第13話「クラリス教官の奮闘~後編~」
演習場の隅には戦闘不能になった生徒たちの山が築かれていた。
両手をパンパンと慣らしたロカは不満そうに言う。
「ん~む……ミルディアナの生徒よりはマシではあるが、正直どちらも同じようなものであるなぁ」
山を作ったロカが周囲を見渡すと、まだ彼女と戦っていない者たちは視線を逸らしてそそくさとその場から逃げ去った。
ロカがつまらなそうに言う反面、すぐ近くでは激戦が繰り広げられていた。
「守ってるだけじゃこの私は倒せないわよ!」
「くっ……」
シャウラがキースへの攻撃を続けている。
拳による攻撃も、目にも止まらぬ速さで繰り出される足技もキースは防ぎ続けていた。
しかし様子が変だ。
キースはほぼ防戦一方。たまにシャウラに掴みかかろうとするが、素早い獣人を相手にするにはあまりにも遅い。
難なくかわされてまた一撃を受けるハメになっている。
「何をやっているのですか、キース・レルミット! 少しは攻撃に転じてみなさい!」
クラリスが叱咤するが、赤髪の青年の動きは芳しくない。
キースの一撃は獣人娘たちよりは遅い。でも神使である彼の攻撃は、同じく神使であるロカやシャウラにも通じるものだ。
多分、彼が『本気を出していたら』シャウラに重い一撃を与えられているはず。
シャウラもまた本気を出していないとは言え、お互いが全力でぶつかれば恐らくはキースに分があると僕は考えていた。
白い狼娘も口では余裕ぶっているけど、決定的な一撃を与えられずにもどかしそうにしているのが感じられる。
でも、その膠着状態も終わる時が来た。
「ぐぉっ!?」
「……っはぁ!! はぁ……ふぅ……。ったく、どんだけボコボコにすればいいのよ。ろくに攻撃もしてこないでどういうつもりなのかしら」
遂に地面に倒れ伏したキースに向かって、シャウラも何か感じる部分はあったのか釈然としない面持ちながらもさっさとその場を離れて休憩に向かった。
この2人がこうして体術で戦うことは何度かあったけど、今までの成績はシャウラの全勝に終わっている。
最初は慣れない獣人との体術の試合の感覚が掴めないのかと思ったけど、これはそういう単純な問題じゃなさそうだ。
「テオー? どーしたのだ、難しい顔をしてー」
「いや、ちょっとね。キースはどうしたのかなって思ってただけだよ」
「確かに腑抜けておるなー。正直アレにはもう少し期待していたというの――に!」
何気なく近寄ってきたロカの不意打ちによる回し蹴りを左手で受け止めて、彼女の軸足を蹴り飛ばした。
倒れ込んだロカは尻尾を使ってすぐに受け身を取る。
「……まったくお前は油断しているように見えて、相変わらず隙がないなー」
「まあ僕以外なら引っ掛かるかもね」
「ふぅむ。正攻法で勝ちたいところだが……難しいものだ。ここはアレか? 色仕掛けで近づいておいてさりげなく――」
諦めの悪い狐っ娘をよそに僕はクラリスへと言った。
「クラリスはどうする? 僕と勝負するかい?」
「……戦わずともわかります。私は体術では貴方には及ばない」
「体術だけかな? 剣術も魔術も、僕は君に負ける気はしないけど?」
「安い挑発には乗りません。……本当は試したい気持ちもなくはありませんが、今日からしばらくは軍務に就かねばならないのです。余計な怪我をしてはままなりませんから」
ミルディアナの特待生はこういう挑発にリズを除いた全員が引っ掛かってくれるから面白いんだけど、クラリスは分が悪いと素直に認めているようだ。
「軍務って何かあったのかい?」
「ええ。実は付近の神殿で最近……いえ、口が滑りました。忘れてください」
「一般の生徒には教えられないのかな」
「まあ、そういうことです。それよりも私がいないからと言って、くれぐれも授業をサボったりしないように。後で担当教官から貴方がたの行動を報告して頂く予定ですから」
「他のみんなには言い聞かせておくよ。キース以外は真面目にやるかどうかわからないけどね」
肩を竦めると、クラリスは迷ったような素振りを見せた後に言った。
「テオドール。その、キース・レルミットのことですが……」
クラリスがキースのことを少し気にかけているのがわかった。
