第16話「大英雄との対談~前編~」
昼過ぎに僕はデュラス将軍の屋敷に向かった。
広場の近くにあるその屋敷は、確かに彼自身が言うようにあまり大きなものではなかった。
流石に普通の家よりは立派ではあるけど、これが公爵家だと言われるとにわかには信じがたい。
その屋敷の門扉の前に立った時、何者かが物凄い勢いで走り寄ってきた。
「テオお兄ちゃん!!」
「シャルロット……! びっくりさせないでよ」
ガッシャァンと門扉に突っ込んでくるような形で現れた少女の姿に驚く。
「助けて! わたし、魔族に殺されちゃう!!」
「はっ……?」
魔族だと?
思わず周囲を見やったがそれらしい気配などない。
そう思った瞬間。
「シャルロットお嬢さま」
「ひぃっ!」
冷やかな視線を浴びせられて、無邪気な少女が悲鳴を上げた。
いつの間にか青髪の少女の背後に現れ、彼女の両肩をがっしりと掴んでいたのはメイドの女性だった。
黒髪を三つ編みにして肩から垂らしているその女性は、少女のようにも大人の女性にも見える。
「私は魔族ではありませんが」
「化け物ー!!」
「人間です」
それは彼女から発せられる独特の雰囲気によるものだろうか。
静かな口調には怒りや呆れなど感じられない。まるで平坦そのものだった。
その様子からは、単にわがままなお嬢さまに振り回されている若いメイドというようなものは感じられない。
「シャルロットお嬢さま。奥さまのお墓参りのお時間です」
「いーやー! テオお兄ちゃんが来たんだもん! 剣術の稽古してもらうのー!」
「なりません」
言葉に感情が乗っていない。
そしてそんなメイドが一瞬だけ僕を見る。
……嗚呼。これは凄いな。彼女が纏う雰囲気の正体が何となくわかった。
流石はデュラス将軍の屋敷のメイドだけはある。
そんな女性に向かって、僕は言った。
「今日は昼過ぎからデュラス将軍のお屋敷に招かれたんだけど……入っていいのかな?」
「もちろんでございます。旦那さまは奥におりますので、どうぞ」
「むぅ~! うぅぅ~!!」
殺る気満々な少女が身体をじたばたとさせながら唸っても、メイドの女性はただ彼女を抑え込んでいるだけだった。
普通の女性ならあっという間にあの少女の怪力で吹っ飛ばされていてもおかしくないんだけどね。
「まずは、その小さな狂犬を何とかしてもらえないかな」
「お見苦しいものをお見せしてしまい申し訳ございません。さあ、参りましょうシャルロットお嬢さま」
「テオお兄ちゃんと稽古~!」
「それならまた今度してあげるよ。今日はお母さんのお墓参りなんだよね。そっちを優先してあげた方がいいんじゃないかな」
それまで無邪気そのものという感じだった少女の雰囲気がふっと変わった。
ころころと変えていた表情がぴたりと止まる。
「……母さまはどこにいるの」
「それは僕にはわからないかな」
「もう死んじゃったんだよ。どこにもいない。お墓参りなんかして何になるの。骨が埋まってるだけだよ。わたしがいくら話しかけても返事もしてくれないし、笑ってもくれないんだよ。あんなのはただの抜け殻」
デュラス将軍の奥さんが亡くなっているのは彼の口から聞いて知っていたけど、これは根の深いものがあるかもしれないな。
「シャルロットお嬢さま。肉体は朽ちても魂は残るものと言われております。現に死んだ者が死者となってしまうことがあるのも、その魂の心にありようによるもの。無念のうちに戦死した者、怨念を抱きながら死した者。それらの未練が死人をアンデッドへと変えてしまうのです」
「じゃあ、母さまは無念も怨念もなかったの? あんなに酷い殺され方をしたんだよ」
「当時の奥さまのお気持ちを完全に推し量ることは出来ません。ですが、アンデッドとなり苦しみながら永劫の刻を彷徨い続けることがなかった。それだけでも救いがあったのではないかと思われます」
その感情の乗らない言葉を受けて、シャルロットは自らの肩を抑えつけたメイドの腕を力任せに振り解き、メイドへと振り向いて叫んだ。
