第31話「エルフの女王」
朝一番に、リズを除く特待生の全員が最高司令官室に集められた。
僕たちは学長から遂にエルフの女王の来訪の正式な日程を教えられる。
全員で同じ場所に固まるのではなく、2組に分かれての行動となった。
僕はロカとシャウラと一緒に。キースとジュリアンがもう片方だ。
早速指示された場所に向かうことになる。何故ならもう時間の猶予がないからだ。女王の来訪は昼過ぎに決まっていた。
「まったくランベール中将も急よね。こんなに早く呼び出すなら昨日は夜ふかしなんてしなかったのに」
「仕方がないであろう~。極秘裏のことなのだから。そもそもお前はいつも夜遅くまで起きてるだろうに」
「それは~、ロカの寝顔があんまりにも可愛くて見てるだけで昂ってきちゃうから自分で慰め……げふっ」
ロカの尻尾がシャウラの脇腹を叩いた。
「ほんとーにくだらんなお前は」
「おぉ……ろ、ロカの愛が痛い……」
思ったよりも痛みが酷いのか、シャウラは脇腹を抑えながらも呻いた。顔は嬉しそうだけど。
「そういえば、ロカとシャウラも寮に泊まってるんだよね? その言い分だと同じ部屋を使ってるの?」
「あんたには関係な」
「おう、そうだぞ~。一応こいつは余の護衛でもあるからな。万が一にも何かあった時には囮に使ってさっさと逃げるために傍に置いている」
「そんな使い捨てみたいな言い方~! 嗚呼、でもロカのために身体を張って散れるのならそれも悪くないかも! ロカ、私の分まで生きて……! 強く生きるのよ……!」
「うむうむ、もちろんだー。お前の死は無駄にはせんぞ、多分な」
相変わらずのやり取りを眺めていた時、目的の場所に辿り着いた。
関所の少し手前にある場所には多くの人やエルフたちがいる。
ツェフテ・アリアとの国交が盛んなだけはある。エルフの失踪事件の話もあってか、流石にエルフの数自体は少ないように見えるけど、人間の方はそんなものは気にしていないかのように大勢が行き交っている。
そんな折、2頭の白馬が繋がれた荷馬車がゆっくりとこちらへと向かってきた。
直感する。エルフの女王だ。この高純度の恐ろしいほど質の高い魔力は間違いない。
ごくりと生唾を呑み込んだ。姿を見ないまでもわかる。この魔力を少しでも吸ったらどれだけの快楽が得られるだろう。
「軍学校の生徒だな?」
荷馬車の傍に控えていた3名のエルフのうち、1人の男が訊ねてきた。
この場の指揮権は一番格上のロカに任されている。彼女はすぐに応じた。
「うむ。『中身』は問題ないな?」
「無論」
「であるか。それでは、余についてくるがいい」
ロカは手慣れた様子で荷馬車を招き、とある場所へと向かった。
数日前から貸切にしてある宿屋だ。
表向きは普通の旅人で満員ということにしてあるが、実際には女王の休息場所として用意されたものらしい。
往来の人たちは荷馬車に目を向けても、すぐに興味を無くしたかのように歩を進めていく。
宿の扉を開け、さりげなく周囲の視線から荷馬車を遮るように僕たちが位置につく。
それでも注意深く辺りを確認してから、エルフの護衛の女性が荷馬車の中に手を差し伸べた。
「……陛下。どうぞ私の手を」
その手を掴んで、荷馬車からゆっくりと降りてきたエルフの姿を見て僕たちは驚いた。
「ミルディアナを訪れるのは100年ぶりか。変わらぬな、この街は」
深緑色の髪を肩で切り揃えたエルフは、少女としか言いようがなかった。
見た目の年齢はせいぜいが14、5歳だろうか? 背も低く、僕が見知ったリズよりも年下のように見える。
素肌は雪のように白い。その華奢な身体を包んでいるのは、庶民の女性が着用するような普通のドレスだけど彼女から漂う高貴な雰囲気を隠し切れていない気がする。
その愛らしい容姿とは裏腹に、どこか憂いを含んだような横顔がひどく印象的だった。
女王と呼ばれたエルフはロカとシャウラを順に見やって、最後に僕を見つめてきた。黄金のように美しい金色の瞳が僕をじっと見据える。
「ふふ、ずいぶんと変わった生徒を抱えているのだな」
