第28話「約束、忘れてないよね?」
「あまり進展はないか……」
神殿でクラリスと別れた後、僕はグランデンの街並を眺めながら呟いた。
結局、あの巨大な水晶の他に気になるものは何もなかった。
だけど、それは逆に言えばあの水晶に何か秘密があるのではないかという推論を立てることにも繋がる。
用途不明の尋常ならざる巨大な水晶。
神気が溢れていたことからして、相当な貴重品だと思われるそれがグランデンの街を囲むようにして配置されていた他の5つの神殿にもあるのだとドロテー神官長が教えてくれた。
もっとも、今はそのうちの4つが既に破壊されてしまっているから残りは2つ。
外部には1つしかないことになる。
アレほどの水晶ともなれば、神使となった人間たちが神々の声を聴いたというのもあながち幻聴か何かだというわけでもないのかもしれない。
そしてそんな水晶が6つもあったということは、確実に理由があるはずだ。
何の理由もなしにあんな代物をこの地に集めておく意味はない。ただの見世物ならそれこそもっと人の多い帝都やミルディアナの神殿に設置されていると考えるのが合理的だろう。
魔族を監視、攻撃する目的で使われるなら話は別かもしれないけど、訊くところによればアレはただその場に浮いているだけで何かに使われたことなど一度もないのだという。
何らかの意味はあるはずなのに、それを見出すだけの材料に乏しい。
……僕が魔族としてではなく、1人の人間という立場で考えてみてもあの水晶は謎に満ち溢れているとしか言いようがなかった。
誰が、一体何の目的であんなものを……。
「そりゃぁっ!」
「おっと」
横合いからいきなり体当たり同然で抱きついてきた少女を受け止める。
深緑の髪を伸ばしたエルフの少女は嬉しそうに笑った。
「ふっふっふ、捕まえたよテオく~ん!」
「どうしたんだい、リズ」
「ん~? 何か反応が薄いですぞぉ? やっぱりアレかな? こういうことばっかりやってると慣れてきちゃう感じ?」
「君が色々と変なエルフだっていうのはわかってきたからね。いちいち驚いてたら身が保たないよ」
「変とは失敬だなぁ!? これでも由緒正しきツェフテ・アリアの王女だぞー? 現在大絶賛家出中の身だけどね」
そういうところが変わってるんだと思うよなどと思いながら、抱きついてくる彼女の背中を撫でていた時、ふと思った。
――この子なら、あるいは知っているんじゃないだろうか。神殿にあったあの巨大な水晶のことをと。
「リズ。少し話があるんだけどいいかな」
「ダメ」
「うん、ありがとう、じゃあ……え?」
思わぬ返事に虚をつかれると、リズはにやにやしながら言った。
「ふふふ、あたしが何でもテオくんの言うことを聞くと思ったら大間違いだよ? 大事なお話っていうのはもっと雰囲気のある場所でですな、こう――」
「じゃ別にいいや。またね、リズ」
「ちょい待ち! 待って待って! 冗談だから! 置いていこうとしないでよ!」
すげなく答えてさっさと立ち去ろうとすると、リズは必死に僕の腕をがっしりと掴んできた。
「言うことを聞くのは嫌なんじゃなかったっけ?」
「それはこんな大通りで聞くのが嫌っていうだけ! さっきも言ったけど、大事なお話なら時と場所を考えてよ。あたし的にはね、このグランデンの街中で言うと……夕焼けが綺麗に見える静かな場所で2人きりっていうのがベストだと思うわけ!」
まぁ、2人きりになれると言うならそれは願ってもないことだ。
僕は彼女の言うがままに連れ歩かされ、グランデンの上空にある連絡路の一角まで足を運んだ。
リズが言うところの2人きりになれる場所というのは、主に軍人が利用する連絡路のことだったらしい。
まあ、確かにそこまで頻繁に人が訪れるわけでもないし、この連絡路はとにかく入り組んでいる。
自然とあまり人が寄りつかない所があってもおかしくないのだろう。
リズは連絡路の欄干に腕を乗せながら、眩しいほどの夕焼けを眺めてうっとりとしている。
雰囲気的には悪くない場所だ。夕焼けには種族を問わず、見る者を惹きつける何かがあるのかもしれない。
とは言え、ずっと眺めているとあっという間に日が暮れてしまう。僕がそろそろ話を切り出そうとした時、唐突にリズが言った。
「テオくんはどこから来たの?」
「……いきなりだね」
