第32話「迫りくる死者の手~中編~」
僕はグランデン領内にある高等魔法院の屋根の上に座りながら、街中をぼんやりと眺めていた。
グランデンを覆うように張り巡らされていた結界が破壊されたのがつい先程。その余波は、いまは人間の身である僕にもはっきりと感じられた。
今頃、神殿の周辺は大騒ぎになっていることだろう。
この高等魔法院はグランデン領内の左端に位置している。
中央にある神殿とはかなり離れているものの、街中が異様な喧騒に包まれているのは既に肌で感じ取っていた。
そして、結界が破られた瞬間に死者の軍勢が凄まじい勢いでグランデン領内に向かって進軍してくる気配も察することが出来た。
数百は下らないであろう夥しい数の悪霊たちの怨嗟の声も聴こえてくる。
そう遠くないうちにこの街全体が戦火に包まれるだろう。
僕の目的は死者を退治することではない。
この高等魔法院を襲撃してくる者がいれば排除してあげるけど、それ以外のことは軍人たちに任せる。
――この地に来る直前に、アスモに精気を吸われた影響で落ち着いていた破壊衝動が再びざわつき始めた。
雑魚ばかりとは言え、相手は大勢。1匹残らず倒せば、そこそこの満足感は得られるかもしれない。
ただ、そんなことをすれば後でレヴィにどやされそうだ。
彼女のことだから、もうこのグランデンに起きている異変には気付いているだろう。
アレは何よりも戦を嫌う。
死者を宥め、癒し、その憎悪も悲しみもすべてを受け止め、優しく包み込んでやがては亡霊の未練をなくして天へと昇る手助けをするのがレヴィの務めだ。
僕を含めた王族の中でも、争い事とは最も縁遠い生粋の穏健派。だが、その身に宿る力は凄まじい。一度暴れれば手のつけようがなくなる。
あまりこの地にやってきた死者を甚振ると、場合によってはいらぬいざこざを招いてしまいかねない。元の魔神の身体ならともかく、この身体でレヴィと戦えば一体何度殺されるのやら。
「でもまぁ、流石に正当防衛くらいは許してよ、レヴィ。死者を無駄に苦しませたりはしないからさ」
そんなことを考えている間に、怨嗟の声がますます近づいてきている。
さて、そろそろ異変が起こり始めてもおかしくない頃合いか――。
僕はこの街にある墓地の方向へと視線を向けながら、見物と洒落込んだ。
☆
グランデン領内の墓地。
既に数人の軍人たちが見張りをしている中、どこからともなく現れた複数の青白い炎が一斉に墓地全体を覆い尽くした。
「あ、アレが死者の軍勢か……!?」
「気をつけろ。相手は死体を利用するらしいからな」
青白い炎は墓地を旋回し続けるが、それ以上は何もしない。
墓碑の周囲をゆらゆらと動いているだけだ。
ただ漂い続けるだけの炎を見て、軍人たちは混乱を来たした。
「し、死体に入り込んで動かすのではないのか……? ただ浮かんでいるだけだが……」
「だが死者が入り込んだのは間違いない。急ぎ、伝令を送れ!」
伝令役の者が走り去る中、青白い炎の数が徐々に増していった。
見張りの中には魔術を扱える者もいたが、大半が剣を装備していた。
神殿の聖水の加護を受けて、対死者用の効果が付与されてはいるが、ここにいる誰もが死者の相手をすることなど初めてだった。
敵は確かに目の前にいる。
だが何もしてくる気配はないし、何かしているようでもない。
おまけに敵だからと言って、あの大勢の青白い炎の中に飛び込んで一網打尽にしてやろうとは到底思えなかった。もし反撃されればどうなるかわからないという恐怖心が、その場にいる者の頭を支配していた。
「ど、どうする……魔術班の見解はどうなんだ?」
「こ、この状況では何も……。下手に魔術を打ち込めば、霊体たちを刺激することに繋がるやもしれません」
「では、一斉に術式を放てば良いのではないのか……?」
「墓地そのものが吹き飛んでしまいかねません」
「そんなことを言っている場合ではないだろう! 故人に無礼を働くことになるとは言え、このままでは何をされるか」
「ですから、まずは様子を見て地中に入り込みそうになった場合に……」
