第10話「大英雄の娘」
「またあの子ですか……!?」
「はい……! 軍部の練兵場は酷い有様になっております!」
軍人の男が乱れた呼吸のまま告げると、クラリスは僕へと向き直った。
「すみません、テオドール。急用が出来ました。勝負はまたの機会に」
「それはいいけど何事なんだい?」
「……少々問題児がおりまして。とは言え、ミルディアナの貴方がたに関係するような話でもありませんからお気にせず。まずは休養をして長旅で疲れた身体を労わるように」
それだけ言い残してクラリスは小走りで駆けて行った。
少し拍子抜けしたけど、さてどうしたものかな。
他の特待生たちの様子を窺うと、獣人娘たちは興味津々というように瞳を輝かせていた。
「何があったのかは知らぬがあのクラリスをわざわざ呼ばねばならん事態を引き起こすとは……この街には他にもまだ強い奴がおるのかもしれんな! 余も行くぞ!」
「シャルロット、とか言ってたわよね。きっと可愛い女の子に違いないわ! もちろん私もついていくわよー!」
即断即決。獣人娘たちは我先にと走り出してしまった。
「練兵場で何かあったようだな。しかしそのようなことがあれば、普通ならデュラス将軍に直接連絡が行くはず。……少々気になる故、俺も行くとしよう」
キースもすぐに走り去る。
僕はリズを見つめた。
「正直ずっと走ってたからくったくたなんだけど、確かに何があったのかは気になるから行こっか」
「決まりだね」
こうして僕たちは軍学校の演習場を抜け出し、近くにある軍部の練兵場へと足を運んだ。
練兵場の付近には既に大勢の軍人が集まって、事の成り行きを見守っている。
まるで自分がその中に入ったら命はないといったような様子で怯えている者までいた。
人垣をかき分けて急いで練兵場の敷地に入った時、僕は思わず息を呑んでしまった。
練兵場には多くの軍人たちが倒れ伏していた。
額に赤い打撲痕がある者、首筋を打たれた者、腹を抱えて苦しそうにもがいている者――正に地獄絵図だった。
そんな中で明らかに場違いな存在が1人で佇んでいた。
綺麗な青い髪をした少女だった。
歳は11、2歳といったところだろうか。とても華奢な身体つきをした彼女は、片手で木剣を振り回して周囲の様子を窺ってから言った。
「たいくつー。みんな弱すぎなんだもん」
幼さが色濃く残る口調で言った少女はふとこちらに振り返る。
先頭にいたクラリスが練兵場の惨状を見てから頭を抱えた。
「……シャルロット! 貴女はまだこの場所に来るには早いと言ったはずです!」
シャルロットと呼ばれた少女は、小首を傾げながらクラリスの様子をじっと窺っている。
愛らしい仕草とは裏腹に、それはまるで――目の前にいる敵の強さを測っているかのように感じられた。
「だってわたし、強いもん。他の子はみんな弱いから誰もわたしと戦ってくれないからつまんない」
「……シャルロット。確かに貴女はデュラス大将閣下のご息女です。強いのも認めます。でも、それとこれは話が違います」
「何がちがうの? むずかしい話ならわかんない」
「そこです! 貴女にはまだ教養が足りていません。いくら腕が立とうとも、立派な教養を備えていなければ軍人としては務まりません。いまは大人しく勉学に励みなさい」
「みんなでお勉強だの教養だのそういうのばっかり。毎日毎日つまんない!」
「駄々をこねないでください。貴女は名門のデュラス公爵家の1人娘なのですから。物事には順序というものがあります!」
クラリスがシャルロットに真っ向と言い放つ中、ロカはきょろきょろと周囲を見回してから言った。
「軽く見積もっただけで50人は倒れておるぞー。あの小娘1人で全員打ち倒してしまったのか」
「……可愛いけど、恐ろしい子ね……ちょっと怖いわ」
「やば過ぎなんですけどー……。あの子、一体何なの?」
「信じられん光景だな。しかも見た限り、死んでいる者はいない。手練れの軍人たちを相手にこれを成し遂げたというのか」
クラリスが尚も説教をかましているものの、シャルロットはつまらなそうに木刀を持ちながら身体をゆらゆらと動かしていた。
可憐な少女は貴族家の令嬢に相応しい白と黒を基調としたドレスを着用していて、とてもこの場には似つかわしくない。
そんな彼女はまるで路傍に転がる石を眺めるかのように特待生たちを順に見つめていった。
その誰にも興味を示さなかった瞳が、初めて僕を映した時、少女の表情がぱっと明るくなって駆け足で寄ってくる。
「ねえねえ、そこのお兄ちゃん!」
「……僕のことかい?」
「うん! わたしと同じ青髪だね! 珍しい!」
「え、あ、うん、そうみたいだね……あんまり見ないらしいね」
そういえばグランデンでは青髪の人間はとても珍しいと、前にリズが言っていたような気がするな。この子が特別なだけか?