「グランデン出身だって言ったのにさ、ここの人たちはだ~れもキミのこと知らないんだよね。おかしくないかな、それって」
いつか話題になるだろうとは思っていたけど、よりによって今か。
少し面倒だな。
彼女に敵意や害意がないのは見ているだけでもわかるから大丈夫だけど、場合によっては少しだけ魔術の力を借りて記憶を操作してもいいかもしれない。
僕は右手に魔力を込めながら、少しだけ彼女の話に付き合うことにした。
「然るにあたしはこう推理してみる。テオくんには何か、出自を偽らざるを得ない事情とかそういうめんどくさいのがあって、他の人たちにはそれを隠してるんじゃないかなって」
「面白い話だね。それで?」
「他人には言えない事情があるのはよくわかるつもりだよ。あたしだって、エルフの王女だっていうことを隠して過ごしてきたからね。言いにくいこととかがあるっていうのは理解出来るつもり」
リズは夕陽を眺める姿勢を崩さないまま続けた。
「でも、おかしいんだよね。それだけじゃ」
「何がだろう?」
「あくまで仮定だよ? テオくんが帝国の人間じゃなくて、どっかの国の貴族や王族の出だとしてもさ。辻褄が合わない」
「それはどうして?」
「帝国は諸外国に囲まれてるよね。北はゼナン、東はルーガルとキアロ・ディルーナ、南はツェフテ・アリア、そして西は……わかるでしょ?」
黙って先を促すと、リズはくるりと振り返って欄干に背中を預けながら僕をその薄い緑色の瞳で見つめてくる。
「ゼナンは人と竜が支配する国。数年前まで帝国と戦争をしていた。そんな国の人間が帝国にやってくるわけがないし――たとえそういう身分だとしても、末期の雫事件を解決してくれるわけがない。今は停戦条約を締結してるとは言え、利敵行為みたいなものだから。帝国が危なそうなら黙って見てればいいじゃん。自分はさっさとどっかに隠れてさ」
「そういう見方もあるかもしれないね」
「東のキアロ・ディルーナは人間が支配する国。テオくんは魔術も得意だから最初はこの国の出身を疑ったりしたけど、それも違う。理由はさっき言ったのと同じようなもの。あの国はもう帝国とほとんど交流がない上に、今はルーガルに味方する帝国を敵視していると考えるのが自然だよね? だとすると、キミの行動はやっぱり不自然。これも違う」
「それで?」
「同じく東のルーガル。ここは獣人が支配する国。人間もいないわけじゃないけど、キミみたいな凄いのがいたら嫌でも人目に付くよ。特にいい加減な性格をしてるとは言え、強い相手には目がないあのロカが知らないはずがないもん。だからこれも違う。そして南のツェフテ・アリアは言わずもがな。あたしも母さまもテオくんみたいな人がいたら知らないはずがない」
「……」
「テオくんはどの国の出身だとしても違和感しかないんだよ。普通に見れば、どこからどう見ても人間にしか見えないのに何かがおかしい。あたしはまだ未熟だからアレなんだけど、あたしの家系にはちょっと不思議な力があってね。相手の正体を透かし見たり、相手の心の動きを読んだりとかそういうことが出来るの。母さまは本当に凄いんだ、そのへん」
お互いに見つめ合う形になりながら、僕は何も言わなかった。
気が付けば、いつも掴みどころのないエルフの少女の瞳は少しだけ真剣なものになっているように思えた。
そんな彼女が言う。
「テオくん。答えて欲しいな。キミは、何者なの?」
「そんなことを僕の口から訊いて、君はどうしたいんだいリズ」
「えっ……?」
「それを他の人に言うつもりなのかな? デュラス将軍やリューディオ学長のような力も権限もある人たちに。もしくは、他の特待生のみんなに伝える? 両方なのかもしれないけど」
「あ、えっと、あたしはそういうつもりじゃ」
「世の中には知らない方がいいことがあるって言うよね。それと同時に、知っていても口に出さない方がいいこともあるんだよ。じゃないと君のように半端な力しかない者はいつ死んでもおかしくない」
「……っ。あ、あの、あたしは……」
僕はそっとリズに近づいて、その顎先を指で持ち上げる。
「一応、君が見知ったことは他言無用でお願いするよ。あまり軽率なことをすると、残念だけど君の自由は保証出来ない」
「ふ、ふぅん……優しいんだね。殺さないんだ」
「それくらいなら君に洗脳の術式でもかけて好きに使う方が楽しいよ。いつも君が口にするような誘惑の言葉の何倍も凄いことを君の身体にしてあげたら楽しく遊べそうだ」
