第9話「西方の特待生」
グランデン領直属軍学校の演習場。
そこに僕たち南方の特待生と、西方の特待生であるクラリスが立つ。
そして少し離れた場所では100人は超えているのではないかというほどの生徒が集まり、隠しきれない好奇心に光る眼差しを向けていた。
「さて、誰から挑戦しますか? 剣術・体術・魔術、どれでも構いません。私を打ち倒せるものならやってみなさい」
既に軍人としての立場もあるクラリスは自信に満ち溢れている。
しかし、彼女からは油断しているような様子は一切感じられない。
相手の力量を慎重に測ろうとしているのが伝わってくる。
「ふむ、そうだな。こちらからはまずはシャウラを出す」
「ロカ? どうしたの? あなたが真っ先に戦うものだとばかり思っていたのに」
そこで黄金色の耳と尻尾を持つ狐っ娘はふふんと笑った。
「お前に負けるような相手では余の相手は務まらんということだ。さあ、行け、我が物差しよ」
「遂に奴隷扱いから物扱いに降格!? 嗚呼、でも嬉しいわ! 私、ロカのためになるならなんでもしてあげるから!」
「うむうむ、雄々しく立ち向かい華々しく散ってくるが良いぞー」
少し違和感を覚えた。
ロカが真っ先に戦いそうだというシャウラの意見は間違ってはいないはず。現に僕もそう考えていたから。
なのに、先にシャウラに戦わせようとした上でこの発言か……もしかしたらロカの人を見る目は本物かもしれないな。僕も何となく戦う前から結果はわかっている。
「さあ、戦りましょうクラリス! 抑えつけた後にじっくり可愛がってあげるわ!」
「……!? き、気味の悪いことを……。まあいいでしょう。獣人だというのであれば体術ですね。いつでもかかってきなさい」
悪寒を覚えて顔をしかめたクラリスはすぐに冷静になり、シャウラを見つめる。
その刺すような視線を受けただけで並の人間なら腰を抜かしてしまうかもしれない。
まあ、そのくらいで逃げ出すような者ならそもそも特待生にはなれてないんだけど。
「後悔しないことね!」
シャウラはその場で地を蹴り、10メートルは離れていたクラリスと一瞬で距離を縮めた。
一気に周囲から歓声が湧く。
「ちっ!」
クラリスの服に掴みかかろうとしたシャウラの腕が空を切る。
瞬時に相手の動きを見切ったクラリスがシャウラの左側に周り、彼女が体勢を立て直す前にその腕を掴んだ。瞬間。
ゴキッという音が響き、シャウラが苦鳴を上げた。
「あうっ……!?」
「確かに速い。ですが、それだけです。隙が多い!」
一瞬で左腕の関節を外されたシャウラをそのまま地面に押し倒し、その背中に腕を当てて抑える。
僕が入学試験でロカを無力化した時も似たような状況だったのを思い出す。
この状況に持って行かれると、多少腕力に差があったところでどうにもならない。
「私の勝ちです。異論はありませんね?」
「くぅっ……!! 油断、したわ……」
歓声が湧いた。
このあたりで学園の教官と思しき大人たちが何事かと演習場の中に集まり始めた。
それを気にした様子もなく、クラリスは凛とした佇まいをしながら叫んだ。
「よし、次!」
次は誰が出るか。
明らかに嫌そうな顔をしているリズ以外はすっかりその気になっているようだ。
「ふーむ。ではキースよ。次はお前が行くが良い」
「……何故お前に命令されなければいけないのかわからんが、是非もない。とは言え、俺の得意分野は剣術となるが」
「構いません! 誰か、木刀の用意を」
演習場だけあってすぐに2本の木刀が用意される。
クラリスがそれを受け取って、1本をキースへと投擲した。
常人が頭に直撃したら死ぬんじゃないかという速度のそれを難なく受け取ったキースは、深呼吸をしてからクラリスの前へと歩み出る。
