第11話「クロード・デュラス将軍」
金の髪と人工物のように整った顔立ちをした将軍は、それだけならば世の女性たちから次々と求愛されてもおかしくないほど完璧な外見をしているように見える。
だけど彼が発する眼光の鋭さは見る者に強い威圧感を与えた。
ふと周囲にいる実力者たちの様子を窺う。
キースとクラリスは直立不動で敬礼し、ロカはいつもは見せないような張りつめた表情を浮かべ、シャウラはそんな主人の様子を見て心配して落ち着かない様子だった。
リズはすっかりその威圧感に呑まれている。硬い表情のまま冷や汗を流していた。
やっと地面に降ろされたシャルロットだけはそんなものには怯んではいない。
急いでデュラス将軍に近づき、彼の身体に抱きついた。
「父さま、おかえりなさいー!」
「……ああ」
デュラス将軍は練兵場の様子を確認して、娘の頭を撫でながら言った。
「シャル。またお前がやったのか」
「うん、みんな弱かったけど……あ、でもねでもね」
青髪の少女は僕の方を指さして言った。
「あのテオお兄ちゃんだけはすごかった! 勝てないなーって思ってたけど勝負してもらったんだよ。すぐに負けちゃったけどね」
「なるほど。貴君がテオドール……」
大英雄の眼差しが僕を捉えた時、それまでの鋭かった眼光がわずかに揺らいだ。
表現しがたいけど、不可解なものを見た表情になった。でもそれも一瞬。
すぐに鋭い眼差しに戻ったデュラス将軍は改めて言う。
「失礼した。ランベール中将より話は聞いている。よくぞこのグランデンの地にやってきた。歓迎しよう。無論、他の特待生諸君もだ」
「はっ。デュラス大将閣下から直々にそのようなお言葉を賜り、恐悦至極に存じます! 1ヵ月という短い期間ではありますが、閣下のお傍で勉学に励み、稽古に勤しむことが出来ることを楽しみにしておりました!」
キースの生真面目な挨拶に続き、ロカが言った。
「うむ。よろしくされようぞ、デュラス将軍。大英雄と謳われた貴殿を目の前にして改めてこの地に赴けたことを喜ばしく思う。この幸運もすべては我らが神『神獣王ルーガル』のお導き。……感謝を捧げるのは後にしておくか。ほれ、シャウラ。お前も何とか言え」
「ろ、ロカに同じく。我が主君の喜びは、私の喜びでもある……。しばらくお世話になるわ、大英雄さま」
態度は相変わらずのように見えるけど、リューディオ学長を前にした時よりも遥かに緊張感がある。
……無理もないか。彼は魔導を究めたと言っていい存在だ。その魔導技術を存分に振るう魔術大国キアロ・ディルーナ王国はルーガル王国の宿敵である上に、獣人は魔術も扱えない。
だから、どうしても素直に敬意を表することが出来なかったんだろう。
「えーっと、こういう堅苦しい挨拶はちょっと苦手なんだけど、改めまして。ツェフテ・アリア出身のリズです。他の特待生共々お世話になります。デュラス将軍の治める学園での勉学に勤しみ、一層の――あーっと、何だっけ。まあいいや、よろしくお願いしまーす」
それを聞いて思わずずっこけたクラリスがごほんごほんと激しい咳払いをすると、リズは『ごめんごめん、こういうの苦手なんだよー!』と謝った。
もちろんそれは火に油を注ぐわけで、クラリスがリズに向かって何やら説教を垂れている中、デュラス将軍の眼差しはずっと僕を捉えていた。
「僕はテオドール。大英雄と呼ばれる男の顔を一度は見ておきたかったんだ。よろしくね、デュラス将軍」
「て、テオドール! 貴方という人まで何という無礼なことを……!!」
「テオドール、貴様! このお方を誰だと思っているのだ……!」
クラリスとキースの生真面目2人組に責められる中、デュラス将軍は言った。
「ランベール中将が言っていたようにまったく物怖じしないのだな。クラリス、もういい。下がれ」
「えっ、あ……はっ、はい!」
「規律にうるさい者は多い。だが、この国では実力が物を言う。テオドール、その態度を貫き通すのであれば強くあり続けろ。必然的に敵も多く作ることになる覚悟もしておけ」
