第8話「城塞都市グランデン」
走り続けてから3日後。
森林を駆け抜けて小さな草原へと抜け出た。
そのまま走り、草原の更に先へ向かうとそこは断崖絶壁。そしてその下には城塞都市グランデンの門が見える。
崖から地上までおよそ100メートルくらいはあるだろうか。
このまま飛び下りても着地は出来るけど、風迅術式を纏って静かに降り立った方がいいかもしれないと考えながらも僕はすぐ近くにいるエルフっ娘に話しかける。
「やあ、リズ。どうしたんだい」
「……白々しいなぁ。途中からずっとあたしの後ろ追っかけてきてたくせにー」
「いや、びっくりしたよ。君のことだから無理してそのへんで野垂れ死なないか心配だったんだけど、ツェフテ・アリアの厳重な警戒網を易々と突破して帝国にやってきたのは伊達じゃないみたいだね?」
「あたしのこと見るとそうやって油断してくる奴ばっかだったからね。あんなの楽勝だったし――で」
荷袋を片手にした彼女は頬を掻きながら言った。
「どうやってこの崖から降りよっか?」
「飛び下りればいいよ」
「あたしは自殺志願者じゃないんですけどー?」
流石の神使でもこの高さから飛び降りるのは躊躇われるらしい。
僕は咄嗟に彼女の右肩に手を回して掴んだ。
「えっ……ど、どしたの、テオくん」
「僕が下まで連れて行ってあげるよ。ついでに言うなら、勝負も僕の勝ちだ」
僕はリズをひょいと持ち上げて、左手で彼女のスカートから露出した両脚を支えた。
「えっ、えっ、これってもしかして……お姫さま抱っこ的な?」
「そうとも言えるかもしれないね」
「あー、あ、うん、そうだよね。うん、わかるわかる。テオくんにお姫さま抱っこされるだなんて嬉しいな~……こんな断崖絶壁の上じゃなければだけど」
「大丈夫大丈夫。何とかなるよ」
「ならないよね? テオくんって優しく見えて意外と薄情なところありそうだから、途中であたしのこと放り出したりしてもおかしくなさそうだよね!?」
「ちゃんと送り届けるよ。さ、行こうかリズ」
「待って、待って待って、心の準備をぉ……おぉぉぉぉぉぉ!?」
僕はリズを抱えたまま一歩を踏み出し、崖から飛び降りた。
「いやああああああああぁぁぁ!?」
リズが何やら叫んでいる。
そんなに大きな口を開けて叫んでたら着地の衝撃で舌を噛むよ、と忠告する時間もない。
リズは僕の首に両腕を回して強烈な力を込めてきた。
そのまま着地しても良かったけど、地面が見えたところで風迅術式を発動。
僕らの身体を風が支え、着地の寸前で勢いが完全に止まった。
「――あああぁぁぁぁ!!」
リズが耳元で叫んだままだ。少しうるさい。
「大丈夫だよ、リズ。ほら」
「え? え? ……お、おぉぅ……」
地面から約30センチあたりで浮いている僕の身体を見て、驚きの表情を浮かべている。
「す、すっごい制御だね……あたし、こんなに上手く魔術使えないよー」
「慣れれば出来るようになるよ」
すっかり気の抜けたリズが腕の力を緩めていたのを悟って、僕は彼女の身体をそのまま離した。
直後、地面にどすんとお尻から落下したリズが変な悲鳴を上げてのたうち回る。
「どうだい、お姫さま。なかなかスリルがあって楽しかったんじゃないかい?」
「お……お、お姫さまだって思うならちゃんと最後までエスコートしろー!?」
リズがお尻を擦りながら涙目で抗議してくる。
自由奔放なエルフの王女さまもこのくらいの痛い目には遭っておかないといけないだろう。
そんなことを思いながら、改めてグランデンの門へと目を向けたところで1人の少女と目が合った。
金色の長い髪を右側で結った少女は、その瞳も金色に輝いていた。
年齢は僕たちとほぼ同じくらいだろうか。涼しげな目元は綺麗だけど、少し険があるようにも見える。
彼女は黒を基調とした軍学校の制服を着用している。スカートの色は赤かった。けど、不思議なことに彼女の肩には軍人が用いる肩章が身につけられていた。
軍学校の生徒のはずなのに、一体どういうことなんだろう。
などと考えている隙に門の守衛が動じるのを無視して、金髪の少女は素早い足取りで僕たちに近づいてきた。
「貴方がたは何者ですか」
