第22話「白い小鳥」
やってきたのは広大な軍学校の敷地内にあるカフェだった。
軍学校では基本的に校舎内にある食堂で食事を摂るものだけど、少し気分を変えたかったり贅沢をしたかったりする者は外にあるこういうお店に来ることもあるらしい。
なんでも特待生であれば一定額以内であれば無料で食事を楽しめるのだとか。
カフェテラスの適当な席を見つけて、僕とリズが座る。
最初こそ怒涛の質問責めに遭うのではないかと戦々恐々としていたけど、リズは静かなものだった。
そよ風になびく深緑の髪に目を奪われそうになる。黙っていると本当にどこかのお嬢さまのようにしか見えない。
近くに植えてある木々がさわさわと鳴り、小鳥のさえずりが響く。そしてそれを穏やかに聴いているリズ。うん、これは絵になるな。絵画としてテネブラエの宮殿に飾っておきたいくらいだ。
しばらくして注文したパンケーキと紅茶が運ばれてきた。
特に食べたいものがなかった僕は彼女と同じものを注文したわけだけど、なかなかに食欲をそそられてしまう。
かぷりとパンケーキを口にしたリズは幸せそうにそれを頬張った後、唇に付いたシロップを舌で舐め取る。気が付いたら凝視していた。
「テオくんってさ、エルフは好き?」
「ん、ああ、うん。魅力的だと思うよ」
突然の質問にそう返すと、意外なことにリズの反応は芳しくなかった。
「そっか。エルフのどこがいいの? やっぱり見た目?」
「それもあるけど、落ち着いているところとか気高いところなんかもいいね。知的に感じるっていうか」
そういう女性を手籠めにしたいと付け加えたい気持ちでいっぱいになるが言わないでおく。
「ふぅん。あたしはあんまり好きじゃないな。エルフのそういうとこ」
「そうなんだ? 同じエルフなのに珍しい気がするね」
「そーかも。あたし、周りから変だ変だってよく言われるし。なーんかヤなんだよね、エルフのそういう傲慢なところとか相手を見下してるところとか」
リズはぽつりぽつりと漏らす。
「落ち着いてるように見えるエルフだって、陰じゃ悪口ばっかり。気高いところなんて選民思想そのまんまだし。テオくんが思ってるほど尊いものじゃないよ、エルフなんてさ」
「う~ん。まあ言われてみればそういうところもあるのかもしれないけど、僕はそのへんはあんまり気にしないかな」
そういう女性を攻略するから楽しいとはやっぱり言えないのがもどかしい。
排他的で選民思想を持ってる子を自分好みに調教して云々。ああ、最高だ。
「じゃあ、テオくんはそーいうエルフが好きであたしみたいな変なのは眼中にない感じ?」
少しいじけた様子で言うリズが可愛らしい。
「そんなことないさ。君みたいな変わり種だって魅力的だよ」
「ほんとかなー? テオくんってそういうことばっかり言って女の子を手玉に取ってそうな感じするから信用できないなー」
「僕は気に入った相手にしかこういうことは言ってないつもりだよ」
「ほほー? ということはあたしにもチャンスはあるのかな? それならぐいぐい迫っちゃうよ?」
「ま、まあ、それはお互いのことをもっと知ってからでもいいかなって」
「むー、テオくんの意気地なし」
ここがテネブラエの領内だったらこっちからもぐいぐい行くからいいんだけどな。
それこそ出会った初日からぐいぐい行ったと思う。それほどに彼女は魅力的だ。
内面は少し謎めいてるけど、悪い子にも見えないし。まあ別に悪い子だろうがなんだろうが手籠めにしてしまえばそれまでだけど。故郷が恋しい。
僕は邪な妄想を抱きながら紅茶のカップを傾ける。
「じゃあ、最近のエルフ大量失踪事件の犯人はエルフなら何でもいいテオくんだったりしない?」
紅茶を盛大に噴き出した。
気管に入り込んだ紅茶にむせかえりながら言う。
「げっほげっほ! ど、どどどうしたのさ、急に変なこと言い出して」
「あはは! すっごい反応! あれあれ~? ちょっと冗談で言っただけなのに、もしかしてほんとーにそうだったりするのかなぁ? あたしってば、この後さらわれて色々されちゃう? う~ん、ちょっと困るけど……でも、テオくんなら――いいよ?」
「『いいよ?』じゃないよ! 人聞きが悪いこと言わないでくれないかい!? いくら僕でも節操なく男も女も関係なしにエルフを狙ったりしないよ!」
「ふーん。男のエルフもさらわれてることは知ってるんだ」
む、少し情報を出し過ぎたか。でもまぁ、ここまでなら問題はないだろう。
どうせ彼女に訊きたいことにも繋がってくるわけだし。
「……一応、ね。最近噂になってるから少しだけ調べてみたんだよ。それよりもエルフがさらわれてるっていうのはリズも知ってることなの?」
「いなくなった数が数だけにね。その様子だと失踪者の数までは知らない感じ? 帝国全土で既に900を越えてるよ」
「そんなにいなくなったのか……」
「把握されてるだけでね。ミルディアナの人口は15万ちょっとでエルフは1万もいない。そう考えれば、結構な数字でしょ? 失踪者のうちの6割以上がこのミルディアナから出てるって言えば、事態の深刻さもわかる?」
ロカが話していた数千の軍隊が消えたというお伽噺が頭を過ぎった。
