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世界最強の魔王ですが誰も討伐しにきてくれないので、勇者育成機関に潜入することにしました。  作者: 両道 渡
第2章 『戒められし魔神編』

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第29話「飢餓の果て」

「鮮やかな青髪の美少年。あんたが噂のテオドールくんですよねー?」

「どんな噂だか知らないけど、確かに青髪の男って言えば僕しかいないのかもしれないね」


 紫色の編んだ髪を肩まで伸ばした少女は、興味深そうに僕のことを眺める。

 今までに見たことのない少女だ。凄く可愛い。僕の好みでもある。そんなことを思った矢先にリズが言った。


「もしかして、トト?」

「ん? あー、リズさん、でしたっけー。そですそです、トトですよー。あ、テオドールくんには自己紹介がまだでしたね。トトはトトって言います。よろしくですよー!」

「うん、よろしく。それで、僕に一体どんな用事があるのかな? 僕と君は初対面のはずだけどね」


 そう問いかけると、リズの知り合いらしい少女――トトはくふふと笑った。

 何気なく懐に手をやった瞬間、凄まじい速度で何かを取り出して投げつけてくる。

 高速で一直線に飛んできたそれを二本の指で挟んで止める。


 鋭利なナイフだった。

 狙い過たずそれは僕の眉間を狙っていた。

 常人の腕力なら頭蓋骨のせいで致命傷になるかどうかわからないけど、この少女の放ったナイフは間違いなく人間の頭に深々と突き刺さるほどの速さだった。


 ――毒は塗られていないな。

 そんなことを思いながら、返す手でナイフを投げ飛ばした。

 トトと名乗る少女はそれをあっさりと受け止める。殺す気で投げたんだけどね。


 ナイフを受け取ったトトは嬉しそうにしながら口を開く。


「いやいやー、この前酒場で帝国軍の連中がやたらめったらつえー青髪の美少年がいるっていう話をしてたもんで。そりゃどんな奴なのかなーと思ってずーっと気になってたんですよー……なかなかやりますね?」

「へえ。それは強い人間に興味があるということかな? それとも、青い髪の人間っていう方が気になるかい? 何にしろ初対面の相手にずいぶんなご挨拶だね」

「申し訳ねーですー! 思わず血が滾っちまって手が滑っちまいました! 個人的には青髪ってのはあんま気にならねーですー。綺麗だとは思いますけど、後は別に。ま、青髪は生まれつきの神使ばかりなんでよえー奴はまずいないんですけどー」


 ねっとりと舐め回すような視線を向けられる。

 よほど強者に飢えているんだろう。


 この少女の可愛らしい外見の裏からは、隠し切れない殺気が感じられる。

 以前シャルロットから感じた狂気とは似ているようで違う。このトトという少女はその殺気を持て余しているようには見えない。狂気に支配された将軍の娘とは違い、自らの持つ強い殺意を完全に飼い慣らしている節がある。


 己の欲求のためならば、初対面の人間相手でも通りすがりざまにあっさりと首を掻き切るに違いない。呼吸をするかのように人間を殺めてしまうはずだ。

 もしも僕がただの人間で彼女のナイフによって死んでいたら、次はその目撃者であるリズをも殺しただろう。

 ――只人ただびとの身でこの境地に至るまでには、途方もない時間がかかるはずだ。一体、今までに何人をその凶刃にかけてきたんだろうね。


 興味深いけど、危険な相手だ。

 この場に誰もいなければ、早々に処分しておいた方がいいと思うくらいには。

 僕とトトが無言で見つめ合っていると、いきなり巻き起こった戦闘行為に頭が追い付いていなかったリズが、やっと気を取り直したのか恐る恐るといった風に訊ねてきた。


「あ、あの……もしもーし。まさか、ここでドンパチやらかすつもりじゃない、よね?」

「トト的には今すぐにでもテオドールくんの強さを確認したいですー。腹を搔っ捌いて中身がどんな風になってるのか見るのも楽しそうですしー」

「君がその気なら、僕も本気を出すしかないかな。まあ、君と違って僕は殺すつもりはないけどね。無抵抗になった敵の女の子を嬲るのは楽しいから」


「ちょっ、ちょっとちょっと2人ともやばいって! 落ち着こうよ! ね? ね?」


 リズの制止も聞かずにトトは犬歯が見えるように笑って言った。


「ふふ、テオドールくんは可愛い顔してなかなかの鬼畜外道って感じですねー。トトとはちょーっと違いますけどー、似たような感じにも思えますー。とても神さまに認められるような人柄じゃねえって感じですねー」