毅然とした態度と見るからに高貴な佇まいをしている彼女は、その雰囲気にぴったりな硬く静かな声で問いかけてきた。
「僕はミルディアナ領直属軍学校から来たテオドール。で、彼女が」
「リズでーす……」
恨みがましげな瞳を向けてくるリズにはあえて視線を向けずにいると、目の前の少女が言う。
「身分を証明出来る物はお持ちですか」
「これでいいかな?」
「あー、それならあたしのも……ほらこれ」
僕とリズがリューディオ学長から貰った特待生の証を手渡すと、彼女はそれを検め始めた。
険しい顔つきだ。いつも表情を引き締めているキースを思い起こさせるけど、彼女はそれ以上だ。
そして彼女の身体から伝わってくる気配――。これは紛れもなく神の与えた力。
「……確かに、ミルディアナ領直属軍学校の特待生の証で間違いありませんね」
「先にロカ――狐の獣人やその連れの白い身体をした狼の獣人も来たと思うんだけど」
「ええ。話は聞いています。どうぞ中へ」
金髪の少女に促され、リズと一緒にグランデンの門を抜ける。
すると、そこには石造りの建造物が立ち並んでいた。
しばらく街中を歩いていると、住民の数は多いもののどこか殺風景なものを感じた。
それもそのはず、そこかしこに長い階段が設けられ、遥か上空の連絡路へと繋がっているのだ。
朝陽もその階段や連絡路に遮られる場所が多く、日当たりはあまり良くはない。
人が暮らす場所、というよりも城塞として造られたものに人が住み着いたという感じだった。
本当にこの地は昔と何も変わらないな。
いくつもの階段に、街の上空を蜘蛛の巣が張り巡らされたように交差する連絡路。そして街を丸ごと覆い隠すほどの背の高い城壁が閉塞感を覚えさせる。
人が多くて景観も良かったミルディアナとは違い、このグランデンという都市は防衛を第一として造られているのがはっきりと見て取れる。
何百年も前までは何度も僕たち魔族に陥落させられたけど、それでもこうして復興を果たしているのは流石だ。
以前よりも人口が多く見えるのは、魔族との戦いが減ったからだろう。それでも人口はミルディアナの人口15万の3分の1にも満たない。帝国の首都の中では最も人口が少ないのがこのグランデンの街らしい。
僕とリズがきょろきょろと街並を見回していた時、前を歩いていた金髪の少女は不意に言った。
「そのように見回しても面白い場所ではありませんよ」
「そうかなー? ミルディアナとは全然違ってて結構面白いよ。ね、テオくん」
……確かリズにはグランデン近辺出身だと伝えていた気がする。
当たり障りのないように頷くとリズが続けた。
「リューディオせんせーが言ってたけど、グランデンって昔は魔族によく襲撃されたんだよね? そういう痕跡とか全然残ってないんだ」
「魔族……? 当たり前です。このグランデンの地が魔族に襲撃された記録は500年以上前が最後なのですから」
生真面目に答える彼女からは愛想のカケラも感じられない。
「ねね、テオくん。なんだかすっごく無愛想じゃない? あの子」
「確かにそうだね。笑えば可愛い……いや、今でも可愛いと思うけど」
「あたしはやだな~。第一印象だけで気が合わなそうってすぐわかるもん……」
こそこそと問いかけてくるリズの言葉に耳を傾けながら、周囲の様子を見守っていると。
「あらぁ、クラリスちゃんじゃないの。おはよう」
杖をついて歩いていた老婆が挨拶をしてきた。
すると、目の前の彼女は老婆に向き直り、ぴしっと居住まいを正して敬礼する。
「おはようございます、アニーさん。今日もお元気そうで何よりです。先日は腰を痛めたと聞きましたが、その後はどうですか? ご無理をなさってはいませんか?」
「ええ、ええ。大丈夫よ。こうやって歩けるくらいには回復したから……杖がないと厳しいのは相変わらずだけどねぇ。ところで、そっちの可愛らしいお連れさんたちはどなたかしら?」
老婆が僕とリズに興味津々といった目を向けてくる。
すると金髪の少女は言った。
「はっ。南方の首都ミルディアナの軍学校より交換留学に来られたテオドール殿とリズ殿であります。ちょうど我らがグランデン領直属軍学校へとご案内致している最中です」
「あらあら、そうなのぉ。ごめんなさいね、邪魔しちゃって」
