第27話「神殿と神の加護~後編~」
神殿の最奥部に辿り着くと、そこには大の大人よりも巨大な水晶があった。
床から少しだけ浮いた状態で、その場に静止している。青くて美しい水晶からは淡い光が溢れ出していた。
「おや、クラリスさまじゃありませんか」
水晶の傍にいたのは神官と思しき高齢の女性だった。
「はっ。ドロテー神官長殿、こちらはテオドールと言ってミルディアナの軍学校の特待生です」
「どうも。短期間の留学の身に過ぎないけどよろしく」
そう挨拶するものの、ドロテーと呼ばれた神官長はあまり好意的な表情を浮かべはしなかった。
それどころか。
「……ミルディアナか。あのリューディオに師事してるのかい」
「う~ん、リューディオ学長は軍部の総司令官でもあるし教官じゃなくて学長だからね。たまに気まぐれな授業を短時間だけしてくれるけど、基本的には彼から何か教えてもらうことはないね」
「ふん、そうかい。あの色惚けハーフエルフも今や最高司令官かい。いいご身分なことだよ、まったく」
深く皺の刻まれた顔を更に嫌悪に歪ませた神官長がそう呟いた。
何だろう? 学長の知り合いなのかな? この分だと少なくとも友好的には見えないけども。
そう思っていると、クラリスが僕の気持ちを代弁してくれた。
「ドロテー神官長殿。ランベール中将閣下とは顔見知りなのでしょうか」
「ふん。あたしゃ、あの男の愛人の1人だったんですよ。体良く別れ話に持ち込まれて捨てられましたがね」
おっと。リューディオ学長はただの善人じゃないどころか腹黒いところもある男だとは思っていたけど、なかなか大胆なことをしていたようだ。
「す、捨てられたのですか……。しかも愛人の1人というのは、その、つまり」
「クラリスさまみたいな深窓のご令嬢に聞かせるような話じゃありませんが、お察しの通りですよ。あの男は若い頃にはそりゃ多くの女を侍らせてたもんです。あたしはその中の1人だった。もう50年以上は前の話になりますがね」
年老いた女神官長は吐き捨てるように言った。
「酒に女に博打に。とんだ与太者でした。若かった当時のあたしはそんなことは知りませんでね。そりゃ入れ揚げたもんです。エルフの血が入ってるから見た目はいいし、2人で過ごす時は基本的には優しかった……田舎もんのあたしはあの男のそういう上っ面にものの見事に騙されました」
「うっ、ら、ランベール中将閣下とはそのようなお方なのですか。あの……何と言ったらいいか……」
クラリスは明らかに同情して気を遣っているものの、上手く言葉に出来ないらしい。
それを見てドロテー神官長は豪快に笑った。
「あっはっは! クラリスさまはお優しい。まるで若い頃のあたしとそっくりだ。さっきも言ったようにもう50年も前の話ですよ。もう気にしちゃいません。本人が目の前にいたら、手が滑ってぶっ殺しちまうかもしれませんがね」
凄まじい執念だ……。
僕も色々と気をつけた方がいいかもしれないな。
「特にそのテオドールとかいう優男。若い頃のリューディオとそっくりな胡散臭い雰囲気に満ち溢れています。くれぐれも騙されんようにしてください」
「わ、私と彼はそのような関係ではありません!」
「というか酷い言い草だなぁ。僕はそんな風に女性を扱ったりしないんだけど」
「馬鹿をお言いでないよ。あんたからは大層女好きの気配がするよ。これまで多くの女を侍らして散々いい思いをした男の顔だ。優男に見えてとんだ曲者なあたり、リューディオもいい生徒を拾ったもんだね」
……なかなか相手を見る目に長けているな。流石は神官長、勘の鋭い婆だ。この場で殺ってしまうか。
思わず表情を消して見つめていると、剣呑な表情のドロテー神官長が睨みかえしてきた。
正に一触即発といった時、クラリスが言う。
「て、テオドール? 貴方、まさか本当にそんなことを……!?」
「さあ、どうだろ。でも、僕は一度好きになった女性を捨てたりしないよ、絶対にね」
「それは女が2人、3人に増えてもかい」
「もちろん。華は多ければ多いほどいい」
即座にそう言ってのけると、ドロテー神官長はふっと笑う。
「そこまで開けっ広げなあたり肝が据わってるねぇ。でも、簡単な気持ちでクラリスさまに手を出すんじゃないよ。その時はあたしがぶち殺してやるからね」
「わかってるよ。手を出すなら大事にするさ。ずっと傍に置くと約束するよ、クラリス」
「なっ、なっ、なっ、ななな何の冗談ですか……!?」
