第38話「癒やしの風」
僕は黒尽くめの男の心臓を貫き、一度死んだのを確認してからその身体を蹴り飛ばしながら剣を引き抜いた。
「これで18回目だったかな。どうだい、今度は」
黒尽くめの男はすぐに起き上がる。けど、邪剣を地面に突き立てるその様は弱々しい。
命を失い続けてきた反動によるものだろう。
どんなに生き返っても、やがて限界は来る。それは死を乗り越えた者も同じ。
僕は既に目の前の男からは興味をなくしていた。
それよりも、今はこの大空全体が軋むような異様な音が響き渡っていることに関心がいく。
この現象は明らかに異常だ。何事もなく突然起こるようなものだとは思えない。
――神殿の防衛に失敗したか。
そう判断した。敵はやはり死者とこの男だけではなかったようだ。
だけど、あのデュラス将軍がいても神殿を守ることが出来なかったとは一体どういうことだ。
空が軋み出した直後、恐らくは転移術式によるものだと思われる禁術が発動したのも肌で感じ取った。
極めて微量の魔力も、わずかばかりの興奮で魔力感知に敏感になっている僕にはすぐに伝わった。
でも、普通の転移術式をこの程度の魔力量で扱えるわけはない。敵はあの魔術大国からやってきたというギスランと同程度の魔術師なのか、それとももっと何か別の存在なのか。
そこにも興味は尽きないところだけど、その後に感じた肌を焦がすような圧倒的な魔力に僕は最も惹きつけられた。
一瞬でそれがあの赤髪の青年から発せられたものであることを悟ったからだ。
――いいね、キース。素晴らしいよ。まだまだ種火に過ぎないその魔力も、いずれは大火を起こすことになるかもしれない。やがて聖炎の加護を纏ったなら、火山に匹敵するものになる可能性すらある。
もっと強くなれ、キース。君にはその才がある。力ある特待生の中でも、君からは一番将来性が感じられるから。
そんなことを考えながら、触手による攻撃を剣で弾いた。
今までは楽しめるようにゆっくりと殺してきたけど、もう飽きた。
さっさとこれを仕留めて、他の場所へ向かうのが一番だろう。
◆
グランデンの墓所から湧き出た死者たちは、すぐに軍部の魔術班の手によって吹き飛ばされていた。
だが、どこからともなく現れる青白い炎が一瞬にして軍人たちの身体を燃え上がらせる。
深緑の髪をしたエルフの少女がその度に救援していたが、彼女は度重なる回復術式の行使によってひどく消耗していた。
「はぁっ、はぁっ……んん、しんどい……!」
その場にへたり込みそうになりながら、気力を振り絞って立っている。
だが、それは周囲の軍人たちも同様だ。魔術班の中には既に魔力切れを起こして戦闘続行が不可能になった者も出ている。
剣術を得意とする者は、相性が最悪な死者に対して圧倒的劣勢だった。このままでは全滅するのも時間の問題だろう。
「ぐあああぁっ!!」
「今度はなにっ!?」
また1人、青白い炎に包まれた者がいた。
リズはすぐに魔力で編み出した弓によって、回復術式を矢の形に変換。それを放った――が。
周辺の地面から一斉に青白い炎が飛び出し、それらがリズに向かって襲いかかった。
瞬時に判断出来なかったリズが思わず身体を硬直させた正にその時。
青白い炎の群れが、突如起こった爆発によって跡形もなく消し飛んだ。
極端に耳のいいリズは、その爆音を受けて激しい頭痛を感じながら悲鳴じみた声を上げた。
「うわわっ……な、ななな、なになに!? 今度は何なのー!?」
「ぎゃあぎゃあ騒いでんじゃねえよ、馬鹿エルフ」
そんなことを呟きながら歩いてきたのは、11、2歳ほどにしか見えない黒髪の少年だった。
ローブ姿の少年を見て、リズはきょとんとした顔になる。
「ジュリアンくん? いつ、グランデンに……」
「ついさっきな。なかなか面白ぇことになってんじゃねえか、オレも混ぜろよ」
「これ、遊びじゃないんだけど! マジでやばいってわかってんの」
「ったりめえだろ、死者がこんだけ暴れ狂ってるんだ。まともな戦場ですらねえ。てめえの方こそ、もういっぺんさっきみたいに油断してみろ。今度こそ死ぬぞ」