「お名前はなんて言うの? あ、わたしはシャルロット!」
「テオドールだよ。よろしく、シャルロット」
「テオドール……テオお兄ちゃんでいい?」
「好きに呼んでいいよ」
彼女は目を輝かせながら言った。
「テオお兄ちゃん、すっごく強いよね!」
「え?」
「他の人と全然違うもん! ……どこかの貴族家の出身なの?」
「いや、特に何ということもない平民だよ」
ちょっと扱いに困るな。
特にリズあたりにはこういう話はほじくり返されたくないんだけど……強い視線を感じる。うぅ、やりづらい。
「ふぅ~ん……? まあ、いいや。ねえ、テオお兄ちゃん! わたしと勝負しようよ!」
「いきなりだね……ちなみに君はやっぱり剣術が得意なのかな?」
「うん! 体術だってそれなりだよ! 魔術は……えへへ、よくわかんないけど、別にいいよね。詠唱してる間にボコボコにしちゃえばいいんだもん」
考え方が完全に獣人のそれと似ている気がする。身近にいるだけでも2人ほど当てはまる。
その時、当のロカが割って入った。
「ほー、シャルロットとやら。お前はずいぶんとテオを買っているようだな?」
「んー? うん、一番強いでしょ?」
「……余や他の者たちを見ても何とも思わんかー?」
そう指摘されてもシャルロットは顎に指を当てて唸ってからすぐに答えた。
「べつに。軍人さんより強いとは思うけど……それだけ?」
「むぅ~? なかなか言いよるな、この小娘は」
「それよりテオお兄ちゃん! 勝負しよ! 勝負!」
シャルロットは狐っ娘への興味を早々になくして僕の服にしがみ付いてきた。
上目遣いで見上げてくるその様子は本当に子供そのものだけど……。
彼女の瞳の深奥を覗き込むようにして見ると、正気と理性の間に見え隠れする狂気のようなものが感じられた。
直感する。
この娘は恐らく、目の前にどうしても殺さなければいけない敵がいたら迷わず殺すだろう。たとえその時に剣を手にしていなくても、手段を選ばずに必ず殺しにかかる手合いだ。
この幼い少女に一体何があったのかはわからない。
クラリスがデュラス将軍の娘だと言っていたはずだけど……とても大英雄の娘のそれとは思えない眼差しをしていた。
非常に危険だ。
この少女はとても純粋無垢であると同時に、その身に宿る恐ろしいほどの狂気を飼い慣らし切れていない。
何も知らない人間が彼女の二面性を見れば、何かの化け物でも見たかのような反応をするだろう。
これもその強さによるものか。
いくら強いとは言っても、ここにはクラリスを始めとして強者が他にもいる。何度も立ち向かっては敗北を覚えたはずだ。
にもかかわらず、挫折を感じているようにも見えない。事実をあるがままに受け入れるだけの器量はあるんだろう、けど。
僕は周囲で固唾を呑んで見守っている者たちを見つめた後、改めて少女の青い瞳へと視線を向けた。
「いいよ。僕と勝負しようか」
「ほんとっ!? やったー!!」
クラリスが慌てふためいた。
「なっ、て、テオドール! そのようなことを勝手に……!」
僕はシャルロットを見つめたまま言う。
「ただし、僕が勝ったら君はしばらくの間、公爵家の1人娘として恥じない教養を得るためにきちんと勉強すること。いいね?」
「うん、いいよ! わたしが勝ったら?」
「特に思いつかないけど、何かしてほしいことがあったら言ってごらん」
少女はう~んと可愛らしく唸ると、僕の方を見つめてしばし。
ちょいちょいと手招きした。内緒話かな?