「ミルディアナでも大体そんな感じだったから平気だよ」
周囲の軍人がざわざわと騒ぎ出す中、デュラス将軍は頷いた。
「ならばそれでいい。……それよりも、我が娘が迷惑をかけたようだ。だが貴君のような実力者に敗れたとあっては、シャルロットもしばらくは大人しくせざるを得ないだろう。娘の鬱憤晴らしに付き合ってくれたことには深く感謝している。後日、改めて礼を含めた話し合いの場を設けたいが構わないか?」
「もちろん。いつでもいいよ」
僕が快諾したのを確認したデュラス将軍はクラリスへと向き直った。
「ミルディアナの特待生諸君の部屋の準備は済ませていたな?」
「はっ。我が校の寮に若干の空き室がありましたのでそちらを。ただ、1名だけまだグランデンに辿り着いていない様子です」
「……確かにミルディアナからこの地に辿り着くまでの早さには目を見張るものがある。予定通りでは後10日ほど先だったはずだが」
その時、ロカが得意げに胸を張った。
「馬車での旅など退屈。故に我らは走ってきたのだ!」
「散々な旅路だったな……とは言え、戦場での強行軍の演習とも思えば悪くなかったかもしれん」
「もう正直足ぱんぱんだよー……早く休みたい。でもお腹も空いたかな。ここのところほとんど飲まず食わずだったし」
みんなが平然と言うのを聞いてクラリスは奇妙な生き物を見るような目を向けてきた。
「3人が真っ先にやってきて『走ってきた』などと意味不明なことを言った時は驚きましたが、その直後にもう2人も同じような輩が追加されるとは想像すらしていませんでした」
「1人だけついてこられなかったドラゴンのおチビがいるけれどね」
「あの竜であれば予定通りの日にグランデンに辿り着くであろう。まあ、この地は剣術と体術に特化した教育をしていると聞いた故、アレが来てもあまり意味はないかもしれぬがなー」
すると、クラリスはしばし思案顔になった後に。
「いえ、魔術に関してもミルディアナでは体験出来ないものがありますよ。ルーガルの民である貴女がたには察しがつくかもしれませんが」
「……ん? ああ、もしや魔石を用いた魔導具のことを言っておるのか?」
「ええ。魔術が最も盛んなミルディアナにもいずれは必ず必要になってくるアレです」
「ほほう。面白そうだ。後で見学させてもらうとしようぞ」
魔導具か。
僕が知っているものと言えば、ゼナンの空中移動要塞が最たるものになる。もっとも、アレは格が違うけど。
他にはルミエルが武器として使うグラン・ギニョルに、キースが使ったような聖剣も広義の意味では魔導具に入ると言っていいだろう。
ミルディアナの軍学校ではそういうものにお目にかかったことはないから、どういうものがあるのかには少し興味が出てきたかもしれない。
「ねえねえ、父さま。今までどこに行ってたの?」
「数日前にリンドヴルムが付近を彷徨っていたのはお前も見ただろう。その視察も兼ねて、神殿へと赴いていた」
「むー、あんなの父さまが斬っちゃえばいいのに」
「あの国との戦はもう終わったのだ。民の不安もわかるが、どうこうするわけにはいかない。諸国との情勢を鑑みればなおさらのこと。……シャル。お前はそのあたりのことも覚えねばならないな。たっぷりとしごかれてくるといい」
「うぅ~……」
流石のシャルロットも偉大なる父親には逆らえないようだった。
明らかに不満そうにはするものの、嫌だとは言わずに唸るだけだった。その姿は正に年相応の少女そのもので、周囲の軍人たちが微笑ましそうに眺めている。
「こほん。何はともあれ、まず貴方がたに必要なのは休息と……リズやテオドールは食事もですか。私が手配しますから、各自大人しくついてくるように」
クラリスがパンパンと手を打つと、他のみんなも従った。
僕もそれに習おうとした時、後ろから声がかけられる。
「また今度勝負しようね、テオお兄ちゃん!」
「う、うん……また今度」
休息よりも食事よりも、まず一番に必要なものが僕にはあった。
夜。グランデン領直属軍学校の寮に割り当てられた自室にて。