規模はまだそこまでには達していないけど、今起こっている失踪事件はもう十分に異常事態と言える。
「テオくんが住んでた西方領ではどうだったかな? エルフの失踪者は」
薄緑色の瞳が僕をじっと見据えてくる。
下手なことを言えばまずいことになる。白々しいが素直に答えるしかない。
「……さあ。よくわからないかな。エルフの知り合いなんてほとんどいなかったし、そういう噂もここに来て初めて聞いたくらいだからね」
「そっか。まあ、そうだよね。あそこらへんはエルフの数も少ないし」
何かを探るような眼差しだったリズは、ふと警戒を解いたように紅茶のカップに手をつけた。
会話が途切れた今が頃合いだろう。
僕はあの古代文字で書かれていた謎の本のことについて訊いた。
それを黙って聞いていたリズは表情を変えない。
やがてすべて話し終えた時、彼女はぽつりと言った。
「……確かに『森の賢者』はエルフのことだと思う。他に思い当たるものなんてないから」
「末期の雫は?」
「そんな言葉は聞いたこともない。テオくんが教えてくれなかったらわからないままだったかも」
彼女が本当のことを話しているのかはわからないけど、少なくとも嘘は吐いていないように見える。
瞳を細めて思案に耽る彼女の表情は真剣そのものだった。
「テオくん。他に知ってる情報はない? どんなことでもいいの。全部あたしに教えてほしい」
僕はとりあえずジュリアンと書庫を調べた結果やロカから聞いた獣人族の一部に伝わるお伽噺を教えた。
そしてそれらの情報が帝国の歴史書には一切載っていなかったということも。
「おかしいね、それ。エルフの軍隊がそんなに消えたらどう考えても帝国とひと悶着起こるに決まってる。でもそんなことはツェフテ・アリアでも聞いたことない」
「軍隊に直接触れているのはロカの言うお伽噺だけなんだけど、獣人族の中では結構広く知られている話らしいよ」
「帝国とエルフには口止め出来ても、他にまでは手が回らなかったってところかなぁ」
「リズ、口止めをする理由は何だと思う?」
「ただ単にやばい話ってだけじゃそこまではいかないと思うけど……もっと深い問題で、たとえば国の存続や外交に関わる問題とか」
曖昧な答えではありつつも、現状はリズが言うように帝国にとって、あるいはツェフテ・アリアにとって、都合が悪い問題を揉み消していると考えるのが妥当だろうか。
でも、この断片的な情報だけではそれ以上のことはわかりそうにない。
それに過去に何があったにしろ、今回の失踪事件もそれと同じと考えるのは早計かもしれない。とは言え、状況が似ているのは確かだからなぁ。
「リューディオ学長に聞くのはどうだろう?」
「リューく……リューディオせんせーは何にも教えてくんないよ。昔っからそうだから」
「昔からの知り合いなのかい?」
「ちょっとね。遠い親戚筋って言うか……ああ、これ一応他の人には内緒ね?」
「別にいいけど隠す理由なんてないんじゃない?」
「ふふん、エルフの乙女には色々あるのだよー」
彼女がとぼけた様子で笑った時、学園の鐘が鳴った。
「あ、やばっ! もうこんな時間!?」
「停学中の僕には関係ないけどリズは急いだ方がいいかもしれないね」
「あー……もう遅刻でいっか。別に急いだって間に合わないし。すみませーん、店員さん、パンケーキもう1皿お願い~」
リズはサボる気満々なようだ。
特待生になれた中で真面目なのってキースしかいないんじゃないかな。
「ああ、そうだ。テオくん、さっきの古代文字が書かれた本だけど後で一緒に――」
リズが何か言っている途中に、僕たちが使っているテーブルの上に1羽の白い小鳥が羽ばたいてきた。
パンケーキの甘い香りに誘われてやってきたのかな。
そう思いかけた瞬間。
「ひっ――!?」
ガタンッと騒々しい音を立てて、リズが飛び退くように立ち上がるが足がもつれてその場に尻餅をついた。
それに驚いて小鳥はあっという間に飛び去ってしまった。その白くて美しい羽根がひらりと舞って、彼女のもとへ落ちる。
彼女は声にならない悲鳴を上げて、恐怖に怯えるかのように後ずさった。
まるでその羽根に触れてしまったら死んでしまうと思い込んでいるような鬼気迫る様子に僕は呆気に取られる。
「り、リズ……どうしたの?」
店員が中から様子を窺ってきている。他に客はいなかったため騒ぎにはなっていない。
僕はリズに近付いて彼女のあまりの怯えように息を呑んだ。
両腕で頭を抱え込んで蹲り、全身をぶるぶると震えさせている。
見開いた目はあらぬ方向を見て涙を垂れ流し、歯はがちがちと音を立てて過呼吸の状態に陥っていた。
「ひっ……ひぃっ……!!」
「リズ。大丈夫だよ、落ち着いて」
怯える彼女をそっと抱きしめた途端、僕の腕を物凄い力で掴んで引き寄せた。
あまりにも異常な反応だ。一体、何がどうなっている?
まるであの小鳥を化け物か何かと見間違えたかのような反応だ。いつも飄々として掴みどころのない彼女からは想像出来ないほど、今のリズはあまりにも弱々しい。
「リズ。大丈夫かい? リズ?」
「ふーっ……ふーっ……ふーっ!!」
何が起こったのかはわからないが、放置しておくのは危険か。
僕は彼女を抱きかかえて学園の中の医務室へと向かった。