彼女の目線に合わせるようにしゃがみ込んで、要求通りに耳を差し出す。
「テオお兄ちゃんの後ろにいる銀髪のメイドさんのこと、おしえて?」
僕はぶわっと鳥肌が立つのと同時に急いで後ろを見やった。
……いない。いや、正確にはいる。いるけど今の僕には見えない。
恐る恐る振り返ると、シャルロットはにこにことしたままだった。早く勝負がしたいとばかりに剣先を揺らしている。
――馬鹿な。こんな人間の小娘如きに何故レナの姿が見える?
その華奢な身体からは何の魔力も感じられない。
魔神クラスの存在であれば姿を消したレナのことを見ることは出来る。
現に本来の姿を保った僕の前で姿を消そうとしたところで意味はない。
彼女が姿を消しているのは魔術によるもの。魔力の流れを読むことなど造作もない魔神にとっては、いくら優れた隠密術式も意味を持たない。
だけど、目の前にいるこの少女は――。
「むー。テオお兄ちゃん、やっぱりやらないの?」
「ああ、いや、ごめんね。ちょっと考え事をしてたんだ。どうやったら君を倒せるかってね」
「ん? ほんき? ほんきで来る? わたしが勝ったらおしえてくれる?」
「言葉の意味がよくわからなかったかな」
「……まあいいや、勝てばいいんだもんね」
あのロカですらレナの存在には気付かず、リズですらレナがあえて姿を晒さない限りはその存在を感知することは出来なかった。
なら、優れた五感によるものではない。やはりこの少女には何かしらの特別な力があるのかもしれない。練兵場の兵士たちを1人で倒したことからもわかるように、神使であるのは間違いないのだから。
僕は木剣を構えてクラリスへと告げた。
「クラリス、審判を頼めないかい?」
「本気なのですか?」
「彼女は強い。一度その実力を確かめてみたいんだ……大丈夫、怪我はさせないよ」
「ケガ? してもいいよー! すぐ治るもん!」
「……わかりました。では、どちらかが降伏した時点で試合終了とみなします。危険だと判断した場合にはすぐに私が止めますので。では――始め!」
開始の合図と同時にシャルロットが跳び出してきた。
一切の油断を捨てて見ていたからこそわかる。初速はロカと同等かそれ以上。
彼女の刺突は僕の喉を狙っていた。弾き返すか……いや。
彼女の姿が寸前で消え去る、
やはりフェイントか。下から高速で放たれた一撃を木剣で受け止める。
ガンッ! と硬い音がして、信じられないほどの力がかかる。凄まじい馬鹿力だ……キースより上か。
僕が木剣を受け流すと同時に、シャルロットはくるっと回転して両手で剣を構えながら言った。
「ほ~……いまの、受け止めるんだね。すごいね。初めてやるとみんな引っ掛かるのに。父さましか受け止めたことなかったんだよ」
「大英雄と並び立てるだなんて光栄だね」
「クラリスは2回引っ掛かったよ」
「わ、私はその後はもう二度と引っ掛かってませんから……!」
140センチにも満たない小柄な少女だからこそ出来る不意の一撃。しかしそれは蚊の刺すような軽いものではなく、殺意を込めた熟練の戦士の一撃に見えた。
直撃していれば、神使でもなければ致命傷だ。
警戒した少女がじりと間合いを詰めてくる。
攻め手を緩める気はないらしい。けど、子供特有の思考は時に思いもつかないことをしでかす。次は何をするか。
しばらく睨み合った後、両手に持った剣を腰の位置で握り締めた彼女が再び突進してきた。
まるで死にかけた者が、せめて最期の一撃だけでもというように仕掛けてくる感じだった。
僕はその一撃が自らの心臓を完全に補足したところで、軽く後ろに跳んだ。
しかし木剣がそのまま伸びてきたかのように追いかけてくる――。
