第7話「走るしかない!」
「走るか」
翌朝の早朝、突然ロカが何事か言い始めた。
まだ寝ぼけ眼のシャウラがあくび交じりに何事かと尋ねる。
「もう馬車の旅はこりごりである。余はこれから走ってグランデンに向かうぞ!」
「……ええ……本気なの、ロカ。まだあそこまでだいぶかかるわよ?」
「であるからこそだ! 後10日も馬車でのらりくらりとなぞ出来るか! 余は行くぞ! シャウラ、お前はどーするのだ!?」
突然の暴君ぶりを発揮したロカを見てシャウラは大袈裟に溜息を吐いた後、その場からのそりと立ち上がった。
「主人がそう言うなら従うのが従者の役目よ」
「うむ。では、さっさと荷袋を背負え! 行くぞ!」
「はいはい」
あまりに目まぐるしく進む展開にそれまで口を開けて呆けていたリズが言う。
「ちょーっとちょっとちょっと待って待って。その思い立ったら即実行っていうのやめない!? こっから走るとか頭だいじょーぶなの!? 街道沿いだから人通りだってそれなりにあるんだよ?」
「心配ない! 我らは山道でも問題なく走れる! 荒れ地であっても、馬より速く走ることなど容易いぞ!」
「思えば、最初からそうした方が良かったんじゃないかしら。暇で暇で仕方ないもの」
シャウラは既に荷袋を背負ってやる気満々だ。
リズが「どうやってこのアホ2匹を止めよう」という風に真顔で押し黙った時、傍にいたキースが言う。
「お前たち、中将閣下の仰っていたことを忘れたのか。何も要望がなければ馬車を使った旅をしろと」
「行く前まではまさかこんなに暇だとは思っていなかったのだ、仕方あるまい」
「そうよ。大体、馬車の中で寝るのもしんどいもの。身体が痛むわ」
馬車の中から飛び降りたロカ。続けざまに純白の狼っ娘も続く。
「ではな。お前たちは馬車でゆっくりと旅を楽しむがいい。我らは先にグランデンへと向かい、軍学校で一番強そうな者をぼこぼこにしておくぞ」
「ちょっとキミたちさ……」
「わかった。俺も行こう」
「キースくん? キミも頭がどうかしちゃったの? あたしついていけないんですけど」
リズが頭痛を覚えたかのように頭を抱えた時、キースも自分だって辛いとばかりに顔をしかめた。
「考えてもみろ、リズ。真っ先にこいつらをグランデンに向かわせたとなれば、何をしでかすかわかったものではない。我らがミルディアナ領直属軍学校の品位に関わる重大事項だ。俺も共に行ってしっかりと見守らねばならん」
「我らを何だと思っておるのだお前はー」
「狂犬か何かだろう。ついていってやるだけありがたいと思え」
「いらぬお節介だ。お前のことなぞ置いてさっさと行ってしまうからなー? 獣人族の足を舐めるでないぞ?」
「その言葉はそのままお前に返そう、ロカ。俺も人間とて神使の端くれ。常人を遥かに超える身体能力を以てして走ることが出来る」
何だかんだでキースも早速荷袋を背負って馬車から飛び降りてしまった。
「まあ良い。では、後は頼んだぞテオー!」
そう言った途端、ロカは物凄い速さであっと言う間に視界から消え去った。
シャウラも少し間を置いてから主人に負けない速度で走り出し、キースもそれに続いた。
狐っ娘の気まぐれから始まった珍妙な出来事はものの数分で終わり、あまりの展開の早さについていけなくなったリズは「あー」とか「うーん」とか唸ってから座った。
「まあ、あたしが焦っても仕方ないか。じゃあ、テオくん、これからは2人きりで馬車の旅を満喫しようね」
「おい、クソエルフ。オレのことを忘れてんじゃねえよ」
「ジュリアンくんはロカたちについていけばー? あたしたちはゆっくりするからさ」
リズがそう言ったものの、僕は既に荷袋の用意を整えていた。
「ちょっとテオくん? どしたの?」
「いや、僕も走ろうかなと思ってね。馬車の旅も楽しいけど、直接帝国の風を感じながら走ってみたくなったよ」
信じられないものを見たかのように口を開けたリズを尻目に、僕は馬車から飛び降りた。
