第33話「迫りくる死者の手~後編~」
神殿の周囲に大量の青白い炎が出現した。
だが、神殿で臨戦態勢を整えていたのは精鋭揃いだった。
数十を超える青白い炎が襲いかかってくるのを前にしたクラリスが叫ぶ。
「魔導銃――斉射!」
彼女の後方で魔導銃を構えていた隊員たちが、一斉に銃撃。
弾倉に込められた魔石から発せられる魔力が、銃身の内部に刻まれた魔法陣により第2位階程度の魔術として放たれる。
それらが狙い過たず青白い炎に直撃するが、威力が弱いために完全に消し飛ばすには至らなかった。しかし。
クラリスは腰に括りつけていた剣を手にしてそれを振るう。
刀身が蛇腹のようになっていた剣が一気に伸長し、鞭のようにしなりながら数体の青白い炎――幽体たちを切り刻んだ。
瞬間、剣から迸った電撃が周囲に群がっていた幽体たちを一掃する。
「フレスティエ少尉! 魔導銃の威力を上げては――」
「なりません! 市街地で狙いを外せば、いらぬ被害が増えるだけです。威力は最小限度に留め、幽体たちを射抜くことだけを考えなさい! 弱った相手は私が纏めて始末します」
クラリスは手にしていた聖剣――セプス・エクレイルを瞬時にして元の長さへと戻した。
彼女の意識に呼応する聖剣は、フレスティエ家に代々伝わる家宝である。持ち主の魔力を高め、雷の術式をより高い精度で扱うことが可能となる。
いずれはこの聖剣を手にする日が来るとは思っていたが、いざ使ってみると聖剣は自由自在に動いて彼女の意のままに幽体を切り裂き、雷の術式によって消滅させた。
しかし、先に自分が言ったように、街中では大規模な術式を扱うわけにはいかない。
そのため、魔導銃による攻撃の後に、あえて威力を低く保った一撃を加えることで幽体を消滅させてきた。
クラリスは後ろで控えている者たちへと振り返った。
「怪我をした者はいませんね!?」
「はっ! 問題ありません!」
「大丈夫ですよー、フレスティエ少尉ー! 少尉がすぐに幽体の気配を察知してくれてるんで、燃やされずに済んでます」
イリア一等兵が言うように、クラリスは神経を集中させて周辺に漂う幽体の気配を瞬時に察知して小隊の者たちに攻撃指令を与えた。
速やかな行動により、今のところ死傷者は出ていない。
だが、敵は青白い炎だけではない。既に幽体に取り込まれて生ける屍となった者たちも少なからず存在した。
他の場所では対処出来なかったのだろう。無理もない。死者と戦うことなど、ほとんどの者が想定していなかったのだから。
一方、この神殿の周辺にいる者たちはクラリス率いる小隊以外にも誰1人として犠牲者を出してはいなかった。
その時、年老いた軍人の大音声が響き渡った。
「怯むな! 神出鬼没とはいえ、幽体どもの動きは緩慢だ! 警戒さえ怠らなければ恐るるに足らず!」
カルサティ少将が指揮下の者たちを奮起させるかのように言いながら、近づいてきた幽体を剣で切り裂いた。
聖水によって神聖な力を込められた剣は、本来なら物理攻撃をほぼ無効化してしまう幽体であっても切り裂ける。
老いたとはいっても、少将の階級に恥じない力を持っているようだった。
――そして、神殿の入り口では。
神剣リバイストラを手にした手の力を緩め、佇んでいる金髪の将の姿があった。
瞼を閉じ、まるで瞑想でもしているかのように感じるその様は一見しただけでは隙だらけにしか思えない、が。
すぐ傍の地面から湧いて出てきた青白い炎が一瞬にして掻き消えた。
クラリスが認識出来たのはそれだけだった。
はっと気付いた時には、大英雄クロード・デュラス将軍はたったいま幽体を切り裂いたばかりの神剣を軽く振るい、何事もなかったかのように立っていた。
(……い、いつ、剣を振るったのですか……?)