「とんでもございません。アニーさんもどうかお身体には気をつけて。しばらく重い物などを持ってはなりませんよ」
「ありがとうねぇ、クラリスちゃん。でも、前から思ってたけどそんなにガチガチになって話さなくても大丈夫よぉ?」
「いえ。これが私の軍人としての役割でもありますから。帝国領の民――特にこのグランデン領内にお住みの方は我らが尊敬し、守るべき方々ばかりです。ふざけた態度を取るわけにはいきません」
「私はクラリスちゃんが笑っている顔が一番好きなのだけどねぇ」
素直な言葉に若干気圧された感じでクラリスは口籠もるものの、すぐに言った。
「そういうわけにはいきません。これも軍人の務めです。そしてフレスティエ公爵家の者として恥ずかしくない態度でいなければなりませんので。……そ、それでは、失礼致します」
もう一度敬礼してから、クラリスはそそくさと立ち去る。
僕たちも後に続くと、後ろから声がかけられた。
「またねえ、クラリスちゃん。今度一緒にお茶しましょうねぇ」
その後、今度は近くの露店で野菜を売っていた体格のいい男性が声をかけてきた。
「よお、クラリスちゃん。今日もきびきびとしてんなぁ」
「はっ。おはようございます、ブノワさん。最近は肩の具合があまり良くないとお聞きしましたがいかがですか?」
「寄る年波にゃ勝てねえみてえだなぁ。なかなか上手く肩が上がらなくってよ」
「そのような時はしっかり安静に。姿勢に気をつけて、肩が痛む時も必要以上に揉んだりなさらないよう。悪化しては元も子もありませんから」
「へへ、ありがとよ。嬉しいねぇ、クラリスちゃんみたいな可愛い子に心配されるってのは……ほら、どうだい。うちの野菜持っていきな」
「しかし、私にはまだ学業と軍務が」
「固いことは言いっこなしだぜ。そら!」
笊に入れられた色とりどりの野菜を無理やり押し付けられる形になり、金髪の少女は若干困惑したような様子を浮かべながら言った。
「あ、ありがとうございます。学園の寮の者のためにも大事に頂きますね」
「おうよ! ん……後ろの2人はここらじゃ見ねえ顔だな……?」
その後、クラリスはさっきと同じ返答をして僕らの紹介をしてくれた。
「そうだったのかい! 忙しいところ悪かったな、クラリスちゃん」
「いえ。それでは、これにて失礼致します。お野菜は有効活用させて頂きますので!」
相変わらず生真面目に言って、クラリスはまた歩き出す。
少しふらふらして見えるのは野菜の量が多くて目の前が見えないからだろうか。
「ねね、キミってさ。街の人の名前ちゃんと覚えてるの?」
「もちろんです。すべての人というわけではありませんが、少なくともこの一帯で露店を開いていたり、住んでいる方の名前と性別と年齢は一通り把握しています」
「ふわー、すっごぉー……」
まるで今まで見たことのないような生物を目の当たりにしたかのように言うリズ。
そして歩いていく最中、またリズがちょいちょいと僕の肩をつついてきた。
「何だか慕われてる感じだよね、あの子。ちょっと印象変わったかも」
「確かにそうだね。意外と優しいのかもしれない」
そんなことを囁き合いながらついていくと、いよいよ軍学校の校舎が見えてきた。
ミルディアナの軍学校と比べると、やはりというか小規模なものだった。
校舎全体の大きさは半分にも満たないだろうか。
学園の敷地のすぐ隣には軍部がある。
このへんはミルディアナとほぼ変わらないようだ。
校舎の中に案内され、そのまま廊下を進んで辿り着いたのは食堂だった。
大勢の生徒で賑わっていたそこは、目の前の少女が現れたことによって一気に沈黙へと変わる。
畏れ、恐怖、尊敬、嫉妬――色々な感情を乗せた視線が彼女へと向けられるが、それを一切気にした様子もなく金髪の少女は奥へと向かい――。
「ん? おぉー、テオにリズではないか! 存外早かったなー……んぐんぐ」
黄金色の耳をぴんと立てたロカが、パンをむさぼりながら話しかけてきた。
狐っ娘の隣で気だるげにパンを食べていた狼っ娘は、ちらりとこちらへと視線を向けた。
「早かったわね、リズ。さあ、隣に座りなさい。一緒に食事をしましょう」
「僕もいるんだけど」
