第35話「うたかたの剣」
僕は左手で握り締めたものの感触を確かめた。
黒くて長い触手のようなそれの尖端は、鋭い刃のようになっている。
おかげでそれを受け止めた僕の手のひらはぐずぐずだ。ま、すぐ治るからどうでもいいけど。
僕が力を緩めると、触手のようなそれは警戒したかのようにすっと主のもとへ戻り、瞬時に大剣の姿となった。
「……何奴」
「僕はテオドール。ミルディアナの軍学校の特待生で……まあ、こう見えても腕には自信があるよ。それよりも、君の持っているその剣は「邪剣」かい?」
「……」
男は何も語らない。
けど、その手に持っているのは間違いなく邪なる力を宿した剣。
神の力を借りて作り出された聖剣とは違い、様々な非道なる過程を経て作られた剣を邪剣という。
「その剣は破壊力にばかり目がいきがちだけど、その実態は『人を喰らう』ことに特化した代物に見える。そして、『喰らった人間の魂をその身に宿す』ようにもなっている。さっき、君が僕に差し向けてきた幽体の集合体たちはみんなその剣の犠牲者でしょ?」
「……貴様は、人間ではないな。『味』が違う」
「剣と味覚を共有しているのかい? 君とその剣の関係性は実に興味深いね。是非、詳細を聞かせてほしいものだけど――」
僕は片手に魔力を漲らせた。
晦冥術式で黒い剣を作り出して、それを黒尽くめの男へと向けて言う。
「話を聞かせてもらうより実際に戦った方が判断も早くつきそうだ。相手をしてあげるよ、かかっておいで」
その時、意識を失ったシャルロットを抱き支えていたエルザが言った。
「テオドールさま。いくら貴方であっても、あの男は……」
「大丈夫さ」
僕はあの邪剣を受け止めた手のひらを彼女に見せつけた。
刃で切り刻まれたはずの手にはもうその痕跡は残っていない。この程度の怪我ならすぐに治る。
それを見てエルザは驚いたように目を見開くものの、それでも口を開いた。
「しかし、」
僕は溜息を吐いてから、静かに呟いた。
「少し黙っていろ。興を削がれる」
「……っ」
「お前はその娘を抱いてただそこに座っていればいい。巻き添えになって死にたくなければ、邪魔だけはするな」
息を呑む気配が伝わってくる。これで大人しくなるだろう。
さて、僕は目の前の男を狩ることに集中しよう。
黒尽くめの男は、邪剣を強く握り締めた。
その黒い刀身から強い瘴気が溢れ出し、刃がいくつもの触手へと変わる。
「……行くぞ、レド・メスキュオレ。アレの息の根を止めろ」
瞬間、触手と化した刃が次々と石畳を貫通し、地中から僕へと迫ってきた。
地面が激しく鳴動し、地中から飛び出した触手の群れがあらゆる角度から僕を狙い撃ちする。
僕はその場を動かない。動けば、後ろにいる無力な彼女たちの身が危うい。
本体の邪剣からは闇の力が色濃く感じられる。闇の力を宿したそれは、同じく闇の力を有するものへの破壊力は薄くなるだろう。
迫りくる触手を、即席で作った魔力の剣で次々と弾き返す。
ヒュッ! と刃が僕の頬をかすめた。血が飛び散るが、大した問題じゃない。
しかしこのまま攻撃を防いでいるだけではどうしようもない。
僕は、黒尽くめの男との距離を測る。およそ10メートルといったところか。
この程度の距離なら十分だ――。
「……防戦一方か?」
「なかなか速くて捌くのに精いっぱいだよ」
鋭い刃を次々と打ち返し、金属音が響き渡る。
男は剣を石畳に突き刺した格好のまま棒立ちだ。
まるで最初からそこに置かれている銅像のように微動だにしなかった。が、いくら触手を振るっても弾き返されるだけの現状を見て、その瞳に少しだけ苛立ちの色が浮かぶ。――今だ。
僕は瞬時に魔法陣を描き出し、第8位階の業炎術式を放った。
