幕間「妻の労い~嗚呼、やはりメイド妻はいいぞ~」
試験場から少し離れた広場の宿屋。数日前からお世話になってる部屋のベッドに座り込んで、僕は満足して頷いた。
「キース、シャウラ、そしてロカ。今日は将来有望な子が3人もいた。なかなかのものだと思わないかい? レナ」
すると今まで何の気配もしていなかった僕の背後の空間が揺らぎ、銀髪のメイド少女が現れて僕の身体を背後から抱きしめる。
「ルシファーさまぁ……ふんふん……はぁ……ルシファーさまの匂いぃ」
完全に聞いてないな。というか、この姿勢だと彼女の豊満過ぎる胸がぎゅうぎゅうと押し付けられる。本当の戦とは程遠い些細な遊びだったとは言え、久しぶりに戦ったことで昂揚してる気分が更に昂りそうで困る。
「ルシファーさま、肋骨の方は大丈夫ですか? 私が撫でて癒して差し上げますね」
うん、君が撫でてるの脇腹じゃなくてへそだよね。しかも手がだんだん下の方にズレていってるのはどうしてかな?
「骨折ならもう治ってるから平気だよ。痛みも引いたし。それよりレナ、真面目に聞いてるんだけど」
「あの獣人の女共はルシファーさまを散々なじったり痛めつけました。今すぐにバラバラにしてしまいたいです。ご許可を頂けませんか」
「あげないよ。で、どうなの? 悪くないはずだけど」
将来が楽しみだという意味を込めて言うものの、レナはいまいち乗り気ではない。
「力は認めます。でも、今日の様子を見る限り、勇者やそのお付きの候補になるまでの苦難に耐えられるとは思いません……」
「それは自分の経験からそう思うのかな、元勇者さまは?」
レナは僕の首筋に鼻先を寄せたままこくりと頷いた。
「勇者に必要なのは力だけではなく、強靭な心です。それも気高くて崇高なものとは程遠い、傲慢そのもののような歪んだ自尊心が。でもなければ、勇者になどなれません」
「そうかい? 僕を討伐しにやってきた君はとても光に満ち溢れていて、尊い存在に見えたよ?」
「そんなことはありません。勇者と認められるまでの過程で、私は疲れ切っていましたから。人間たちのどうしようもないほどの悪意を散々目にしてきて……今思えば、どうしてあのように律義にルシファーさまを討伐しに向かったのかが不思議なくらいです」
勇者になるまでの過程はレナと過ごす長い時間の中でゆっくりと聞いてきた。
当時、国内最強だった彼女は向かうところ敵なしの状態で勇者育成機関でも常に最前列に立っていたのだという。そしてそれを快く思わない者たちがたくさんいたとも。
それは彼女が貴族でもなんでもない、元はただのメイドという存在だったからという理由もあるのだろう。貴族や王族たちの目は貧民や平民には冷たい。
「弱い者が強い者の足を引っ張るというのは、どの種族でも同じだね」
魔族の中でもそういう問題は少なからず起きたものだ。僕がまだ魔王でなかった頃も、先代を殺してルシファーとなった後も色々あった。
でも僕はそれを全部力で抑え込んできた。
「ルシファーさまはどんなに足を引っ張られてもびくともなさいませんよね。素敵です」
「君たちが助けてくれるからね。これからもよろしく頼みたいな」
「もちろんです! 私はこの身も心もルシファーさまに捧げております。この肉体が滅ぶまで、いや滅んだ後に幽体になってでも貴方さまのお傍にお仕え致します」
レナが力強く抱きしめてきた。柔らかくて心地良い。
だけど、ちょっと今はまずいかも。
「ルシファーさま? いかがなさいました……あら? ふふ、もしかして昂っていらっしゃいます?」
「軽く、ね」
実は軽くじゃなくてだいぶだった。先程から背中に押し当てられる得も言われぬ感触に理性が吹っ飛びそうだ。
「あの獣人の娘たちにも随分と熱い視線を送っておられました」
「それは、さっきも言ったように先が楽しみだなって」
「本当にそれだけですか? あそこが試験会場などではなく、他に誰もいない廃墟や荒野だったらルシファーさまはあの娘たちをどうなさっていたのでしょう?」
くすくすと笑うレナが僕の耳をつつと舐める。本当に、何もかもお見通しだなぁ。当然僕がもうそろそろ限界だというのもわかってるんだろう。
「明日は魔術の試験です。ルシファーさまが昂り過ぎて、誤ってこの都市全体を吹き飛ばしたりなさらないように私が少しだけお鎮め致しますね」
「……ああ。試験内容はわからないけど、そういうこともあるかもしれないね。じゃあ、レナ」
「いけません、ルシファーさま」
「? 何がだい?」
ベッドの上で僕の前に回り込んだレナが、僕の額におでこをくっつけてくる。
「2人きりの時くらいは、いつもの貴方さまのあるがままの口調でお願い致したく存じます」
「そうすると粗野で乱暴になるからって、帝国に来るまでに散々矯正したのはレナじゃないか」
「アレは人間を怯えさせないようにするため。私だけには構わないのです。2人きりの時だけは、いつものルシファーさまでいてください」
ぱっちりとした濃紫色の瞳が愛くるしい。その銀糸のように美しい髪の毛を梳る。嗚呼、この感触が私の理性を溶かしてしまう。
まあ、今だけならいいか。どうせここには私とその所有物しかいないのだから。
「……やれやれ。わがままだな、お前は。今宵は寝かせんぞ」
「っ……! はぅ、ルシファーさま……!」
レナを乱暴に押し倒した。
ベッドの上で長い銀髪を乱し、扇情的な瞳で見つめてくる彼女の唇を奪ったところで記憶が飛んだ。
部屋のカーテンを開けると、眩しい朝陽が室内を照らし出した。
「もう朝か……早いな」
服装を軽く整えて、ベッドに視線を……やらない。
理性が飛ぶ光景が広がっている。だから私はひと声かけるだけにした。
「大丈夫か、レナ」
「……」
「レナ」
彼女は乱れた呼吸を整えるのに苦労している様子で、まるで熱にうなされたような声で言った。
「……ぁ……はい、大丈夫、です」
「無理はするな。そのまま寝ても構わん」
「ルシファーさま」
「うん?」
「続き、なさいませんか? 試験などもうどうでも良いではありませんか」
……いかん。
「る、ルシファーさま、どちらへ?」
「私は一足先に外へ出ている。ついてくる気があるなら、その……色々と整えてから来い」
「……かしこまりました」
少しだけ残念そうに言う彼女の姿は見ないまま、部屋を飛び出す。
2階に借りていた部屋の前にある階段を降りると、宿の女将と出くわした。
「ちょっとあんた」
「何だ……いや、な、何かな?」
女将は私……いや、もうこれはダメだ。切り替えよう。僕だ、僕。
僕の顔をじろじろと値踏みするように見ながら言った。
「見かけによらず凄いのねぇ。若くて元気があって激しいのはわかるけど、床抜けないようにしてちょうだいね。ここ古いんだから」
しまった。軽く結界を張って防音にでもしておけば良かったか。そんなことすら考え付かないとは。
「ご、ごめんね。あはは……」
僕はそのまま用意されていた朝食を軽く済ませてから外へ出た。