殺気を放つ銀色の瞳に見据えられて、リズはごくりと息を呑んだ。
その間に迫ってきた青白い炎たちがジュリアンを襲おうとするが、彼はそれを確認するまでもなく正確な術式によってあっという間に蒸発させる。
「まずは状況把握が先決だ。起こったことを簡潔に言え」
「えっ!? え、ええとね……」
リズがしどろもどろになりながら説明すると、ジュリアンはふぅと溜息を吐いた。
「神殿の防衛にゃ失敗したか」
「……やっぱり、さっきから続いてるこの変な音ってそれが原因なの?」
グランデン領全体に響き渡るかのような、何かが軋む音。
上空から聞こえてくるのはリズにもわかったが、空を見ても変わった様子はない。
「正確にはわからねえ。だが、のっぴきならねえ状態なのは確かだ。死者の暴走だけで済むようなもんじゃねえぞ、これは」
「だ、だよね……。あたしに、もっと戦える力があれば、良かったんだけど……」
リズは悔しそうに歯噛みする。
彼女は魔導具なしでは攻性術式を扱えない。
外でのんきに過ごしていたところ、いきなりの招集を受けて慌てて駆けつけたリズは、念のためにと思ってこの地に持ってきていた攻性術式を行使するために必要な杖を取りに行く暇さえなかった。
だが、死者を仕留めるためには回復術式が一応は有効だ。そのためにこうして防衛の任務を手伝っているが、度重なる術式の行使が彼女の体内を巡る魔力をほとんど枯渇させていた。
それを見ただけで察したジュリアンが言う。
「おい、クソエルフ。てめえは後何発でかい術式を撃てる?」
「……あ、あたしは杖がなきゃ攻性術式は……」
「それでいい。回復術式で効果がでかいのを何発撃てるかって聞いてんだ」
竜族の少年の言葉がよくわからなかったが、リズは素直に答えた。
「1発。それ以上は……不発か、撃った時点で卒倒するかも」
「そうかい」
てっきり役立たずだなんだと罵倒されるかと思っていたが、ジュリアンは真剣な表情になりながら何事かを考えている様子だった。
そして、小さく溜息を吐いてから頷く。
「風迅術式はあんまり得意じゃねえんだが、これしかねえ」
独り言を呟いたジュリアンはすぐにリズに指示を出した。
「おい。てめえのありったけの魔力を注いだ回復術式を、上に向かって放て」
「は、はぁ……? ど、どういうこと」
「空に向かって放てって言ってんだよ、察しろ」
「説明不足なんですけど!? どういうことかって聞いてんのこっちは」
ジュリアンは舌打ちした。
「ごちゃごちゃうるせえ。こうしてる間にも死人が出てるってのがわからねえのか」
「……っ、だ、だって……」
「これ以上、犠牲を出したくねえってんならてめえが使える最大級の回復術式を使え。詠唱が必要ならその時間稼ぎくらいならしてやる。出来るな?」
「わ、わかったよ……そこまで言うなら、やってみる。でも、本当にそれでいいんだね?」
ジュリアンは全身から膨大な量の魔力を漲らせた。
凄まじい魔力の波動にリズは思わず後退する。
「早くやれ。神聖術式が得意な神殿の連中は恐らくもう使いものにならねえ今、出来るのはてめえしかいねえんだ」
「わかったよ、わかりました! ……あたしがぶっ倒れたら後はよろしく」
「骨くらいは拾ってやるよ」
少年はその後に続けた。
「エルフの骨は結構高く売れるって話だぜ?」
「このくっそ生意気なガキ、ほんっとにムカつく……!」
リズは頭に血を上らせながらも全身を巡る魔力から1つの魔法陣を作り上げた。
そしてエルフ特有の言語を早口で唱え始める。
時折近づいてくる幽体は、ジュリアンがすぐに魔術で吹き飛ばした。
「――我らを見守りし大いなる精霊神よ。その叡智の一端を我に授け、生きとし生ける者すべてに慈悲深き癒やしを与え給う。――」
エルフの言語もある程度把握しているジュリアンだったが、そこから先の詠唱の内容まではわからなかった。
またしてもあの青髪の少年の顔が脳裏を過ぎる。
彼なら逆に「どうしてこんな術式のこともわからないんだい?」と肩を竦めながら、いま目の前で必死に魔力を漲らせて最大級の魔術を放とうとしているエルフの少女の代わりに、自分で同じ術式を詠唱すらなしで扱ってしまってもおかしくはない。