「じゃあ母さまには何もなかったの? 父さまや私をのこして死んじゃっても何とも思わなかったの!? あの優しい母さまがそんなわけないもん! 『エルザ』はいっつもそう! どうせ人の気持ちなんかわからないくせにお説教ばっかりしないでよ!」
怒りが爆発したのか、少女はメイドから鍵束をひったくって門扉を開けるとそのまま走り去ってしまった。
残されたメイドは少女の姿を見つめる。しかしその顔には無表情が張り付いていた。
デュラス将軍も表情を崩さない人だけど、彼とはまた違う。この女性は一体何者なんだろう。
「失礼致しました、テオドールさま」
「構わないよ。色々と事情があったみたいだしね。それより追わなくても大丈夫なのかい」
「シャルロットお嬢さまは口ではああ言いつつも、常に奥さまのことを案じておられます。外に出てやり場のない怒りが鎮まれば、きっと墓前へと向かうでしょう」
……人の心の機微には敏感に見える。
それとも、これも単なる経験則だろうか? それほどに彼女の言葉に感情は籠もっていなかった。
「自己紹介が遅れて申し訳ございません。私はこのデュラス公爵家に仕えるエルザと申します」
「そっか、よろしくね。……ところで、エルザは元軍人さんかな」
「よくおわかりになりましたね」
感情のない言動と、その瞳に込められた凍えるような視線。
実は僕はこういう印象の人間にとても心当たりがあった。
「何となくそうなんじゃないかと思ってね。それじゃ、中に入らせてもらうよ」
「かしこまりました。私はシャルロットお嬢さまの付き添いとして外出しなくてはなりませんので、あまりおもてなしは出来ませんがどうかご了承くださいませ」
「別にそういうのは期待してなかったからどうでもいいよ。シャルロットをよろしくね、エルザ」
そう告げると、彼女は深くお辞儀をした後にシャルロットが駆けて行った方角へと歩いていった。
それをしばらくの間見つめてから、僕は後ろにいる彼女へと話しかけた。
「あのエルザという女は『昔のお前』によく似ていたな、レナ」
愉快な気分でそう言ってやると、何もない空間から戸惑ったような声がしてきた。
『そ、そうでしたか……? 私は、当時のことはあまり』
「まあ、お前の場合はもう少しだけ感情が表に出ていたような気もするが。彼女のあの瞳もまた『何か大事なモノ』をなくした者のそれだった。戦いに明け暮れることでそれを忘れようとしている。正に昔のお前とそっくりだ」
『う……私はあんなに無愛想だったでしょうか』
「初めて逢った時はな。だが、今は私の可愛い妻だ。安心しろ」
『る、ルシファーさま! ひ、人前でこのような会話を……』
誰も見ても聞いてもいないからこそこうして話しかけているのを忘れているらしい。
ふっと笑いつつ、私は――いつもの人間の調子に戻って言った。
「まあ、そのへんの話はまた後でしよう。今は大英雄さまに会わないとね」
『ほ、本当に私までルシファーさまに付き添っていても大丈夫でしょうか』
「問題ないよ。ついておいで」
レナが戸惑うのも無理はない。
今はこうして安心させておこう。多分、デュラス将軍との対談を終える頃には彼女のプライドはボロ雑巾みたいにされてるだろうけど。
……後でどうやって慰めようかな。結局、僕は大英雄との対談どうこうよりも後で愛しき妻をどう扱ったら良いものかということに頭を巡らせながらもデュラス公爵家の敷地へと入り込んだ。
「よくぞ来た」
「招待してくれてありがとう。光栄だよ、大英雄さま」
お屋敷の玄関に佇んでいた若き将軍は表情をそのままに言う。
「私は大英雄などと呼ばれる器ではない」
「ゼナン竜王国との戦を停戦まで持ち込んだ切り札がそんなことを言ってちゃダメなんじゃないかい」