「遠慮はいりません。さあ、来なさい!」
「……では。行くぞ」
キースは木剣を構え、一気に間合いを詰める。
だがすぐに攻撃を仕掛けることはなく、クラリスの一手に全神経を集中させているようだ。
――さっきあっという間にやられたシャウラはキースよりも遥かに速い。それを難なく見切った彼女に素早さでは勝てないと判断したんだろう。
クラリスはシャウラの時と同じようにキースの後ろに回り込み、木刀を振るった。
赤髪の青年はそれを予期していたかのように木剣を受け止める。
「す、すげえ! フレスティエ少尉の一撃を受け止めたぞあいつ……!」
「クラリスさまは攻撃なさったの? わたし、全然見えなかったんだけど」
周囲の生徒が色めき立つ中、キースとクラリスは睨み合う。
「流石はレルミット伯爵家の嫡男なだけはありますね、キース・レルミット」
「……そちらこそな。クラリス・フレスティエ」
おや? 知り合いなんだろうか。
そう思った時、クラリスは流れるような剣捌きで次々とキースに向けて木剣を打ちつける。
連続で襲いかかる強い一撃を次々に受け止める度に周囲の興奮も高まって行った。
クラリスの攻撃の手が少し緩んだ時、キースはそれを見逃さずに一気に少女の間合いへと入り込み一撃を打ち込んだ。
僕はその光景に微妙な違和感を覚える。
そしてキースの一撃は難なく受け流され、続く一撃がキースの腕を打った。
「ぐぁっ!?」
「いい剣筋です。型に忠実で研鑽を積んでいるのが伝わってくる。でも、ぬるい! その程度の一撃でこの私を倒せるとでも思いましたか」
「くっ……降参だ」
演習場の空気が更に過熱するのをよそに、僕はすごすごと戻ってくるキースの横顔を覗き見た。
負けた悔しさに歯軋りしているのは彼の性格から言ってもよくわかる。
でも、あの時の一撃は上手く決まればクラリスの木剣を弾いていた可能性すらあった。なのに、どうして君はあそこで『手加減』したんだい?
「よーし。では、次はリズ。お前が逝け」
「逝きません! 嫌です、あたしはあんなのと戦いたくないですー! 降参です降参!」
徹底的に抗うリズを見て、クラリスは眉根をしかめた。
「ミルディアナ領直属軍学校の特待生ともあろう者が臆しましたか」
「あたし、そーいうの得意じゃないもーん。専門はあくまで結界術式とか治癒術式だから。というわけで、キースくんの怪我を治してあげるから後はロカがよろしく」
「まったく、ふぬけた奴だなお前はー。……まあ良い。クラリスとやら。お前の強さはよくわかった。余が直々に相手をしてやろう」
「いいでしょう。体術ならば木剣は不要ですね」
クラリスが木剣を手放そうとした時、ロカがそれを制した。
「クラリスよ。お前の一番得意な戦い方は何だ? 余が見る限り、剣術だと思うのだがな」
「……まあ。何でも出来ますが、強いて言えばそうなるでしょう」
「うむうむ。では、木剣を用いて戦うが良い!」
「正気ですか……?」
「もちろんだ。これでも余は短期間ではあるが戦というものを経験している。剣を手にした者の首を何度も刎ねてきた」
物騒な言葉に周囲の生徒がざわついた。教官たちも焦りを見せ始める。
「なるほど。ルーガル王国とキアロ・ディルーナ王国での戦を経験しているのですね」
「本格的な戦場には出られなかったがなー。余がいた地に奇襲を仕掛けてきた蛮族共と戦った時に経験したものだ」
「しかしならば尚のこと!」
クラリスは木剣を放り捨てた。
「私は相手の得意分野で戦い、それを打ち破ることを常に目標としています。貴女が体術で戦うというのであれば、私もそれにならいましょう!」
「お前こそ正気かー? ……本当に体術でこの余と渡り合えるとでも?」