経験の浅い軍人たちが議論を交わす中、彼らの背後――その地面から青白い炎が音もなく浮かび上がった。
そして、それは一気に軍人の身体へと纏わりつく。
「ぐぁっ!? があああああああああっ!?」
「なっ!? 何事!?」
「あ、あつっ、熱い!! 何とかしてくれぇ!!」
青白い炎に包まれた軍人が、まるで踊り狂うかのように必死に炎を払おうとしながら軍服を脱ごうともがく。
「い、急ぎ聖水を!」
「わ、わかっている! これならどうだ!」
1人の軍人が聖水の入った小瓶を懐から取り出した時、その身体が瞬時に青白く燃え上がった。
「うわあああああっ!?」
気が付けば、多数の青白い炎が彼らを囲っていた。
墓地にやってきた者たちが何もしなかったのは、ただの囮だったのか。
難を免れた者が転がり落ちた聖水の瓶を拾って、炎を纏った軍人に中身をぶちまける。
瞬間、じゅっと音がして青白い炎が掻き消えた。
「大丈夫か!?」
「あ、ああ……だ、だが他の者は!?」
その場にいた10人以上の軍人たちが燃え上がる仲間の対処に追われる中、墓地を漂っていた青白い炎たちが次々と地中の中に潜り込んでいく。
「がああああ!! 熱い!! 熱いいい!!」
「もはや聖水だけでは効果がないのか!? 一体どうしたらいいんだ!」
炎に焼かれた仲間が地面をのたうち回るのを見て動揺していた時。
「ちょっとそこどいて!」
凛とした声がして、軍人は咄嗟にその場から離れた。
直後、緑色の風を纏った弓矢が高速で飛んで行き、それは瞬く間に倒れ伏して苦しんでいる者の身体を穿つ。
ぎょっとした軍人が後ろを振り返ると、そこには深緑の髪をしたエルフの少女がいた。
「な、何をするんだ!?」
「大丈夫だよ! よく見てて!」
そう促されて改めて仲間の様子を見ると、炎が身体から消え去り、苦しさから解放された者は荒い息を吐くのみとなった。
それを見ていた魔術班の軍人の1人が言った。
「こ、これは回復術式か……!? エルフ特有の」
「そーそー。死者には神聖術式をぶっ放すのが一番だけど、エルフの回復術式でも対処は可能なの」
リズの手には、普段の彼女が手にしていないはずの弓があった。
緑色の輪郭をしたそれは魔術を編み込んで作り上げた即席の魔導具なのだろう。
いずれにしろ、彼女の存在はありがたかった。
「確か、リズ殿と言ったか。ご助力、感謝する」
「はいはい、そんなにかしこまらなーい。あたしはただの軍学校の生徒なんだからね。――それよりも、対処法はわかったでしょ? 落ち着いて動けば、被害は最小限に抑えられるから頑張っていこう」
リズが言うと、その場にいた軍人の誰もが強く頷いて見せた。
しかしその時、墓地の方向から異様な音がした。
ゴッ、ゴッ、と鈍い音が響いてくる。
しかしその音源がわからなかった――いや、そんなことよりももっと大事なことがあった。
「おい、あの青白い炎たちは一体どこへ行ったんだ!?」
気が付けば、先程まで墓地を埋め尽くさんばかりに漂っていた青白い炎が跡形もなく消え去っていた。
そして、何かを『叩く』ような異音がこだまする。
「これは、地中からの音ではないか?」
「やはり死者の身に入り込むというのは本当だったのか」
軍人たちが囁き合う中、エルフの少女は眉をしかめながら考え込んだ。
(多分、ここ囮だと思うんだよね……他の場所はもっとやばいことになってるんじゃ)
冷や汗が頬を伝うのを感じた時、墓地の地面から一斉に音が轟いた。
土の中から次々と腕が生え、それらが土を掻き分けるかのように蠢き始める。
「し、死体が動いたぞ!」
「ゾンビか……魔術班は急いで術式の構築を始めろ!」
「了解!」
リズは嫌な予感を振り払うように思考を切り替えると、手にしていた魔術で編み込んだ弓を構える。いつでも戦が始まってもいいように――。
☆
『グギャッ……!』
死者の頭が粉々に砕け、身体が崩れ落ちた。
動く屍を狩った張本人である黄金色の耳と尻尾を生やした狐の獣人ロカは、今しがた死者を仕留めたばかりの足を下ろし、周囲の状況を確認する。
「死者の数も多くなってきたな。よもやこのような街中で突然戦が始まるとは思わなんだ」