「お互いさまだね。君のその腰に括りつけてある剣からは神気を感じる。神使でもなければ到底使えるはずがないものだ」


 そう指摘してやると、トトは少しだけ意外そうな顔をした。


「ほー? よーくわかりましたね。これぞ正に神剣メアヴァイパー。ひとたび振るえば、どんなに硬いものでもスパッ!ってなもんですー。こんな代物を扱えるのはトトが神さまに愛されているからに他なりません。なーんて言っても、だーれも信じちゃくれねーんですけどねー」

「僕は信じるよ。神剣を振るうなんて神に愛されている者以外には不可能だからね」


 その時、彼女の愛剣がぶるりと震えた気がした。


「お? お? マジですかー? なかなか見る目があるじゃないですかー、さっすが青髪をしてるだけはありますー」

「もっとも。――その神が、他者に恵みをもたらすような善神とは限らないと思うけど」

「善き神さまですよー? あのお方こそトトのすべて! 愛し愛され、祝福を受け、巡礼の旅を続けて――トトは毎日がくっそ楽しいですー! 生きてるって幸せなんだなぁって心の底から思いますよー」


 無邪気に語る少女は、恐らくはその言葉通りに楽しく生きてるんだろう。

 神の端くれとは言え、魔神に過ぎない僕にとっては人間や他の種族が抱く神への信奉というものはあまりわからない。


 ……でも、この狂信的とも言えるような言動をしていた者は他にもいたのを思い出す。女神のために末期の雫を作り続けていたあの男と、目の前の少女は不思議と似たような思想を持っている気がした。

 ギスランのように精神が崩壊しているようには見えないけど。


「このグランデンの街はいいですよねー。あの大英雄さまを筆頭につえー奴がそこそこいるんで話を聞いてるだけでも退屈しないですー。でも、残念ながらトトたちはそろそろこの街を離れなくちゃいけない頃合いなんですよー」

「たち? 他に誰かと一緒に旅をしてるのかな?」

「そですそですー。ハインって奴なんですがねー。全身黒尽くめで細身で背が高い不審者みたいな男は見かけませんでしたー?」


 記憶を辿ってもそんな人物を見た記憶がなかったので、素直に首を横に振るとトトは大袈裟に溜息を吐いた。


「あー、もうちくしょう。あの馬鹿、どこにいやがるんですかねー。そろそろ頃合いだって伝えてたはずなのに、いっくら捜しても見つかりゃしねーんですよねー。もしかしたら、グランデンの外に出ちまったんでしょうか……」


 ずいぶんと自由奔放らしき相方のことを話す少女は、心配しているというよりも呆れているだけのように思えた。

 のんきに語る少女の腰に括りつけられている鞘に納められた神剣が、かたかたと震えている。


「まー、あの馬鹿はそのうちひょっこり姿を現すと思うんでどうでもいいんですけどねー。そんなわけで、ここ数日はずーっとテオドールくんのことを捜してました」

「なるほどね。でも、この街はあまり広くないから目立つような真似をしたらすぐに見つかってお縄になると思うけど」


「んふー。そんなに警戒しなくても大丈夫ですよー? 気になって捜してたのはほんとですけど、何がなんでもぶっ殺しちまいてーとまでは思ってません。今のところは、ですけどー」

「さっきの挨拶で死んでたらどうするつもりだったんだい?」

「そんな雑魚なわけがねーって思ってたんで大丈夫ですよー。マジで殺す気だったらもっと大胆に殺りますー」


 にやにやと不敵に笑うトト。

 それはまるで、頃合いになったらいつでも殺してやるぞと言われているようなものだった。


「噂のテオドールくんの強さも感じられたんで満足ですー。それでですねー、今気になってるのは最近話題になってる神殿の襲撃事件の犯人なんですよー。どんな奴なのかご存知ねーです?」


 僕はリズと顔を見合わせる。

 デュラス将軍やクラリスからそこそこの情報を得ている僕とは違って、リズはあまりその件に関しては知らないだろう。せいぜいが噂を耳にした程度といったところか。

 予想通り、リズは肩を竦める。


「僕もそのことについては気になってるんだ。トト、君の方こそどこまで知っているんだい?」

「んー。トトも何度か神殿の警備には行きましたけど、めっちゃつえー奴ってことしかわかんねーですー。せめてこの地を離れるまでには見つけてボコってから軍部に首を持っていって賞金でも貰おうかと考えてたんですけどねー……」