いつも陽気なロカの視線に少しばかりの殺気が込められた。
「あまり人間を甘く見ないことですね。そんなことでは戦場で生き抜くことは叶いませんよ」
「わかった。お前がそう言うのであればそれでいい。だが――骨の1本や2本折れたところで泣いても知らんぞ?」
「そのような無様は死んでも晒しません。さあ、口ではなくその一撃を以て己が実力を示しなさい」
ロカの姿が一瞬で掻き消えた。
彼女の初速を目で追うのは余程意識していない限りは厳しい。
しかしクラリスはロカの気配を察知したかのように軸をずらし、彼女の殴打をかわした。
続くロカの長い尻尾による一撃も回避する。
尻尾が空を切る音を聞いて、確信したかのように言った。
「なるほど、貴女のその尾も立派な武器のようですね」
「さっきシャウラを叩いたのを見たとは言え、よくぞ見破ったな。これを舐めてかかったせいで多くの蛮族共が首を折られてあの世に旅立ったというのに」
クラリスもまたその場から姿を消したかのような初速でロカに迫る。
クラリスの拳がロカの顔面に迫ろうとした時、彼女はぐっと身を屈めて回避した。が。
「捉えた!」
「むっ!?」
クラリスの殴打はフェイント。本当の狙いはロカの長い尻尾だったらしい。
それを掴み取って背負いこみ、その勢いのまま床にロカを叩きつける。
だが、瞬時に受け身を取ったロカがクラリスの腹部を蹴り飛ばし、彼女が怯んだ隙に後方に跳んで距離を取った。
「なかなかやるな、クラリス」
「……そちらこそ」
あまりにも軽やかで力強くもある2人の戦いに誰もが見惚れていた。
リズは「ふぁー、すごーい」なんて呟きながらあくびをかみ殺している。すごく眠そうだ。完全に他人事で戦意のカケラもないのが実にマイペースな彼女らしい。
「ふむ。お前の力はわかった。ここは引き分けということにせぬか」
相手をボコボコにするまでやめないのが信条なはずのロカがそう言う。
見れば、彼女の服の右腕の部分が破けて血が滲んでいるのがわかった。
そして、クラリスもまた腹部を抑えながら答える。
「……わかりました。貴女との勝負はまたいずれ」
「ここらで抑えんと、昂りが止まらなくなってしまいそうだからな。流石に死闘に興じるわけにはいかぬ」
引き分け。
その結果は誰もが予想していなかったらしく、しばらく沈黙したが、やがて――。
「うおおおぉぉ!! すげえ、あのクラリスさまと引き分ける奴がいるなんて……!」
「あ、あの獣人は特待生なんだっけ? ミルディアナにもすげえ奴がいるんだなぁ……!!」
いつの間にか歓声と拍手がされていた。
僕もそれにならっていると、クラリスはきっと僕を睨みつける。
「さて、最後は貴方ですね。テオドール」
「そうなるのかな? どうする? 体術でも剣術でも魔術でも。なんだったら全部纏めてやるかい?」
周囲の人間がざわつき始める。
クラリスはやや驚いたような表情を浮かべるものの、すぐに気を取り直したのか顔を引き締めた。
「本気なのですね?」
「もちろん」
「わかりました。引き受けましょう」
またしても歓声が上がった。もはや完全に見世物だ。
「しかし、ここで魔術を扱うわけにはいきません。周囲に被害が出る可能性もありますし、魔術の演習場の方に移動を――」
クラリスが言い切る前に、演習場に誰かが駆け寄ってくる音がした。
そちらに振り向くと、息を切らせた軍人がクラリスの姿を認めて声を張り上げる。
「ふ、フレスティエ少尉!」
「何です? 今は大事な時なのです。些事なら後にしてください」
「しゃ、しゃ……!!」
しゃ?
軍人は息を整えた後に、まるでこの世の終わりでも訪れたかのような叫び声を上げた。
「シャルロットさまがご乱心召されましたあぁぁぁ!!」