その一部始終を見ていたクラリスは、クロードの斬撃を見ることすらかなわなかった。
幽体が瞬時に消え失せ、彼が血払いをするかのように神剣を軽く振る動作をしなければ、そのまま立っているようにしか思えなかっただろう。
自分の力に絶対の自負を持っているクラリスですら、言いようのない感情を覚えずにはいられなかった。
ごくっと唾を呑み込んだ時、その場の雰囲気とは打って変わって陽気な声が響き渡った。
「ほらほら、どうしたんですー? あんたらみたいなノロマに捕まるほどトトは弱っちくないですよー? そら、メアヴァイパー! 出番ですよー!」
メアヴァイパーと呼ばれた剣の青い刀身から、水流が噴き出し、槍のようになって青白い炎たちを次々と串刺しにしていった。
凄まじい勢いの水流が固い石畳をも容易に貫通しながら、青白い炎たちを次々と屠る。
その一撃がカルサティ少将率いる隊員たちの目の前にまで迫り、恐怖を覚えた者たちが後ずさりを始めた。
「そこの若いの、やり過ぎだ!」
「ありゃー、すんませんー。トトは手加減ってのが苦手なんでー」
紫色の髪を編んだ少女は、まったく悪びれる様子もなく言いのけた。
老軍人が溜息を吐いた時、それまで劣勢だった青白い炎たちがお互いに身を寄せ合った。
「ぬ!? 皆の者、注意しろ! これは……」
青白い炎たちが一纏まりになった途端、炎の勢いが一気に強くなり表面に人の顔のようなモノが浮かび上がった。
『オ……オォ……!!』
それは紛れもない死者の叫び。
苦痛に苛まれながら命を落とした者の苦鳴だった。
「総員、構え――」
カルサティ少将が号令を下す前に、一塊となった巨大な青白い炎がクロードの眼前に迫る。
今までの緩慢な動きとは明らかに違う速さに、クラリスでさえ反応するのが遅れた。
集合体となって巨大化した炎が切り刻まれ、跡形もなく消滅したのはその直後だった。
誰もが何故そんなことが起こったのか理解出来ない顔でいる中、先程とまったく変わらない動作で神剣を振るった金髪の将がゆっくりと瞼を開けて言った。
「戦力が集中し過ぎている」
「は、はい……?」
老軍人が訊き返す中、クロードは続けた。
「神殿の警備を厳重にするのは至極当然。しかし、この場に戦力が集中した結果がこの有り様だ。これより、この場は私と一部の者だけで対処する。貴君らは急ぎ、各地に増援となりて馳せ参じよ」
危険ではないか、とは誰も言えなかった。
歴戦の猛将であるカルサティ少将も、その力を上回る若き神使クラリス・フレスティエ少尉も、誰もが異論を差し挟むことなど出来なかった。
それでもまだ決心がついていないであろう老軍人に向かって、紫色の髪をした少女が言った。
「ここは大丈夫ですよー。あの大英雄さまとトトで守っちまうんでー。他の人たちはいらねーですー。むしろー……」
トトは不敵に笑う。
「邪魔ですー。雑魚はとっとと他の場所に行ってくれますー?」
「な、何を言うかこの小娘が……!」
「『事実』を言っただけですよー? それに、トトはさっきも言ったように手加減が苦手なんですー。あんたらも巻き添えにして全部ぶっ壊すのも、それはそれで面白そうですけどねー?」
少女の挑発に憤る者もいたが、彼女の優秀さはこれまでに嫌というほど見せられた。
その場にそぐわないお気楽な態度とは裏腹に、凄まじく洗練された動きで軍人をも遥かに上回る活躍をしてのけたのだ。
一部の者は戦意を喪失してもおかしくないほど、少女の実力は計り知れないものがあった。
だが、クロードがそれを窘める。
「トトといったな。これ以上、我が軍の士気を下げるつもりならばこの場には不要。疾くこの場から立ち去るがいい」
「おーっとっと……失礼失礼ー! 思わず本音が出ちまったってことで勘弁してくださいー! トトももっともっと戦いたいんですよー! というわけで、この場は大丈夫なんでー!」
軍の者たちが動揺する中、クロードは矢継ぎ早に指令を出した。