 少し妙だな。

 この戦い――というよりも恐らくは殺人か。その類が好きな少女が絶好の獲物を前にしておきながら、手出し出来ずにどこへなり向かわなければいけないというのは気にかかるところだ。


「そんなに強そうな相手を放っておいてまで、君にはやることがあるのかな?」

「ん? ふふー、そうですねー。我らが神の啓示が出たんですー。次なる戦地は遥か遠方にあると。ってーわけで、あんま長居は出来ねーんです。あと数日ってところですかねー」


 トトはメアヴァイパーの柄頭を撫でる。

 かたかたと震えていたそれが少しだけ大きく跳ねた後、静かになった。


「トト、君はもう既に4件の神殿が襲撃されたことは知っているのかい?」

「はいはい、もちですよー。そのうちの1つはトトたちが警備から外れた直後の襲撃だったみたいなんで、マジで惜しかったなーって感じです。もうちょい留まってたら犯人を目の当たりにしてぶっ殺せたかもしれねーのにってー」


 それを聞いていたリズが僕の後ろにさっと隠れて、自分よりも背丈の低い紫色の髪の少女を恐る恐るといった感じで見つめる。


「大丈夫だよ、リズ。彼女は危険じゃないから」

「さ、さっき襲われたよねキミ!? 下手したらほんとに死んでたよね……!?」

「ただの挨拶だよ、あんなのは。何を怖がる必要があるんだい」


「リズさんの言うことの方がもっともだと思いますよー? テオドールくんって相当イっちゃってますねー?」

「僕は退屈しのぎになれば何だっていいんだ。次もいつどこから襲ってきても構わないよ。ああ、でも今度は他に誰もいない時でよろしく。じゃないと、君を返り討ちにして遊べないからね」

「やばいやばいやばい……なにこの2人……!」


 リズが僕の両肩を掴みながらがくがくと震えている。

 僕は不意打ちやら暗殺やら、予想していなかったことをされたことが何度もある。特に現ルシファーとなって以降は、反発を覚えた者たちに何度も襲撃された。もちろん全部未遂に終わったんだけど。

 それに比べたらこの程度はなんてことない。しかし普通の子から見たら、常軌を逸していると思われるのかな。


「テオドールくんって、ミルディアナの特待生なんですよねー? どうしてこんな所へ?」

「ちょっとした留学みたいなものらしいよ。1ヵ月くらい滞在したら戻る予定だけどね」

「ほほー。それじゃー、問題なさそうですねー」


 言葉の意味がわからずにいると、トトは続ける。


「実はですねー。トトはこう思ってるんですー。神殿襲撃事件の犯人を捜す必要はもうないって」

「それはどうしてだい?」

「簡単ですよー。ここまでのことをしでかした奴なんですー。犯人はかならーず、このグランデンの神殿も襲撃しに来ますからー」


 確信めいた口調だった。

 僕はずっと疑問だったそれを口にすることにした。


「……本当にそう思うかい? 確かに4つの神殿が襲撃されたし、5つ目の神殿も危ないかもしれない。でも、この街にはあの大英雄がいるんだよ。当然、神殿の警備は凄まじいまでに厳重だ。いくら強い力を持つ者が犯人でも、手出し出来るとは思えないんだけど」

「んー、確かに大英雄さまは強いですよねー、ありゃ化け物ですー。でもまぁ、どんだけ強くて身体は1つしかないわけでー。言ってる意味、わかりますー?」


 真っ向から神殿を襲撃するわけではないということか?