やっぱり直に戦ってみたのと、今のシャウラとの試合を見たことで違和感を覚えたんだろう。
「君とキースは知り合いなのかな?」
「知り合い、と言えるほどではないかもしれません。幼い頃に貴族家同士の交流で何度か顔を合わせた程度ですから。話をした記憶もあまりないので……」
キースが抱える問題について踏み込む自信がないということかな。
それなら僕が直接話した方が早そうだ。
「僕の方で話は聞いておく。多分、指導どうこうの問題じゃないしね」
「……わかりました。同性でもある貴方の方が何かと話しやすい面もあるでしょう。任せましたよ」
クラリスは細々と呟いてから、演習場のみんなに授業終了の合図を報せた。
それと同時に終業の鐘が鳴る。
他の生徒たちが死んだような顔でその場を去る中、キースは何とも言えない表情をしたまますごすごとその場を立ち去って行った。
――やり場のない憤りというところかな。このまま放っておくのは得策じゃないだろう。
すべての授業を終えて夕方になった頃合い。
学園のテラスに佇みながら、殺風景な景色をぼんやりと眺めているキースの姿を見かける。
「どうしたんだい、キース」
「ん……テオドールか。いや、別に何というわけではないんだが……」
視線が少し泳ぐ。
いつもの毅然とした態度の彼らしくない。
そんな彼に向かって、僕は木刀を投げた。気の抜けた表情をしていたキースも流石にそれを受け取って何事かと視線を向けてくる。
「久しぶりに稽古でもしないかい? 嫌なら無理にとは言わないけど」
「……そうだな……少しだけ、付き合ってもらえるか」
僕たちはそのまま近くの演習場に向かい、向き合ってから――木剣で切り結んだ。
力強い一撃だ。彼らしい愚直な剣の一撃は流石と言えるかもしれない。
僕はすぐにキースの剣を流し、返す刃で自らの木剣でキースの剣に切りかかる。
しばらくお互いの様子を窺うように、木剣同士が打ち合う音が演習場にこだました。
それまで少しだけ気の抜けていたキースの表情が引き締まる。狙い通りだ。
その勢いでかかってくるといい。
「ハァッ!!」
その強烈な一撃を受け止め、キースの様子を窺う。
彼の表情に迷いはなかった。一撃の重さも悪くない。
ミルディアナでの天魔との一戦で彼が成長したのが感じられた。
「いい一撃だ」
「澄まし顔で、受け止めておいてっ……よく言う……!!」
思わず演技を忘れてしまうほどいい一撃だった。
だから、なおさらあのことが気になって仕方なかった。
「キース。どうしてクラリスと剣術の試合をした時に手加減をしたんだい?」
「……っ!? なっ……」
「シャウラとの体術でも君は明らかに加減をしていた。今の君になら彼女の素早い動きにだって対応出来るはずだったのに」
キースの力が弱ったのを感じ、僕は彼の木剣を弾き飛ばし、その眼前に切っ先を向けながら問いかける。
「キース・レルミット。聖炎に認められし家系の君に問おう。何故本気を出さない?」
「……くっ」
認めたくはないといった感じだけど、その表情が彼の内心を物語っていた。
そしてさっき僕が受けた一撃。アレは紛れもなく彼の本気による一撃だった。下手をすれば木剣が折れていてもおかしくはなかっただろう。
「こういう質問をするのは野暮かもしれないけど、どうしても気になってね。君は以前、幼少の頃に同年代の貴族の子供に深手を負わせてしまったことを悔いていた――でも、それだけじゃないね?」
「……」
「君は『女性を傷つけることをとても恐れている』。違うかい?」
その言葉が決定打となったのか、キースは小さく頷いた。
やはりそうか。今までロカやシャウラの他に――普通の女子生徒と体術の訓練をしている彼を見たことがあった。
その時は結局攻撃を見切ってさばいているだけで、相手が勝手に疲れて動けなくなっただけでキースから攻撃を加えることは一切なかった。
キースの性格はよくわかっている。
生真面目で誠実、紳士的。正に貴族の鑑のような性格をしていると思う。
女子生徒とも特に問題なく話しているところは見かける。ロカとも雑談をしているところは見かけるし……シャウラはまああんな性格だから男とは滅多に話さないし、キースも彼女に気を遣って話しかけようとはしていないのはわかる。でも別に女性が苦手というわけでもなさそうだ。