「それじゃ、リズ、ジュリアン、後はよろしく。御者さんたちもここまでありがと。2人は予定通りにグランデンまで連れて行ってくれるかい」
「あらあらまぁまぁ……元気がよろしいことで」
「ここからグランデンまで走るとは信じられんが……やっぱり軍学校の中でも選ばれし者たちは違うんですかな」
そのまま僕が行こうとしたところでリズが「ちょーっと待った!」と叫んだ。
「どうしたのさ?」
「わかったよ、わかりました。ロカもシャウラもキースくんもアホなことはわかってたけど、テオくんもアホだってやっとわかったの」
「真顔で言わないでよ……。ていうか、その荷物は?」
リズはいつの間にか荷袋を背負っていた。
荷物の中から取り出したリボンで、深緑の長い髪を後ろで結わえた彼女は呆れた顔で言う。
「あたしも走ってく。運動はあんまり好きじゃないけど別に苦手でもないしね。山道や森林ならテオくんより速く動ける自信だってあるんだから」
「言うね、リズ。じゃあ2人で競争しようか。どっちが先にグランデンに辿り着くか」
「こうなったらもうやったろーじゃない! 張り切っちゃうんだからね!」
どこか吹っ切れたというか諦めの境地に入ったリズがその場で軽く準備運動をしていると、未だに馬車の中で荷袋に背を預けていたジュリアンが言った。
「よーし、これでうるさいのが5人も消えてくれたな。おかげで1人旅を満喫出来るってもんだ」
「ね、テオくん。あんなのと2人一緒に10日間もいるとか堪えらんないでしょ? 少なくともあたしは無理」
「俺もお前みたいなうるせえ女と一緒だなんて嫌だね」
リズが舌を出してジュリアンを睨みつけた。
竜族の少年はそれを見てふんと鼻で笑う。
「それじゃ、馬車のことはジュリアンに任せてもいいかい?」
「ああ。予定通りの日数で着くようにすっから心配すんな。それよか早く行け。読書の邪魔だ」
「はいはい。じゃあ、リズ。行こうか」
「テオくん~? これは競争なんだからね? 仲良しこよしじゃないんだよ? 勝った方は負けた方に何でも1つお願い事を叶えてもらうことにしよう」
「罰ゲームみたいなものかな? わかった。君に何をやらせたら楽しいか、色々と考えておくよ」
「むっ……言ったね? あたしはぜーったい負けませんから! それじゃお先に!」
リズはそう言うと馬の尾のようにした深緑の髪をなびかせてあっと言う間に走り去った。
何だかんだ言って彼女の身体能力も相当だな。
今の僕の身体じゃ森や山道での勝負になるとどうなるかわからない。これは早く行かなくちゃいけないね。
「それじゃ後のことは頼んだよ、ジュリアン!」
それだけ言って僕はリズの後を追いかけた。
人通りの多い時間帯は森林地帯を駆け抜け、休憩などまったくしないうちに夜になった。
結局先に走り去った4人の姿は見えなかったけど、彼らは休息をするだろうか。
神使の体力であれば休まなくても2日くらいなら駆け抜けられるはず。
でもやっぱりこのへんの体力面は元の種族の力の影響が大きい。
ロカやシャウラなら下手をすれば1日も休まずにグランデンに到着してしまうだろう。食事は走りながら出来るとか言いそうだし。
キースとリズは少なくとも1回は大きな休息が必要なはず。人間とエルフの体力面はほとんど変わらないからね。
いつも鍛えているキースの方が若干有利かもしれないけど、やっぱり獣人娘たちには及ばないだろう。既に結構な距離を離されているはずだ。
リズも初速は凄かったけどあの速さを維持出来るとは思えない。そろそろへばっていてもおかしくないかな。
ちなみに風迅術式を使って風を纏えば、多分今からでもロカたちに追いつくことが出来るはず。
でもそれはしない。後で何だかんだ文句をつけられそうだし。主にあの白い狼から。
キースはまあいいとして、リズには勝ちたいな。何をやらせたら楽しいだろうと思う反面、負けたらどんなお願いをされるかわかったものじゃないから……。
しかし今日はただでさえ寝不足だ。
一応少しだけ身体を休ませた方がいいだろう。
