第12話「クラリス教官の奮闘~前編~」
狭い教室内で教鞭を執っていたのは教官――の真似事をしたクラリスだった。
彼女は隣で様子を見守る教官よりも姿勢を正し、教鞭を手に語る。
「――というわけで、ここより西方の地には魔族たちが棲むテネブラエ魔族国があります。彼の国と我らがエルベリア帝国は長きにわたって戦争を繰り返してきました。そしてテネブラエ魔族国には勇者と呼ばれる人間が戦いに赴きました。尋常ならざる力を持った神の加護を受けし者たち――神使の中から最も強い者が選出され、大軍の陣頭指揮を任されて魔族の討伐へと向かったのです」
懐かしい話だ……。
その勇者が送られてきたのも既に500年以上前。レナが最後となる。
しかし思いのほか、周囲の生徒たちの関心が強く見える。
ミルディアナでは特待生たちですらあまり興味を持っていなかったのに、このグランデンの地では少しも聞き漏らさないように必死になって話に耳を傾けている生徒が多い気がした。
やっぱり500年ほど大きな戦いがなく、小競り合いも数十年前が最後になるとは言えすぐ隣にある国の情報は気になるということだろうか。
……それともただ単にクラリス教官殿が怖いだけかな。
彼女は生徒としてだけではなく、得意な科目においては時に教官として教育の現場に出ているというのだから凄まじい。
本来の歴史学の担当教官は、もはや教室の端で立って心配そうに室内を見回しているだけだった。
「残念ながら勇者たちは誰1人として帝国に戻ることはありませんでした。数少ない生き残りの軍人たちの証言によると、勇者が魔神との戦いに敗れて軍隊は潰走の憂き目に遭ったとのこと。当時の勇者の実力がどれほどのものだったかはわかりませんし、テネブラエ魔族国にどの程度の損害をもたらしたのかすらわかりませんが、何にしろ帝国で一番強い神使とその指揮下にあった軍隊が倒されてしまったことは事実上の帝国の敗北となります」
当時は勇者との戦いに焦がれ胸を躍らせたものだ。
結果は語るべくもないほどの圧勝だったとは言え、次はどんな強者が送られてくるかわからない。1年、10年と経つ度にまだかまだかと苛立ちを覚えたっけ。
それも結局、レナを妻として娶ってからはなくなった。寂しい限りだね。
「さて、エルベリア帝国とテネブラエ魔族国の関係性は今まで語った通りとなります。テネブラエ魔族国は大陸の西方の地全体を手中に治めているのですが、中でも陥落させることが出来なかった国が彼の国のすぐ北方にあるレスタフローラ聖王国です。
小国でありながらも何度も魔族の襲撃を退けたとされるレスタフローラ聖王国には神聖術式の使い手である聖女さまを筆頭に、鍛え抜かれた魔術師や僧兵が何人もいるのだとか。
残念ながら我が帝国と彼の国の国交は途絶えて久しく、あちらの状況を詳しく語ることはままなりませんがいくつかの断片的な情報があります。
いわく、聖女さまは神聖術式の魔法を使えるだとか、凄まじい強さを誇る近衛兵がいるだとか、魔族の侵入を許さない高度な結界術式が常に発動しているとか……どれも鵜呑みにしていい話というわけではありませんが参考までに。
いずれにしろ、レスタフローラ聖王国の僧兵たちの1人1人の強さは凄まじいものがあるようです。我が帝国軍もそれに負けじとひたすら鍛錬に励みましょう!」
クラリスが教鞭で片手をぴしりと叩きながら言うと、生徒たちが立ち上がり一斉に敬礼する。
本当の軍隊みたいだなぁ。いや、行く行くはみんなそうなるんだろうけど。
ミルディアナの軍学校よりも遥かに士気が高く見えるのは、やっぱりここの学長があの大英雄だからだろうか。リューディオ学長も凄まじい力を持っている英雄ではあるけど……やっぱりハーフエルフを目標にするというのに抵抗を持つ生徒がいてもおかしくはないのかもしれない。
「見事な授業でした、フレスティエ少尉」
「このくらいは当然です。それよりもパージュ教官。貴女の授業では居眠りする者が多いとのことでしたが、今は――そこの狐!」
クラリスが白墨を投げると、長い尻尾でそれを叩き落としたロカがあくび交じりに言った。
「人に物を投げるなー」
「私から言わせれば『授業中に寝るな愚か者!』です! それから隣の狼! 貴女もずっとロカの寝顔ばかり見てないで授業を聞きなさい!」
「うるさいわねぇ、聞いてるわよ……聞いてる聞いてる。勇者が……えぇと、聖王国に攻め入って魔神がどうたらこうたら」
「聞いてないどころか歴史を捏造しないでください! やる気がないなら教室から出ていきなさい!」
「え、いいの? じゃあ行きましょうロカ! この窮屈な街にも隠れた名店や絶景を拝める場所があるかもしれないわ!」
クラリスが両手で机をダァン!と叩いた。
他の生徒がびくりと怯え、気弱な女性の担当教官はがたがたと震えている。
「もちろんその場合はデュラス大将閣下ならびにランベール中将閣下にご報告させて頂きます。やる気のない生徒は即刻退学させよと!」
「ちっ、めんどくさい女ね。可愛いのは顔だけかしら」
「余計なお世話です!」
その時、終業の鐘が鳴った。
「ほら、鐘が鳴ったわよ、仮教官。さっさと授業を終わらせなさいな」
「……パージュ教官!」
「はいぃ!? な、ななな何でしょう!?」