周囲を焼き尽くすほどの炎が顕現し、男に襲いかかる。
それが黒尽くめの男に直撃するが、突き出されていた片手が魔力を無効化しているのがわかった。
「へぇ。第8位階程度じゃ効果がないのかな? 普通なら直撃すれば骨をも焼き尽くすものなんだけどね」
「……斯様な火遊び、某には通じぬ」
そうは言うものの、触手の勢いが弱まった。
ただ立っているだけで無効化出来るほどではないらしい。
そして――魔術への対処方法もあまり理解していないのがわかった。自らを上回る強敵と戦ったことがほとんどないからだろう。
「じゃあ、これはどうだい。防いでみなよ」
周囲は既に男の触手状になった剣の一撃によってめちゃくちゃにされている。今更手を抜く必要はない。
男が再び手を突き出した時、僕は術式を発動させた。
炎と風。2つの術からなる複合術式――第8位階の威力に相当する魔術を、男にではなく、男の立っている「石畳」へ向けて発動。
凄まじい爆発が石畳を吹っ飛ばした。
「……チッ」
男はすぐに跳び上がった。いい反応だ。
でも。
「隙だらけだね」
「!?」
黒尽くめの男の着地点を予想して、すぐに動いていた僕がその背後を取って片手に持っていた剣を振るった。
すぐに男の邪剣がそれを防ぐ。
ギシリという音が響き、互いの力が拮抗する中、僕は笑った。
「確かにそこそこ強い。君が普通の人間じゃないことがよくわかったよ」
「……貴様は何者だ」
「いやだな。純朴な少年以外の何に見えるって言うんだい?」
僕は剣を持った右手の力を若干弱めた。
好機と悟ったのか、男が一気に力を強めて僕を剣ごと切断しようとする。その瞬間、僕は術式を発動させる。
ドゴォッと耳をつんざくような爆発音が男の背後で鳴った。
僕は彼の剣を受け流し、背中からの魔術による奇襲に対処出来なかった男が前方に吹っ飛ぶ。
すかさず受け身を取った男が、僕を視認するより前に言った。
「これでおしまい。まあまあ面白かったよ」
男が反射的に僕を見ようとした瞬間、その首筋を切り裂いた。
鮮血が噴き出した。頸動脈を切り裂いたし、致死量と見て間違いない。
男は首筋を抑えながら倒れ込んだ。苦しそうにのたうち回るその姿を見下ろす。
「強かったけど、その邪剣の力に頼り過ぎだ。この程度じゃ、とてもじゃないけどあの大英雄は倒せないよ?」
やがて男は動かなくなった。
あくまで並の神使よりは強い程度か。
少しは楽しめたけど、何かが引っ掛かる。これくらいの力があれば、相手との力量差を測ることは出来るはず。なら、あの大英雄を敵に回すはずがない。
よもやそんなことすらわからない愚か者というわけでもないだろう。
何か裏が――。
僕の背後からわずかに放たれた殺気を感じ取って、片手でそれを受け止めた。
見れば、それは黒い触手だった。いつの間にか邪剣の一部が触手のようになって僕の背後に回り込んでいたらしい。
ということは。
「なるほど。君はまだ死んでな――」
凄まじい速度で男が跳ね起きて、邪剣を振るった。
僕はそれを受け止める。
黒尽くめの男が呻くように呟いた。
「……化け物が」
「1回死んだよね、君。何事もなかったかのように生き返る人にそんな風に言われるのは心外かな」
男が跳び上がり、距離を取ってこちらを睨んでくる。
僕は持っていた剣で肩をとんとんと叩きながら言った。
「一度死んだだけではびくともしない。流石は死者を操るだけのことはあるね。あと何回殺せば死ぬんだい?」
「……」
警戒してくる黒尽くめの男を見つめて、僕はにこっと笑った。
「2、3回じゃつまらないな。最低でも10回は保ってよ? ――ここまでずっと退屈だったんだ。ちょっとだけ僕の破壊衝動に付き合ってほしい」
「……何だと?」
