第20話「おとぎばなし」
道すがら、彼女たちがこの学園に来た理由をそれとなく訊いてみた。
警戒されるかと思ったけど、ロカはあっさりと教えてくれる。
「我らの祖国は戦の真っ最中なのだ」
後ろからついてくる僕たちを見つめつつ、ロカは後ろ歩きをしながら言う。
「この帝国の東に位置する我らルーガル王国と、その北に位置する蛮族――キアロ・ディルーナ王国で今もなお激しい戦いが続いている」
キアロ・ディルーナ王国は魔術大国と呼ばれている。あの国では魔術の才に溢れた者が生まれやすい傾向にあり、魔術が使えない者は見下されるだけに留まらずに酷い場合は爵位を剥奪されたりすることもあるらしい。正に魔術絶対主義だ。
対するルーガル王国は獣人族が支配する国だ。魔術を尊ぶキアロと、魔術が一切使えない獣人族……2国間が戦争状態に陥るのも無理はないのかもしれない。
この2国は元々は1つの国だった。しかし獣人差別が大っぴらに行なわれるようになって、分裂。以降は何度も戦をし続けてきた歴史がある。
「それでも、つい数年前までは和平交渉が行なわれていたのだがな。……色々あって、今や両者聞く耳を持たぬ戦争状態だ。今までの歴史でも何度か大規模な戦があったが、今回ばかりは――どちらかが滅ぶまで続くであろうな。困ったものだ」
ロカは他人事のように言う。だが、陽気に喋る様子とは裏腹にその目は笑っていない。
「……補足してあげるけど、ロカは本当に王なのよ」
「獣人族の国では、代々獅子の血を受け継ぐ獣人が王になっているって話を聞いたことがあるんだけど今は違うの?」
「獅子の王族はみんな死んだわ」
「っ! それは……」
「獅子だけじゃないの。虎も、熊も、狼も、狐も王族やその家系の者はみんな死んだ。ロカを除いて、ね」
思ったよりも事態は深刻なんじゃないだろうか。
王族がいない状態で戦っているのか。あの魔術大国相手に。
「本当なら、余も戦いたかった。いや、戦わねばならなかった。戦場で皆を鼓舞するためにも。狐という、獣人族の中でももっとも位が低い血筋であっても、他の王族がみな死に絶えた以上、余が王なのだからな」
ロカは頭の後ろで手を組みながら、相変わらず後ろ歩きを続けている。
決して少なくはない通行人に一切ぶつからずに歩いているあたり、獣人としての感覚の鋭さは目を見張るものがある。
「だが、周りがそれを許してくれなかったのだ。戦に出ると言った余を皆が止めて、数十年前より国交が盛んになったこのエルベリア帝国に半ば強引に預けられた。それが余の学園に通う理由だ」
「それは、辛いね。戦いたくても戦えないというのは。君には力があるのに」
「……仕方がない。余は強いが、今戦場で戦っている者たちの中には余を遥かに凌ぐ強者が揃っているからな。余は確かにルーガルでは誰よりも偉いが、それと同時に今の戦場では半端な力しか持たない獣人でしかない。まかり間違って狩られでもしたら、今度こそルーガルは統率を失い全滅するまで戦を続ける……そう、余の母上は言っていた。その直後に自分が死ぬことまで予期していたかどうかは知らぬが」
ロカよりも強い者たちか。大いに興味がある。戦場で無駄死にさせるのは本当に惜しい。
しかし、彼女たちを帝国が受け入れたということは……。
「帝国は、ルーガル王国を支援するつもりなのかな?」
「うむ。そうらしい。調整が整い次第、我らを全力で助けると聞いた。本当かどうかもわからんが、余は来るべき時のためにも更に鍛錬を重ねねばならない」
「シャウラはそのロカの護衛というわけなんだね?」
「ええ、そうよ。でも、それ以前に私はロカの奴隷だもの! 主が向かうところなら、たとえ火の中水の中! どこまででも付き従うつもりよ! 愛してるわ、ロカ!」
「大通りでたわけたことを言うな馬鹿者ー」
「そんな素っ気ないところもロカの魅力なの! ……まあ、あんたにはわからなくていいわ。というか、もうロカのことをじろじろ見ないでくれるかしら? 穢れが移るわ」
