第42話「天高く舞う翼」
大英雄をその背に乗せた白馬が街を駆け抜ける。
あちらこちらで激しい戦闘が行われた形跡があった。
死者の姿はもはやほとんど見かけず、対処にあたっていた軍人や難を逃れた領民たちとすれ違う。
激励の言葉をかける暇もなかった。
クロードには、すぐに確認しなければならないことがあったからだ。
グランデンの街は狭く、馬が全力で疾走するのには不向きである。
それでも、クロードが何も言わずともブレンダンは目的の場所へと走り続けた。
街中での戦闘はそのほとんどが終結しているのか、まったく邪魔が入ることもなくクロードは自らの屋敷の前に辿り着き、ブレンダンは嘶きを上げながらその場で止まった。
「シャル! エルザ! どこにいる……!?」
怒号を上げるかのように叫んだはずの声がかすれ、たったそれだけのことでクロードの身体に強い疲労が重く圧し掛かる。
まるで、自分が全力で走ってきたかのように大量の脂汗が額から流れ落ち、それを腕で拭いながら周囲を確認した時。
1人の少女を抱えながら歩いてくる、青髪の少年の姿が目に入った。
「おや、デュラス将軍。奇遇だね」
「シャル……!? シャルは大丈夫なのか!?」
クロードは急いでブレンダンの背から飛び降りる。
脳みそが激しく揺さぶられ、強烈な吐き気に襲われるのも構わず、テオドールに抱えられているシャルロットのもとへと駆け寄った。
「大丈夫。かなり酷い傷を負ったけど、リズの回復術式を一身に浴びたおかげで回復してきてるから命に別条はないよ」
「そう、なのか……シャル」
シャルロットの衣服はぼろぼろになって血に塗れていたが、傷はだんだん治ってきているのがわかった。
当の少女はというと、傷を負ったとは思えないほど穏やかな表情で深い眠りに就いていた。
その寝顔を見て、深い安堵を覚えたところで少年の背後から魔導銃を抱えたメイドが姿を現した。
「申し訳ございません。私1人の力では、シャルロットお嬢さまをお守りすることは敵いませんでした。テオドールさまがいらっしゃらなければ、今頃はもう」
「そうか……テオドール、貴君には感謝してもしきれない。事態の収束がつき次第、私に出来ることがあれば何でも言ってほしい」
「そう? 別に僕は楽しそうだったから助けただけで、どうでも良かったら見捨ててたよ。感謝するなら、あの回復術式のせいで酷い目に遭ったエルザにしてあげればいいんじゃないかな」
少年の放った言葉にクロードは、目を見開いた。
そしてエルザを見ると、彼女は深く頭を垂れていた。
「エルザ、やはりお前にあの回復術式は悪影響をもたらしたか」
「はい。この街を囲う結界にすら耐えられる程度の力はありましたが、あの強大な回復術式の前では為す術がありませんでした。申し開きのしようもありません」
「身体は大丈夫なのか?」
「流石に堪えましたが、一度死んだ程度では何ということもありません」
エルザはいつもと変わらぬ無表情だった。
メイド服さえまともな状態だったら、彼女が一度死んだということを信じることすら出来なかっただろう。
「……そうか。シャルとお前が無事でいてくれたのなら、それでいい。エルザ、お前もよくこの子を守ってくれた」
「我が主をお守りするのは当然のこと。されど、私の力だけではもはやシャルロットお嬢さまをお守りすることは出来ないと痛感致しました」
「今まで苦労をかけた。これからは私も、もっとシャルと向き合わねばならないな」
クロードがそう言いながら、シャルロットの頬にそっと手を伸ばした時。
「それで、神殿の防衛には失敗したんだよね、デュラス将軍」
「……その通り、だ。相手は神剣の力を使う少女だった。アレは相手を夢幻の果てに閉じ込め、心地良い夢を見せながら餓死へと導く外道の技。一度致命傷を与えても死なず、二度目の一撃でも仕留めることが出来なかった」
「正に化け物だね。僕も同じようなのを相手にしたからよくわかるよ。ちなみに、その神剣の力を打ち破ることは出来たの?」
少年の問いかけに、クロードは首を横に振った。
「あの力の前ではいかなる治療も意味をなさない。いま生き残っている者は、カルサティ少将を除いて、そのすべてが夢幻の中に陥ってしまっている。もはや、手の施しようもないほどに」
「なるほどね。それだけ神剣の力は強大ということか」
テオドールは面白い話を聞いた子供のような笑顔でいた。