女王はくすりと笑ってから、すぐに宿の中に入っていってしまった。
「ん? 変わっているとはシャウラのことか?」
「私、すぐに目を逸らされたわよ? 私の方からはずっと見つめてたけど。いいわね、エルフの女王さまって」
いまいち腑に落ちないような表情をしたロカと可愛らしかったエルフの女王を見てご満悦なシャウラが宿へと続く。
僕は一瞬だけその場で立ち止まってしまった。けど、ひょっこりと顔を出したロカに急かされて慌てて彼女の後を追った。
「妾の名はエインラーナ・キルフィニスカ。現ツェフテ・アリア王国の女王である。汝らも名乗るが良い」
宿屋の1室に僕を含めて5名が詰め込まれる。一番広い部屋だそうだけど、この人数でもぎりぎりだ。
護衛の2名は外の警備に回されていて、残る1名の男性エルフだけが女王の傍に控えていた。
「お初にお目にかかる。余はロカ・コールライトである。狐の獣人にして、ルーガルに残された最後の王族だ」
「ほう。その歳で既に獣王か。……獅子の『獣神王』が逝ったとはまことか?」
「……うむ。キアロと我がルーガルの戦の発端であるな」
「そうか。いや、すまなかった。報せはとうに聞いていたのだが、どうも信じられんでな。……あの殺しても死なぬような獅子王がか。善き王だった。御霊の怒りを妾の祈りで癒して差し上げたいところだが、そうもいくまいな?」
「不要である。祈りで治まるほど我ら獣人族の魂は行儀が良くないのでな。彼の御方の御霊を癒し鎮めるのに必要なのは、蛮族共の血肉だけだ」
ロカの雰囲気は冷静そのものに見えたけど、静かな怒りを孕んでいる。
彼女の有無を言わせない雰囲気を見て、エインラーナ陛下は瞼を閉じた。
「なれば、汝らルーガル王国とキアロ・ディルーナ王国の戦が一刻も早く終わることを祈るだけに留めておこう」
「感謝する。戦の結果がどうあれ、早く終わらせるに越したことはないからな」
それにしてもロカは凄い。初対面のエルフの王族を相手にすれば、普通の者なら凄まじい緊張感に駆られてしまうだろうに。
彼女の王としての資質はその肝の強さにもあるかもしれない。
「では、余の次だ。この白いのはシャウラと言う。余の護衛にして奴隷で、狼の獣人だ。白いのは生まれつきでな。うむ。まあそんなところだ」
「ちょ、ロカ!? いくらなんでも適当過ぎない!? 私だって一応は元貴族なのにぃ!」
「妾は知っているぞ。シャウラとやら。汝はブランネージュ家の者であろう」
狼の耳をぴくりと動かしたシャウラが、ぎょっとした目でエルフの女王を見つめる。
女王は紅茶のカップを片手に続けた。
「生まれつき身体が白い。いわゆる『白狼の民』と呼ばれるのはブランネージュ家の者たちだけだ。妾も前にその家の者たちと話し合った記憶がある。もう何百年も前の話だがな。誇り高き『王族』であった」
「あ、えっと……」
「先にも言ったが、獣人の王族が相次いで死んだという話自体は聞いてはいた。そして本来であれば、その状況で王の名を冠するのは白狼のブランネージュだろう。狐は王位継承権の最下位。狼を差し置いて王となるのは有り得ん」
「そ、その、女王陛下。それには色々と事情があって……あの」
「良い。話したくなければ無理にとは言わぬ。詳しく聞けば長くなるだろうしな」
「は、はい……申し訳ございません」
あのリューディオ学長にも傲慢な態度を崩さなかったシャウラが敬語を使ってる。身体も緊張に満ちているのがわかる。
これは面白いものを見た。てっきりロカと同じで何を見ても動じない性格なのかと思ったけど、そうじゃないらしい。
緊張でかしこまったシャウラはこれはこれでなかなかいい。
「さて、残るは……」
女王陛下の目が僕をじっと見つめてくる。
う~ん、これは確かに緊張するな。まるで外見だけじゃなくて中身までじっくりと見られているみたいな気分になる。
「あ、僕はテオドールです」
しんと静まり返る。
何でだろう。