その言葉と同時に、他の死者の首が切り裂かれて胴体と両断された。
真っ白な身体をした狼の獣人シャウラが、長く伸びた爪で死者の首を刎ねたのだ。彼女の身体は戦闘時に身体能力が大幅に強化され、爪も太く長く伸びる。
「……あまりいい気分じゃないわね。死人を相手にするのは」
もはや動かなくなった遺骸を見下ろしながら、シャウラは僅かに眉をしかめた。
「仕方あるまい。このグランデンの地の軍人は明らかに死者の対処に慣れていない。であれば、多少なりとも戦場で死者とも戦った我らの出番であろう」
「ええ……。それにしても、あっという間だったわね」
ロカとシャウラを囲っているのは、数十人に及ぶ死者の群れだった。
その大半が軍人たちのなれの果てである。
民を避難誘導し、厳戒態勢に入っていた軍人たちが地中から浮かび上がってきた青白い炎に次々と焼かれ、瞬く間に動く屍と化したのだ。
ロカたちはわずかな気配も敏感に感じ取れるおかげで青白い炎に燃やされることはなかったが、彼女らは魔術を扱えない。
普通に炎を消そうとしても意味がなく、ただ軍人たちが死者になり変わるのを黙って見ているしかなかったのだ。
「真っ先に魔術を扱える者が襲われた。偶然の可能性もあるが――少し出来過ぎている。相手の親玉は死霊使いか……?」
「その可能性はあるかも。前にキアロの蛮族共とやり合った時に、死者が大量に湧いて出てきたことがあったじゃない? あの時も、蛮族のうちの1匹が死者を操っていたわ」
かつての戦場を思い出す。
キアロ・ディルーナ王国を相手にして、圧倒的に優勢だった獣人たちが死人が動き出すという予想外の事態に見舞われた結果、少なくない数の犠牲者が出たのだ。
「であるな。あの時は親玉の首を刎ねた瞬間に死者たちの動きも止まったものだが……我らはこの街の地理には疎い。元凶を捜すとなると骨が折れるぞ」
「襲われてる人を見過ごせば、敵が増えるだけだし面倒ね――さ、次が来たわ」
それまで遠巻きから様子を窺っていた死者たちが獣人たちに向かって、一斉に動き始めた時。
「紅蓮の炎よ――我が手に宿りて哀れなる死者に永遠なる眠りを与え給え! 浄化の炎!」
動く屍と化していた者たちの身体が一瞬で燃え上がった。
死者たちは苦鳴を上げる間もなく倒れ伏す。
炎の魔術を放ったのは、赤髪の青年であった。
身の丈ほどもある巨大な聖剣ヴィル・ギーザを手にした彼は、炎の余韻が残るもう片方の手から火の粉を払いながら言った。
「大丈夫か、お前たち!?」
「む? キースか。流石であるな。この通り、我らは何ともない……が」
「私たち以外は全滅ね。残念だけれど、魔術を扱えない獣人には事後対処しか出来ないの。悪く思わないでちょうだい」
それを聞いたキースが首を振った。
「対死者の戦闘においては、腕力だけではどうにもならんこともある。お前たちが無事であっただけでも幸いだ」
「助かった。して、これ以上犠牲を増やすわけにはいかぬであろう?」
「当然だ。既に青白い炎に燃やされた者は『生ける屍』となり、時間が経てばゾンビへと変わり果てる。実体がある分、お前たちなら対処は容易いだろう。見つけ次第――」
「頭部を砕けば良いのであろう?」
ロカが自分の頭を指でとんとんと叩きながら言うと、キースは苦虫を噛み潰したような顔で言う。
「……そうだ。それ以外に対処法は無い。故人の亡骸を痛めつけるというこれ以上ない恥辱を味わわせることになるのは心苦しいが、やらねば犠牲が増えるだけだ」
「わかっている。余もシャウラも、かつて死者と化した同胞をこの手で狩ったことがあるからな。今更迷いはせぬ」
「あの時ほど吐き気を覚えた時はないわ。……早く終わらせましょう、気分が悪いもの」
シャウラはそう言いながら、周囲を見渡して呟く。
「……こんな時に、あの女たらしは何をしているのかしら」
「確かにな。テオであれば、このような状況を放っておくはずがないのだが」
あの青髪の少年の姿はどこにもない。
キースは眉根を寄せながら言う。
「何をしているのだ、テオドール……こんな時にこそ、お前の力が必要だというのに……!」