「キース。今日はこれから暇かな?」
「ん、あ、ああ……特にこれといった用事はないから座学の予習でもしようかと思っていたところだが」
「なら、ちょっと場所を変えて話さないかい?」
そう言って、僕はキースと共に学園を出てから適当な酒場を見つけ出して入り込んだ。
テーブルに座って、すぐに僕はウェイトレスのお姉さんに2人分の麦酒を頼んだ。
「おい、俺は酒はあまり得意ではないのだが……」
「飲みたくなったら飲めばいい。それだけだよ。僕は先に飲んじゃうけどね」
すぐに運ばれてきた麦酒を一気に呷る。
うーん、不味いな……テネブラエの地下に仕込んであるワインの味が恋しくなる。
キースはやや気遅れしたような感じを見せつつも、意を決したかのように麦酒を飲んだ。
軽い料理も頼んでしばらく雑談を交わしていると、キースがだんだんと饒舌になってきた。
今はちょうど彼の家系の話になっている。
「――親父殿の魔術の腕は凄まじかった。規格外と言わざるを得ないランベール中将閣下にも業炎術式だけは絶対に引けを取らなかったのだ。代々のレルミット伯爵家から輩出された者たちを見ても、親父殿ほど魔力を自由自在に扱える者はいなかったとされている」
「リューディオ学長よりも上の業炎術式か。一度見てみたいものだね」
「……だが親父殿の真に凄かったところは聖炎による攻撃だった。俺はその炎の輝きを目にしたことはあるが、実際にどのような威力を持つのかは伝聞でしら知らない。だが、決して消えることのない白炎は相手を灰と化すまでその勢いを止めることはなかったらしい」
聖炎か……。懐かしい。
僕も一度だけ戦場でその使い手を見たことがある。それがレルミット伯爵家の者だったかどうかについては知らないけど、あの炎は魔力耐性を貫通して『闇』を燃やし尽くすことが出来る。いわば魔族にとっては天敵のようなもの。
僕がその使い手と対峙した時には、実力のある魔神が残らず灰になった後だった。
その聖炎の使い手は結局僕が殺した。
いくら使う力が強大でも、器はやっぱり人のそれ。神使だからと言って、僕にとっては特に何が変わるわけでもない取るに足りない相手だった。
アレからもう900年近くは経つだろうか……。
「聖炎の使い手の名に恥じない厳格な父だった。そして……俺にとっては最も憧れる存在であり、母にとってもまた唯一心から愛せた男性であったのだ」
「そういえば、君のお父さんは有名だけどお母さんのことは聞いたことがなかったね。どんな人だったんだい?」
「善き母だ。誇り高く気高いが、誰に対しても分け隔てなく優しく接するお方だ。厳しい一面もあったが、それも教育のためのもの。俺は今でも母を尊敬してやまない」
五大英雄に極めて近い立ち位置だったレルミット伯爵とその妻として恥じない女性か。
その間にキースのような逸材が産まれてくるのは当然なのかもしれない。
「夫婦の仲も良好だった。軍務で多忙な父がたまに屋敷に帰ってきた時には、母はいつも笑顔でそれを出迎えた。――その時だけだがな、いつも表情を険しくさせている父が穏やかな笑みを見せるのだ。そして俺の頭を武骨ながらも温かい手で撫でてくれて……俺はあの一時が幸せだった。出来れば、そのまま時間が止まって欲しいと思うくらいには……あぁ……すまん、もはや子供でもないというのにおかしな話を」
「人間なら誰だって最初は子供なんだ。思い出話を語るのに、何を恥じる必要があるんだい?」
キースは酔いが回ってきていた目線で少しだけ僕を見上げてきた。
意外なものを見たとでも言うように。
僕が先を促すと、キースは語った。
「俺から見ても理想的な家庭だった。だが、ほどなくして始まったゼナンとの戦に赴いた親父殿は戦場の最前線に立った。当然屋敷に帰る暇などなく、俺も母も日々を心配しながら過ごした。……だが数年経ったある時、まだ戦が終わっていないにもかかわらず、親父殿は帰ってきた。あの時、父が浮かべていた表情は今でも忘れることが出来ん……」
話の核心に入ったかな。
僕は何も言わずにキースの言葉を待った。
次回は幕間ではありませんが、キース視点でのお話となります。