「今後、あのようなふざけた態度の生徒がいたら即刻教室から摘み出すように! よろしいですね!?」
「い、いえ、でも一応軍学校の生徒さんでもあるわけですし、普段の鍛錬の疲れもあれば退屈な歴史の授業なんてどうしても眠くなるのもわからないでもないと言いますか……」
「授業が退屈!? 教官という立場の者が発する言葉とは思えません! すぐに撤回なさい!!」
「ひっ、ひぃぃ、すみません!!」
……どっちが教官でどっちが生徒なんだろうこれは。
結局クラリスが気弱な女性教官に対して説教をしている間に、周りの生徒はさっさといなくなってしまった。
とは言え、次の授業もクラリスが仮の教官なわけだけど。
魔術の演習場にて。
「これが魔導銃です」
そう言ってクラリスがずいっと僕に押し付けてきたのは、両手で支える筒のようなものだった。
円筒形の先端をしたそれの使い道がいまいちよくわからない。ただ、中から微量の魔力反応を感知することが出来た。
「まずは使い方ですが、口で言うよりも見てもらった方が早いでしょう。説明はその後に」
同じ物を手にしたクラリスが先端を人型の的に向けて、姿勢を固定させた。
そして狙いを定めながら言う。
「これを敵兵に向けて撃ち込むのです。このようにして銃把を握って引き金を引けば――」
クラリスの指が引き金を引くと同時に、魔導銃とやらに込められていた微量の魔力が一気に術式を描き出した。
瞬く間に完成した術式が炎弾となって人型の的にボンと命中する。
威力は心もとないけど、術式の完成速度が早い。熟練の魔術師の無詠唱と同等かそれ以上だ。
「と、今のように術式に換算すると第二位階の炎の弾が出るようになっています。何故そんなことが可能かと言うと、弾倉に装填された魔石が引き金を引かれることによって魔力を放出し、あらかじめ銃身の内部に描かれた魔法陣を媒介にして術式を発動させることによります」
つらつらとクラリスが説明すると、それまで退屈そうに眺めていたロカが言った。
「確かに術式の速度は早いな。狙って的を射る技能があれば『不意打ち』くらいには使えるかもしれぬが、殺傷力がまるで足りんぞ?」
「それはここが軍学校の敷地内だから制限をかけているだけです。ゼナン竜王国との戦で北方と東方の軍隊が使用した魔導銃は、最大で第七位階程度の威力を発揮することが出来たのだとか」
第七位階の魔術か。
ミルディアナでの魔術の試験を思い出した。
あの時、今はここにはいないジュリアンが試験場ごと崩壊させた術式は第九位階以上のものだった。
試験場の内部に張られていたそこそこ高度な結界も第八位階までしか防ぐことが出来なかったからあんな感じになったわけだけど、それに近い魔力による攻撃をこうも手軽に扱えるとなると戦力としてはなかなか期待出来るかもしれない。
貸し与えられた魔導銃をつまらなそうに眺めているロカを尻目に、今まで黙っていたキースが感嘆した。
「魔導銃の実用化が本格的に検討され始めたのはおよそ20年前だったか? それをわずか12年足らずで作り上げて、ゼナンとの戦で使用したというのは興味深いな」
「ええ。ただこの魔導銃は何もゼロから作られたものではありません。先史文明期の遺産として発掘された『原初の兵器』の1つを、人間とドワーフの手によって何とか再現したものに過ぎません。今でも実戦での威力は十分ですが、基となった攻撃兵器の威力を考えるとまだまだ改良の余地がある代物でもあります」
「原初の兵器は……ゼナンとの戦において北方のあのお方が使われたと記憶しているが」
「ええ。五大英雄の1人、『ダリウス・セヴラン大元帥』閣下が使用なさったと」
「ランベール中将閣下に優るとも劣らないほどの凄まじい活躍ぶりだったと聞き及んでいる。しかし元々の原初の兵器と言えば、それ以前に東方の――」
勉強熱心な2人が真剣に語り合っていると、突然近くで魔力が増大した。
何事かと見やると、ロカが魔導銃を手にして人型の的に銃撃を乱射していた。
「なっ、何をしているのですか!?」
「この程度の威力ではこうでもしないと致命傷を与えられぬぞー。しかも当てるのが難しいではないか」
見れば、ロカの射撃は1発が的をかすった以外はすべてが外れて後方の結界が張られた壁に当たっていた。
「当たり前でしょう! 魔導銃の扱いはとても繊細なものなのです。貴女のように力任せなことしか考えていない者にはとても使いこなせるものではありません!」
「確かに。こんな火花のようなものをちまちま当てるくらいなら、余が走って行って敵の首を直接刎ねた方が早いなー、ほれシャウラ、お前も撃ってみよ」
ロカが投げた魔導銃を受け取ったシャウラは何とも言えない顔になった。
「……まあいいわ。連射するなら気持ち良さそうだし。それじゃ早速」
「待ちなさい! そう何度も連射しては中の魔石が――」
ボボボンッと3連続で放たれた火球が人型の的をかすめる。
それを見て白い狼っ娘は溜息を吐いた。
「やっぱりつまらないわね。その実戦用の時みたいに威力を上げなさいよ」
「無理です。教官より魔導銃をみだりに扱うことは厳禁とされています。むしろ威力の大きい銃撃で適当に狙うよりも、あえて威力を抑えた銃撃でより正確に相手を射抜く技術が必要なわけで――」
ボボンッ!