「あの戦に参戦した者と巻き込まれた者。軍人平民問わず、戦に関わった者たちすべてが己が守るべき者たちのために死力を尽くした。無事に生き延びた者、無念の死を遂げた者……結末は様々だったが、真に称えられるべき者たちは私などではなく、彼らだ。そのみなが等しく英雄であり、私はただ力と幾許かの運に助けられただけの凡夫に他ならない」
「あまり自分を卑下しない方がいいよ、大英雄さま。貴方の活躍なしでは戦は更に泥沼化していた可能性もある」
「力ある者が戦うのは当然のこと。それ以上でも以下でもない」
憂いを帯びた金髪の将は、過去に引き摺られそうになっていた意識から自分を引き戻すかのように頭を振った後に言った。
「失礼した。玄関でするような立ち話ではなかったな。当家のメイドが用意していた茶菓子がある。まずは客室で話し合うとしよう」
「了解。……それにしても、他の使用人の姿が見えない気がするけど?」
「今しがた、貴君が目にしたであろうメイドのエルザがこの屋敷の唯一の使用人だ」
「失礼な話だけど、とても公爵家には見えないね。爵位があるかどうかも怪しく見える感じだよ」
「否定は出来ない。我が家の財政状況も芳しくはない。この屋敷の内装を一目見ただけでもわかるとは思うが」
確かにデュラス将軍が言うように、お屋敷の中も簡素だ。
床には絨毯が敷かれているし、天井にはシャンデリアが飾られてはいるものの豪奢なそれとは程遠い。
そこらへんの商人の屋敷の方がまだ贅沢をしているんじゃないだろうか。
そんなことを思いつつ、僕は客室に通された。
テーブルを挟んで、お互いにソファに座って紅茶とわずかばかりの茶菓子を口にしながら他愛のない話をする。
その間、デュラス将軍は特に何かに気を取られたような様子を見せたりはしなかった。
話をしている間も僕を見つめ、唇を濡らす程度に紅茶を飲むだけ。
話の途中でふと思い立って言った。
「ところで公爵家なのにどうしてこんなに質素な暮らしをしてるのかな?」
「我がデュラス公爵家は代々、大規模な寄付を行なってきた。帝国中の教会や孤児院に、少しでも生活の助けになるためにと思ってな。デュラス公爵家の掲げる家訓には『富める者は貧しき者への施しを』というものがあり、私もそれを受け継いでいる」
「とは言え、これはやり過ぎじゃない?」
「よく言われる。だが、私の妻も賛成してくれたのでな。最低限の蓄えは残しつつも後は寄付を続けている。特に最近はゼナン竜王国との戦で犠牲になった者たちへの支援も続けている。いくら公爵家とは言え、たかが一貴族の私に出来ることは多くないが少しでも助けになるのであればこれ以上の幸せはない」
私利私欲に塗れた貴族というのはどの時代のどの国にもいるけど、彼はそういうものとはまったく無縁のようだった。
むしろ自分よりも他人を優先しているようにすら感じられる。
「よくわかったよ、デュラス将軍。貴方ほど大英雄と呼ばれるに足る器の人間は他にはいないと思う。僕の目からすればだけどね」
「……確かに領民からの信頼は厚いのだろう。だが、私は家族1人の面倒すらろくに見てやれないような男だ。それが何を以てして大英雄だなどと言えるのか」
「シャルロットのことかい?」
「ああ。私はあの子に父として何もしてやることが出来なかった。戦の時はもとより、今現在もなおそれは続いている」
「彼女の内に秘められた狂気は常軌を逸しているよ。アレはもはや他人から指摘されて改善するようなものじゃない。僕から見れば、完全に『手遅れ』のように思える」
無邪気な心の内に化け物が潜んでいる。
その原因はやはり彼女の母親の死と密接に関係しているんだろう。
「手遅れ、か。そうかもしれない。既に私のいかなる言葉もあの子には通じない。何もしてやることが出来ないのだ」
「シャルロットだけじゃなくて、最近はクラリスを相手にしてもそんな感じなんだね」
「そうだ。私は大英雄と謳われながらも、身近な者たちの心を支えてやることすら出来ない。自分の不出来を恥じ入るばかりだ」
大英雄としての民からの信頼は大きいだろう。