投擲したのか!? 僕は避けようとしたところではっと我に返り、その木剣を左手で強引に受け止めた。
周囲にいた大勢の者たちが固唾を呑んで見守っていた中、青髪の少女はむぅと不満そうに鼻を鳴らした。
「……わたしの負けだね」
「剣を投げるだなんて自殺行為だよ。油断してる相手は引っ掛かるかもしれないけど、その後が続かない」
「クラリスは1回引っ掛かったよ」
「わ、私は……!? あ……しょ、勝者、テオドール……!!」
歓声は湧かなかった。
目の前にいる得体の知れない少女の動きを見て感嘆を覚えるような余裕はなかったんだろう。
まあ、そんなことはどうでも良かった。少女が剣を投げつけた理由は何とか僕に一撃だけでも与えようとしたなどというものではない。
彼女が本当に狙っていたのは僕ではなく、『僕の背後にいたレナ』だ。
口では負けと宣言しているが、その実は僕がどういう動きをするか試したかっただけだろう。そう、最初からまともな試合をする気なんてなかったに違いない。
彼女は自分の実力をよく弁えている。勝てるわけがないから、せめて僕がどういう動きをするかどうかを確かめたかっただけなんだ。
僕の身体能力ならぎりぎりで回避することも出来たし、いくら事情を知らなくてもレナなら簡単にかわせたに違いない。
だけど、思わず受け止めてしまった。勝負という名の茶番には勝ったけど、一本取られたとは正にこのことかもしれないな。
投擲された木剣を受け止めた時に感じた痛みの鋭さはかなりのものだった。見れば、左手は血に塗れている。
「わわっ、テオくん、たいへんたいへん! いま治してあげるからね!」
リズが慌てた様子で駆け寄ってきてすぐに治癒の術式を施してくれた。
彼女に感謝の言葉を述べつつ、シャルロットの様子を見やった。
少女はつまらなそうに明後日の方向を向いていたけど、僕と視線が合うと嬉しそうに笑った。彼女は僕の行動を見て思い通りだとでも言わんばかりだ。まるで――
『身を挺してまで守りたい人なんだね』と言われているように感じる。
少女の可愛らしい所作はすべてが紛いものに見えた。
確かにクラリスはとてつもなく強かった。だけど、この少女もまた同じ次元で判断していいのかは……。
「さあ、シャルロット! テオドールに負けたのです! 大人しくお屋敷で勉学に励むこと! いいですね!?」
「ちぇーっ。つまんないの」
「何ですか、その口調は! 淑女にあるまじき言葉遣いです!」
「クラリスだって叫び過ぎだもん。シュクジョじゃないよ、やばんじんー!」
「なぁっ……!? ……と、とにかく! 今からお屋敷まで連れていきますから!」
クラリスはシャルロットをひょいと小脇に抱えた。
「むー! わたし荷物じゃないー!」
「ここでは貴女はお荷物同然です!」
「1人で歩けるー!」
じたばたともがくシャルロットと必死に彼女を離すまいとするクラリス。
独特の緊張感を覚えていた場の状況が少しだけ和やかになったその瞬間。
「これは何の騒ぎだ」
誰もが、腹の底に響くような低音で問いかけた者へと振り返る。
そこに立っていたのは、長身を黒い鎧で纏った金髪の男だった。
彫像のように整った顔立ちは無表情で造り物めいている。
「あっ、父さまだー!」
エルベリア帝国西方グランデン領の総司令官にして、先のゼナン竜王国との戦で大英雄と称された男。
クロード・デュラス将軍の登場を受けて、その場にいた軍人が一斉に敬礼してみせた。
本来は物語上で明かすべきものではあるのですが、混乱を招かないために補足致しますと2章の「序章」は数年前の出来事となります。





