第34話「黒き暴風」
生ける屍が襲いかかってくるのを、シャルロットは笑いながら待っていた。
小首を左右に振りながら、心底楽しそうに殺戮の刻を待っている。
首を刎ねるとすぐに止まってつまらない。少しずつ刻んでいって、最期にトドメの一撃を頭に喰らわせてやろうか。
それとも、四肢をもいで、それでもなお襲いかかってくるのかどうか試してみようか。
初めての戦場では、人間や竜族を相手にするものだとばかり思っていた。
だからこそ、こうして死者に囲まれている予想外の現状が楽しくて仕方がなかった。
少し傷つけただけでは動じない。普通の人間よりも強固な肉体に、自分の剣はどこまで通用するのか。
「んー。とりあえずはぁ」
青白い炎に燃やされ、幽体に意のままに操られるだけの屍と化した街の人間たちを眺める。
そんな少女の背後には、今までにバラバラに斬り裂いて仕留めた亡骸が無残に転がっていた。石畳には夥しいほどの血液や臓物が散らばっている。
シャルロットが両の手に持っている剣は、そのいずれもが真っ赤な血と黄色い脂に染まっていた。
だが、そんなことを気にした様子もない少女は次の獲物を決める。
「あっ、果物屋のおばあちゃんだ。もう死んじゃったんだね」
大した感慨もなく言ってから、のろのろと近寄ってきた死者の老婆の片腕を斬り飛ばす。
体勢を崩した老婆が下手な踊りをするかのように足元をふらつかせながら、その場に倒れ込んだ。
だが、その死者はすぐに顔を上げて生気のない瞳であらぬ方向を見つめる。
シャルロットはその老婆の近くに寄り、声をかける。
「ねえ、おばあちゃん。いたい? いたくない?」
『ウゥ……アァァ……』
「片腕だけじゃわからないかなぁ。じゃあ、次はぁ」
シャルロットが狙いを定めて剣を振るおうとした時、魔力の塊が老婆の身体を直撃した。
真っ赤な炎が上がり、その哀れなる屍を徐々に焦がしていく。
それを見たシャルロットが頬を膨らませながら、後方を振りかえった。
「エルザー! どうして邪魔するの?」
「シャルロットお嬢さま。死者を辱めるような真似はおやめください」
「はずかしめ……? よくわかんないけど、もう死んでるんでしょ『これ』」
エルザは無表情のまま、この身に余る力を持ってしまった少女に伝えなければならないことを言う。
「そのような行ないを、奥さまが……ナスターシャさまがお望みになるとお思いですか」
今まで微笑を崩さなかったシャルロットが、眉根を寄せて不快そうに口を開いた。
「またそうやって、母さまのお話しをするんだね」
「何度でも申し上げましょう。あのお方は――」
「母さまはどこにいるの?」
エルザは咄嗟に言葉を紡ぐことが出来なかった。
それは以前にも少女が口にした言葉。そして、少女が今も心に抱えている底知れない闇の一端だった。
「母さまは死んだんだよ。もういない。わたしのとなりにも、お墓のなかにも、おそらの上にも、どこにもいない」
「そのようなことはございません。奥さまは死してなお、そのお心はずっとシャルロットお嬢さまのお傍に――」
メイドの言葉を遮るかのようにシャルロットが叫んだ。
「いないよ! どこにもいないの!! こんなに死んだ人がいっぱいいるのに、母さまはいないよ? そんなにわたしのことを心配してくれてるなら、すぐわたしのところに来てくれるはずだよね? でも、こないもん! 幽体だってなんだっていいから、会いたいってずっと思ってたけど、ちっとも来てくれないもん! 母さまがわたしの前に出てくるのはいっつも夢のなかだけ! いつもいつも、いっつもいっつも苦しそうな顔をして『助けて』って言うだけ!!」
シャルロットは、泣き出したいのを堪えるかのように下唇を強く噛んだ。そこから血が滲み出るのも構わずに、息を荒らげながら続ける。
「でも、わたしが目をさましたら母さまはいない。苦しそうな顔をした母さまは、結局ぜんぶわたしの夢のなかの存在。ただのまぼろし。ほんとうの母さまは、もうどこにもいない」
「……シャルロットお嬢さま……」
「あの時のわたしは母さまを助けてあげられなかった。でも、今はちがう。むかしみたいに弱くない」
シャルロットは淀んだ瞳をしながら言う。
「わたしは、母さまをあんな風に殺した奴を許さない。ぜったいに許してやらない。そいつがどれだけ強くても、かならず捕まえて、いっぱいいっぱい苦しませてから――めちゃくちゃに! バラバラに斬り裂いて! 血も肉も骨もみんなぐちゃぐちゃにしてから殺してやるの!!」