僕はクラリスの顎に手を添えて言った。
「本気だよ? 君は可愛いし優秀だからね。その上、厳しさの中に優しさもあると思ってる。なかなかいない逸材だ。悪くないよ」
「あのっ……ええと……」
「君は僕のことをどう思ってるかな?」
クラリスは顔を真っ赤にした後、忙しなく視線を動かしてから少しだけ荒くなった呼吸をすっと抑えた。
そして1回だけ深呼吸をした後。
「し、信用出来ない不埒者だと思っています!」
顎に添えた手をぱっと払いのけられた。
やれやれ、フラレてしまったようだ。
それを見て、ドロテー神官長はまたしても笑う。
「正気になってくださってようございましたよ。もしその男に惚れ込んでいるようだったら、その男だけでなくクラリスさまのドタマにも1発きついのをお見舞いしないといけないところでしたからねぇ」
「わ、私はもとより正常です! ちょ、ちょっと慣れないことを言われたので戸惑っただけで……それだけですから! テオドール! 貴方も勘違いしないでくださいね!?」
「しないよ。でも、僕が君に感じている印象に嘘はないから」
「っ! ま、また、そうやって……」
クラリスは両腕を抱くようにして警戒しながら僕を見つめてきた。
悪くないな、この子は。からかうと面白いし。
「さて、クラリスさま。美少年の皮を被った狼1匹連れてきて、一体どうなさったって言うんです」
「! そ、そうでした……実はですね」
話が変わったのを敏感に察知したクラリスがそれまでの雰囲気をごまかすかのように、早口になりながらも事情を説明した。
そんな彼女の微笑ましい様子を眺めつつ――僕は神殿の全体にも目を通した。
少なくとも、今まで見てきた範囲では何もおかしなものは見つからなかった。
警備にあたっている軍人、神殿の中にいる神官たち、そしてこの口は悪くも豪快な年老いた女神官長。
物も人にも異常は見受けられない。そして、それと同時に襲われるような理由もまた見当たらない。
ただ、少し気になるものがあると言えばこの水晶か。
神殿でよく使われる水晶と言えば、人の手の中にすっぽりと収まってしまうような球体のものが一般的だ。
こんなにも立派で巨大な水晶を扱っている神殿は見たことがない。
しかもこの水晶からは、浮いているにもかかわらず魔力がまったく感じられなかった。
だが、それとはまったく違うものを感じる。それは神気。
先日、ミルディアナを襲撃した天魔たちや、デュラス将軍の神剣からわずかに発せられていたもの、そして我が妻であるルミエルから常に迸っているそれとまったく同等のものだ。
神殿とは神を奉る場所である。神気が感じられるのも当然なのかもしれないけど……。
どうにも違和感がある。こんな巨大な水晶を用意して一体何をするつもりなのか。
気が付けば、この世の男がいかに危険であるかを延々と語る神官長と、それを熱心に聞いているクラリスに向き直る。
「ねえ、2人とも。この水晶は昔からあるものなのかい?」
「私が初めてこの神殿を訪れた際には既にあったものですが」
「そうさね。なんて言ったってこりゃ、あたしが生まれる前からこの神殿にあるものだからねぇ……残された記録によると、400年以上は前からあるらしいよ」
そんなに前からこの巨大な水晶があるのか。
僕がかつて帝国の神殿を見て回った際には、これほど純度の高くて尚且つ神気を放つような水晶など一切見なかったものだけど。
「何か気になることでもあるのですか、テオドール?」
「うん……立派な水晶だと思ってね」
「神々しいだろう? あたしもこんなに立派な水晶はグランデンの神殿で見かけたのが初めてだったよ」
感慨深げに語る神官長の言葉が少し気になった。
「グランデンの神殿が初めて、ということは他の場所の神殿も見て回ったことがあるのかな?」
「当たり前だよ。あたしは神官長になるまで色々と修行を積んできたからね。ミルディアナにもいたのはさっき話した通りだけど、他にも東方や北方……そして帝都の神殿も見てきた。だけど、こんなにも立派な水晶なんざ見かけたことは一度もなかったのさ。それで気になって調べてみたら、何とまあ古いものらしいじゃないか。いや、見事なもんだよ」
確かに見事なものだ。
それと同時に僕はかつて似たようなものを見たことがあるような気がして、記憶を巡らせてすぐにそれに辿り着いた。
そう。かつて、ミルディアナの高等魔法院でリューディオ学長の力を封じていた巨大な水晶。今、眼前にある巨大な水晶とミルディアナのそれからはどうにも似たような感覚を覚えずにはいられなかった。