私は防音のための結界術式を幾重にも張り巡らせた。
……よし。これで外に音が漏れ出ることはない。
「レナ。話がある」
「はい。……あの、いかがなされました、ルシファーさま? 今日はずっと考え事をなさっておいでのようにお見受け致しましたが……」
不安そうに私の顔を覗き込んでくる愛妻の両肩をがっしりと掴んで言った。
「レナ、大事な話がある。真面目に聞いてくれ」
最初はいつものように嬉しそうに目を輝かせていたメイド少女だったが、私の瞳を覗いて事の重大さを察したのか引き締まった表情になった。
「レナ。お前の隠密術式を今まで誰かに見破られたことはあるか?」
「い、いえ……ルシファーさまを始めとしたテネブラエを治める王族の方々や、ルシファーさまの配下の一部の者以外には決して」
「そうだろう。お前はミルディアナでの内偵であのギスランにも存在を感知されることはなかった。恐らくはランベール中将であっても容易に気付くことは出来ないはずだ」
少女の銀色の長い髪を梳り、白いカチューシャを弄ったりしながら考える。
私の脳裏に万が一のことがちらついた。たとえば、そう。デュラス将軍という大英雄とも呼ばれし男ならばあるいは何かしらの神の力によってレナの姿を直視することが出来るのではないかと。
ただし、デュラス将軍から感じられた魔力の量は凡人以下だった。それは間違いない。あの男から発せられる凄まじい緊張感もすべては激戦を経験してきた戦士のそれと言っていいだろう。
魔神の姿を保った私のようにただいるだけで周囲の人間を殺してしまうようなものではない。
魔力に関する資質はないと言っていい。
だが、それはあの『娘』の方もまったく同じだった。
練兵場で兵士たちを次々に屠ったあの少女からはデュラス将軍と同程度の魔力量しか感じ取ることが出来なかった。
……何故、シャルロットにはレナの姿が見えていた?
「レナ。私があのシャルロットという娘と戦っていた時、何を感じた? ありのままを教えてくれ」
「……そうですね。あの少女の力は本物です。ただ、ルシファーさまとの戦いよりも別のことに気を取られているような……不思議な感覚を覚えました。それに何と申し上げたら良いのか」
「構わん。言ってみろ」
「一瞬だけあの子と視線が合ったような気がしたのです。すぐに視線を逸らされてしまったので気のせいかと思ったのですが」
「私があの娘の剣を素手で受け止めた時、お前はどこにいた?」
「ルシファーさまの真後ろで見守っておりました……」
あの娘が誰かからレナのことを事前に聞かされていてその存在を知った可能性も有り得ないとは言い切れなかったが、それもレナの言葉で否定された。やはりあの娘は間違いなくレナを狙って攻撃したのだろう。
……何という化け物だ。アレは成長すれば途方もない力を発揮するだろう。それが良いか悪いかは今の時点では判断しかねるが。
「端的に言おう。あのシャルロットという娘にはお前が『視えて』いた」
「……はっ? え、そ、その……どういう意味でございましょう」
「そのままだ。アレが最後に渾身の一撃と見せかけて投擲した木剣は、私ではなくお前を狙っていたのだ」
レナはひどく困惑したような表情を浮かべている。
無理もない。上位の魔神相手ならともかく、ただの人間――しかも小娘に気配を察知されたとなれば、レナのプライドをへし折るには十分だろう。
「た、確かに一瞬だけ視線が合った気はしましたが……え……でも」
「それにな。あの娘は勝負の前に、自分が勝ったら『お前の後ろにいる銀髪のメイドが何者であるのかを教えろ』と言ったのだ」
「……!! る、ルシファーさまがとても慌てていらしたのは、それが原因なのですね……」
「そうだ。あの娘が特別なのは確かだろうが、それにしても常軌を逸している。いくら大英雄の娘とは言えな」
「ど、どうして回避なさらなかったのですか? ルシファーさまならあの程度の一撃なら簡単に――」
私はレナの頭に顎を乗せて囁いた。
