第27話「ミラ~後編~」
大図書館の薄暗い部屋で僕はページをめくった。
『エルフの旅団規模の軍隊は南方領の関所を強引に突破し、直接東方領へと向かった。指揮官はフェルシアン・サグレム少将であった。
東方領の目前で旅団は1500名ずつに別れ、片方の部隊を東方領へと進軍させ、もう一方は東方領を囲むように帝都から離れた場所を移動しながら近隣の村や街の住民からの情報収集を行なったとされている。
サグレム少将は大変に用心深い性格をしており、毎日欠かすことなく片方の部隊と連絡を取り合っていた。
情報を細かにやり取りしながら、少将は遂にバルザック領へと入り込み、ミラ・バルザックの邸宅を目前にしたところで連絡用の兵を派遣した。
この時点でサグレム少将はミラ・バルザックを極めて真相に近い人物だと看破していたことが窺える。
連絡員の帰還を経て、お互いの無事を確認したとされるサグレム少将はミラ・バルザック邸宅を囲み、少将を筆頭に内部に侵入したと思われる』
思われる? どうしてそこで疑問形が出てくる?
『フェルシアン・サグレム少将からの連絡が途絶えたのはそれから間もなくのことであった。
少将の部隊から派遣された連絡兵が一方の部隊での伝達情報を持って、再びバルザック領に入り込んだ時、フェルシアン・サグレム少将自身を含む1500名のエルフ全員が忽然と姿を消していたのである。
そこに一切の争いの形跡はなく、軍の者が所持していた武器および馬車、携帯食、金銭などといったものはそのままにエルフたちだけが姿を消していたのだという。
(特記事項:事件収束後、帝国北方領の高等魔法院において同日未明にバルザック領付近から『第6階梯以上に相当する『禁術』が使われた可能性があるとの報告が上がっている。要調査のこと)』
禁術。それは魔術を上回る力を持った驚異的な術式である。
魔術は第13位階までしか存在せず、それ以上のものは禁術として明確に区別されている。威力の高さや難易度を図る呼称も『位階』から『階梯』へと変わる。
帝国の各所に設置されている高等魔法院では、この禁術以上に相当するものが行使されれば即座に察知することができる特殊な術式感知能力を誇る魔導具が置かれている、とレナから聞いたことがある。
『サグレム少将は武勇に名を馳せる強者であった。禁術レベルに相当する極めて攻撃性の高い術式の使い手でもあったらしい。エルフの特性上、普通の攻性術式を扱うのは困難なためその実力は凄まじく高いものだったであろう。
その少将が何の抵抗もしないばかりか、部下たちを含めて姿をくらませた事実に一方の部隊の指揮官は大いに混乱したと同時に帝都へと赴き、皇帝陛下に軍の派遣を要求した。
南方領の関所の突破の件は既に陛下の耳にも届いていた。本来であれば門前払いを受けるもやむなしと思われるが、これ以上ツェフテ・アリアを刺激すれば2国間による本格的な全面戦争が行なわれる可能性を危惧したのか、危急に帝国軍を派遣した上での合同調査が行なわれた。
帝国軍からは総勢3000人規模の旅団が派遣され、総勢4500名による人間とエルフの混成軍がバルザック領に向かった。なお、帝国軍の司令官は当代最強の魔術師の異名を誇るギュスターヴ・リッター中将であった。
しかしバルザック領内に侵入せんとした時、エルフ軍から失踪者が相次いだ。次々とエルフが消えていく中、ここに来て遂にエルフが失踪する瞬間を目撃した者が現れた。
帝国軍の複数人の目撃者の話を総括すれば、休息の間に情報交換をしていた時、まばたきをした直後にエルフが消えていた。また、目の前を歩いていたエルフが何の前触れもなく視界から消えたと言う信じがたいものであった。
不思議なことに、これらの現象はすべてが同日の同時刻にそれぞれ別個の場所で起こったことだという。
(特記事項:事件収束後、前述の高等魔法院から同日同時刻にやはりバルザック領付近で禁術が発動した形跡があるとの報告がなされた。要調査のこと)』
傍にいた者が瞬時に姿を消した、か。恐らくは強制転移術式によるものだろう。
バルザック領の面積などはわからないけど、相当な広範囲による強制転移が行なわれた可能性がある。
転移術式は非常に難度が高い。自分1人に使うだけでも禁術に相当するほどの魔力放出を伴うため、魔力に敏感な者には遠距離からでも察知される危険性がある。
レナも転移術式の使い手だけど、帝国内での使用は緊急事態を除いて禁止している。ちなみに今の僕の魔力では恐らく自分1人の転移すら行なえない。
広範囲への術式。しかも人間を巻き込まず、エルフだけを転移させている。およそ信じられない現象だが、あの魔術大国からやってきた客人が関わっているとすれば可能性もなくはない。
魔神の姿を保ったままの僕でも行使するのは面倒な術式だから、常識外れの化け物めいた魔力の持ち主だった可能性が高い。
『結局、エルフは誰一人として残らなかったという。
ミラ・バルザック領に潜入したのは、帝国軍の編成からなる3000人の旅団のみとなった。リッター中将は可及的速やかなる解決が必要不可欠だと判断し危険を承知でバルザック邸宅へと赴いた。
その屋敷にいたのはわずかな使用人たちと、7、8歳くらいの年端もいかない愛らしい姿の幼女だけだったと言う。しかし、リッター中将を目前にした幼女はひどく大人びた口調でこう述べた。
『私こそがミラ・バルザックである。エルフはどうした。あんな数では足りん。もっと用意致せ』と。
