第21話「小さな誕生祭~前編~」
僕とキースが食材を買い込んだ頃には、日はすっかりと傾いていた。
辺りの家々から徐々に明かりが灯される。
「5人分の食材って言うと、こんなものでいいかな?」
「構わんだろう。獣人は大食いだがこの量はかなりのものだぞ……。それよりも憂慮すべきは、この量の食材をどうやって食えるようにするかだ。明らかに時間が足りん」
「確かに。リズが料理得意だって言っても厳しいかもしれないね。僕たちが手伝うとかえって邪魔になるかもしれないし……」
そんなことを喋っていると、ふと違和感を覚えて近くの物陰に視線をやった。
すると、青髪の少女が小さな身体を蹲らせていた。
「……何してるんだい、シャルロット」
「あ、テオお兄ちゃんだ」
僕を見つけてシャルロットが嬉しそうに飛び出してきた瞬間。
「見つけましたよ、シャルロットお嬢さま」
「うえー!? エルザ!? ちゃんと向こうの路地でまいたと思ったのにぃ!」
「どこに隠れようとも私は常に貴女さまのお傍におりますから」
髪を三つ編みにしたメイドがシャルロットをがっしりと掴む。
少女はじたばたともがくものの、観念したかのように大人しくなってつまらなそうに唇を尖らせながら言った。
「ところで、テオお兄ちゃんたちは何してるの?」
「あー、うん。話せば少し長いんだけど」
僕とキースが簡潔にロカの誕生日のことを説明すると、シャルロットの表情がぱっと明るくなった。
「だったら、うちでお誕生会をすればいいよ! でしょ、エルザ?」
「……旦那さまからのご許可を頂けませんと」
「いいじゃん。どうせ今日も帰ってこないんだから。それにお料理作るの大変なんだよね? エルザは家事ならなんでも出来るから手伝ってあげる!」
僕とキースは思わず見つめ合う。
その後、キースが小声で囁いてきた。
「おい、どうするんだ。デュラス将軍の許可無しであのお方の邸宅に入り込むのは失礼に当たるだろう」
「でもまぁ、娘さんがいいって言ってるんだからいいんじゃない? 人手も足りないと思うしさ」
「テオドール、考えてもみろ。俺たちの他にもあの獣人たちがいるんだぞ。何をするか知れたものではない」
「大丈夫だよ、多分。ロカは元気なさそうだし、それに釣られてシャウラもいまいちな感じだったから今日は大人しくしててくれると思う」
「ならばいいが……俺が買ったこの安酒で悪酔いでもして暴れられたら目も当てられん」
こそこそと話し合っていると、シャルロットが言った。
「じゃあ、決定だねテオお兄ちゃん。うちに来て?」
「いや、ちょっと待とうか。今それを話し合ってる最中なんだけど」
「ふ~ん……あのこと、言いふらしちゃおうかな」
……しまった。
これはまずいぞ。
ちらと様子を窺うと、キースは何もわかってなさそうだし、エルザの方は……無表情のままだからわかんないけど、多分彼女も同じだと思う。
レナのことを口走ったとしても、デュラス将軍以外誰も信じないとは思う。
ただ今後のことを考えると、彼女の存在は公にはしたくない。
レナのことが見えなかったデュラス将軍に代わって、彼女の容姿どころか素性さえも見抜いた者が何者なのかはわからないけど今夜はお屋敷にいるんだろうか。
シャルロットはまるでイタズラっ子のように首を左右に傾げながら、面白そうに口もとに弧を描いている。
将来はきっとろくでもない女性に育つに違いない。
「ど、どうした、テオドール。シャルロットさまに何か弱みでも握られているのか」
「い、いや、そういうわけじゃないんだけど……今日は大人しく言うことを聞いておこうか」
「何がどうしてそうなる!?」
「やったぁ!! ね、エルザ。いいでしょいいでしょ、父さまには後でわたしからも説明するからー!」
「……仕方がありませんね。シャルロットお嬢さまのご厚意を無下にするのは憚られますし」
意外なことにエルザはあっさりとデュラス公爵家を使うことを承諾した。
まるで表向きではデュラス将軍の承諾を得なければいけないと思いながらも、実際にはシャルロットの意見の方を優先しているような感じだ。
「ねえ、テオお兄ちゃん」
「なんだい?」
「『連れてきてね』」
「……気が向いたら、かな」
「うん。期待してるね」
こうして、僕たちはデュラス公爵家に半ば強引に招待されてしまうことになった。
途中でリズたちと合流した後は急いでデュラス公爵家へと向かった。
リズの料理の腕も確かだったけど、エルザは流石本職なだけあって凄い。メイドにも得手不得手はあるものだろうけど、彼女の腕の良さは本物だ。