そして。
「フレスティエ小隊は高等魔法院へ向かえ」
「っ! ……や、やはり、この場には置いて頂けませんか……」
「私はお前の力は信じている。故に他の場所に派遣することとした。以上だ」
「……くっ」
クラリスはぎりっと歯噛みした。
この人は、まだ自分を認めてはくれないのか。そんな思いが募っていく。
「フレスティエ少尉。街の防衛に徹することに努めよ。この死者の動きを見れば、某かが関わっているのは明白だが今は捨て置け。街を守り、民を守ることこそ軍人の役目だ。それを忘れるな」
「……わかって、います……!」
クラリスは苦々しげにそれだけ言うなり、踵を返した。
それを心配そうに見ていた女性の軍人が声をかける。
「ふ、フレスティエ少尉ー? 大丈夫ですか?」
「……イリア一等兵。デュラス大将閣下の仰せの通り、高等魔法院へ向かいます。皆に準備をさせなさい」
「りょ、了解です。あ、あのー」
「まだ、何か?」
「私なんかフレスティエ少尉より全然階級は低いですし、頭も良くないですけどー、一応年だけは上なんで。デュラス将軍は何も少尉を除け者にしたいとか、眼中にないとか、そういうことはお考えではないと――」
「わかっています!! 用はそれだけですか? 早く準備を済ませなさい!」
イリア一等兵の言葉を遮り、叫ぶように言ったクラリスがそのまま早足で去っていってしまう。
自分よりも年下の少女が背負う重責を慮って、イリア一等兵は悲しそうに眉根を寄せたがそれも一瞬のことだった。
「はいそこのエリック二等兵ー! おどおどしてないで、少尉に続きますよ!」
「は、はっ! ただちに!」
彼女は、お互いに顔を見合わせながら動揺している兵士たちに発破をかけ、慌ててクラリスの後を追っていった。
◆
高等魔法院の屋根の上で、僕はだらけた姿勢で座りながら溜息を吐いた。
隙だらけだと思ったのか、素早い速度で襲いかかってくる幽体の集合体に向けて片手を突き出して指を鳴らす。
第6位階程度の業炎術式が幽体の青白い身体を真っ赤に燃え上がらせた。
『グゥゥ……アヅ……アヅィ……』
やはりこの程度の一撃では消し飛ばないか。
即座に同程度の術式を2連続で放った時、幽体は断末魔の叫び声を上げながら掻き消えた。
つまらない。退屈だ。
街中の人や建物にいらない被害を与えないために力を抑えているから、耐久力のある幽体を一撃で倒すのは難しい。
でも、それだけだった。一撃で倒せないならもう一撃加えればそれでいいんだから。
先程から、青白い炎たちが一体化して巨大な幽体になって人々に襲いかかっていた。
並の人間があの集合体に触れれば、その凄まじいまでの怨念によってあっという間に魂が汚濁され、すぐにでも生ける屍と化してしまう。
並の軍人ではそろそろ歯が立たなくなってくる頃合いだし、犠牲者の数も多くなってきただろう。
何人死のうがどうでも良かった。
ただ、近くで幽体に襲われている人たちだけを助けていたら、いつの間にか高等魔法院の入り口に助けを求める人が押し寄せてきた。
まったく面倒なことこの上ない。そう思いながらも、僕は言った。
「死にたくなかったら建物の中に逃げなよ。高等魔法院の職員は全員外に追い出して戦わせればいいんだから」
実際、その通りになっていた。
避難してきた者たちが次々と高等魔法院の中に入り込んでいく。
このグランデンの高等魔法院は小規模だ。かつて僕が訪れたミルディアナのそれと比べても、3分の1にも満たないだろう。
結果として建物内に結界を張って、職員のほとんどは外に出て幽体の始末に追われていた。
しかし、この幽体の集合体は第6位階の術式を一発当てただけでは消滅させることが出来ない。
高等魔法院の職員も魔導に精通しているとは言え、第6位階の術式をぽんぽん放てるほどの人材はいないらしい。次第にじり貧になっていくのを、僕が介入して何とか堪えているのが現状だった。
――黒幕はどこにいる。何がしたい?
