第24話「闇夜の調査」
レナはミルディアナの街を風となって駆け抜ける。
数日がかりで広大な面積を誇る学術都市の構造をすべて頭の中に叩き込んだ。
既に魔神となった身体には疲労も何も感じない。人の身では到底なしえないことだった。
そんな調査を続けてきた結果、レナは1つの違和感を覚えた。
(行方不明になったエルフを閉じ込めておけるような場所がどこにもない)
最初から人為的な仕業だと思っていたレナは、ミルディアナの数多くある貴族邸の隅から隅まで調べ上げてきた。
隠し部屋や緊急時の避難通路はもちろんのこと、地下に隠された牢屋などもすべて調べ上げていた。
彼女の術式は自分自身の存在を認知されないようにするだけでなく、物体を透過することも可能である。しかも常人はおろか、エルフや竜族ですらその状態の彼女を察知することは不可能だ。
まず始めに疑ったのは、貴族による誘拐。
エルフの女性は特に美しく奴隷としての価値も高かった。だが、現在の帝国では奴隷制こそ続いているものの、エルフを奴隷にすることだけは認められておらずこれを破れば重罰に処される。
100年前の帝国とツェフテ・アリア王国の同盟の際に、エルフ側から提示されたこの条項を帝国が呑んだのだという。
自分が暮らしていた頃の帝国とは本当に別の国のようにも感じる。
しかしそれでもなおエルフの奴隷を欲しがる者はそれなりにはいたらしい。発覚したそのいずれにも重罰が科せられ、貴族は爵位すら奪われて没落の憂き目に遭ったとか。
どんな罰があろうとも、美しい者に手を出したいと思うのは人間の性である。そのため、多少の揉め事などは握り潰せるであろう伯爵以上の貴族の屋敷や別邸をすべて洗ったがエルフの奴隷は1人も見つからなかった。
そしてここにきて、失踪したエルフの数があまりにも多いということが頭を過ぎったのである。一体どんな施設ならばそんなに大量のエルフを隠しておくことが出来るだろうか。
どんなに裕福な大貴族の屋敷であっても、数百名規模のエルフを隠しておくことなど無理だ。たとえ可能であったとしても、生かしておくための食糧や飲料などを誰からも怪しまれずに用意することも出来ない。
しかも調べていてわかったことだが、貴族の屋敷の調査は既に軍部が独自に行なっていたらしい。いくつかの邸宅でそういった話を耳にした。
以上のことから、貴族による大規模なエルフの誘拐説は否定せざるを得なかった。
そもそもエルフの誘拐をどうやって成し遂げたのかも不明なのだ。傭兵やならず者を使えば、絶対にどこかしらで話が漏れ出るに決まっている。そういう情報は速やかに軍部に送られ、すぐにでも原因は究明されるはずだ。
では、次に挙げられるのは複数犯説だがこれも説得力に乏しい。
確かにエルフが失踪したのはこのミルディアナだけではないらしい。
このご時世、1人2人失踪したところで大して騒ぎにはならないから発覚が遅れただけで、帝国全土でエルフの失踪者の問題が徐々に噂され始めてきたのはここ1、2年程度の話だという。
特に最近はこのミルディアナでの失踪者があまりにも多く、もはや街中で失踪の噂話を聞かない日はないほどだった。
各地でエルフの誘拐が同時多発的に行なわれているとした場合、どうして最近になってミルディアナでの被害者が急増したのかがわからない。
――何らかの意図を感じるのは確かなのに、物証がどこにもない。失踪した者はある日忽然と姿を消してしまい一切の痕跡を残さない。
これらの条件を鑑みた結果、レナはとある建物の入り口に立っていた。
ミルディアナの中央地区に位置する高等魔法院。
まるで神殿のような出で立ちの白い建造物の入り口は、何本もの円柱で支えられている。かなり旧い年代の建物であり、レナが帝国で軍学校にいた頃から既に存在していることは知っていた。
高等魔法院とは魔導研究を専門に扱う施設である。魔力量の多い者や魔術の造詣が深い者が集まり、魔導書の作成から新たな術式の発見など魔術に関する様々な用途に使われている施設であり、このミルディアナ以外にも複数の場所に同じような施設がある。
国が直接管理しているそこは正に聖域であると同時に、内部情報は軍事機密でもあるためそのほとんどが明らかにされていない。
昼間は一般人でも一部に立ち入ることは出来るが、そこで得られるのは微々たる情報だけだ。魔術についての知識を得たければ図書館を利用したりする方がよほど効果的である。
ルシファーから聞いた『エルフは末期の雫である』という言葉。
『末期の雫』。
彼はおろか、自身も聞いたことがなかったそれは魔術に関する隠語の可能性があると判断したのだ。
何故なら何者かが『末期の雫を使った結果』、恐ろしい天罰――具体的には狂乱の翼が降りかかったというあの言葉。
それが意味するのは末期の雫を何らかの術式の触媒として使った者がいて、『狂乱の翼を召喚した』のではないかというもの。