 それとも、陽動か何かでデュラス将軍が出撃せざるを得ない状況にし、その間に神殿を襲撃してしまうという可能性もあるか。


「あ、あのー、あたしも何か喋っていい雰囲気?」

「どうぞ?」


 僕が言うと、リズは僕の背中に隠れながら言いにくそうに口を開いた。


「神殿は後2つあるんだよね。何でテオくんもトトもそのことは全然気にしないの? まるでもうその神殿は襲撃されるのが前提みたいだけど……?」


 わかりきったことを言う。


「ま、ごしゅーしょーさまってことですー」

「そ、そんなにあっさり言っちゃうもんなの……?」

「命が惜しかったら逃げればいいさ。誰がどう考えても危険なんだから。でも、そう簡単には割り切れないのが人間というものなんだろうけどね」


 呆気に取られているリズを尻目に、犯人がどうやってこの厳重な警戒態勢を突破するのかが気になってきた。

 もしかしたら、なかなか面白いものが見られるかもしれない。

 そんなことを考えていると、ふとトトがお腹を擦りながら言う。


「んー、こうして噂のテオドールくんの姿も見られたことだし腹ペコですー。ってわけでトトはそろそろ夕食にしようかと思うんですけど、お2人も一緒にどうですかー?」

「あ、あたしはちょっと……!!」


「誰かさんのせいでリズが怯えてるからね。申し訳ないけどまたの機会に」

「ありゃー、そんなつもりじゃなかったんですけどねー。まあそういうことなら仕方がないですねー」


 トトは大して残念でもなさそうに呟いてから踵を返した。

 そして首だけ振り向かせて言う。


「もしも犯人を無事に捕まえたら、次はテオドールくんを食べちゃいますかねー」

「いつでも待ってるよ」

「くくっ。テオドールくんは本当に面白い人ですー。1回マジで殺り合いたいんで、それまでに死んだりしないでくださいよー?」


 トトはけたけた笑いながらその場を去っていった。

 ――やれやれ、とんだ化け物がいたものだ。


 デュラス将軍を筆頭に、クラリス、シャルロットと実力者を見てきたけど、トトと名乗ったあの少女からはまた違った雰囲気が感じられた。

 実に面白い。向こうがその気になったら、そのまま殺し合いに興じてもいいと思うくらいには。


「……行った?」


 リズは完全に僕の背中を盾にして、ぎゅっと瞼を瞑っていたようだ。


「もう姿は見えないから大丈夫だよ。それより、君とあの子は知り合いだったんじゃないの?」


 そう問いかけると、リズが事の成り行きを教えてくれた。

 シャウラがロカのプレゼントを買うために意気込んだ時にリズも同行していた。そこであのトトという少女と知り合ったようだった。

 その時は可愛らしい少女だとしか思わなかったみたいだった。


「あんなに面白い子と出会えたんだったら、君たちと一緒に出歩いてみたかったね」

「……テオくんの感性はどうかしてると思う。ほんと。ほんとーに。さっき殺されかけたよね? 何でそんなに平気な顔してるの? 普通なら――」

「普通の人間なら怖がるかもしれないね」


 ふっと笑いかけて答えると、リズはびくりと身じろぎしてそのまま俯いて黙り込んでしまった。

 いつも物怖じしない彼女でもこんな反応をするのは無理もないか。


 ……しかし、こうして怖がっているリズと同じようなものをついさっき他に見かけたような気がした。

 何だっけ? しばらく考えた時、僕は「ああ」と内心で呟いた。


 あのトトという少女が持っていた剣。メアヴァイパーといったか。

 神剣とも呼ばれるあの剣は、今まさに目の前で怯えているリズと同じように『まるで何かを恐れるかのよう』に震えていた。

 それは僕の正体を見破った上で恐れを抱いていたのか、それとも――。







 城砦都市グランデン外部。

 既に4つの神殿が破壊され、最後に残った神殿の奥で長身痩躯ちょうしんそうくの黒尽くめの男はもがき苦しんでいた。

 その姿を見ていた見張りの軍人たちはわけがわからないといった風にお互いの顔を見合わせる。


「……もう3日は経ったか」

「うむ。食事はおろか、水も摂らずにどうして生き永らえているのか不思議なくらいだ……」


 男は差し出される一切の食料や水を決して受け取ろうとはしなかった。

 だが、男の症状は明らかに極度の飢餓から来る症状に他ならない。


 修道女は何度も根気強く男へと食事や水を振る舞ったが、すべて拒絶された。

 それでもなお、彼女は諦めずに今も苦しむ男の前で水の入ったコップを片手に佇んでいた。


「どうしてそこまで食事を拒むのですか? このままでは貴方は本当に……召されて、しまいますよ?」


 男は何も答えなかった。

 口から涎を垂れ流し、血走った瞳で周囲をぎょろぎょろと見渡し、飢えの苦しみのせいで寝かされたベッドのシーツを破かんばかりに握り締めている。


「もうダメでしょう、その男は」