「ああ、ごめんごめん。こんな風に言っても伝わらないか。じゃあ、はっきり言ってあげよう。僕のおもちゃになってよ。君が壊れるまで遊んであげるからさ」
「……戯言を!」
帝国ではこのくらいの強さを持つ者すら極めて稀だ。しかも1回殺しただけでは死なないらしい。
なら、せめてその身が再生しなくなるまで切り刻んでやろうじゃないか。
さあ、それじゃあ始めようか。僕のささやかなる暇潰しを。
◆
クロード・デュラスの蛮行に誰もが言葉を失っていた中、その中でも一番階級の高いカルサティ少将が言った。
「……い、一体どういうことですかな。何故、彼女を斬ったのですか……!」
「あの者こそがグランデン一帯の神殿を襲撃した犯人だからだ」
カルサティ少将の率いる隊員たちがざわざわと騒ぎ出した。
「何故、そのようなことがわかるのです……? むしろ彼女は我らと神殿を守るためにその身を呈して戦っていたではありませぬか! あのような少女を惨殺するなど、有り得ぬ所業ですぞ! それでもあの少女が神殿を襲撃した犯人だというのであれば、納得の行く証拠をお示しくだされ!」
「……その問いに答えることは出来ない。だが、見よ。あれを見て、なお貴君は「私が少女を惨殺した」と言えるのか」
老軍人が示された方向を見て、愕然とする。
そこには、血だらけで柱に身体を預けたまま絶命している少女の姿があった――いや、あったはずだった。先程までは。
だが、今は。
「……あー、いってぇー……」
未だ流血の止まらない首筋を片手で押さえながら、紫色の髪を編んだ少女はよろよろと立ち上がり、口端から血を垂れ流しながら言った。
それを見た兵士たちが一斉に騒ぎ始め、カルサティ少将ですら混乱したまま何を言ったらいいのかわからないといった表情で固まる。
トトは首筋から胴体までを深く切り裂かれていた。
骨をも両断する凄まじい一撃を受け、普通ならその上半身と下半身が分断されていてもおかしくないはずだった。
にもかかわらず、彼女は立ち上がったのだ。そして、トトは虚ろな瞳をクロードへと向ける。
「……おっかしいなぁー……トトって、大英雄さまにぶった斬られるようなこと、やらかしちまいましたっけー? そんな下手なこたぁしてねえつもり、で……ぐっ……ごぼっ!!」
喉に絡まった血の塊を吐き捨てた少女は、呼吸を荒らげながら続けた。
「どこでぇ……くっ。……っはぁ、はぁ……バレ、ちまったんですかねぇ……。後学のために、教えちゃくれませんかぁ、大英雄さまぁ」
血だらけの少女が口もとを拭いながら言うのを見て、軍人たちは「死者に憑依されたのではないのか」と囁き合った。
だが、クロードがその言葉を一蹴する。
「否。その者は死者ではない。紛れもなく生きた人間だ。普通の人間と違うのはただ1つ。死しても即座に回復するその能力。恐らくは邪なる神によって与えられた、驚異的な生命力のみ」
そう断言すると、トトの口もとは弧を描き……高らかに笑った。
「ふふっ……あっはっは! なーんだ、もうそんなことまでバレちまってるんですかー。さっすがですー、これにはトトも驚きましたー! でもぉ」
トトはそれまでの愉快そうだった顔を、急激に憎悪に歪めて叫んだ。
「トトの愛する、トトの敬愛してやまない、トトのすべてを捧げても構わない、トトの存在意義たる『女神』さまを邪神扱いしやがりましたね!? ぜってぇ許さねえ! ぶっ殺してやる!!」
状況を呑み込めない軍人たちとは違い、クロードは神剣による衝撃波を放った。
それは人間を超えた存在と化したトトですら見切れないほどの圧倒的なまでの速さ。
その神速の一撃を止めたのは、青い輝きを放つ剣だった。
「ふふー……さっすが、メアヴァイパーですー。よくトトを守ってくれましたねー」