やがて、リズは叫ぶように詠唱を結び、手のひらに弩を思わせるような緑色の巨大な弓を形作って、それを天高くへと向かって狙いを定めたままの姿勢で固まった。
怪訝に思ったジュリアンが急かすように言う。
「あ? どうした、早く撃てよ」
「指示待ってんのこっちは! 早くしろっての、このチビトカゲ!」
「だから早く撃てっつってんだよクソエルフ!」
「この……! 後で絶対にぶっ飛ばしてやるんだからあああぁぁ――!!」
リズの巨大な弓から膨大な魔力を纏った緑色の弓矢が天空へと向かって放たれた。
それと同時に、ジュリアンも天空に手のひらを掲げ叫ぶ。
「すべてを切り裂く疾風よ、父なる天空へと舞い上がれ! 『大いなる風の刃』!」
空中に展開された巨大な矢の形をした回復術式が一瞬で切り裂かれた光景に、最大級の魔術を使ってふらふらになっていたリズが思わず叫んだ。
「何やってんだこのアホー!? あたしの魔術を何だと思ってんのー!?」
「アホはてめえだ。文句はよく見てから言え」
「えっ……」
切り裂かれた緑色の大きな矢が、無数の小さな矢となってグランデン領内に一斉に降り注ぐ。
天高くから飛来する矢の群れは通常なら致命傷となるものだが、彼女の矢は回復の効果しか宿していない。
次々に降り注ぐその小さな矢の群れは、人間の肉を突き破らんとする攻撃ではなく、傷ついた者を回復させ、無念なる死を遂げた死者への手向けとも言える癒やしの一撃にほかならなかった。
エルフの少女のありったけの魔力を込めた矢は、ジュリアンの風迅術式を受けてもなお存在し、無数の小さな矢となってグランデン一帯へと降り注ぎ続ける。
その矢は自分たちに向かっても降り注いできたが、当然その身に受けても何の痛みも生じない。
怪我を負った軍人に当たると、瞬時に傷が塞がったようだった。
その場にいた竜族の少年以外の全員が、信じられないといった面持ちで固まっている。
「ほ、ほんとーにこれで何とか、な……」
リズはその場にくずおれ、そのまま意識を失った。
彼女は大きな術式は後1発しか使えないと言っていたが、その身を顧みずに自分がいま使える最大級の魔術を放ったのだろう。すっかり魔力が途切れてしまったようだ。
これで街中に蔓延っている死者の多くを消滅させ、生き残っている者の負傷も癒やせるだろう。
せっかくの回復に特化したリズの魔力を、この場の防衛にだけ使うのは得策ではない。そう判断した上での行動だった。
もとより、後1回でも魔術を使えば彼女が戦闘不能になるのは目に見えていた。これが最善の策だったといっていいだろう。
ジュリアンは気絶したエルフの少女をちらりと見つめ、ふんと息を吐いてから誰にも聞こえないように呟く。
「ま、傲慢なエルフにしちゃよくやった方なんじゃねえの。後の露払いくらいならオレがやってやる――お前はゆっくり寝てな」
誰もが上空を見つめて固まっているのを見て、ジュリアンは言った。
「おい、誰でもいいからそのエルフを安全な場所に運んどけ」
「りょ、了解した……だが、君は一体」
「ミルディアナの特待生って言えばわかるか? それより、用心しておけ。事はそう単純じゃねえ。またどでかい何かが起こるぜ。むしろ、これからが本番かもな」
ジュリアンがそう言った時、視界の端を何かが高速で横切っていった気がした。
そちらへ目をやると、街中を馬が暴れ狂うように走っていく姿を目の当たりにした。
それを見ていた軍人たちが慌てふためく。
「厩舎の方にも被害が出たか……」
「あ、あれでは領民にいらぬ被害を与えかねん。殺処分するしかないのでは」
ひそひそと囁きが漏れる中、ジュリアンはとある馬へと視線が釘付けになった。
明らかに他の馬よりも巨大な体躯を持つそれは、立派な白馬だった。
周囲の様子を確認するかのように首を巡らせたその馬は、とある地点を見つめた途端に両前脚を上げて立ち上がり、嘶きを上げてから凄まじい速度で走っていった。