レナと比べても遜色がない。テネブラエにいる僕の眷属の吸血鬼であり、メイド長でもあるカーラと比べても問題ないくらいだった。
僕とキースは今日のお客人であるロカを出迎えるための用意に勤しんだ。
シャウラは既にロカを呼びに行っている。
シャルロットはと言えば……。
必死に料理をしているリズの傍にひょっこりと顔を出して、薄く切ってローストした鶏肉にそっと手を伸ばした。
「シャルロットお嬢さま」
「な、何もしてないよ!」
「そうですか。それでは今はお邪魔なのでキッチンから離れていてくださいね」
襟を掴まれてキッチンの外にぺっと捨てられたシャルロットは、むーっと不機嫌そうな顔をした。
ちなみに今までのやり取りの間、エルザは彼女に一切目を向けていなかった。
単純に調理作業の一環として一連の動作をしていたように見える。これは凄まじい。
「完全に訓練されたメイドの動きに見えるな。在りし日の我がレルミット家にもあそこまで完璧な者はいなかった」
「凄腕のメイドになら心当たりはあるけど、エルザは凄いね」
作業量の少ない僕たちがそう評していると、暇で死にそうになっていたシャルロットが会話に入ってきた。
「エルザはすごいんだよー。軍人さんで成績もゆうしゅーだったんだって」
「確か怪我を理由に辞めて、今はデュラス公爵家のメイドになっているんだったっけ」
「うんうん! 軍人さんだった頃は魔導銃で戦ってたんだって。軍部で使ってるのを見たけど、すごかったよ。多分他の軍人さんの誰もエルザにはかなわないんじゃないかなー」
どこか誇らしげに語るシャルロットを横目に、大皿を持ったエルザが近づいてきて言った。
「ゼナンとの戦当時は、まだ魔導銃をまともに扱える方がほとんどおりませんでした。私はただ他の方々よりも若干扱いを覚えるのが早かっただけです」
「いまだってエルザよりすごい人なんていないもーん」
「フレスティエ少尉の魔導銃の扱い方には目を見張るものがあります。あのお方はそれだけではなく、剣術・体術・魔術共にそつなくこなす天賦の才をお持ちです。今の私など及びもしないはず」
「クラリスは器用貧乏なんだよ。なんでもできるけど、全部が中途半端なの」
シャルロットは事もなげに言った。
シャウラを圧倒し、全力を出せていなかったとは言えあのキースをくだし、ロカとも互角以上に渡り合ったクラリスですらそのような評価らしい。
「シャルロットお嬢さま。一芸に秀でる者ばかりが戦で強いわけではありませんよ」
「完璧にこなせることが1つもないような人はダメなの」
ばっさりと切り捨てられる。
クラリスが聞いたら怒るだろうなぁ……。
何となく場の空気が重くなった時、玄関の扉をノックする音が聞こえた。すぐにエルザが応対する。
「……シャウラに無理やり連れてこられたところが、よもやデュラス公爵家だとは思いもよらなんだ……」
そこにいたのは少し覇気がないものの、きょとんと意外そうな顔をしているロカと彼女の傍に控えているシャウラだった。
どうして自分がこんな場所に連れてこられたのかわかっていない様子の狐っ娘の来訪に気付いたリズがひょっこりと顔を出す。
リズが他のみんなを見回す。
準備は万端だ。
それに満足したリズがシャウラに向かって頷くと、彼女はロカを引き摺るようにして中に招き入れた。
「お、おい、シャウラ? 一体何なのだー?」
小さな食堂まで連れてこられたロカが珍しく呆けた顔をしている。
そんな彼女に向かって、僕たちは一斉に言った。
「「「誕生日おめでとう!」」」
「おめでとうロカー!!」
勢いよく言ったのは僕とリズとシャルロット、それに言葉を発するのと同時に抱きついたシャウラだった。
キースは少し恥ずかしそうにしながら呟き、エルザは小さな声で「おめでとうございます」とだけ言った。
狐っ娘はいよいよ困惑した様子であたふたとする。
「な、何なのだー? 誰の誕生日だと?」
「誰って貴女に決まってるじゃないロカ!」
「余の……んん、ああ、そうか……もうそんな時期か」
ぼーっとした様子でまるで他人事のように言うロカ。
それを見たシャウラが少しだけ悲しそうに目を伏せる。
「最後にお祝いしたの、ずいぶん前だものね」
「うむ……蛮族共との戦になってからというもの、そのようなことにかまけている時間はなかったからな」
更に場の雰囲気が湿っぽいものになってしまった。
それを変えるかのように、リズが皿を両手にして持ってきた。
皿の上に盛りつけられた肉と野菜とソースは彩り豊かで、香ばしい匂いが漂ってくる。