他にも何か言った方がいいのかな。でも、僕にはロカやシャウラと違って家柄の話なんかは出来ないんだけど。
「ちょっとあんた」
シャウラが肘でずどんと僕の脇腹を突いてきた。痛い。
「もっと何か言いなさいよ……! 女王の御前よ!?」
「そんなこと言われても」
「テオはな、凄いのだぞ。軍学校の入学試験では剣術・体術・魔術の項目のすべてで首席を獲ったのだ! それは……ええと、何百年前だかの某かと同じで大変優秀だとか」
「勇者さまよ、勇者さま! 勇者レナさま!」
「ああ、そうだ! 勇者以来の快挙なのだとか! 流石である。余の友として相応しい実力の持ち主なのだ!」
気まずい。
何が気まずいかって、女王陛下は黙って聞いてる素振りをしながらも実際にはずーっと僕のことを見つめていたからだ。
まずい。緊張してきた。落ち着け、僕。僕は魔王だぞ、魔王。堂々としていればいいじゃないか。
「テオドールとやら」
「えぁっ、な、何でしょう」
「汝は貴族ではないのか」
「いえ。平民っていうか、庶民っていうか……そこらへんにいっぱいいる人間と同じです」
「くふふっ! 汝のような者がそんなにいたら帝国はさぞや面白い地になっているであろうに」
それまで涼やかな顔をしていた女王陛下が破顔した。
見た目通りの笑い方とでも言うんだろうか。
「汝も特待生なのだな?」
「い、一応は」
「そうかそうか。では、少し近う寄れ」
「へ、陛下! 何をいきなり」
「汝は黙っていろ」
護衛のエルフに窘められるも、まったく気にしないでいる女王陛下が僕を誘ってくる。
大人しく従って前に出る。目線の高さを合わせるために膝をつくと、少しだけ女王陛下を見上げる形になった。
彼女は僕の頬にそっと手を当てて、ゆっくりと撫でた。
隣と背後から殺気を感じる。隣は護衛。背後はシャウラからだろう。特に背後の彼女からは凄まじい嫉妬が入り混じった気配が漂ってくる。
「青髪とは珍しいな?」
「……そ、そうなんでしょうか。僕にはよくわからなくて」
「青い髪を持つ者はエルフにも稀にいるが、ここまで鮮やかで美しい色合いの者は見たことがない」
女王陛下は僕の髪をさらりと撫でつける。
気恥ずかしいな、これは。僕がよく愛妻たちの髪を撫でるような仕草だから尚更。
しかし青髪が珍しいって前にも言われた気がする。ルミエルやレナに散々弄り回された挙句、適当に決めただけなのに。
「しかも線が細い。獣人たちよりも体術が得意なようには見えん」
「そいつとロカはまだ1回しか戦ってないし! 私が戦ったら絶対に首の動脈を切り裂いてやるんだから!」
「いつまでも根に持つなよ、シャウラー。テオは強い。本気でやれば殺されるのはお前の方だぞー?」
ぶつぶつと呟くシャウラとそれを諌めるロカを横目に、女王陛下はなおも僕の身体に触れてきた。
「ふむ、実に良く出来ている」
「え?」
「いやいや、こちらの話だ。……さて、前置きが長くなってしまったが、そろそろ本題に入らねばな。妾の護衛を務めるのはこの3人だけか?」
「いや、後2人が別の場所で待機しておるぞー。しかも片方は竜族なのだ」
「それは心強いな。では、此度は世話になるぞ。改めてよろしく頼む」
そう言って女王陛下は僕の身体からそっと手を離した。
「――というわけで、ミルディアナ領軍部最高司令官室でリューディオ学長との会談を行ないます」
「承知した」
指揮権を持っておきながら面倒な説明を早々に僕に投げつけたロカは壁に背中を預けて大あくびをしていた。
エインラーナ女王陛下にはこの話が終わり次第、すぐに現地に向かってもらわないといけない。
ミルディアナの街は広大だから、この関所近くの宿から軍部に向かうだけでも2時間はかかる。人の往来を考えると実際にはもっと。
しかし会談の後はどうするのかについては一切聞かされていない。というか、聞いても教えてくれなかった。
いい加減だとも思うけど、あの学長のことだから何かしら考えがあるんだろう。
そういうわけで僕らは女王陛下を連れて、リューディオ学長のもとへと向かっていった。