「ひ、酷いなぁ……ロカとは親友だーとか言っておきながら、あたしは物扱いなのかな」
「僕はリズとだっていい関係を築いていきたいと思っているよ。君が何か浅はかなことをしない限りは、だけどね」
いつもは明るいリズが怯えの混じった瞳で見つめてくる。
……あまり気分がいいものじゃないな。敵対している相手ならともかく、彼女からは敵対心なんて何も感じないからね。
ただ、こうでも言っておかないとこの好奇心の塊のようなエルフっ娘は近いうちに取り返しのつかないことをしてしまう気がする。ミルディアナの事件の時も、リューディオ学長には内緒で色々と調べていたみたいだし、むしろよく今まで無事に生きてこられたものだ。
冷や汗を垂らして小刻みに震えている少女の顎先からそっと指を離して、彼女の肩にぽんと手を置いた。
「覚えてるかい、あの時の約束」
「や、約束……? え……?」
「まったく、無責任だなぁ。君から言い出したんじゃないか。ほら、ロカが先走ってグランデンまで走っていってその後を追う時にリズが言ったんじゃないか」
『テオくん~? これは競争なんだからね? 仲良しこよしじゃないんだよ? 勝った方は負けた方に何でも1つお願い事を叶えてもらうことにしよう』
そう、彼女はこんな風なことを口走った。
しばらくして荒くなった呼吸が自然と落ち着いてきたリズは頭が回り始めたのか、ようやくそのことを思い出したようだった。
「あ、ああ……。た、確かに言った、ね。よ、よく覚えてたね、あははー……なんて」
「勝負は結局、僕の勝ちだったよね」
「先にグランデンの目前にいたのはあたしの方なのにー」
「崖の上で困り果ててた君をこの城砦都市まで運んであげたのは僕だからね。というわけで、さっき僕が言った『他言無用の件』を約束として受け入れてくれると助かるよ」
「……む、むぅ。別にそんな約束しなくても誰かに言ったりなんてしないのに……」
「君は何だかんだで油断出来ない相手だと思ってるから、念には念を。約束、忘れちゃ嫌だよ? 僕たちの仲のためにも」
「わ、わかった、わかりましたよ……」
リズは少しふてくされたような顔をしつつも了承してくれた。
先程までの緊張感は和らいでいた。あの時の約束がこんな形で役に立つとはね。
僕がそう思って彼女から手を離した時。
「1つだけいい?」
「答えられることなら」
「テオくんは、帝国の味方なのかな?」
「そんなつもりはないよ」
即答すると、彼女が息を飲む気配がした。
僕は続ける。
「僕は楽しければ何でもいいんだ。ミルディアナの事件も、退屈なことだったらわざわざ解決したりしようなんて思わなかっただろうね」
「楽しい……? あの事件が……?」
「そう。君たちエルフにとっては身の毛もよだつほどの恐ろしい事件だったかもしれないけど、僕にとってはただの余興みたいなものさ。いい暇潰しになった」
これは紛れもなく僕の本心だった。
帝国の味方になったわけもなく、退屈で死にそうな時にたまたま面白そうなことが起こったから調べてみたらなかなかに楽しいことが起こっただけだ。
過去のミラの血潮事件と今回の末期の雫事件で犠牲になったエルフの数は膨大だ。でも、それは僕ら魔族にとっては瑣末なことに過ぎない。
犠牲者を憐れむようなこともなく、ただ過去に何が起こったか、これから何が起ころうとしているのかに興味が湧いただけの話なんだ。
結果的には帝国に巻き起こるはずだった災厄を止める一助になったけど、それはただのおまけのようなもの。それらすべてが僕にとっては余興に過ぎない。
リズの眼差しから少しだけ悲しそうな雰囲気が伝わってきた。
――これでいい。
僕たちの腹のうちを探られるのも少し面倒だけど、何よりも彼女をこれ以上深入りさせないためにもこうしてある程度の距離を取っておくのが賢明だろう。
しばらく顔を伏せていたリズだったけど、もう一度僕を見つめてから少しだけ呆れたように言った。
「テオくんらしいね。優しそうに見えて、実は鬼畜なのかも。敵には回したくないな~」
「僕もリズを敵に回したくはないよ。――ああ、でも敵対してくれた方が君を好きなように出来る口実にはなるかもしれないな」
「ちょっとひどーい! ちょー幻滅した! テオくんなんてもう知らない! 嫌い……ではないけど、ちょっと嫌! この変態ー!」
