第3話「そんなわけで帝国にやってきた~人間のふりも様になってきたでしょ?~」
エルベリア帝国の南方の首都ミルディアナはとにかく人が多かった。
広場は朝から大勢の人々が行き交い、商人たちが大きな声を張り上げて自慢の品を通行人に見せている。
普通の人間たちが大半を占めているけど、エルフの数も多い。ちょうどこの帝国の南方領の下にはエルフたちが住む国があるからだろう。
僕が南方にやってきた理由は、このミルディアナにある軍学校が勇者育成機関としては最大規模だったからだ。
おまけに人口も帝都に次いで多くて約15万人。学術都市と言われるだけあって様々な魔導書や歴史書が蔵書されている大図書館もあるらしい。
魔術を管理する高等魔法院もあるとかなんとか。
というわけで、何かと退屈しないであろうこの地を選んだわけである。
テネブラエを発ってからちょうど半月といったところ。
何日かここで過ごした限りでは、この街は悪くないように思える。賑やかなだけじゃなくて、華があると言うのかな。
僕はそんなことを考えながら人の間を縫うように歩いて行く途中で、一軒のクレープ屋を発見した。特に甘いものが食べたいわけじゃなかったけど、何となく目に入ったので物は試しだ。
「ねえ、クレープが欲しいんだけどいいかな?」
「あらあら……男の子が来るだなんて珍しいわねぇ。いくつ欲しいの?」
「2つ」
「甘いものが好きなのねぇ」
店主のおばさんは和やかにそう言ってからクレープを2つ用意して手渡してきた。
僕も代金を支払う。銅貨4枚ほどだったけど、2枚返された。
「可愛い坊やには1つサービスしといてあげるよ」
「でも、いいのかい?」
「いいのいいの。美味しさには自信があるから、また買いに来てちょうだいな」
「ありがと」
僕は笑顔でそう言ってから、広場の通りを外れて路地裏へと向かう。
周囲に誰もいないことを確認してから「彼女」に声をかけた。
「レナ。出てきていいよ」
目の前の空間が裂けて、銀髪のメイド少女が出てくる。少し困惑顔だ。
「ルシファーさま? いかがなされました? 決して顔は出さないようにと仰せでしたのに」
帝国に来るにあたって、レナを付き添いとして連れてきた。彼女はこうして自在に姿を消すことが出来たりするので、情報収集に役立ってもらいたかったのだ。
ルミエルはひどく反対した。それどころか自分がついていくと聞かなかったけど、僕がいない間に誰が玉座を守るんだと教え諭して何とかテネブラエに残ってもらった。彼女は戦闘能力は高いけど小手先の魔術は一切扱えないから、どうやっても悪目立ちする。
「はい、このクレープあげる。美味しそうだったから君と一緒に食べたかったんだ」
そう言うやいなやレナが抱きついてきた。
「はうぅ! ルシファーさま! 何てお優しいのでしょう! 流石は私のご主人さまです。好きです! 大好きです! 愛しております! お慕いしております!」
「ちょ、ちょっと声が大きいっ……! 落ち着いて落ち着いて。ほらクレープ」
レナを引き剥がして、その小さな口にクレープを無造作に突っ込んだ。
最初は残念そうにしていた彼女もクレープの味を気に入ったのか、もくもくと食べ始める。
僕はさっさとクレープを食べ終えた。少し甘過ぎて好みじゃない。
対してふにゃっととろけた表情をしながら、ちまちまともったいなさそうにクレープを食べているレナに向かって少し素に戻って言う。
「で……ここ数日帝国で過ごしてみたが、どうだ。私は。だいぶ人間として様になってきたんじゃないか?」
「はむはむ……こくんっ。はい、とても。正直びっくりしました。ルシファーさまがここまで人間の少年らしさを醸し出せるなんて」
「たまには人間になりきるのも悪くないかもしれんな。普通の人間と話しても相手が卒倒したり爆発したりしないのは初めての経験だ。なかなか楽しいものだな」
言葉遣いも仕草も悪くないと思うんだよね。我ながらいい出来だ。レナがレッスンしてくれたおかげだけど。
ちなみに僕の服は旅に適した軽装だ。麻布で織り込んだ生地を使っているどこにでもありそうな服とも言える。
街に紛れ込んでも悪目立ちすることはないはず。
「はむ……。クレープ、無くなっちゃいました」
僕は再び『人間』に戻る。
「また今度買ってあげるよ……っと。どうしたの?」
レナがまた抱きついてきたのでしっかりと支えて頭を撫でる。
「しばらくこうして表に出られないので、今のうちにルシファーさま分も補給しておかないと死んでしまいます」
よしよしと撫でてあげる。銀の髪はさらさらとしていて、素晴らしい手触りだ。僕も出来ることならずっとレナ分を補給していたい。
などと言って、2人でお互いにくっつき合ってひたすら愛し合っていたら数年経っていたことがあったので油断してはいけない。僕ら魔神は時間の感覚が人間のそれよりも遥かに鈍いから。
でも、こうやって抱き合ってるとレナの大きな双丘が胸板にぎゅうと押し付けられる。これが本当に堪らないんだよなぁ。
……しまった。こんなことをしている場合ではない。
「レナ。そろそろ行くよ」
「嫌ですぅ。ここでずっといちゃいちゃ」
「また今度ね」
「うぅ……」
残念そうに呻いたレナは僕に抱きついたまま姿を掻き消してしまった。今まで感じていた柔らかさと温もりが急に失われる。
一応気配だけは僅かに感じられる。でも彼女の魔術を応用した隠密術は非常に高度なものだ。並の人間はおろか、魔力に敏感なエルフや竜族であったとしてもこの状態のレナに気付くことは出来ない。
「さて、と。目指すは、帝国軍南方領ミルディアナ直属軍学校だっけ」
『はい、その通りです。下調べはばっちりしてきました。私がご案内致しますので』
僕にだけ聞こえる声で囁いてくるレナに従って歩き始めた。