神殿の破壊が本命であることは間違いないはず。でも、この程度の死者が駒ではそれすら出来ないだろう。
僕がいなければ、もしかしたらこの高等魔法院程度なら陥とせたかもしれないけど……それをして何になるのか。
一時的に状況は不利になるだろうけど、神殿には戦力に余裕のある者たちと神聖術式を扱える神官たちがいる。
いずれ制圧されるのは目に見えているんだ。第一、あの大英雄がいるからには神官の力すら必要ないかもしれない。
黒幕には、神殿の破壊以外にもまだ何かしらの目的があるのか?
あそこを破壊するにはデュラス将軍をどうにかしなければならないけど、その方法は何だ。
それらがすべて都合良く行って神殿が破壊された場合はどうか。
あの時僕が感じた空間の揺らぎに関連する何かが起こるのか――。
果たしてそれは、大英雄を敵に回してまでやらなければいけないことなのか。
疑問は尽きないところだけど……。
そんなことを考えていた時、僕の全身がまるで刺すような殺意を感じ取った。
この身体になってからは感じたことのないほどの凄まじい殺気。これは魔族の上位種の放つ殺気をも超えている。
僕は即座にその方向へと目を向ける。瞬間。
城砦都市の異名を持つに相応しいほど強固なグランデンを囲んでいる外壁が、黒い槍のようなもので串刺しにされた。
その黒い槍が次々と壁に突き刺さり、堅牢だったはずの壁は瞬く間に轟音を上げて崩壊する。
周囲にいた者たちが、それまでに経験すらしたことのない現象を目の当たりにして恐慌状態に陥る中、僕はふっと笑った。
凄まじい粉塵の中から、ゆらりと影のような者が歩いてきた。
それは片手で剣の柄のようなものを持っているが、その剣はもはや剣とすら呼べない。まるで異形の触手のようにいくつにも刃が枝分かれし、それぞれが強い殺傷力を持っているのが見て取れる。
触手のようになった刃が、意思を持った槍のようになり、周囲の壁のみならず石畳から建物まであらゆるものを串刺しにしていった。
その異形の大剣を手にした長身痩躯の人物は、ふとその場で立ち止まり、鋭い瞳で僕を睨みつけてくる。
フードを被り、口もとも布で隠しているから人相はよくわからない。恐らく男であろう人物は、しばらく僕を凝視していた。僕もその瞳を見つめる。
凄まじい殺気だ。
常人ならあの瞳に睨まれただけで卒倒してもおかしくない。
周囲にいた人間たちが我先にと逃げ出していく中、その闖入者は呟いた。
「――亡霊よ。『アレ』を足止めしておけ」
「うん? 僕と戦ってくれないのかな?」
その問いには答えず、男は手にしていた剣を振るった。
鋭い槍のようになった黒い触手の群れから、瘴気が溢れ出る。その中から幽体の集合体がいくつも現れ、僕を取り囲んだ。
視界が死者たちに埋め尽くされたほんの一瞬。気が付いた時には、あの恐るべき殺気を放っていた者はその場から姿を消していた。
まったく。面白そうな相手だったのに。
こんな雑魚共を僕に押し付けて消えるとはね。
僕は僅かな苛立ちを覚えながら、両手に魔力を漲らせた。
「まあいいか、すぐに片付ければ。――さあ、来るがいい、死に損ない共――その怨嗟も悲しみも、すべてこの私が無に帰してやろう」
この死者の群れは、苦痛の暇もなく消滅させてやろうじゃないか。
あの逃げ出した獲物も必ず見つけ出して八つ裂きにしてやる。
私の腹のうちで燻っていた破壊衝動が、我慢の限界とばかりに煮え滾っているのを感じた。
早くこの疼くような衝動を抑えなければ、気が付いた時にはこの城砦都市そのものが跡形もなく消滅していてもおかしくない。
哀れなる死者共よ。お前たちにはこの私の贄となってもらおう。
私はくっと口角を上げて、死者たちに向けて魔力を放出した――。