シャルロットは狂乱したかのように叫んだ後、それまで泣き出しそうだった表情をふと掻き消してから言った。
「どこにもいない母さまにわたしがしてあげられることはそれだけ。泣いてるひまも、悲しんでるひまもないの。ただ戦って、強くなることだけが出来ればそれでいい。だから邪魔しないでエルザ。それでも邪魔するっていうなら、エルザだって――」
「ならばその剣で私を斬りなさい」
「……えっ」
まるで予想していなかったことを言われたかのように、シャルロットは間の抜けた声を出した。
エルザは無表情のまま、シャルロットへ向けて言う。
「シャルロットお嬢さまのお気持ちも悲しみも、もはや私程度には推し量ることすら出来ません。仇を求めて強くなりたいという願いも、危険だからとお止めすることすら叶わず。そして力で押さえつけることすらままならず、私の言葉も貴女さまのお心には届かない。なれば、この身は既に不要」
「……えっ……? あ……う……?」
「私はもとよりシャルロットお嬢さまの守り手。ですが、貴女さまの行ないはもはや人道にもとる所業にほかなりません。奥さまも旦那さまも、そのようなことはお望みではありません。それ以上、むやみに死者を痛め続けるおつもりであれば、この身を呈してでもお止め致します。それが邪魔であれば、容赦なく私を斬り捨てるがよろしいでしょう」
シャルロットが困り果てたかのように剣を下ろした時、他の死者が少女へと襲いかかるが、エルザの魔導銃から放たれた魔力の塊が彼らを燃やし尽くす。
「え、エルザ……?」
いつもは小言を言うことはあっても、なんだかんだで従ってくれていたメイドが放った言葉は、強い覚悟を秘めていたシャルロットの心にすら強い動揺を与えた。
何と返したらいいのかわからない。少女が混乱していた正にその時。
エルザの後方の石畳から次々と黒い槍のようなものが突き出し、その鋭い刃は咄嗟に異変を察知して回避しようとした彼女の足首を抉った。
「くっ……!」
「え、エルザ!?」
石畳から無数に突き出ていた黒い槍が、触手のようにうねりながら回転。わずかに体勢を崩していたエルザに向かって、一気に襲いかかってきた。
「エルザ!!」
シャルロットは動揺していた気持ちも忘れて、エルザに向かって体当たりをするかのように飛びかかる。
彼女を巻き込んだ衝撃をそのままに近くの民家の壁に激突した。
エルザを獲物と定めていた黒い触手状の槍は、彼女が立っていた石畳を貫通する。
しかし、獲物を捉えられなかった触手はすぐに引き抜かれ、再び枝分かれしたかと思いきや次々と周囲のものを突き刺し始めた。
建物はおろか、死者たちをも巻き添えにして、縦横無尽に暴れ狂う触手は黒い暴風のようだった。
「……シャルロットお嬢さま……!」
「エルザ! 平気!? 大丈夫!?」
「問題ありません。少し、足を負傷した程度です」
その言葉につられて、エルザの足を見たシャルロットは息を呑んだ。
右の太腿から足首に至る部分の肉が抉られ、わずかに骨が露出している。負傷したなどという言葉で片付けられるようなものではなかった。
もし直撃していたら、今頃は。
ふと、あの触手のようなものが抉った石畳へと目をやった。
堅いそれを容易に貫通し、抉っている。
それは、まるで――かつて惨殺された母に刻まれた傷痕のように思えた。
混乱していたシャルロットの前に、ゆっくりと何者かが近付いてきた。
すぐにそれを察した少女が見ると、そこに立っていたのは長身痩躯で黒尽くめの人物だった。手には剣の柄のようなものを手にしているが、その刃があるはずの部分は無数の黒き触手となって街中を暴れ狂っている。
「だ、誰!?」
「……シャルロット・デュラスか」
自分の名前を言い当てられて、ますます混乱したものの、シャルロットはすぐに立ち上がって剣を構え直す。
「シャルロットお嬢さま、なりません」
「わたしがエルザを守る」
表情を堅くしたシャルロットが冷や汗を流しながら言う。
一目見ただけでわかった。目の前にいるこの存在が自分を超える化け物であることが。
だが、少女は怯えはしなかった。大事な者を守るために一歩も退きはしない。
「……その血肉の味に興味はあれど、斯様な童を無下に殺めれば、真なる楽園への道は遠ざかる」