にわかには信じられない光景であったが、若い頃のミラ・バルザックと多少の交流があったリッター中将は、その幼女の容姿と発言内容および一見理性的に見えて狂気を宿している様子からミラ・バルザック本人であると断定。即座に彼女と使用人全員を拘束した。
拘束後もミラはエルフに執着する様子を見せ、しきりに「末期の雫はどうした」、「まだ届かないのか」などと意味不明な言葉を叫び続けた』
帝国歴を考えるとミラの年齢は50歳に達していたはずだ。それが幼女の姿を保っていたというわけか。
初めて末期の雫を口にした時の状況を考えると、若返ったと言ってもせいぜい20歳かそこらへんだろう。その後も何度も口にした結果、幼くなったとでも言うのだろうか。
しかし状況と発言内容に強い違和感を覚える。拘束された様子を気にした風でもなければ、幼い姿に戻ってなお末期の雫を求め続ける発言ばかりしている。
『数々の尋問や拷問を経ても意味不明なことしか述べないミラ・バルザック本人からの事情聴取は困難を極めた。
しかし上記の通り、使用人たちは己の置かれた境遇を理解しており、冷静に自分たちが知る限りの情報を軍にもたらした。
当初のエルフの失踪はミラが雇った山賊や傭兵たちによる仕業であったらしいこと。
エルフ軍の相次ぐ失踪はすべてが何かしらの怪しい術によるものであるということ。
失踪したエルフたちがどこにいるのかということ。
喉から手が出るほど欲していた情報の数々を得て、帝国軍はただちに捜査を開始した。
だが、ギュスターヴ・リッター中将は後にこの時点で大変な失態をしでかしたと深い自責の念に囚われている。
それは帝国軍の行為が後に綴る天魔の大発生という、エルベリア帝国とツェフテ・アリア王国にとって最悪なる大災厄への要因となったからにほかならない』
淡々とした調査記録が佳境を迎える。
『帝国軍はバルザック領を徹底して調査すると共に、ツェフテ・アリア王国へと伝令を飛ばした。
そしてリッター中将率いる部隊はバルザック領の東端にある古城へと辿り着いた。その古城はエルベリア帝国が建国された当初に建設されたものであったが、現在は主もおらず廃墟同然の有様となっていた。
失踪したエルフはこの地にいるらしい。確かに広大な土地ではあったが、とても3000ものエルフを捕らえておけるような場所ではなかったという。
半信半疑ながらも荒れ果てた古城を調べ上げると、地下へと通じる隠し階段が発見された。
長い階段の先にあったのは、大広間であった。天井からはシャンデリアが吊り下げられ、最奥の壁には天使の女性と思われる大きな絵画があったという。
広間は鼻を突くような凄まじい悪臭に満ちていた。
床面の至るところに複雑な魔法陣が描かれており、何かしらの術式を発動していた様子であったが、稀代の大魔術師と謳われたリッター中将にもその魔法陣が一体何のために描かれたものなのか皆目見当がつかなかったという。
そのような魔法陣の上には正体不明の『緑色の肉塊』が散らばっていたという。リッター中将は、それはまるで夥しい量の胆汁が堆積して出来たような正視するに堪えないほどおぞましいものであったと述べている。
肉塊の中からは巨大な牙のようなものや、砕かれたような骨の欠片らしきものなどが出てきたが詳細は不明。
そして大広間の左右には複数の牢屋があり、中からはいくつかの腐乱した、あるいは白骨化した遺骸が発見された。身体的特徴からしてエルフである可能性が高いとの報告がなされている。
しかしすべての牢屋を漁ってもなお、3000ものエルフの数には到底及ばない。
一体この場所で何が起きたのか、その時点で推測出来る者は誰もいなかった』
用途不明の魔法陣。魔法陣の上に堆積する不気味な肉塊。牢屋に収監されていたエルフ。
僕が今まで集めた情報を考えれば、恐らくここで『末期の雫』が造られていた可能性が高い。
ただ単に大量のエルフを殺しただけでは何も起こらないというのは、既にミラ・バルザックの手によって証明されているから恐らくは何らかの儀式によって。
『帝国の伝令がツェフテ・アリア王国へと情報を報せた。そして、案の定ミラ・バルザックの身柄をただちにツェフテ・アリアへと輸送することを要求してきた。
この要求が呑まれなかった場合は武力行使もやむを得ず。ツェフテ・アリア王国は既に戦の下準備を済ませているようであった。
だが、この情報が帝国の皇帝陛下の耳に入るのはずいぶん先の話になる。
何故ならば、時を同じくして帝国の某所に監禁されていたミラ・バルザックが惨殺されたことに端を発する一連の■■■■――』
……ページが強引に破り取られている。
簡易的記録というだけあって本の厚さはそれほどでもないけど、残りのページはそのことごとくが破られていて読むことも叶わない状態だった。
ここから先には、もはや軍の将校にすら明かせないほどの記述があったのか。
それからしばらく何かしらの暗号などが隠されていないか確認したけど、不自然な点は見つからなかった。
まったくお預けもいいところだ。
ギュスターヴ・リッター中将の失態とは何だったのか。廃墟と化した古城で行なわれていた儀式めいた行為とは。そして天魔とは――。
やむを得ず僕は本を書棚に戻し、急いで図書館を出てリューディオ学長のもとへと戻ることにした。
そろそろ終盤へと向かっていきます。





