クロード・デュラスは鋭い眼差しを向けながら言う。
「今までは単なる余興に過ぎないと見える。これからは貴君の本気を見せてみよ」
「……了解。少し真面目にやろうか」
テオドールの身体から魔力が噴き上がる。
魔導の才には恵まれなかったクロードにもはっきりとわかるほどの威圧感にも似た魔力が、少年の全身から放たれていた。
「あの化け物は全部殺す。領民には被害を出さないようにするけど、その他は一切保証出来ない。それでも構わないかい?」
「すべての責任は私が持とう」
少年は軽く肩を竦めてから溜息を吐いた。
「わかったよ。早々に片付けるさ。暇になったらそっちに遊びに行くからよろしく」
「……貴君はまだ現状を遊びだと思って」
「遊びだよ、こんなものは」
つまらなそうに呟いたテオドールは、いつもの爽やかな少年のものとは思えないような口調で続ける。
「お前が相手なら、あるいは本気になるのも悪くないかもしれないがな――大英雄よ」
「……」
両者の鋭い視線が一瞬だけ交わるものの、テオドールはすぐに新たな標的を見つけて瞬時にその場から飛び立った。
クロードはそれを見届けた後、目の前に迫る白い異形を斬り捨ててから城砦都市グランデンの門扉を目指して駆け抜けた。
◆
白い化け物が大量に降り注いだ後、その処理に追われていたフレスティエ小隊の一員であるエリック二等兵が言った。
「も、申し訳ありません、少尉! 魔石がもう……!」
「! 誰か、魔石の予備は!?」
「は、はいはい、わたしが後1個だけ!」
すかさずイリア一等兵が答えて、腰に括りつけていた布袋から緋色に輝く魔石を取り出してエリック二等兵に渡す。
「はいこれ装填。さっさと準備!」
「す、すみません……!」
「なーに泣きそうな顔になってるんですか、泣きたいのはわたしだって同じですよー。ほら、フレスティエ少尉のためにも頑張りましょう!」
知らず知らずのうちに状況の不可解さと、命の危険から恐慌状態に陥っていたエリック二等兵の背中を力強く叩いたイリア一等兵が言う。
「それにエリック二等兵は、フレスティエ少尉の地獄の特訓をわたしと共に生き抜いた仲じゃないですか、あれに比べたらこのくらい何てことありませんて!」
「は、はい……」
イリア一等兵がそう元気づけようとしているのを見て、頼りになる部下を持ったという思いを強くしたが同時に大きな不安を覚えた。
小隊はリミッターを解除した大規模な銃撃を既に数え切れないほど撃ち、機能しなくなった魔石を破棄して予備を装填していたがそれももう数がほとんどない。
にもかかわらず、目の前に蠢く大量の化け物たちの数はなかなか減ってはくれない。
竜騎兵たちは怒涛の活躍をしてはいる。
現に彼らが手を出せば、この化け物たちもすぐに始末された。
だが、竜騎兵たちはフレスティエ小隊への手助けは一切しなかった。
屈強な軍人たちと、竜族の力強さを象徴するような姿をした飛竜の中にあっても、誰よりも目立っている大竜将と名乗った男は余裕を湛えたままだ。
まるで部下たちの他愛もない訓練を退屈そうに眺めている教官のようにすら思える。
わけのわからない状況であるのは向こうも同じはずなのに、どうしてああも余裕でいられるのか。
そんなことを考えている間にも、クラリスとベルガーの攻撃に巻き込まれなかった化け物たちがグランデンに向かって這うように走っていく。
今の状態ではとてもではないがあれらを追撃出来るはずもない。
クロードが無事なら彼が何とかしてくれる。あるいは、あの常識外れの力を持つミルディアナの特待生たちなら――。
他力本願な思考に陥っていることに苛立ちながら、クラリスは得体の知れない化け物たちとの交戦を続けていた。
そして、大竜将もまた自らが率いる中隊へと迫った化け物の処理にあたる。
彼の持つ槍があの岩盤のような皮膚をした巨躯を容易に穿ち、叩き潰す。もはや槍の扱いとは呼べないほど無茶な使い方にしか見えなかったが、その力はあまりにも強大だった。
飛竜が火焔を吐き出し、フレスティエ小隊が決死の覚悟で魔導銃での銃撃を行い、クラリスとベルガーが次々と化け物を屠っていた時。
きぃんとした耳鳴りのようなものがクラリスの脳内に響き渡る。
今までに感じたことのないような、音と呼んでいいかもわからない奇怪な耳鳴り。