「はいはい、今日はおめでたい日なんだからそんなことは考えない考えない! ほらー、リズさま特製のスペシャルソテーだよ! 実はシチューも作ってあるんだけど、ちょっと時間が足りなくて……まあ、いきなりメインディッシュから食べるのも悪くないでしょ!」
「ふむ……確かに美味そうだ。なかなか上等な肉に見える」
ロカの尻尾が少しだけ左右に揺れる。どうやら興味を示したらしい。
そして、エルザがテーブルに並べられた杯に酒を注いでいくのを見ていたロカが、ふと机上にあるものに気が付いた。
「これは……ルーガルさま、か?」
「ええ、そうよ! さっき街で見かけたから買ってきたのよ。前にルーガル王国で仕入れたものをこっちで売ってるみたいだったわ。まあ、ルーガルさまの彫刻は獣人以外にはあまり人気がないから余っていたみたいだけれど」
手のひらと同じくらいの大きさのそれを持ったロカは、真剣な眼差しをしていた。
シャウラが見つけてきたという神獣王ルーガルの彫刻は、確かに普通の人間たちからすれば不気味に思えるのも無理はない。
「木彫りだから伝わらないでしょうけど、ルーガルさまの身体は白銀に輝いていたとも黄金色に輝いていたとも言われているじゃない? どう、ロカ。悪くないでしょ?」
「うむ……うむ、そうだな……色合いは確かに地味だが、よく出来ていると思うぞ。お前にしてはなかなかの成果だ。よくやったな、シャウラ」
「えへ~……!」
獣人娘たち2人が夢心地で木彫りの彫刻を眺めているのを見ながら、キースが言った。
「アレが神獣王ルーガルさま、か。神々しい色合いをしていた神獣……。言い方は悪いかも知れんがとても実在していたようには見えんな」
「いたよ」
「なに?」
即答した僕に向かって、キースは怪訝そうな顔を向けてきた。
「本当にそっくりだ。まるで実物を前にして彫ったかのようによく出来ている。後は彼の身体のように黄金色に輝いていれば、言うことなしだったんだけどね」
――アレからもう1600年近くが経つのか。
私がまだルシファーの座に就いていない時に、彼の神獣王と出会ったのを思い出した。
その逞しい身体から溢れる神気は常軌を逸していた。
そして、その神々しい獣の傍にいつも寄り添っていた少女がいたのを思い出す。
彼の魔術大国キアロ・ディルーナ王国の名前のもととなった少女『ディルーナ』。
人間の身でありながら、魔神をも超える凄まじい魔力を自在に操った逸材。今後もう二度とこの世に生まれ出てくるようなことはないであろう唯一無二の『大魔法使い』。
「ディルーナはとても美しい白銀色の髪をしていた……それが、ルーガルの黄金色の身体の対比のようでいて、寄り添い合っているだけで絵になるような2人だった」
ディルーナは莫大な力を持ちながらも、天真爛漫で夢見がちな少女だった。
一方の神獣王はその身体の威容に相応しい誇り高き獣でありながら、ディルーナを献身的に支えていた。
彼らはとても深い絆で結ばれていた。私が出会った頃にはまだその程度だったが、恐らくそれから間もなくして結ばれたのであろう。
キアロ・ディルーナ王国は2人の愛情から生まれた。そして、ルーガル王国は2人が別離した証として生まれたのだ。
現在の二国間の者たちがどのように考えて戦を行なっているのかは知らないが、彼らは本当に理解しているのだろうか。
時が経ち、血は薄まれど、もとは偉大なる2人の愛の結晶に他ならなかった同胞との同士討ちを行なっていることに、本当に気が付いているのだろうか。
それとも、もはやそんなことは誰も覚えてはいないし、知らないまま戦っているのか。
「……テオドール。何を、言っている……?」
「ああ、ごめん。昔読んだ本でそんなことが書かれてたのを思い出しただけだよ。気にしないで」
そう言いながらも、私はロカとシャウラの姿を見つめた。
この2人の体色もどこかあの2人の姿を思い出させる。
常に寄り添い合っているのも同じか。もっとも、この2人の場合は事情は違うだろうが。
気力を失っていたロカもいつの間にやら元気な表情を取り戻し、皿の上の料理に手をつけ始めた。
最初は彼女の誕生会のはずだったが、気が付けばみなで食卓を囲うことになっていた。
リズが代表として言う。
「それでは、これよりロカの誕生会を開催しまーす! みんな食え食えー!」
「「「おー!!」」」
ロカとシャウラとシャルロットが叫んだ。
それからささやかながらも少しだけ賑やかな誕生祭が幕を開けた。
次々と運び込まれてくる料理を平らげるロカはいつもの様子を取り戻しているように見える。