――どれだけ姿かたちが人間であっても、やはり魔族にはこのような話に感じ入る部分など何もありはしないのだろうか。
クロードがそんなことを考えた時、グランデン西方の上空に現れたひびからまた異音が響き始めた。
それを見た青髪の少年が言う。
「どうやら面白いことが起こったみたいだね」
「貴君は上空のアレについて、何か知っているのか」
「多少はね。別に隠すつもりもない程度のくだらない情報だから、後で時間がある時にでも教えるよ。今はそんな場合じゃないでしょ?」
「承知した。……エルザ、屋敷の中に籠もり、引き続きシャルのことを頼めるか。戦闘に加わるよりも、この子を守ることだけを考えてくれ」
「かしこまりました」
頭を下げるエルザの魔導銃を眺めていたテオドールが言った。
「シャルロットを運ぶならその魔導銃は邪魔だよね。ちょっと僕に貸してよ。今まで試し撃ち程度しかしたことがないからさ」
「それは……」
エルザはクロードへと視線を向ける。
「テオドール。貴君は魔導銃に頼らずとも戦えるのではあるまいか」
「当然。僕はただこの武器に興味があるだけさ。ゼナンとの戦で使われ、その後も改良が続けられて今の形になった。将来的には、魔術を扱えない者ですら禁術に相当する攻撃を行うことが出来るかもしれない。興味は尽きないところだね」
「その領域の銃撃を行うには、多量の魔石を必要とします。あまり現実的ではないと思われますが」
エルザから魔導銃を受け取ったテオドールは銃身を軽く回してから、それで自分の肩をとんとんと叩いた。
「だからこそ、帝国はルーガルと魔術大国の戦に介入したんでしょ? ルーガルに加担すれば、あの領土から多量に採掘出来る魔石を使って魔導銃を更に発展させることも不可能じゃない。ただの軍人が揃って禁術クラスの攻撃を行うことがどれほど戦に影響するか――考えただけでも恐ろしいことだと思う。帝国軍の狙いは間違いなくこれの量産とその発展だろう。違うかい?」
クロードは答えるわけにはいかなかった。
帝国の軍事技術の現状と、ルーガル王国への支援を考え合わせれば、少し頭の回る者であれば誰もが辿り着く答えではあるだろう。帝国軍が掲げる、獣人への人道支援などという表向きの美辞麗句を誰が信じるというのか。
だが、帝国軍がルーガルに加担する理由はそれだけではない。
そのもう1つの理由を知った時、この得体の知れない少年――魔族は何を想うのか。
思わず思考を巡らせてしまいそうになったクロードは、緩く頭を振ってから言った。
「……魔導銃の使用を許可しよう。ただし、領民に被害を与えるようなことをした場合は、いくら貴君といえども容赦することは出来ぬ」
「わかってるよ、そんなこと。それより大丈夫かい、デュラス将軍。顔色が悪いけど?」
「問題ない」
クロードはそう告げてからブレンダンの背に乗った。
シャルロットとエルザの無事を確認し、いくらか気持ちも落ち着いた。
これで事態の収拾に集中することが出来る。
方向転換したブレンダンの馬蹄が再び石畳を踏みしめ、街中を駆けた――。
◆
『ギアアアアアアアァァァ!!』
耳を劈くような不気味な鳴き声を上げた白い生命体は、合計で10匹を超えていた。
そのうちの1匹が、長い首をクラリスに向けて大きな口を開いた。
剣のような牙が口内に歪に生えている。形や長さは明らかに本来の用途を逸脱しており、その口を開閉しただけでも牙が自らの顎に突き刺さり、血を滴らせる。
生物としての形を成していない。
そのあまりにも異様な姿にクラリスは鳥肌が立つような思いをしながらも、自らの持つ聖剣を振るった。
蛇腹のような形状のセプス・エクレイルの刀身が鞭のようにしなり、白き生命体の身体を切り裂く。
傷こそつけたものの、その肌は岩盤のような硬さだった。
クラリスは瞬時に自らの魔力を聖剣に纏わせ、電流を纏った剣先が生命体を穿つ。
身体を貫いた聖剣から発せられる凄まじい電気が白い化け物の身体を駆け巡り、巨大な体躯の一部分に電流が溜まった時――雷がまるで地上から天高く昇るかのように放たれた。
凄まじい轟音と稲光が発生し、少女の魔力と聖剣の力を合わせたそれはもはや禁術の領域にすら達していた。
だが、雷が治まった後、白き生命体は全身から煙を立ち昇らせながら咆哮を上げた。
ほとんど効いていない――。
その事実に、クラリスは動揺する。その少女の一瞬の隙をついて化け物の剛腕が華奢な身体を叩き潰さんと振り下ろされた時、リミッターを解除された魔導銃の一斉射撃が化け物の身体を次々と穿った。