「そのような言い方を……! このお方にもまたオルフェリアさまからの祝福がございます。今もこうして息があるのがその証拠。まだ死する時ではありません」


 軍人の男は鬼気迫る様子の修道女の姿を見て、二の句を継げなかった。

 修道女はすぐに苦しむ男へと振り返り、口もとへと水を運んだ。

 しかしその手は払いのけられる。危うくコップを落として割るところだった。もうこれで何度目か。


「どうして、受け取ってはくださらないのですか……? その飢えも、苦しみも、ちゃんと食事をすればすぐに回復するはずです」

「…………飢餓……と、永劫なる、苦しみ。それこそ……が、某の生きる糧」


 男が初めて言葉を紡いだ。

 だがそれは喜ばしいことではなく、まるで意味のわからないことで修道女は大いに混乱した。

 再び息を荒らげて苦しんでいた男だが、堅く瞑られていた瞼がかっと見開かれ、その場からのそりと身体を起こした。


「お、お水を飲んでくださる気になりましたか?」


 修道女の言葉には反応しない。

 だが、男はまるで森林の中で小鳥のさえずりに耳を傾けるかのように何かを一心になって聴いているように見えた。

 そして、その口が開かれた。


「……この場に、その、声が届くことこそが……お前が神たる、証拠か……」


 意味不明の言葉は続く。


「豊穣の神の供物に相応しきにえはここに在り。お前のためではない、すべては豊かなる大自然のため――来い、『レド・メスキュオレ』……!」


 黒尽くめの男が絞り出すような声で叫んだ直後、別の場所に保管されていた男の大剣がぶるりと振動し、凄まじい速さで飛翔。神殿の部屋の壁を轟音と共に突き崩しながら、室内に侵入し男の手に収まった。

 誰もが呆気に取られる光景だった。だが、そんなことはどうでもいいとばかりに男は言う。


「時は満ちた。満たされることなき飢えの果てに理想の楽園ありき。――1人残さず、好きなだけ喰らえ」


 男が手にしていた漆黒の大剣が瞬時に形を歪め、触手のように幾重にも分かれた。

 異形の剣を前にして絶句していた修道女が叫び声を上げようと口を開いた瞬間、触手がその口を貫通。一瞬で絶命した修道女の身体に幾重もの触手が突き刺さり、噴き出た血肉と臓物を『吸い尽くす』。


「ひっ……ひぃぃ!」

「ひ、怯むな。剣を取――」


 動きの遅れた軍人たちも同じ末路を辿った。

 瞬きの暇さえ与えられずに絶命し、異形の黒い触手に血肉を啜られる。


 その音を聞きつけて駆けつけてきた軍人たちが武器を構える暇もなく、黒き触手は不規則に動き回り、床や天井を貫きながら猛進。進路上の人間を瞬く間に喰らい尽くしながら、神殿中を覆い尽くして内部にいた神殿の者や軍人を見境なく喰い殺した。断末魔の悲鳴さえ残らない一方的な殺戮が神殿の中を満たしていく。


 男は異形と化した大剣の柄を握り締めながら、四方八方を貫かれて崩壊し始める神殿を歩き続け、やがて神殿の最奥へと辿り着いた。

 そこには巨大な水晶が浮いているのみだった。他には何もない。


 気が付けば、男からは苦悶の表情が消え去り、一転して穏やかな顔つきに戻っていた。

 もはや巨大な黒い触手の化け物と化した大剣が、吹き荒れる暴風のようになって人間の遺骸を貪り、神殿自体を破壊。

 頭上から瓦礫が落ち始める中、男は呟く。


「安心しろ。貴様たちは豊穣の神の贄となったのだ。その死は決して無駄ではない。某が追い求める理想の先に、必ずや楽園は作り上げられる」


 もはや神殿の中で息をしているのは自分以外にいないと悟った男は、目の前で淡く輝く水晶を見据えた。

 だが、それには大した興味もないのか、ふっと踵を返す。

 手にしていた触手と化した大剣が、黒き暴風となって水晶を粉微塵に破壊したのを尻目に男は崩壊しかかっている神殿を後にするのだった。


 つかの間の安寧が男の精神を安定させる。

 飢えも乾きも苦痛もない。穏やかな心境のまま、黒尽くめの男――ハインは夜の空を仰ぎ見た。


「残す贄は――後1つ」


 異形と化していた大剣はいつの間にか元の形に戻っていた。

 神殿に詰めていた100名近くの人間を一瞬で喰い殺し、血肉を浴びたはずにもかかわらず、その刀身には一滴の血さえ残ってはいない。

 しかし、刀身からは犠牲者たちのおぞましいまでの怨念や憎悪が放たれていた。


「哀れなる亡霊ゲシュペンストよ――嘆く必要はない。貴様たちのともがらはすぐに増えるのだから。さあ行くがいい、数多くの同胞が待っている」


 その呟きと同時に、黒き大剣から溢れ出た膨大な数の怨霊が怨嗟の叫びを上げながら城砦都市グランデンに向かって飛翔していった。

更新が遅れてしまい申し訳ございません。

一度幕間を挟み、2章もいよいよ佳境となります。


今年もよろしくお願い致します。

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