「んだぁ? この耳鳴りみてえなのは」
大竜将が言うと、他の竜騎兵からも戸惑いの声が上がり、フレスティエ小隊の隊員たちからも相次いで声が上がった。
「な、何か耳鳴りみたいなのがしてるんですけど、少尉はどうですか……?」
「……私も、感じています。脳内に響き渡るような、嫌な感覚です」
恐らくこの場にいる全員が感じているであろうものが、次第にその場の動揺を強くしていった。
それを嫌ったのか、ベルガーは槍を振り回しながら叫んだ。
「てめえら、さっさと片付けるぞ! 目の前にいる化けモン共を全部ぶち殺せ!!」
「「はっ!!」」
竜騎兵たちの攻撃が始まり、飛竜の吐く火焔がフレスティエ小隊の目の前にいた白き化け物を焼き尽くす。
「なっ……何をするのですか!?」
「さっきから見てりゃ、1匹潰すためだけに時間を使い過ぎなんだよおめえらは。まるで話にならねえ。死にたくなかったら引っ込んでな、お嬢ちゃん」
「くっ……!」
反論の言葉は思い浮ばなかった。
屈強な竜騎兵や大竜将とは違い、こちらは自分を除けば、残されたのはまだまだ経験の浅い軍人ばかりだ。
その手に持っているのは、リミッターを解除すれば強大な魔術に相当する銃撃を放つことが出来る代物だが、それはゼナン竜王国の飛竜のブレスにすら及ばない。
中隊規模の竜騎兵が地上と上空から同時に灼熱の炎を吐き出す。
味方すら巻き込まんほどの威力の熱風だったが、それを気にしている者は誰もいない様子だった。
練度が違い過ぎる。
クラリスは歯噛みした後、小隊の面々に被害が及ばないよう彼らを後方へと移動させ自らは先頭に立つ。
飛竜のブレスの標的がいつ自分たちに向けられるかわからない。いつでも結界術式を張れるようにしなければ、と。
白い巨躯の化け物たちが相次いで焼き焦がされ、それまで生きていた者も、肉の塊に過ぎなかったものも燃え上がる。強靭な生命体たちが耳障りな悲鳴を上げていた。
凄まじい勢いでもはや止める術もない。
だからこそ、クラリスは言いようのない不安に襲われていた。
化け物たちの中心に落下してきた、あの巨大な繭のような不気味なもの。
燐光を発するそれは、4メートル近くにもなるだろうか。
魔力耐性が極めて高いこの白い生物たちですら耐えられない火焔を受けても、繭にはまったく影響を与えてはいないようだった。
そんな硬い外殻に覆われた中身は一体何なのか。
大竜将はそんなことはまったく気にしていないのか?
様々な不安が過ぎった時、頭の中を苛んでいた耳鳴りが一際強くなって思わず顔をしかめた。
『戦場ヲ穿ツ雷――』
耳鳴りが何者かの声のように聴こえた気がした。
それが続く。
『戦場ヲ焼キ尽クス業火ノ渦――』
その声が明瞭となり、言葉としてはっきりと伝わってくる。
見れば、竜騎兵たちもが一斉に攻撃を中止して警戒した様子を見せている。
大竜将ベルガーは無表情になりながら、とある一点を注視していた。クラリスもそれを見る。
『響キ渡ルハ蹂躙サレシ弱者ノ断末魔――』
声は頭の中に響いてきているが、その場にいる誰もがどこからそれが発せられているのかを感じていた。
あの紫色の巨大な繭。数多の攻撃を受けて、まったく影響を受けていない繭の方から背筋を凍らせるような雰囲気が放たれた。
雷と火焔で火照りきった身体だというのに、全身に悪寒が走る。
『居並ビシ強者共――天空ヲ舞イシ竜鱗ノ者共』
ふと足元がぐらついたような感覚がしたが、それは疲労による勘違いなどではなかった。
小さな地響きを伴いながら、地面が揺れている。
『其ノ刃ヲ、其ノ雷ヲ、其ノ業火ヲ、我ニ向ケルガ良イ』
「やぁっと真打ちがお出ましかぁ」
大竜将ベルガーが不敵に笑った。
「よぉ、てめえら! この馬鹿でかい繭みてえな奴はそれがお望みだとよ!! 文字通り最大級の攻撃をぶつけてやれ!!」
「「はっ!」」
「なっ……や、やめなさい!!」
クラリスが叫ぶと、飛竜に騎乗したベルガーが見下ろしてくる。
先程とは違い、まるで路傍の石を見るような目だった。
「……ああ、わりぃな。まだいたか。死にたくなけりゃ邪魔はしねえこった」
「違います! アレをむやみに攻撃してはなりません!」
クラリスの本能がそう告げていた。
アレを刺激すれば、取り返しのつかない事態になるということを。
だが、もはや聞く耳は持たれない。
