第32話「会談」
「これはこれは。エインラーナ・キルフィニスカ女王陛下。遠路はるばる、ようこそ我がエルベリア帝」
「御託はいい。リューディオ、本題に入るぞ」
会談場所に設定された総司令官室に入るなり、エインラーナ女王は学長の挨拶を遮った。
あらかじめ用意されていたソファに遠慮なく座り込み、肘掛けに頬杖をした。ただのソファが玉座に見えてきそうだ。
「かしこまりました。それでは私も本題に入らせてもらいましょう。陛下、今すぐにでもツェフテ・アリアへお帰りください」
「出来ぬ。汝も帝国も役に立たぬ以上、妾が直接介入せねば話になるまい」
「危険だと申し上げているのです。相手はあのミラの血潮事件に介入した者であることを否定出来ない。このままではまたあの時のような大惨事になりますよ」
リューディオ学長がいつもの柔和な態度から一変、真剣な眼差しで言う。
しかしエルフの女王はふっと口角を上げた。
「本当に汝は口さがないな、リューディオ。それではまるで初めからこの失踪事件を解決するつもりがなく、あの穢れた白翼共を呼び寄せることになってしまうと言っているようなものではないか」
「そう申し上げたつもりです。今から何をしようが、奴らはまた現れます。このミルディアナの地にね」
「妾はそれを防ぎに来た」
「無理です。即刻、お帰りを」
「汝も帝国軍も無能の一言に尽きる。なれば、妾が出るほかない」
「失礼を承知で申し上げます。その無能の中には貴女も含まれるのですよ、エインラーナ女王陛下」
「……なんだと?」
エインラーナ女王陛下とリューディオ学長が一触即発の状態で睨み合う。
女王の護衛の者たちも、流石に学長には頭が上がらないのかどう対処すればいいのかわからないといった風に困惑した顔を浮かべる。
「どっちも容赦がないわね。中将は後で首を落とされても文句は言えないんじゃないかしら」
「……余には状況がわからぬが、聞いた限りではまるで一刻の猶予もないといった感じであるな」
「会談というよりも水のかけ合いね」
獣人娘たちがひそひそと囁き合う。
もちろん耳のいいエルフたちには聴こえているだろうけど、今は目の前の重鎮たちのやり取りを見て気が気ではないのだろう。わざわざこちらを睨みつけてきたりしない。
「妾とて状況は理解している。敵は既に帝国軍の内部に寄生しているのであろう? エルフ迫害派の件は妾も知っている」
「よくご存じですね。ハーフエルフの身である私には、もはや手の出しようもないところまで来ていますよ」
「なれば話は早い。そのエルフ迫害派をすべてここに連れてこい。妾の瞳にかかれば嘘いつわりなど通じぬ故、黒幕と繋がっていればすぐにでも現状を打開することができよう」
「陛下。貴女は頭の回転が速い。ですが、頑固でプライドの塊であるが故に柔軟さに欠けています」
「具体的に申してみよ」
「もうとっくにそのような段階は終わっているということです。ことは既に黒幕の正体が云々という話では済まない。天魔は確実に召喚されます」
リューディオ学長が断言する。
やや気勢を削がれたのか、女王陛下が前のめりになっていた身体をソファに深く沈めた。
彼女はふぅと息を吐いてから呟いた。
「……妾も汝との付き合いは長い。書簡で何度もやり取りを行なってきた上、こうして直接会うに至って確信したぞ。この痴れ者め」
「ほほぅ。何を確信なさったのでしょう?」
「リューディオ、汝は死ぬつもりであろう?」
周囲の誰もがざわついた。
「何故、そのように思うのです?」
「その命を以てこの事件を解決しようとしている。正規軍を動かせない以上、そうすることでしか対処できないと思い込んでいる。だからこそ妾はそれを止めに来た」
しばしの沈黙。
その後、リューディオ学長はふっと笑った。
「確かにそう考えていた時期もありましたよ。ですが――」
学長はロカとシャウラ、それに僕を順に見つめてから言った。
「不幸中の幸いと言うのでしょうか。今の私には強い切り札が何枚もある。自ら進んで死んでまで解決しようとは思っていませんよ」
「ほぅ? それほどまでにこの特待生たちとやらを信用しているのだな?」
「根が真面目で品行方正なのは残念ながら1人しかいませんが、実力自体は確かです。私が今まで見てきたどのような生徒たちよりも彼らは優れている。頭1つ2つで済むような次元ではないほどに。ですから少しばかり賭けに出ようと思ったのです」
「ふむ? 賭けとな。それは――」
コン、コン、コン。
その時、いきなり部屋の扉がノックされた。
女王の来訪は極秘事項だ。でも事前に人払いは済んでいるはず。
誰もがその状況を理解しているのか、僅かな緊張感と理解の及ばない出来事を前にその場で固まっていた。
コン、コン、コン。
静かに繰り返されるノックの音。
「どなたですか。今は手が離せません。用なら後になさい」
リューディオ学長が言う。
返事は、なかった。
コン、コン、コン。
異様な雰囲気が辺りを包み込む。
扉の傍で控えているロカとシャウラも、警戒した様子で何が起きてもいいように全身に力を漲らせていた。
コン、コン、コン。
同じく、ロカたちと反対側で壁に背を預けていた僕はぽりぽりと頬を掻いた。
そしてごく自然な動作でドアノブを握ってあっさりと開かせた。
「て、テオ!?」
「なっ!? あんた、一体何を!?」
獣人娘たちが驚く中、扉の前に立っていたのは眼鏡をかけたエルフの女性だった。
名前は確かラティスと言ったか。