「気まぐれな奴のことだ。どこかでひょいっと出てくるかもしれぬ。それまでは、余たちで何とかするしかないだろうな」
「でも、どうするの。私たち3人が固まってるだけじゃ効率が悪いわ」
その指摘にキースが頷く。
「うむ。俺はこれから神殿へと赴き、デュラス将軍閣下に街の惨状をご報告するつもりだ。もし神官たちの手が空いていれば、死者の撃退へと回してもらえるかもしれん」
「りょーかいしたぞ。敵の首魁も気になるところだが、まずはグランデン軍の魔術師の護衛をせねばな。我らではあの青白い炎に対抗するのは厳しい故、魔術師の手を借りねばならぬ」
「頼んだぞ。俺も用が済み次第、速やかに死者の迎撃へと戻る」
そう言ったキースは、近くに迫っていた青白い炎を聖剣で斬る。一瞬で消え去ったそれには目もくれず、神殿の方角へと走っていった。
☆
デュラス公爵家の門前で、砲撃音が相次ぐ。
両手に魔導銃を装備したデュラス公爵家のメイドであるエルザが、迫りくる死者の群れを相手にしていた。
彼女の表情に恐れはない。死者を憐れむ様子もない。
ただ、銃を構えてひたすら迎撃の態勢を取っていた。
『グギャッ……』
『グゥゥッ……!』
先程まで人間だった者たちの頭部が消し飛ぶ。
それを見ても、何も感じはしない。数多の戦場を駆け抜けた彼女には、もはや目の前で誰が死のうとも何も思うところはなかった。
ただ、一刻も早くこの事態を解決しなければと思うのみ。そう考えていた時だった。
エルザに迫りこようとしていた生ける屍たちに銃口を向ける直前、死者たちの身体が一瞬で切り刻まれて肉塊となる。
あまりの早業に我が目を疑ったエルザが見たのは、予想だにしない光景だった。
「ねえ、何してるのエルザー?」
「……シャルロットお嬢さま。お屋敷を出てはなりません」
「どうして?」
青髪の少女に死者たちが迫るものの、その身体はまるで数十もの斬撃を受けたかのようにバラバラに分解された。
彼女が両の手に持っているのは、グランデン軍の者が装備している剣だった。
二振りの剣を持った少女は、空を駆ける隼のように華麗な動きで死者を狩る。
歴戦の戦士でもあるエルザですら注視していなければ見極めることの出来ない剣捌きは明らかに常軌を逸していた。
だが、それよりもエルザはシャルロットの異様な様子を見てその無表情を僅かながらに曇らせた。
少女は笑っていた。
口角を上げて愉快そうにしながら、お遊びのように剣をくるくると回したかと思いきや、近づく者には目にも止まらぬ速さで斬り付ける。
これはいつものような演習ではない。紛れもない命を賭した実戦だ。シャルロットにとっては初めての経験のはずなのに、少女は臆した様子もなく言う。
「ふぅん。これが人を斬るっていう感覚なんだね」
「……シャルロットお嬢さま……」
「思ったより大したことないや。ねえ、もうこの人たち助からないんでしょ? 全部斬っていい?」
死者のことは座学の授業でしか知らないはず。
にもかかわらず、少女は冷静だった――。
もはや助からない死者を助けるため、ではない。まるで、己の力量を試すかのように剣を振るう。
その光景を見ていたエルザの真横を風が過ぎ去った。
そう感じて、咄嗟に背後を振りかえったエルザの目の前には血煙りを上げて倒れる死者の群れと、まるで突風のような速さで彼らを切り裂いた少女の姿があった。
「弱過ぎてつまんなーい。エルザってば、こんなのに苦戦してたの?」
「……いえ、私は……」
「でも、こいつらみんな倒したら父さまも少しは認めてくれるかも。ね、行こ、エルザ。わたしが守ってあげるから」
頬にべったりと付着した返り血を腕で拭い、笑顔で言うシャルロットの様子を見て、エルザは思わず構えていた銃を下ろしてしまった。
(……もはや、ここまで……)
決して表には出さない感情を無表情で取り繕いながら、せめてシャルロットが不意を討たれないように援護するしかないと悟り、愉快そうに歩く少女の後ろから黙ってついていくのみだった――。
書籍の発売日告知が解禁されました。
2019年5月17日、ガガガブックスさまから刊行されます。
詳しくは活動報告にて。