「なに言ってるか、全然わかんない……けど、お前は許さない。エルザを傷つけたお前は絶対に」
憎しみの籠もった瞳を向けられても、黒尽くめの男は動じた様子もなかった。
そんな男を見つめながら、シャルロットは言う。
「母さまを殺したのは……お前?」
先程の抉られた石畳の様子を思い出しながら問うが、男は何も答えない。
ただ無言でシャルロットを見つめているだけだった。
その瞳は形容しがたいものだった。敵意を向けるでもなく、嘲笑うようなものでもなく――それらとは逆に、穏やかなもののように見える。
戦場には似つかわしくない瞳に動揺を覚えたが、シャルロットは長身の男をきっと睨んだ。
「答えないならそれでいいよ。手足を斬り飛ばして、お前が死ぬ前にもう1回聞いてあげるから」
「……神の加護を受けし大英雄の娘か。命が惜しくないとあらば……少しばかりそのままごとに付き合ってやろう」
「子供だからって油断してるやつはみんなやっつけた。お前も同じ!」
シャルロットが瞬時に距離を詰め、黒尽くめの男に斬りかかる。
が、少女の刃は男が立っている目の前の地面から突き出した黒き槍によって弾かれた。
渾身の一撃だったが、びくともしない触手とは対照的に、シャルロットが右手に持っていた剣は簡単に砕け散った。
「くっ……!」
「……話にならぬ。次はこの手で受け止めてやろう……」
生気のかけらも感じさせない男は、黒い槍を地中に戻した。
周囲の物をあらかた破壊し尽くしたからなのか、槍はすぐに縮まって収束し、剣の形へと戻っていった。
その大剣を石畳に突き立てて、ただ佇む男の様子を見てシャルロットは片手に残った剣を構える。
「――フッ!」
シャルロットは、一瞬でその場から姿を消したかのような速度で飛びかかり、男の首を刎ねようと剣を振るう。だが。
「なっ!?」
「……笑止。非力さを補う速度も、亀が這うが如し」
剣を片手で受け止めた男は、その刃を軽く握り潰した。
信じられない光景を目の前にして、一瞬だけ判断の遅れたシャルロットの腹部に蹴りが入れられる。
「お嬢さま!!」
シャルロットはまるで突風に巻き込まれたかのように吹き飛ばされたが、空中で姿勢を整えて何とか着地してみせた。
しかし、すぐにその場で脱力する。そして。
「うぐっ……うぇっ……!」
胃の内容物を吐き出して、身体を痙攣させた。
生理的な反応で自然と涙が溢れ、視界が滲んだ。
それでも必死に顔を上げて男の様子を見据える。
「……雑兵に毛が生えた程度か。非力なる童であれば致し方なし」
無感動な瞳でシャルロットを見つめていた男に向かって、エルザはすぐに魔導銃の銃撃を放った。
魔力の塊はすぐに男に直撃した。が、しかし。
「なっ……」
男は片手で魔力の塊を受け止め、そのまま雲散霧消させた。
魔導銃の威力を最大限にまで解き放ったその一撃は第7位階の魔術に相当する一撃だったにもかかわらず。
「……玩具の扱いに多少秀でてはいてもそれが何になる。虫けらが如し。そのまま逝ね」
石畳に突き立てられていた大剣の刃が再び触手のように変形し、エルザの身体を射抜こうと迫る。
シャルロットはすぐに反応して、エルザの前に立ち塞がる。
触手状の槍が少女のわき腹を抉った。
「きゃぅっ……!」
「お嬢さま!? 何を、何をしているのですか!?」
「え、エルザは……わたしが守る、の」
今までに経験したことがないほどの激痛。
どくどくと脈打ち、熱した鉄を肌に押し付けられたような痛みが少女の声を振るわせる。
致命傷には至っていないが、少女のわき腹から多量の鮮血が溢れ出る。
黒い触手が地面に垂れたそれを舐め取るかのように擦った時、黒尽くめの男は感嘆したかのように呟いた。
「……美味なり。童の血肉を啜り喰らうことは禁忌なれど、この芳醇な味を忘るることなど出来はせぬ……」
触手がまるで意思を持った生物のように、シャルロットの肩や太腿を貫いた。
「ぐっ……!!」
「お嬢さま、私のことなど放って早く逃げなさい!」
「い、いやだ……!! え、エルザも……わ、わたしの……大事な家族……だか、ら」
その場から立ち上がることすら出来ないメイドを庇うように抱きしめ、その場に蹲るシャルロット。
しかし、あまりにも激しい痛みと多量の出血が少女の意識を混濁させる。
エルザが死ぬ。