憶測の域は出ないが、しかしこれが現時点で最も有力な可能性であるとレナは考えていた。
エルフを殺した報いや天罰などという考えは頭になかった。神はそんなことでは動かない。
そしてこれなら、大量のエルフの失踪者が今もなおどこかに監禁されているという可能性を潰せるのである。
儀式の触媒として使った生き物は、ほとんどの場合は跡形もなくこの世から消え去ったり、すぐに死んでしまったりする。結果、わざわざ運んできたエルフを大量に監禁しておく手間が省けるかもしれないのだ。
そして、一連のエルフの不可解な失踪にも魔術が絡んでいる可能性がある。
忽然と姿を消した。それも転移術式などを使ったのであれば説明がつく。実際にレナ自身もテネブラエから帝国の国境付近に至るまでは、ルシファーを伴って転移術式を使ってやってきた。
しかし転移術式にも問題がある。それは難度が恐ろしく高いことと、使用すれば魔力感知に長けた者であれば瞬時に察しがつくという点。
前者の点は特に問題だった。今現在のルシファーは人間の身体を使っていて魔力の質から量まで何もかもが大幅に弱まっているため、転移術式を扱うことが出来ない。それほどに高度な術なのだ。
レナですら相応の魔力を消費しなければならない上に、どうしても痕跡が残ってしまうために帝国内での使用は厳禁としている。
犯人が転移術式の使い手の場合、その痕跡すら残していないことになる。それは弱体化したルシファーはもとより、今は彼より戦闘能力も魔力も高い自分より優れた術者がいる可能性を示唆している。
あまり認めたくないという心情はもとより、そんな凄まじい使い手がいるのかという疑念は尽きないのだが。
レナは最悪の可能性を捨てないのを信条としている。そして認めたくないものほど真実により近いものである、という独自の考え方も持っていた。
本来ならばこの時点で調査は打ち切り、すぐにでもルシファーをテネブラエに帰してから帝国の様子を注意深く見守りたい。
……しかし残念ながら最愛の夫はそういう未知なる危険なものにほど強く惹き込まれる悪癖がある。
どんな脅威が迫るにせよ、彼が本気を出してしまえばすべてが終わるとわかってはいても心配で仕方がない。
今すぐにでも華奢になった彼を強引に連れ去って、安全な場所にしまっておいて身の回りの世話から何から何まですべて自分が独占したい気持ちでいっぱいになる。出来ることならそのまま永劫の時を過ごしたい。
(……嗚呼、ルシファーさまが恋しい)
そこではっとする。
ダメだダメだ。任務中に自分は何を考えているのか。
今は目の前のことに集中しなくては。そして真相の解明に繋がる何かを見事に見つけ出して、褒めてもらうのだ。自然と頬が緩みそうになるのを我慢する。
レナはいまいち引き締まらない顔をしたまま、高等魔法院の中へと入り込んだ。
そしてすぐに違和感を覚える。石造りの床全体から微量な魔力を感じ取ったのだ。しかしそれだけで特別に変わったことは起きない。
床に手を当てて調べてみると、何かしらの術式が常に発動しているのがわかった。それは高等魔法院の内部全体にまで行き渡っていた。
本当にわずかな魔力量だ。しかしそれでいて高度な術式が展開されているのがわかる。
(……特異術式。第12位階あたりでしょうか)
特異術式とは7大属性を介さない魔術の一部であり、攻撃的な性質を持たない。
その多くは会得が著しく難しくて必要な魔力量も桁外れに多いため、並の術者であればわざわざ学ぼうとしない。どれだけ術式を理解しようとも自分では絶対に扱えないし、術式破壊すら出来ないからだ。
レナが使える転移術式もこの特異術式の1つにあたる。そして、床全体に広がるこの術式もまたそれに近いもののように思えた。
(人間相手では発動しない? 私も半魔神とは言え、あくまで元は人間な以上その可能性は高そうですね。ということは……)
レナが術式発動案を閃いた時、入口から何らかの気配を感じたためすぐにそちらに視線を移す。
そこには1人の女性が立っていた。
(エルフ? どこかで見たような……ああ、ルシファーさまに睨まれただけで倒れた受付嬢ですか)
眼鏡をかけたエルフの女性は無機質な表情を浮かべたまま、おもむろに歩み出し、床を踏みしめた。
瞬間、床が光り輝いてエルフの女性は跡形もなく姿を消した。
(消えた。やはり転移術式の一種と見て間違いはなさそうですね。しかし、何故彼女はこんな時間に……?)
レナはその思考を切り替えた。
まずは尾行をしなければならない。この床全体の魔法陣を辿れば、真相に近付ける可能性もある。
床に手を当てて術式の詳細を把握。限定的な発動条件があることを解析し、自らの魔力を床に流し込んだ。
そしてレナもまた一瞬でその場から姿を消し去った。
次回からまたルシファー(テオドール)視点へ。