「私、とうとう男の姿が見えなくなってしまったの。どこからか不快な声が聴こえてきた気がするけど、きっと気のせいよね」
この狼娘は相変わらずだなぁ。更にこじらせたような気がする。
そして、同じテーブルを囲っていながら食事に手をつけず机に突っ伏している赤髪の青年の姿も見えた。
「あれ? キースくん死んでるけど、どうかしたの?」
「どうもこうもあるまい。我ら獣人の走りについてきたのだ。人間の割には見事ではあるが……結果は見ての通りだ。もちろん余は本気を出して走ってはおらなんだぞー」
「……貴様らのせいで、俺がどれだけ……くっ……」
キースはよろよろと顔を上げながら、冷や汗を滲ませた顔を片手で覆った。
食事に一口も手をつけていないあたり、本当に疲れたんだろうなぁ。
「ロカたちはいつここに辿り着いたんだい?」
「ん。まだ2時間も経っておらんぞ。ところであの竜は結局どうしたのだ」
「優雅に1人旅を楽しむんだってさー。今頃はどうしてるのやら」
「山賊にでも出くわして頭をかち割られてたら面白いわね」
そこでこほんと咳払いされる。
この場にいる全員がそちらを向くと、金髪を右側で結った少女は改まった様子で言った。
「貴方がたの名前は把握しました。ロカ殿、シャウラ殿、キース殿、テオドール殿、リズ殿。もう1人はまだいないようですが、間違いありませんね?」
「うん。というか別に敬称はいらないよ。テオドールでいい」
「あー、あたしも。気軽に呼んでよ」
「余のことも別に普通に呼んでも構わんぞー」
「あ、じゃあ私には『さま』を付けて呼んでくれるかしら? 今夜にでも早速2人きりで色々じっくりねっとり語らい――」
ロカの尻尾がシャウラの顔面を直撃した。
シャウラが椅子ごと吹っ飛んで悶絶している。
「あ、貴女は一体何をやって!?」
「我らの間ではいつものことだ。気にするな。それよりそろそろお前も名乗るが良いぞ」
一瞬動揺していた彼女は、すぐに真剣な表情になる。
……ちらりと横目でシャウラが無事かどうか確認するが、当の吹っ飛ばされた本人はすぐに起き上がって嬉しそうにしているのを見て安堵したのか、口を開いた。
「改めまして。私は『クラリス・フレスティエ』と申します。フレスティエ公爵家の1人娘にして、グランデン領直属軍学校の特待生かつ2年生であり――同時に少尉の肩書きを賜った軍人です。『仮』ではありますが」
「そーいえば、軍人さんがつけてる肩のひらひらしたのクラリスもつけてるもんね。どういうことなの?」
「私は卒業条件を満たしています。本来であれば、既に少尉としての任に就いていてもおかしくはないのですが……デュラス大将閣下兼学長の判断により、学業に励むと同時に同輩の者たちのことをよく知っておくようにと厳命されました故、まだ学籍を置いているのです」
どうやらかなりの実力を持っているらしい。そのことに対して強い自信を持っているのも窺える。
そして、今の現状に若干の不満を覚えていそうなのが隠し切れていないのもわかった。
クラリスか。面白い少女だ。可愛いし……などと思っていると、パンを一気に口の中に放り込んでリスのような顔になったロカが言う。
「ふらりふとやら。ふぁっふぉく、ほほとほうぶほふぇふは?(クラリスとやら。早速余と勝負をせぬか?)」
「……行儀が悪い! 口にした物はちゃんと食べてから話しなさい!」
一喝されて、ロカは急いで口の中の物を呑み込んだ。
「むぅ。お堅い奴とはお前のような者のことを言うのであろうなー。どうだ、シャウラ? お前もクラリスと勝負したいのではないか?」
「そうね。どのくらいの実力があるのか知っておきたいわ。ここに来た最大の理由はそのためだし」
好戦的な獣人娘たちの視線に対して、彼女は気圧される様子もなく言った。
「いいでしょう。1人ずつお相手して差し上げます。かかってきなさい」
それまで黙って様子を窺っていた周りの生徒たちがざわざわと騒ぎ始めた。
「あれ? これってもしかしてあたしたちも戦わされる感じ?」
「じゃないのかな? 面白くなりそうだね」
グランデンの軍学校の特待生か。
果たしてどのくらいの実力があるのか。僕は自然と口角を上げた。