続けざまに2発撃ったところで、シャウラは魔導銃の引き金をかちかちと連打した。しかし何も起こらない。
「ちょっと。壊れたんだけど?」
「違います! 貴女もルーガルの民であれば知っているでしょうが、この魔導銃の原動力を担っているのは魔石です。ああも連射していては魔石内の魔力が枯渇して、魔石そのものが壊れてしまうのは当然です」
「そんな制約があるなら早く言いなさいよ、使えないわね」
「それをこれから説明しようとしていた時に遊び始めたのはどこの獣人でしたか?」
「余は実戦で使えるかどうか試しただけだぞー。結局、魔導に最も精通しているあの蛮族共には意味をなさぬであろうな」
「私だって好奇心だけじゃないわ。ちゃんと戦闘用に耐えうるかどうか試しただけ。こんな火遊びじゃ人間1人殺すのだって無理よね。練習する意味ってあるのかしら」
「……あります。この魔導銃は元々、魔術を扱えない者でも手軽に遠距離からの攻撃が出来るようにすることを目標として作られました。しかし実際に扱ってみると、思いのほか難度が高い。故に日々の鍛錬は欠かせません。そして威力を抑えているのは中に装填している魔石を少しでも長持ちさせるという意味合いもあります。
この魔石の存在が今日の貴女がたルーガル王国と、我らエルベリア帝国の関係を築き上げたと言っても過言ではないのです。国交が盛んになってから魔石の輸入も容易にはなりましたが、あのような無駄撃ちをしてはせっかくの魔石が台無しとなるということを肝に銘じておきなさい」
冷静に顔を引き締めながらも、額に青筋を浮かせて口もとをひくつかせているクラリスは爆発寸前といったところだった。
――とは言え、魔導銃か。帝国も面白いものを作ったものだね。
これが今後もっと利便性に長けて帝国軍全体に広まるようになれば、僕たちテネブラエとの戦で使われる可能性もなくはないか。
魔力耐性がある者ならともかく、まったくない者は魔族にも多いから意外と苦戦するかもしれない。
「――おー、出来た出来た。こんな感じかなぁ?」
と、それまで黙々と魔導銃を弄っていたエルフ娘がのんきに言ったのを耳にしたクラリスは早速嫌な気配を感じたのか、すぐにリズに叫んだ。
「待ちなさ」
「えーい! 最大出力ー!!」
引き金が引かれた瞬間、ズドンッと凄まじい音を立てて銃口から魔力の塊が発射された。
その赤い炎はあっという間に人型の的を燃やし尽くし、それだけに留まらずに部屋全体に張られていた結界に直撃。
結界がパキィと音を立てた瞬間、部屋中にいた他の生徒が混乱して一目散にその場から逃げだした。
周囲に残されたのは南方の特待生+西方の特待生1人のみ。
うん……大丈夫。ギリギリで結界は維持されてあるから何も起きないよ。
次にもう1発同じモノを喰らった瞬間、弾け飛んで演習場全体がとんでもないことになると思うけど。
「やったやった、大成功ー! 見た見た? あたしの射撃技術――いたいいたいっ!?」
「リ~ズ~? 貴女は人の話を聞いていたのですか!? 今の一撃だけで中の魔石はもう砕け散りましたよ! しかも結界も何とか持ち堪えている状態で崩壊寸前です! 何かあったらどう責任を取るつもりなのですか貴女は!?」
クラリスがリズの長い耳を引っ張りながら叫ぶと、エルフの少女は何とか反論してみせた。
「だ、だだ大丈夫だって~! ちゃんとどのくらいの威力の銃撃が出来て、部屋中に張り巡らされた結界の強度も調べてから撃ったもん~……っていうかほんとに痛いから離してぇぇ!」
「そういう問題ではありません! 周りの迷惑を考えろという話です! 貴女にも説教が必要なようですね?」
「うわわ、勘弁してよ! 説教はあのオババからもう死ぬほど聞かされてるから~!」
「では仮死状態になるまで聞かせてあげますよ! そこに正座なさい!」
結局、クラリスの説教は授業が終わるまで続いた。
そして彼女の1日教官演習はまだ終わらない。
次は体術だ――。
多忙な期間が終わったと思ったら腰が逝ったせいで更新が1日遅れました……。
しばらく3日に1回更新出来ればいいかな程度になるかなと思います。ご容赦を。