☆
「大地の息吹溢るる緑風よ。猛き戦士に刻まれし創痍を癒したもう――『癒しの風』!」
軍学校の演習場に凛とした声が響き渡った。
瞬間、爽やかな風が吹きつけて腕に怪我を負った男子生徒の傷を回復させた。
そこにはもはや切り傷を負った痕跡さえない。
「おぉ、すげえ……エルフの回復魔術ってのは本当に凄いんだな」
「まあねー。痛みもないっしょ?」
「おう。もう問題なく動かせるぜ。ありがとな」
「いえいえ、どういたしましてー」
座り込んでいた男子生徒の様子を見るためにしゃがんでいたリズが「よいしょっと」と起き上がると、周囲の生徒たちが押し寄せてきた。
「す、凄いですリズさん! あの傷、結構深かったのにあんなにあっさり治せるなんて!」
「エルフの術式は帝国での魔術とは異なるものも多いと聞きますが、今回の術式はどのようなものなのですか!?」
「ちょいちょい待って待って。えーっとね、順番に説明すると~」
グランデン領には魔術を扱える者が少ない。
故に軍学校にも魔術を専門に扱う生徒はほとんどいない上、それを教える教官の腕もミルディアナの者たちと比べるとどうしても見劣りするものだった。
そんなわけでリズは木刀での実戦形式の演習に招かれ、誰かが怪我をした時には回復魔術を施していた。
エルフにとっては普通の術式であり、ミルディアナでは頻繁に見かける光景だ。
しかしこのグランデンにはエルフがほとんどいないため、魔術を専門に学んでいてもその術式を初めて見る者が大半だったのだ。
そういう事情もあって、魔術を専門に学んでいる生徒たちは何かとリズに対して質問をしてくることが多かった。
それに答えているうちに、リズはすっかり仮の教官のようになってしまっていた。
何かと面倒見が良くて愛想もいい上に見目麗しいリズは、今ではすっかりこのグランデンの軍学校に馴染んできている。
質疑応答が終わった後、リズはぐっと背伸びをしながらあくびをする。
「んー、終わった終わった……ふわあぁ」
潤んだ瞳をしぱしぱさせていると、横から声がかけられた。
「大層な人気だったな、リズ。疲れただろう」
「あー、キースくん。もーほんと。あたしこういうのあんまり得意じゃないからちょっとね」
「その割には馴染んでいるように見えたが」
そこでリズは悪戯っ気な笑みを浮かべる。
「ふふん。エルフの外面の良さは抜群だからね。あたしみたいに優しくて可愛いエルフを見かけても、あんまり油断しない方がいいよー。裏では何考えてるかわかったもんじゃないから」
「そのようなものか。同胞をあまり快く思っていないのだな」
「まあね。特にキースくんみたいな生真面目な男の子ほどそういうのに引っ掛かるからね~。注意しなきゃダメだよー?」
「りゅ、留意しておこう。とは言え、俺に声をかけてくるエルフの女性などいないだろうが」
「キースくんはかっこいいけどちょーっと逞しい部分が強いからね。エルフの女は揃いも揃って線の細い優男みたいなのが大好きなんだよ。テオくんみたいなのは特に。ミルディアナの軍学校にはエルフの子もそこそこいたけど、みんなテオくんに興味津々だったからね」
「奴は見た目通りの男ではないと思うがな」
「うんうん。みんなそういうの気付いてないから。でもまぁ、あたしは逆にテオくんのそういう部分が好きかな。何だか謎めいてる感じなのがぐっと来るんだよね~。普段はこっちから攻めるとたじたじなのに、冷静な時とかほんと怖いくらい冷たかったりするし」
「まったくもって得体の知れない男だ。誰を相手にしてもまったく物怖じせず、剣術と魔術のみならず学問にも優れ、時折人が変わったかのような印象を受ける時がある。どこでどんな教育を受ければああなるのだろうな」
「ねー、そのへん知りたいよね。ちょっと探ってみたけど、このグランデンでテオくんを知ってる人、誰もいなかったんだよ。グランデン出身とか言ってるくせして、本当はどこの誰なんだか」
軍学校の生徒はもちろん、教官ですら誰もテオドールのことを知らなかった。
青髪の美少年という出で立ちのみならず、凄まじい実力を持つ彼ならばどんなに隠れていても必ず目に入ってしまうものなのに。
そんな簡単なやり取りをした後、キースと別れた。
リズはその後も黙って考え事をしていた。
「……やっぱり気になるのは、あのメイドさんだよねぇ。誰だったんだろアレ」