「君のことなら見つめてもいいのかな?」
「目玉を抉るわよ」
忠誠心溢れる狼っ娘は本当に男が嫌いらしい。
そんなことを考えながらもじっとシャウラを見つめていた時、ロカが言った。
「しかしな~。帝国は安全だと聞いてやってきたはいいが、どう考えてもそれはなさそうだな」
「うん? どういうことだい?」
「あんた知らないの? 最近、エルフの失踪者が出ているのよ。しかもかなりの人数がね」
やっぱり、エルフ失踪の件は彼女たちの耳にも既に入っているようだ。
「僕もつい最近聞いたばかりでね。どんな感じなんだい?」
「さてな~。余も噂で聞いたくらいだから詳しくは知らないが、なんでもエルフが見境なくいなくなっているそうだぞ。男も女も関係なく、な」
「……男の人も? それはちょっと意外だね」
「単なる失踪にしては数が多過ぎる。故にかどわかされたのであろうが、そこまでしてエルフを欲しがる理由はわからんな。しかもここまで集中していなくなっている以上、犯行は同一の者が行なっていると見てまず間違いないであろうが」
エルフの女性は美しいから男はついつい引き寄せられてしまいがちだ。
しかし、エルフの女性はとにかく気位が高い。並の人間の男なんか相手にしないものだから、それを逆恨みしてさらってしまうような者もいるとレナから聞いたことがある。エルフ自体少ない時期ですらそうだったんだから、今はもっと酷いのかな?
ただ、これは典型的なエルフを性の対象として見た誘拐に限る。そこに男のエルフが含まれている上に、大量失踪したとなればその線は薄くなるだろう。
「それにだな。余はずっと気になっていたのだが、大量のエルフをさらったとして、一体どこに連れていったのかという問題……ん? ふんふん? お、あそこから良い匂いがするぞ!」
ロカが途中で言葉を切って、長い尻尾をゆらゆらさせながら言う。
見れば簡素なカフェのようだった。焼き立てのパンケーキが自慢の店らしい。
「よし! まずは腹ごしらえだ! 行くぞ!」
「ちょっとロカ、あなたさっき朝食摂ったばかりじゃない」
「甘いものは別腹と言うであろう! シャウラ、お前も来い! 支払いは全部お前持ちなのだからな! テオの分も出すのだぞ!」
「……はいはい」
シャウラは了承した風に言いながら、冷たい眼差しで僕を見つめてきた。
何か注文でもしたら切り裂かれそうだ。特にお腹も空いてないし、彼女たちの話を聞くだけにしよう。
カフェで優雅に食事をしたロカが先頭を走る。
まだ食べ足りないのか、肉やデザートを扱っている出店を覗いたかと思えば、色々な土産物が置かれている店も覗いている。何か興味があるものを見かける度に彼女の長い尻尾がふりふりと揺れた。
こうして見ると、ただの観光客にしか見えない。
「シャウラ、ちょっと訊きたいんだけどいいかな」
「まだ何か詮索するつもり?」
「いや、君たちの出自についてはわかったよ。あまり深入りされたくないのもね。……君は末期の雫という言葉を知っているかな?」
彼女の紅い瞳はロカの後ろ姿に釘付けのままだった。
「さぁ?」
「ああ、そっか……それならいいんだ」
「そんな言われ方をするとこっちが気になるじゃない。なに、雫っていうくらいだから美味しい紅茶のお話か何かなの?」
「いや、この言葉自体の意味はよくわからないけど、エルフそのものを指す比喩や隠語みたいなものらしいんだ」
「エルフが雫? ……嗚呼、なんかいいわねそれ。可愛いエルフの色んな雫をぺろぺろしたくなっちゃう」
恍惚とした表情で言うシャウラ。
この子に聞いたのが間違いだったかもしれない……。
とは言え、全文を読んで聞かせればあるいは。
僕はあの古代文字で書かれた魔導書の内容を語ってみせた。
「――という感じなんだけど、どうだい?」
「さっぱり意味がわからないわ」
「エルフの失踪が過去にも起こったということなら知っておるぞー」
さっきまで見物に夢中になっていたロカがいきなり乱入してきてびっくりした。