「万が一にでもお前に直撃したら危険だと判断した。お前の身体はもちろん、姿を隠している得体の知れない者がいると周囲に知られれば大変なことになる」
「いくらルシファーさまに見惚れてはいても、私とて元勇者なのですよ! あのようなでたらめな攻撃なんて簡単にかわすことが出来ました!」
「ああ、わかっている。わかってはいるが、思わず受け止めてしまった。不甲斐ない私を許してくれないか、レナ」
愛しい妻の身体を抱き寄せる。
「ゆ、ゆゆ許すだなどとそんな……! ルシファーさまが私を気遣ってくださったのはとても嬉しいです! 胸が張り裂けんばかりの感動すら覚えます! ただ……ん」
言い募る少女の唇を奪った。
軽く口付けながらその銀糸のような髪の艶やかな感触を楽しみ、背中を擦ってからぽんぽんと叩いた。
長い口付けを終えると、頬を染めたレナは自分の唇に手を当ててうっとりとした表情になる。
そんな彼女を改めて強く抱きしめて言った。
「心地良い感触だ。ずっとこうしていたいな」
「わ、私……も」
すっかり蕩けた口調になったレナが呟いた。
このままいつものように濃密な時間を過ごしたいところだが、今夜ばかりはそうも言っていられないな。
「レナ。お前には早速この街での情報収集に励んでもらいたかったのだが、あいにくそうもいかなくなってきた」
「……申し訳ございません。私の力不足故、に……」
「気にするな。お前の力は十分だ。この街での情報収集は私が直接行なうとしよう。お前はしばしこの部屋の中にいるがいい。少しばかりの長い休養も兼ねてな」
濃紫色の瞳を潤ませているレナは何事か言おうとして、何度も躊躇った。
まったく心配症な奴だと思いながらも、私はあえて問いかけた。
「どうした。何か言いたいことがあるなら言ってくれ」
「……お、お一人でも大丈夫、ですか?」
「心配いらん。流石にあの大英雄と剣を交えるわけにはいかないがな」
見ただけで直感した。
私の今の姿ではあの男には勝てないだろう。
ランベール中将を見かけた時にも同じような気持ちを抱いたが、あの時の彼は高等魔法院の水晶によって力の大部分を封じられていた。故に当時はあまり危機感を抱くようなことはなかったが、今回ばかりはそうも言ってはいられない。
この街中であの大英雄と戦うようなことはないだろうが、細心の注意を払う必要がありそうだ。
「それよりもレナ。お前のことだが、万が一シャルロットと出くわした場合には普通に振る舞え」
「はい。心得ております。彼女の実力はわかりました。確かにとても強いですが、まだまだ未熟。仮にどんな殺意を向けられても私は負けません」
「うむ……しばらくは私との約束通り、公爵家の中で大人しくしているだろうから無用な心配だとは思うが一応な」
レナの身体を抱き寄せながら今後のことを考えた。
まずは私も普通の留学生として勉学に励むとしよう。恐らくつまらない時間にはなるだろうが、帝国の魔導具のことは大いに気になる。
そのあたりのことも含めて、このグランデンの特待生クラリスとの交流は深めた方がいいだろう。
特待生の身でありながら、既に軍人でもある彼女であれば神殿の異変に関する何かしらの事情を知っている可能性は高いからな。
……あの紅き星々の輝きを思い出した。
近いうちに必ず何かしらのことが起きると思っておいた方がいい。
ミルディアナの地では狂乱の翼の群れが舞い降りてきたが、果たしてこのグランデンの地では何が起こるのか。それは神殿の異常事態と何かしらの関係があるのか。
何が起ころうとも暇潰しに過ぎないと思っていたが、今回ばかりは用心に越したことはないだろう――。
少しややこしいので2話続けての補足となりますが、神獣王と獣神王は別の存在です。
前者はルーガル王国の名前の由来となった神であり、1章終盤で存在をほのめかした後者は数年前に死ぬまでルーガル王国を治めていた獅子王のことを指します。
次回は幕間です。
今週から来週にかけて忙しいので更新ペースが落ちる可能性がありますが、ご容赦くださいませ。