ミルディアナで天魔に襲撃された際、凄まじい剣術と魔術を用いてリズとエインラーナに傷1つ負わせることのなかった銀髪のメイド。
年齢は自分と同じくらいに感じた。しかし、あの全身から漂う凍てついた殺気のようなものは同じ年頃の女が決して持ち得ないようなものだ。
まるで歴戦の戦士でもあるかのように思えた。
デュラス公爵家に仕えるエルザも相当なものだったが、あの銀髪のメイドはそれを遥かに凌駕していた気がする。
あの時、リズは混乱で我を忘れかけていたが1つだけ覚えていることがあった。
『我が主から貴女がたの安全を第一に考えよとの命を受けています』
確かにあのメイドはそう呟いていた。
何かと秘密の多いリューディオだが、あんな化け物じみた配下がいれば末期の雫事件をあそこまで悪化させることはなかっただろう。
現にエインラーナと口裏を合わせてそれとなく探ってみたものの、彼はそのことについては何も知らないようだった。
ツェフテ・アリア王国には王族を守るための者も当然いる。
が、それはほとんどがエルフで構成されている。リズ自体はよく知らないが、エインラーナの直接の配下である『あまり表に出せないような者たち』の中にもあんな人間は含まれてはいないという話だった。
末期の雫事件が起こることを前以て知っていた人物は限られている。
当のリズやエインラーナですら事件が起こることを完全に想定した上で撒き餌として泳がされていたと知ったのは事件が収束した後だった。
すべてを知っていたリューディオに心当たりがなければ、疑いの矛先は特待生たちへと向けられる。
「……メイドさんを雇う余裕があるのはキースくんとロカだけだと思うんだけど、あの2人はどう考えても違うよねぇ」
ロカの奴隷であると称しているシャウラはもちろん、ジュリアンも違うだろう。
そうすればやはり最も疑わしいのは必然的にあの青髪の少年となるわけだ。
そして決定的となったのはこのグランデンに来てからのとある出来事だった。
『テオお兄ちゃんの後ろにいる銀髪のメイドさんのこと、おしえて?』
デュラス将軍の娘が呟いた言葉は、耳のいいリズにははっきりと聴こえていた。
そのことでテオドールがこれまで見たことがないほど驚いていたのを覚えている。
彼はあの時、すぐに自分の後ろを振り返った。しかしその場には誰もいなかった。
単なる偶然にしては出来過ぎている。
自分の眼を以てしてもその姿を捉えられなかったことだけは引っ掛かるが、テオドールがあそこまで敏感に反応したのだから何かあるのは間違いないと考えた。
その後、デュラス将軍の屋敷で行なわれたロカの誕生祭でシャルロットは途中で抜け出して外で誰かと話していた。
露骨に聴き耳を立てるわけにはいかなかったが、あの少女は気になることを言っていた。
『テオお兄ちゃんは人間じゃないよね』
そこだけは今でもはっきりと思い出せる。
その後はくぐもってよく聴こえなかったが、続いた言葉の最後で彼女はこうも言った。
『――ルフじゃない。ドワーフでもない。竜族でもない。それなら、『魔族』なんじゃ――』
聴き取れたのはそれだけだったが、現在の状況を鑑みれば妥当と言ってもおかしくはない結論だった。
魔族なら、あの美少年の素性がまったくわからないことも頷ける。
何と言っても、魔族に関してはほとんどの情報がない。どのような生態をしているのか、まったくと言っていいほどわかっていない。
誰もが知らないが故に、逆に選択肢が絞られたと言っても過言ではない。
だが、彼が魔族なら何故自分を――果てはミルディアナのみならず帝国全体を助けるような真似をしたのだろう。
そして、どうして今もなおこの帝国に留まって軍学校での生活を満喫しているのか。
どれだけ考えてもそこがわからない。
「……少しだけ、探りを入れてみようかな」
エインラーナには深追いするなと釘を刺されていた。
だが、リズの好奇心混じりの使命感を止めるまでには至っていなかった――。
しばらくの間、連載を休止致します。
詳しくは活動報告をご覧ください。
期間は恐らく2週間程度になるかもしれません。
1月の方が忙しいと思われるので、今後しばらくペースが乱れますが何卒ご容赦願います。
今回の話はそこまで引っ張るものではなく、今後の物語は神殿襲撃事件をベースとしたものとなります。
話自体はなるべく巻きで行きたいなと考えていますので、どうか気長にお待ち頂けると幸いです。