面白い娘だ。
真面目一辺倒なクラリスも可愛いけど、この風変わりなエルフっ娘も素晴らしい。
時間さえあれば彼女たちともっと親しくして、帝国にいる間のもう1つ2つの暇潰しの相手になってもらうのも悪くはなさそうだけど……残念ながら今はそれどころじゃない。
僕は仕切り直すかのように、前から気になっていたことを訊くことにした。
「リズ。ちょっと質問いいかな? 君のには答えたから、今度は僕の質問にも答えて欲しいかな」
「……答えたっていうか、はぐらかされたよーな気がするんですけど~……。ふぅ、でもま、いいよ。なに?」
「ミルディアナの高等魔法院に、リューディオ学長の力を封じ込めていた水晶があったよね。君はアレについてどこまで知っている?」
「う~ん、一般人はあんまり知らない方がいいことなんだけど……テオくんはもうそういう範疇じゃないからいっか。でも、前にも言ったけどアレは強過ぎるリューディオせんせーの力を封じてるだけで、特に変わったことなんてないよ?」
「いや、それはもうわかってる。恐らく力を封印するように帝国の皇帝に具申したのも反エルフ主義者のうちの誰かなんだろうね。ただ問題はそこじゃなくて、あの水晶そのもののことなんだ」
「っていうと?」
「あのリューディオ学長ともあろう者の力すら封じた水晶がどんなものか知りたいんだよ。最近、似たようなものを見たからちょっと気になってね」
「んー……リューディオせんせーもあんまり詳しくは教えてくれなかったからなぁ。ただ、とっても古い時代のものだとか言ってた気がするなぁ」
「古い時代、か。他に情報は?」
「この世のものではないかもしれない、らしい……よ?」
言っている自分でもよくわかっていないのか、リズは曖昧な言い方をした。
「それはどういう意味だろう? 死んだ者が送られる冥府の世界に関係しているとか?」
「そうじゃなくて、あの水晶は『明らかに誰かに作られたもの』なのに今じゃ誰がどんな風に作ったのかまるでわからないし、そもそも誰も作れる人なんていないんだって言ってたかな。リューディオせんせーも自分で作るのは無理って言ってた」
「あの学長の力を以てしても無理な代物、か。となると、相当に厄介なものだね」
「それにね、あのせんせーはこうも言ってた。『昔のものであることは間違いありません。でも、何百、何千年前であろうと人の手であんなものを作れるわけがありません。とてもこの世のものであるとは思えませんよ』ってさ」
「何かの比喩なのか、それともそのまま言ってるのか気になるところではあるね」
ミルディアナの高等魔法院で見かけた水晶からは凍てつくような魔力が溢れているように感じた。
アレは恐らくはリューディオ学長の持つ莫大な魔力を完璧に封印することが出来ない影響から来るものだったんだろう。
あの時は彼の魔力の強さに興味が惹かれて気が付かなかっただけで、もしかしたらあの水晶からも神気が発せられていた可能性はある。
現在の人やエルフの手では到底作り上げることの出来ない水晶。
それはミルディアナではリューディオ学長の力を封印することに使われていた。
そしてその水晶とよく似た代物はこのグランデンの神殿にも存在した。
……ただ設置されているだけだとはどうしても思えない。
もしも、この水晶がミルディアナにあった物と同質のものであるならば。
この水晶もまた何かを封じているのではないだろうか。
このことはデュラス将軍は把握しているのか?
彼のお屋敷で話し合った時にも、そのようなことは一言も発していなかった気がするけど……。
そんな風に僕が考え事に熱中していた時、突然に『ソレ』は現れた。
「あー! やーっと、見つけましたよー」
ひどく陽気な声をかけられて、その方向を見るとそこには軽装に身を包んだ少女の姿があった。
彼女は目深に被っていたフードをめくり、紫色の髪を風になびかせながら素顔を晒した。
そして愛らしい顔をした少女は、僕を見つめながらにぃと口角を上げた。
可愛らしい少女のその薄気味悪い表情を見て、僕はすっと瞳を細める。
陽気さとは裏腹に、得体の知れないその少女を見て僕は思った。
――この女、今までに何人殺してきた?
更新しました。
が、しばらくは不定期更新となります。今月は後1回更新出来ればいい方かなと。
詳細は活動報告で。