さっきから杯に注ぎこまれる酒をひたすら飲んでいるが大丈夫だろうか。
「ちょっとロカ、いくらなんでも飲み過ぎよ!」
「うるさーい! 余の誕生会なのだから好きなだけ飲んで何が悪いのか! ほれ、シャウラ、お前も飲め飲め!」
「私、あんまりお酒は得意じゃないんだけれど!?」
「ほらほら、2人とも。お酒ばっかり飲んでないで料理もちゃんと食べてよねー。急ごしらえで作ったけど、ちゃんと美味しいでしょー?」
「うむ、こんなに豪華な料理は実に久しぶりである! よくやったな、リズ!」
「あたしだけじゃなくて、こっちのメイドさん……エルザも頑張ってくれたんだよ。っていうか、正直あたしよりもエルザの方が数倍は頑張ってた気がする……」
「おお、それは凄いな! 流石はあのデュラス将軍の認めたメイドだ! 只者ではない!」
「畏れ入ります」
「ねー、わたしもお肉たべたいー! お酒もー!」
「シャルロットお嬢さま、お酒は厳禁です」
「むー! じゃあお料理ー!」
「はいはい、今持ってくるから騒がないのー。シャルロットってば、ほんとに淑女なのかなー?」
「リズお姉ちゃんもクラリスみたいなこと言ってくるー……」
「そんなことじゃ立派なレディにはなれないよー? あー、あたしが言うなってのは無しでよろしく!」
そんな賑やかなやり取りを眺めながら、静かにお酒を飲むことにした。
隣を見れば、キースはさっきから軽食ばかり摂ってお酒には手を出さなかった。
「どうしたんだい、飲まないの?」
「いや……まあ、しばらく酒はいい」
「そうかい? せっかくの誕生祭なんだから君も盛りあがったらいいのに」
「もとよりロカを元気付かせるための催しだろう。これであいつの気が少しでも晴れたなら俺はそれで十分だ」
「ふっ、真面目だね。君は」
――2時間後。
「酒が足りぬー! 酒を用意致せー!」
酔っ払った狐が騒いでいる。
そんな騒ぎにいかにも便乗しそうなシャウラはというと――。
「くかぁ……すぴぃ……」
既に酔いが回ってすっかり眠りこけていた。
「まったくもー、ロカってばどんだけ飲めば気が済むのかな。あんまり飲むと明日に響くよー?」
「大丈夫だー! 余はこのくらいでは酔わぬ!」
そう言う彼女の頬は既に赤く染まっている。
目も少し虚ろな気がする。
リズとエルザはお酒には一切手をつけていない。
シャルロットはと言うと、さっきからうつらうつらとしているものの目をごしごし擦って何とか眠気を取り払っているようだった。
「でもさ、ここにジュリアンくんがいないのはちょっと寂しいねー」
「そうだね。もう少しでグランデンに辿り着く頃合いだとは思うけど……ああ、僕も片づけ手伝うよ」
「いいからいいから。そういうのはあたしたちに任せときなさいって。テオくんだって相当酔ってるでしょー? さっきからずーっと飲みっぱなしだし」
「僕もこの程度じゃ酔わないからね」
「ほほう、テオはまだ酔っていないのだな!?」
いきなり叫んだのはロカだった。
彼女は杯を手にした後、僕の肩を無理やり抱いて言った。
かなりお酒臭い。
「では余と杯を交わそうぞ」
「いいけど、何かの儀式的なものかな?」
「そうだな……うむ、余はテオとはもう同胞も同じ。立派な親友同士だと思っているのだが、お前はどうだー?」
「うんまぁ、僕もそんな感じに思ってるよ」
「よーし、なら契りの杯だ!」
「親友の契り? あんまり聞いたことがないような感じだけど」
「うむうむ! ……しかし、屋内では味気ないな……。少し外に出よう」
それを聞いていたリズが忠告を投げかけてくる。
「ちょっとちょっとー、夜風に当たってたら風邪引いちゃうかもだよー?」
「馬鹿はそんなものには罹らんから心配無用だ」
「いや、僕はそこまで一緒にされるのはちょっと嫌だなぁ」
「いいから行くぞ!」
ロカに腕をがっしりと掴まれて、僕はデュラス公爵家のテラスへと向かった。
月明かりが射し込んでくるのを見ていると、殺風景なこの街にも少しは情緒のようなものを感じられる気がした。
そこで僕とロカは向かい合って、盃を交わす。
「では、親愛なる友に……んー? こういう場合はどうすれば良いのか」
「もしかして誘っておいてやったことなかったの?」
「うむ……むぅ、はて、どうしたものか」
ロカが赤ら顔になりながらも少し小首を傾げたのを見て、僕は笑った。
「じゃあ、『これからもずっと友達でいよう』……これでいいじゃないか。何より簡単でわかりやすい」
「うむ! それもそうだな!」
月明かり射し込む場所で、僕とロカはそんなささやかな契りを交わした。