主を守るためにひとりでに動き出した神剣メアヴァイパー。
だが、その神剣はトトに柄頭を撫でられた瞬間、がくがくと震えた。
それを見たクロードが言う。
「神剣が怯えているな。神剣とは元来、貴様のような外道に従うものではない。どうやってその剣を作った? 何故その剣を扱える? 神剣が怯える理由は何だ? 答えてもらうぞ、トトとやら。それまでは何度でもその首を刎ねてやろう」
「くっくっ……まーだそんな甘っちょろいこと抜かしてる時点で、所詮はただの人間。いくら力は強くても、ただの凡人! ――死ぬのはね、あんたの方ですよー、大英雄さまー!」
トトはメアヴァイパーを手にした右手を天に掲げた。
刀身から溢れる水流が渦を巻き、幾重もの水の槍となって軍人たちへと襲いかかる。
これには今まで動揺していた軍人たちも即座に反応し、魔術を使えるものは結界術式を張り巡らせた。が。
水の槍は結界術式を『すり抜けて』軍人たちへと迫る。
その数十にも及ぶ槍の攻撃を、クロードは神剣リバイストラから放たれる衝撃波ですべて防いでみせた。
槍の形状を保っていた水が、飛沫を上げてから蒸発したかのように消え去った。
「神剣に宿る力は魔力に非ず。神の力――神気にほかならない。いかに高度な結界術式と言えど、神気を防ぐことは出来ない」
「な、ならば」
魔術班の1人が術式を構築しようとするが、クロードはそれを止めた。
「やめよ。神剣は禁術程度の魔力であれば無効化する。貴君らの出る幕ではない」
一連の動きを見ていたトトは、圧倒的な劣勢にもかかわらずにやりと笑んだ。
「神剣のこと、よーく知ってるみたいですねー……さっすが大英雄さまですー。でも、所詮あんたはその程度。自分の神剣のことは知っていても、他の神剣のことなんてほとんど知らない。このメアヴァイパーはですね、別に破壊に特化してるとかそういうもんじゃないんですよー?」
もはや聞く耳は持たないとばかりにクロードの神剣による衝撃波がトトに迫る。
青き神剣メアヴァイパーがそれを防ぐ中、トトは言った。
「お遊びはおしまいですよー? さあ、メアヴァイパー。あんたの真の力を見せる時ですー!」
トトがメアヴァイパーを強く握り締めた時、まるで意識を持った生物であるかのようにその神剣は彼女から離れようとした。
だが、トトの力には敵わず再び天高く掲げられる。
それと同時にメアヴァイパーの刀身が青く光り輝き、そして。
『キヤアアアアァァッァァァァァァッ――!!』
女性の断末魔の叫びと酷似した聞くに堪えない音がメアヴァイパーから発せられる。
その光を見、叫喚を聞いた者たちは全員がその場で固まったかのように動かなくなる。
トトはそれを確認するやいなや、すぐにどさりとその場へ倒れ込んだ。
クロードに斬られた影響と、メアヴァイパーの『能力』を使った反動が彼女の身体を深く苛んだが、トトは脂汗を流しながら呟いた。
「くっ、畜生……いってぇ……。ハインの馬鹿野郎のせいで大幅に予定が狂っちまいました……あの馬鹿、後で見つけたら3回くらいは殺してやらねえと……」
行動を共にしていた相棒の思わぬ行動に振り回されたのを嘆きつつ、トトはくっくと笑った。
「でもまぁ、ようこそ、夢の世界へ。そこで、あんたらがいっちばん大事にしていた者と出会い、再会の喜びを分かち合い、夢心地でいる間に――1人残らずみぃんなトトがバラバラにしてあげますからねー……ふふふっ」
それまで喧騒に満ちていた神殿からは、もはや何の音もしなかった。
まるでその場にはもう誰もいないかのように、誰も何も言わず、ただその場で佇みながら虚空を眺めているだけだ。
そして、主の手に握られたままの神剣メアヴァイパーは、すすり泣くかのようにかたかたと震えていた。