誰もが彼の英雄譚に恋焦がれ、年端もいかない子供たちに勇気を与えていたりするのかもしれない。
でも、そんな者たちよりももっと近しい存在の扱いには手をこまねいている。
この街に来てから、色々な人たちの苦悩や葛藤を見てきた。
その中でも彼が抱える問題は力によってどうにかなるものじゃない。
あくまでも『力だけ』ですべての眷属を従えている魔王としての僕にはあまり実感が湧かないのだけど、人間という生き物はそう単純ではないらしい。
やがて、僕が紅茶を飲み干して茶菓子を食べ終えると、デュラス将軍は無表情はそのままに話を変えてきた。
「――さて、貴君の行動と活躍に関しては、あのランベール中将より話は聞いている。過去の事件と現在の事件を見事に照らし合わせ、無事に解決にまで導いたその手腕。まことに見事である」
「リューディオ学長も大袈裟だなぁ。僕はそこまで大それたことはしてないつもりなんだけどね」
「貴君がいなければ、帝国は今頃どうなっていたか想像すらつかない。何者にも屈しないその強さはどこから現れたものなのだ?」
「別に。僕は自分が楽しいと思ってることをやっただけだよ。あの頃は退屈で退屈で仕方がなかったけど、そんなところであの話を文字通り目にしたんだ。気が付いたら思わず夢中になっていて、これまた気が付いたら一応解決の役には立った。そんなところ。デュラス将軍が言うように『力と幾許かの運に助けられただけ』さ」
「楽しい、か。私にはおよそ理解しかねるが、そのような考え方もあるのだろう。では、聞くが――貴君の今の楽しみは何だ?」
デュラス将軍の鋭い視線が僕を射抜いた。
「それはいま正に目の前にいる大英雄さまと話していることとかかな?」
「私は面白い話など何も出来てはいないが」
「そうだね。面白くはあるけど、のめり込むようなものじゃない。僕は他人の悩みとかそういうのにあまり関心はないんだ。相手の人となりを知るためには重要だから大人しく聞いてはいるけどね」
「では、今一番興味があることは何だ?」
「どうやればデュラス将軍の首を刎ねられるか、かな」
間髪入れずに言っても、大英雄の表情が変わることはなかった。
「恐ろしい男だ」
「僕のことが? 何の冗談かな。デュラス将軍は僕より強いと思うよ」
僕は彼がソファに立てかけている神剣へと目をやった。
神気はあまり感じられない。だけど、それも鞘に収まっているからだろう。
あの剣が本当に創世の大女神によって創られたものなら、鞘から引き抜いただけで凄まじい神気が溢れ出すだろう。
その瞬間を見てみたいと思った。
「まあ、僕は出来ないことはしない主義だから警戒しなくていいよ。寝首を掻くことも出来ないだろうしね」
「……では、他に興味のあるものは?」
「最近この城塞都市近辺で起こっている神殿襲撃事件と……後は『女神』とか」
彼の反応を窺うように呟く。
本当に表情を変えない男だ。その真意を測るのは難しい。
「ならば、話は早い。特に前者の事件については、いま最も警戒されているものだ。あのランベール中将の推薦でもある。貴君にも是非話を聞いてもらいたい」
「願ったり叶ったりかな。早速教えてよ」
「場所を変えよう。2階にある私の執務室に来てくれ」
デュラス将軍の言う通りに彼の後ろをついていく。
そして執務室を開けて中に入った。
彼は執務机を前にして、座らずに一言だけ問いかけてきた。
「テオドール。私は貴君に1人で訪ねてきてほしいと告げたな」
「うん、覚えてるけど?」
あえて肩を竦めて見せると、デュラス将軍は鋭い眼光で僕を睨みつけながら言った。
「では、貴君の背後に仕える銀髪の女性は何者であるか」
やっと話の本題が来たか。
この男にどこまでの真価があるのか、これで測らせてもらおう。
僕は自然と口角を上げた。
前回長過ぎたからどうかと反応を窺ってみましたところ、長くてもいいよという声しかなかったので安心しました。
でも長過ぎるので分割します。