そのことで頭がいっぱいになったシャルロットは、それまでの抑えきれなかった狂気すら忘れて、大事な家族を守るためにその姿勢を解かなかった。
「……嗚呼、もはやこの血肉を味わえぬのか。柔くて芳醇な童の血肉……まだだ、まだ足りぬ。だが……」
穏やかだった男は片手で頭を抱えて、何事か意味不明なことを呟き続ける。
しかし、それも長くは続かなかった。
「くっ、くくっ……1人なら、構わぬか……1人だけなら、喰らってしまっても、構わぬか……この味はこの肉体が朽ち果てるまで、決して忘れはせぬ……!!」
黒い触手がうねり、メイドを庇うように蹲っている少女の背中にぴたりと狙いを定めた。
そして、触手が高速でその小さな背中を穿とうとした時。
「子供を食べるだなんて悪趣味だね、君は」
ギシンと音を立てて、黒き触手が受け止められた。
それを素手で掴んでいたのは、鮮やかな青髪をした1人の少年だった。
「ふぅ、余計な邪魔が入ったせいで少し遅れちゃったよ。大丈夫かい、2人とも」
「えっ……あ……」
意識を失いかけていた少女が振り返ると、そこには微笑を浮かべた少年が立っていた。
いつ現れたのか、青髪の少年――テオドールは、すべてを破壊し尽くしてしまうほどの威力の触手を片手で握り締めながら言う。
「よく頑張ったね、シャルロット。後は僕に任せて、ゆっくり眠っているといい」
その言葉を聞いて、シャルロットはふと安堵したかのように薄く笑った後、エルザの身体にもたれかかるようにして倒れ、そのまま意識を失った。
◆
グランデンの神殿は死者の猛攻に晒されていた。
だが、大量に襲いかかってくる死者たちのすべてが一瞬で蒸発したかのように消え去る。
クロードの神剣リバイストラから放たれる、神気による衝撃波が死者の身体を容易に切り裂いた。
圧倒的な耐久力を誇る幽体の群れが瞬時に消え去るような凄まじい破壊力を持ちながら、その衝撃波は周囲の人間や建物には一切の被害を与えてはいない。
その光景を少し離れた場所から見ていた、紫色の髪の少女は思わず乾いた笑いを漏らした。
(いやー、まず斬撃がほとんど見えねーんですけど……何がどうなってるんですかねー)
その場にはカルサティ少将率いる部隊の者たちも残っていたが、その誰もがクロードの行動に目を奪われていた。
そんな彼らに迫る幽体も、気が付けばクロードの神剣による衝撃波によって跡形もなく消し飛ばされるのだ。
歴戦の猛将と謳われた老軍人ですら、剣を振るう腕を止めてただそれを眺めるしかなかった。
やがて迫りくる死者たちの数が目に見えて減っていき、遂には神殿の周囲からは死者の姿が消え去っていた。
激戦のように思えたが、この神殿に待機して死者たちを完全に退けるまで、クロードがその場から一歩も動いていないことに気付いたのはトトだけだった。
(ゼナンでの英雄譚は誇張でもなんでもねーっていうか……むしろ、聞いてた以上にやべえって言うしか……)
先程まで楽々と幽体を屠っていた少女は、あまりにも凄まじい光景を目の当たりにして衝撃を通り越してやや呆れたような表情をしながらクロードに近づいた。
「あー、そのー……マジで何者なんですかあんた……」
「トトとやら。怪我はないか」
「えっ、あ、ああ、もちろんですー……」
たとえクロードがいなくても、かすり傷すら負っていなかった自信のあるトトだったが、歯切れの悪い言葉しか思い浮かばなかった。
次元が違う。
そうとしか形容出来ない相手を前にして震えのようなものが走るが、軽く頭を振ってから気を取り直して言った。
「デュラス将軍の活躍で死者がいなくなっちまいましたねー……これからどうするんですー?」
「既に次の行動は決めてある」
「ほほー? それはなに――」
目にも止まらぬ斬撃がトトの身体を切り裂いた。
相手を両断するほどの凄まじい一撃が少女の身体をふっ飛ばし、華奢な身体が神殿の柱に激突する。
その場にいた誰もが予想外の行動を見て、ただ佇んでいるほかなかった。
目の前で起こったことが、まるで理解出来なかったのだ。
血飛沫を上げながら柱に全身を強打した少女は、その場に力なく倒れ、その手に持っていた神剣メアヴァイパーがからりと音を立てて地面に転がった。
トトを切り裂いた主――クロード・デュラスは、それまでと変わらない動作で血払いをするように剣を振るった。
大英雄の瞳には、人間を斬り殺したという感慨など何も浮かんではいなかった――。