第7位階程度の術式だったが、それも複数合わされば禁術に迫る破壊力となる。
さしもの化け物も、二度に渡る禁術レベルの攻撃を受けて怯んだ。
「少尉! ご無事ですか!?」
イリア一等兵が言う。
見れば、小隊の全員が照準をその1匹にのみ合わせていた。
「わ、私は平気です……! それよりも、注意なさい。この化け物たちには強固な術式耐性がある模様です!」
クラリスが叫んだ時、今までどこかあらぬ方向を見ていた白き生命体の2匹が長い首をぐるんと小隊の面々へと向けて大きな顎を開いた。
その口内から多量の魔力を感じ取ったクラリスは、すぐに聖剣に魔力を流し込んで詠唱する。
「気象を司りし神よ。その雷光を以てして我らを守り給え!!」
クラリスの結界術式と化け物たちのブレスが放たれたのはほぼ同時だった。
その体色とは正反対の漆黒の吐息が襲いかかるが、雷の加護を得た結界により防がれる。
黒煙のように視界を遮るそれから、一瞬だけ垣間見えた化け物の口内に向けて、クラリスは即座に聖剣を垂直に伸ばして顎を貫いた。
魔力を漲らせた聖剣の力によって威力を増した斬撃が、白き生命体の頭をばらばらに切り裂いた。
それを見た隊員たちから歓声が上がる。
「おおっ、流石少尉ですー!」
「フレスティエ少尉万歳!」
クラリスはその歓喜の声を耳にしながらも、眉根をしかめて他の化け物の様子を窺った。
今の化け物は完全に仕留めたが、恐ろしいほどの強靭さを持っていた。
こんなものが一斉に襲いかかってきたら、自分たちは一瞬にして蹂躙されてしまうだろう。
だが、化け物たちは自らの仲間が斬り殺されても意にも介さず、まるでぼんやりとした様子でどこか遠くを眺めていた。
あるモノはグランデン領内を。あるモノはゼナン竜王国方面を。あるモノは長い首を激しく回しながらどこを見ているかもわからない有り様で、最後には自らの頭を地面に何度も叩きつけた。
そしてじっと地面を眺めていたモノは、上空のひび割れから自らと一緒に降り注いだ不気味な肉片に齧り付き、貪り食らっている。
人間は自分の理解の範疇を超えたモノに対して、本能的な恐怖心を覚えるものだ。
それはクラリスも例外ではなかった。
目の前にいる異形共が何を考えているのかまったくわからないのが、堪らなく恐ろしかった。
ふと隊員たちの様子を窺えば、誰もが同じような心境なのか自然と後退りし、中にはあまりにも気味の悪いモノを見た影響で吐き気を催してえずいている者もいた。
今のところ、隊員たちに被害はないが、これからどうすればいいのか。
先程襲いかかってきた化け物やブレスを放ってきたモノも、まるでクラリスたちなど最初からいなかったかのようにぐるぐると長い首をゆっくりと振り回して周囲の様子をただ眺めている。
「ふ、フレスティエ少尉……こ、こいつら、何なんでしょう……?」
「……あの強固な魔力耐性。以前、文献で目にした魔導生物の特徴と酷似しています」
「ま、魔導生物って前に戦争で使われてた生物兵器でしたっけ……。でも、あの、こいつらは生物として大事なものが欠落してるように見えますけど」
「魔導生物とは人間の手によって造られた化け物の総称。中には失敗作もいたといいます。これらの正体は、もしかしたらその失敗作にあたるのかもしれません」
魔導生物はキアロ・ディルーナ王国でしか造られてはいないはず。
それが何故こんな場所に突如として出現したのか。
そもそも上空のひびと、この魔導生物らしきモノたちは何の因果関係があるのか。
わけがわからない。
だが、この生物たちの個々の戦闘能力は極めて高い。
今は意味不明の行動をしているようにしか見えないが、少しでも刺激してしまった場合、そのすべての殺意が自分たちに向けられる可能性もある。
こんな時にはどうしたらいいのか。
クラリスは不気味な生物への嫌悪感と、激しい不安感と焦燥感で眉根をしかめながら聖剣の柄をぎゅっと握り締めた。
『ギュルル、ルルル――』
白き化け物のうちの1匹が、鳴き声なのか何なのか、不気味な音を発した。
それまで激しく首を振り回したり、地に落下した謎の肉塊を貪り食らっていた化物たちがその音に反応する。
音を発している個体と他の個体の差異は、少なくともクラリスにはわからなかった。アレがこの生物の群れを率いているのか――そう思った時。
人間に似た胴体を持つ化け物たちが、四つん這いになると同時に一斉に地を駆けた。