「よし、おめえら。やれ」
「……!!」
飛竜の灼熱のブレスが一斉に繭を襲った。
皮膚が焦がされるような熱風に襲われる中、クラリスは冷や汗を垂らしながら結界術式を張った。
ブレスの余波が小隊の面々に直撃しそうになるのを、何とか防ぎきる。
後1秒でも反応が遅れていれば、その熱風だけで自分もろとも小隊の全員が焼き尽くされるところだった。
クラリスは命の危険が迫ったことに身震いしたが、すぐに頭を振って声を張り上げる。
「大竜将ルドルフ・ベルガー! 即刻、竜騎兵の攻撃を停止させなさい!」
「きゃんきゃんうるせえ嬢ちゃんだなぁ……」
「ここは我らがエルベリア帝国の領土! 貴国のこれ以上の攻撃行動は内政干渉にあたります!!」
「あの白い化けモン共は、ゼナンにも向かっていったよなぁ。1匹残らず仕留めはしたが、放っておきゃあ山脈を超えて俺たちの祖国に入り込んできたかもしれねえ。その原因は何だ? おい」
「……くっ……こ、この上空の異変に関しては、現在調査の真っ最中であり」
ベルガーは大声を出して笑った。
「俺たちが手を出さないでその調査が終わるのを待ってるだけじゃ、ゼナンでも化けモンの被害が出てたかもしれねえ。――お前たち帝国の領土の上空に現れたわけのわからねえもんのせいでな。そうなった場合どうなるか――お勉強だけは出来そうなその頭なら、ちいとばかし考えりゃわかるってもんじゃねえか。え、可愛いクラリス嬢ちゃんよ」
「……帝国の領土に無断で侵入した件はともかく、ご助力には感謝しています。ですが、論点をすり替えるのはやめて頂きたい。私が問題としているのは、その繭状のモノへの過度の攻撃。あの白き生命体とは別件です」
毅然とした態度で言うと、ベルガーは顎を擦りながらにやりと笑む。
「くっくっく……残念ながら俺はそこまで頭が回らねえ方なんだ。他の竜将――特に光竜将のイケ好かねえ二枚目と、姫竜将のラフィーユには何を議題にしてもいっつも言い包められちまう。だがなぁ、こと戦場での勘に関しちゃ俺を上回る奴はいねえ」
大竜将は長大な槍で繭を指しながら言った。
「あの中身にはとんでもねえモンが入ってる。早急に処分しちまわねえといけねえような奴がだ。調査だのなんだの言ってる時間なんざねえのよ」
「しかし、これは我が国の問題! これ以上の手出しは無用です――」
「構わねえ。おら、手が止まってんぞ! やれ!」
ベルガーの指示を受け、飛竜たちが再び灼熱のブレスを吐き出した。
炎が渦巻き、繭が炎上する。
クラリスはもはやこの男たちを止めることは出来ないと悟ってしまった。いくら言葉を重ねたところで意味はなく、実力行使など彼我の戦力差を見れば考えるまでもない。
その時、繭の方から声が響いてきた。
『――竜麟ノ灼熱モ余炎ガ如シ。コノ身ヲシカト灰塵ニ帰シテミセヨ』
その言葉と時を同じくして、繭から眩い光が溢れ出し、自らを四方八方から焼き尽くさんばかりに放たれていた火焔を消し飛ばした。
そして、繭にひび割れが生じる。軋むような音が響くも、それも一瞬。
繭が弾け飛び、その中から姿を現したのは――。
『我ガ求ムルハ強者ノミ』
3メートルを超える巨躯を誇るその身体は蒼黒く、筋肉で膨張しており、両の腕が2つずつ生えている。
頭部からは2本の巨大な角が突き出しており、瞳は血よりもなお紅く、犬歯は獣のように伸びている。
今までに見たことのないほどの異形を前にして、クラリスは頭の中が完全に真っ白になり、その両の脚ががくがくと震えていた。
「いいねえ、とんだ化けモンのお出ましだ」
歴戦の竜騎兵たちですら動揺を示す中、大竜将だけが笑っていた。
書籍第1巻の発売も明後日の17日に迫りました。
また、前回の話の後書きに追記しましたが、今現在活動報告にてキャラのラフを順次公開中です。
既に5キャラをアップしており、本日(時間未定)と明日に分けて残りのキャラの画像を公開する予定ですのでどうぞよろしくお願い致します。
また、小学館の公式サイトで検索ワードに「ガガガブックス」と入力するとリストに本作が並んでいるのを確認出来ます。
Amazonにも昨日になってようやく書籍情報が反映されました。
どちらもサイト内で購入出来るのでリンクは貼れませんが、よろしければご確認頂けると嬉しいです。