僕は森林の奥深くに入り込んだ後、一番大きな大木を軽々と昇って太い枝に座り込んだ。
月が綺麗だ。星々の輝きも悪くない。
少しこの光景を楽しんでから行こうか。さて、この人間状態もやめにしよう。
――私はそっと隣を空けて、『彼女』の名を呼ぶ。
「レナ。来い」
「はい。ただいま」
レナは一足跳びで木の枝に乗ってきた。
「大丈夫か? 疲れてはいないか?」
「それはこちらのセリフです、ルシファーさま。朝からずっと走りっぱなしでは、いくらルシファーさまと言えども身体の負担が大きいです」
「まだまだ余裕だ。しかし、たまにはこういう景色を2人で見るのも悪くはないだろう?」
「! そ、それでは、ルシファーさま……まさか私のために?」
頷いた瞬間、思いきり抱きつかれて危うく枝から落ちそうになった。
「レナ……危ないぞ」
「夫婦水入らずとは正にこのこと! ルシファーさま分はしっかりと補給しませんと!」
メイド少女は鼻息荒くそう言って、私の身体に密着してきて肩に頭を乗せた。
えらくご機嫌な彼女の身体を抱き寄せながら空を見上げると、ふと不思議なものが見えた。
満点の星空にいくつもの紅い煌めきが広がった。
その紅い輝きは一瞬のうちに消えては、また近くの場所で光り、そしてまた消える。それを何度も繰り返した。
「アレは『赤星の煌めき』か。珍しいな」
「本当に……。数十年に1度あるかないかというものですよね。そんなものを愛する夫の隣で見られるだなんて、私はもうここで死んでも……嗚呼、いやいや、まだ死ぬのはダメです。ルシファーさまとはもっとしたいこととか、ヤりたいこととかが山のようにありますので」
悦に浸ってるレナの頭を撫でながら、私はそれを見つめた。
赤星の煌めき。それはこの大陸全土で見られる天文現象だ。
普通の星とは違う、紅い星々が美しく輝くという不思議なものでレナが言うように数十年に1回あるかないかという頻度で起こる。何故そんな現象が起こるのかは少なくとも私は知らない。
今頃は他のみなもあの煌めきを眺めているのだろうか。
「綺麗です~……。ねえねえ、あなたあなた、ご存じですか? 赤星の煌めきを一緒に見たカップルは必ず結ばれるという言い伝えがあるのですよ!」
「我らはもう結ばれているだろう。それ以前にアレをお前と見るのは今日が初めてというわけではな」
「そんなのはどうでもいいのです! もっと強く! もっと強力に! 引っ張っても絶対に取れないくらいに結ばれてこそ本当の夫婦です! しかも、あの輝きを背にしながら男女が交わると――」
「わかったわかった。落ち着け、レナ」
興奮を隠せない彼女を宥めるようにしながら、私はふと考えた。
美しい光景に喜んでいる彼女にわざわざこんなことを言うのは野暮だろう。今は大人しくあの赤星の美しさに見惚れるべきなのかもしれない。
……しかしな、レナ。赤星の煌めきには、お前の言う甘い言葉とはまったく違う言い伝えがあるのだ。
私は今もなお、光り輝いては消えていく赤星を見つめながらその現象の裏にあるとある伝承を思い出していた。
『天高き夜空に紅き星々が瞬く時。それすなわち凶兆なり』
この話はルミエルが詳しい。
レナとは今までにも何度かこの現象を目の当たりにして、その美しき光景を共に眺めて楽しんだものだがルミエルは違った。
一見こういうものには目がないであろうあいつは、実はこの現象だけはひどく忌み嫌っている。見るだけで顔をしかめて不機嫌になるほどだ。
創世の大女神オルフェリアによるお触れのようなものらしいが……とにかくルミエルが異常なほど嫌うために深く話を聞いたことはなかった。
だが、あの紅い星々が凶兆であると言われれば私も否定出来ない。
何故なら、サタンが姿を消した直前にも赤星は煌めき――。
その数百年前。テネブラエの魔族全員が抑えきれぬほどの破壊衝動に襲われ、西の周辺諸国を次々と蹂躙し始め――先代のルシファーが完全に正気を失った時。
その直前にも、やはりあの紅き星々が瞬いていたのだから。