耳聡く聞いていたらしい。
「過去に? どんなものなんだい?」
「正確なことは余にもわからんのだ。ただ、余がまだ幼かった頃に母上から聞いたことがある。大昔にエルフの軍隊およそ数千が1人残らず姿を消したという、ただそれだけの話なのだがな」
エルフが失踪したらしいことはあの本に書かれている通り、間違いないだろう。
しかしエルフの軍隊が失踪したという話は初めて聞いた。しかも数千規模がいなくなった? 大事件じゃないのかそれは。
「伽噺に近い故、誇張されている部分はあるかもしれん。ただ、そのエルフたちはとある目的のために大国へ向かったとされている。まあ、大国というのはそのままこのエルベリア帝国のことであろう」
「戦争、じゃないよね? でも、その規模の軍隊が国内に派遣されただけでも一大事なはず」
「化け物退治、だそうだ」
「……化け物? 帝国にエルフが来たんだよね? どうして帝国の化け物をエルフが倒すんだい?」
「わからぬ。だが、その化け物の特徴がちと特殊でな。そこだけよく覚えているのだが……なんでも、エルフにしか興味を示さず、エルフだけを殺し、エルフだけを喰らうのだという。エルフを喰わねば生きていけぬ化け物であった……と」
「エルフだけしか食べない化け物がどうして帝国内に……。当時はまだエルフとの同盟関係は結ばれていなかったはずだよね。帝国にはエルフなんてほとんどいなかっただろうに」
「余もそれが気になった。どうしてそんなものが帝国におるのかと聞いたが、母上は笑って返したぞ。そんなものは知らん、とな。伽噺などそんなものであろう」
「結局、そのお話は派遣されたエルフの軍隊が失踪したというところで終わりなのかい?」
「んや、何でもその後、神の逆鱗に触れたやらなんやらで帝国は大変な目に遭ったそうであるな」
要約すれば、エルフの軍隊が帝国に住む化け物を退治しに行って失踪――正確には恐らく返り討ちに遭った結果、帝国に神の裁きが下ったということになるか。
確かにあの古代文字の本と一致する部分はある。
ただ、本ではエルフをさらったのは愚かな人間であったとしか書かれていない。化け物がどうのというくだりはなかった。
「ロカ。その話は君のお母さん以外でも知っていたりするかい?」
「うむ。特に獣人の古老連中がうるさいガキ共を怖がらせるためにこの話をよくしていたことがあるな。シャウラも1度や2度は聞いたことがあるはずだぞ?」
「……言われてみれば、そんな話をジジババたちが話してたような気もするけれど。もうほとんど覚えてないわね」
「というわけで、すまんなテオ。シャウラはこの通り阿呆だし、余も馬鹿だからこれ以上のことは何もわからん」
「い、いや、とても参考になったよ。ありがとう」
「どうしたのだ、テオ。最近のエルフの失踪のことと言い、何か気になることでもあるのか」
僕は事のあらましを彼女たちに伝える。
「ほー。特待生にはそんな特権もあるのか」
「そんなしょっぼい図書室に入れてそれが何になるのよ……興味ないわ」
「今回ばかりは余もシャウラに同意だなー。つまらん座学にはもううんざりである」
彼女たちはすっかり興味をなくしてしまったらしい。
まあ、無理もないだろう。古代文字で書かれているからと言って、それが真実を示しているとも限らないのだから。しかし、今回はロカの話によって二重の証拠を得たという解釈もできる。
ロカの話した物語が本当のことだとすれば、間違いなく大事件だ。確実に国の歴史に載っている。いや、載っていなくてはならない事柄だから。
他国のお伽噺に伝わるほどのものなのに、帝国の歴史書に一切の記載がないのはどういうことなのか。
物語と本の内容の一部が食い違っているのは確かだけど、これは笑って切り捨てるには惜しい。もっと調べてみてもいいかもしれない。
何にしろ彼女たちに話を聴けたのは幸いだった。
その後はロカの気まぐれな散歩に付き合って、気が付いたら日が暮れる頃合いになっていた。