慌てて退避行動を取ったクラリスと小隊の面々たちのことなどまるで気にしないかのように、半数近くの化け物がそれぞれ違う方向へと猛烈な勢いで走り出す。
3匹は城砦都市グランデンへ、そして2匹は北方のゼナン竜王国へと向かってトカゲのように素早く走り去った。
わけがわからずにいたクラリスが思考を切り替えて何事かを命令しようとした時。
北方の上空から、100を超える数の何かが巨大な翼を広げてこちらへ向かってくるのが見て取れた。
ひび割れから生じる光の明滅が、それらの姿を淡く照らし出した時、クラリスは驚愕の表情を露わにした。
先頭を飛翔していた1頭の赤竜が、紅蓮の炎を吐き出した。
それが瞬く間に白い化け物のうちの1匹を燃え上がらせ、肌を焦がすような熱風がフレスティエ小隊の面々が陣取っている場所まで届いた。
火柱を上げて悶える化け物に向けて、赤竜に騎乗した赤い鎧を纏った男が巨大な槍を振り回しながら突撃。
槍が化け物を貫きながらもその勢いを止めず、轟音を上げながら大地に巨大なクレーターが出来上がり、猛烈な土煙が辺りに充満した。
煙が晴れた時、男は黒焦げになった白い化け物の身体を貫いた槍ごと片手で持ち上げながら言った。
「久しぶりに帝国にやってきてみりゃ、初っ端から化け物狩りとはなぁ! こいつぁ楽しめそうだぜ、なあお前ら!?」
「「うおおおおおぉぉぉ!! 我らが大竜将閣下に敵う者なし!!」」
飛竜に騎乗した竜騎兵たちが次々と大声を張り上げて大竜将と呼ばれた男の活躍に興奮する中、その男は掲げた槍をぶんと振り回した。
巨大な化け物の身体が中空に放り出された瞬間、まるで複数の斬撃を一身にその身に浴びたかのように白い巨躯が細切れになって地に落ちる。
あまりの早業だったが、クラリスには何とか見切ることが出来た。大竜将と呼ばれた男が、その槍で化け物の身体を幾重にも刻んだ瞬間を。
手にしていた槍の形状は、禍々しかった。
矛先にいくつもの剣状の刃があり、槍としても剣としても扱うことが出来るように見受けられた。
男はその槍を一度だけ手元で回した後、天空へと掲げた。
それまで口々に大竜将を称えていた配下と思しき者たちが、一斉に口を閉じる。一糸乱れぬその光景からは、彼らが幾多もの戦場で修羅場を潜り抜けてきた歴戦の強者であることが見て取れた。
そして、大竜将と呼ばれた男は満足げに無精ひげを弄りながら、つい今まで眼中にすらなかったであろうクラリスへと顔を向けて、にぃと笑った。
「ほほぅ、気味の悪ぃ化け物ばかりかと思ってたが、こりゃぁいい。愛らしいお姫さまがいるじゃねえか」
「……私は姫などではありません。エルベリア帝国グランデン領の軍部の一端を担う、クラリス・フレスティエ少尉です。名を名乗りなさい、ゼナン竜王国の者よ」
気丈に接するものの、クラリスは目の前の男から感じられる途方もない力と、その『大竜将』という肩書きを聞いて背筋が凍る思いがした。
その動揺を知ってか知らずか、大柄な男はひゅうと口笛を吹いて言う。
「いいねえ、気の強そうな女は俺の好みだぜえ。それがお嬢ちゃんのただの強がりでしかなくてもなぁ」
「……! この、無礼者!」
「おっと、すまねえすまねえ、怒らせちまったかぁ? いい女だからよぉ、思わずからかいたくなっちまったんだ」
男はクラリスを舐めるような視線でじっくりと見つめてから、舌舐めずりをして言った。
「俺はゼナン竜王国の四竜将が1人。大竜将ルドルフ・ベルガーだ。へへ、よろしく頼むぜえ、クラリス少尉ぃ」
こうして、凄まじい力を持ちながらも実戦経験は初めてだったクラリス・フレスティエ少尉と、先のエルベリア帝国とゼナン竜王国との戦で数々の戦場に屍の山を築いた竜王国の英雄とも言うべき大竜将ルドルフ・ベルガーが邂逅を果たした。
書籍発売まで10日を切りました。
一部ネット通販でぽつぽつと本作の取り扱いが始まったので、近日中にはガガガブックスを取り扱っているところであれば注文可能になるはずです。
都合でリアル書店に行けないという方は、是非ネット通販や電子書籍をご利用くださいませ。
ガガガ文庫公式ツイッターのキャラ紹介は、今週末あたりから数人ずつ公開されていく予定ですのでよろしければそちらの方もチェックして頂けると嬉しいです。
活動報告は見ていない人が多いと思うので、書籍発売前後数回の更新では作品の後書きでも宣伝しようかと考えています。
よろしくお願い致します。