彼女が顔面を蒼白にさせながらも、口をぱくぱくと開き必死に助けを求めている。
彼女の背後には、長い深緑の髪をしたエルフの少女リズが立っていた。
ラティスを羽交い締めにして、その首に鋭利なナイフをあてがって。
その光景を見て誰もが驚いた。
「雫が、足りぬのだ」
リズはいつもの美しい声色とは似ても似つかないような男と女の混じったような声でそう呟いて、ラティスを無理やり部屋に押し込んだ。
ロカとシャウラは不審者とばかり思っていたのか、その遥か斜め上を行く相手の思いも寄らない行動に混乱しているのが見て取れる。
「リズ。何の冗談でしょうか? 今すぐにメイルディア少尉を解放しなさい」
学長は動じてはいないが、女王陛下は眉間に皺を寄せて成り行きを見守っている。
護衛の者たちが前に出ようとしたが、女王陛下は片手でそれを阻んだ。
「麗しき女神のおみ足に不浄の大地はそぐわない。白翼が、それを掃い清めたもう。だが、雫が足りぬ」
いつものリズの調子とは明らかに違う。
レナから報告を受けていた先日のラティスと似た言動。
それを直に見て僕は『リズの中にいる者』の正体に察しがついた。
「足りぬならば、質で補うほかあるまい」
瞬間、リズは拘束していたラティスをぞんざいに放ってから、エインラーナ女王陛下を見つめて一気に距離を取る。
もはやこれまでか。いち早く反応していたロカよりも早く、僕が行動に移る。
一瞬でリズの後ろに近づき、彼女の手をねじり上げてそのナイフを地に落とす。すかさずそれを後方に蹴り飛ばし、ロカがそれを受け取った。
手をねじられてもがくリズの耳を目掛け、平手を食らわせる。
彼女はびくんと大きく身体を痙攣させると、がっくりと力を失った。僕はそのまま彼女の身体を支える。
「ふぅ。これで大丈夫。女王陛下もみんなも怪我はない?」
全員の様子を確認する。誰も呆然としているだけで平気そうだった。ラティス少尉はあまりの恐怖のためかぐすぐすと泣いていたがそれは別にどうでも良かった。
「見事でした、テオドール」
「まったく、女王の護衛ならもっと早く行動しないとダメじゃないか」
僕は女王陛下の護衛として付き添ってきたエルフたちを見た。
彼らは不甲斐なさそうにしているが、女王陛下が言う。
「いや、無理もない。そのエルフの女子は、リーゼメリア・キルフィニスカ。妾の娘だ」
ロカとシャウラが一様に驚いていたけど、察しがついていた僕は『やっぱりね』と頷いた。
「とりあえずエルフが暴れた時はこうやって黙らせるのが一番いい。エルフは耳がいいけど、そこが弱点でもあるんだ。ロカとシャウラも覚えておくといいよ」
「……あんたは何でそんなことまで知ってるのよ」
「趣味、かな? ロカに任せても良かったけど、半殺しにしかねなかったからね」
「最悪、首を刎ねてでも止めるつもりだったぞ。そういう大事なことはもっと早く知らせよ」
「はっはっは、これは申し訳ない。リズ……いえ、リーゼメリア殿下が身分を隠したがっていたものでして」
陽気に笑うリューディオ学長。
対して、エインラーナ女王陛下は無表情だったが、娘を心配している素振りを見せている。
「大丈夫です、女王陛下。軽いショック状態に陥らせただけだからすぐに起きる。後遺症もない」
「……そうか。助かったぞ、テオドール」
「ただ一応救護が必要だね。リズを救護室に運んであげてくれるかい?」
ロカとシャウラがお互いに見つめ合った後、頷いて彼女を抱える。
「妾も、同席したい」
「うん。女王陛下も少しお休みになった方がいいかと。真剣な話し合いの途中でこれじゃ、色々と疲れても仕方ない」
「……すまぬな」
そして僕とリューディオ学長を残して、みんなが一旦部屋から立ち去った。
正確にはそうなるように仕向けたんだけど。
その足音が完全に聞こえなくなったところで僕はリューディオ学長に言う。
「学長は最悪だね。とんでもない悪党だと思う」
「いきなり罵倒を受けていささか困惑を隠しきれませんが、一体どうしたのです?」
「学長は女王を餌に使うって言ったけど、それだけじゃないよね。最初からリズも餌に使う予定だったんでしょ?」
「……本当に貴方は何もかもお見通しというわけですか。若干、背筋が寒くなりましたよ」
「初めに言っておくけど、これから大惨事になるよ」
「ええ。だからこそ女王陛下にはお帰り願いたかったのですが、もはや手遅れという状態です」
まるで世間話でもするかのようにお気楽な学長だ。
まったく、どこまで腹黒いんだこのハーフエルフは。
魔族の中でもここまで感情論を排して、なおかつ合理主義な者は数えるほどしかいない。出来るなら敵に回したくない男だ。正面から全力でぶつかってくるだけなら歓迎するけどさ。
「さて、テオドール。もはやこれが最後の時間です。私が知っている残りの情報をすべて貴方に託しましょう」
「了解。……僕からも少し言いたいことがある」
そうして学長と話し合った後。
「――テオドール。それでは早速高等魔法院へ」
「いや、救護室に行くよ」
「この期に及んで何を? そんなことをしている暇がないことくらい貴方にもわかっているはずでしょう?」
「大丈夫。学長から頼まれたことは全部やり切ってみせるよ。どんな手を使ってでもね」
「その言葉、信じてもよろしいのですね?」
「もちろん。彼女たちを犠牲にしたりしないさ。もっとも」
僕は少し間を置いてから言った。
「他の人間とエルフがどうなるかはわからないけどね」
それだけ告げて、僕はリズが運ばれた救護室へと向かった。





