第17話「末期の雫」
僕は暇潰しにミルディアナ領直属軍学校の図書館に来ていた。
流石、学術都市というだけあって蔵書量は凄まじいものがある。しかし何冊か適当に選んでページをめくってみるものの、すぐに興味が薄れて本棚に戻してしまった。
ありがちな魔術理論や剣術や体術の指南書などしかない。それ以外にも薬草の見分け方や料理のレシピなど、様々なものがあるけど残念ながら食指は動かなかった。
「なあ。特待生なんだけど、奥に入ってもいいのか?」
ふと司書がいる方から聞き慣れた声がしたので振り返ってみると、そこには黒髪の少年がいた。
「確かに特待生の方、ですね。それでは奥へどうぞ。閲覧は自由ですが、持ち出しは厳禁となっております」
「へいへい」
ジュリアンはどうでもよさそうな生返事をしながら、カウンターの奥にあるドアへと特待生の証である紋章をかざした。
すると、ドアが左右に開いて彼が中に入るやいなやその入り口を閉ざしてしまう。
僕はすかさず彼に続き、司書の女性へと話しかける。
「ねえ、僕も特待生なんだけど奥に入れてもらえる?」
「あら……特待生が続くだなんて珍しいですね。しかも、その青髪。もしや噂のテオドールさまでは?」
「よく知ってるね?」
「この学園内で貴方のことを知らない者はいませんよ。入学試験で素晴らしい成績を収めたとか。……失礼、私語は厳禁でした。中へどうぞ。特待生の証である紋章をかざせば奥の部屋へ入ることが出来ます」
「ありがとう」
竜族の少年の行動にならって、僕もドアを開けてみる。どうやら特待生の紋章に含まれている微量な魔力に反応しているようだ。
中に入ると、そこは学園の教室2つ分くらいの部屋だった。すぐに先客と目が合う。
「……ちっ、お前かよ」
「君が入っていくのが見えたからね。ここは何なんだい?」
「特待生だけが入れる書庫だよ。表と違って、扱い方を間違えるとやべえことになる魔導書なんかも置いてある」
「へえ、面白そうだね」
大した広さじゃないけど、部屋には所狭しと書棚が並べられているのでそのすべてに目を通すとなるとそれなりに時間がかかりそうだ。
ジュリアンは手近にある本を手にとってページをめくっている。
それだけで魔力が溢れてくるのが伝わってくる。本に魔力が宿るとなると、かなり特殊なものだ。しかも彼が手にした本はかなり珍しい部類に入る。
「それ、人皮装丁本だね」
「ん、よくわかったな。まあ、あんだけの実力があれば見たことくらいあるか」
彼が手にしていたのは、人の皮をなめして作られたものだ。
こういう本には魔力や怨念が宿りやすい。中身が悪意に満ち溢れていれば、文章を読んだだけで相手を発狂させることも出来る。
しかし流石にこの本にはそこまでの力はないようだった。
中身に目を通すジュリアンの顔は真剣そのものだ。勉強熱心なんだろう。
あまり声をかけない方がいいかもしれない。こういうタイプは何かに熱中している時に声をかけられるととても不機嫌になる。僕の身内にも似たようなのがいるからそのへんはよくわかっているつもりだ。
気を取り直して、僕は他の書棚を眺めて気になったものを片端から読んでいった。
魔導書は確かに質がいいものが揃っている、かもしれない。
魔神の僕からすれば常識のようなことでも、他の種族からすれば喉から手が出るほど欲しがりそうな情報も書かれてある。
室内にはしばらくジュリアンがページをめくる音だけが響いた。
表にあるものより質はいいけど、わざわざ読むまでもない本ばかりが続いて少しがっかりする。
もっと禁忌に触れるものとかないのかなぁ。いや、流石にいくら優れているとは言っても所詮は学生相手にそんなもの見せられないか。
軍人になって偉くなれば、そういったものに触れられる機会はあるかもしれないけど。
なんて思いながら、何気なく吸い込まれるようにして手に取った本を開くと、どうやらそれは伝承を綴ったものであるらしかった。
『森の賢者が姿を消した。それは災いの兆し。
傲慢な愚者はその身を紅く染め、高らかに笑う。
彼のものの愚行は神の怒りを買い、天蓋より狂乱の翼の群れ降りかからん。
白き流星となりし翼、破壊の限りを尽くし災厄をもたらさん』
森の賢者と言えば、エルフか。
しかし、傲慢な愚者とは何だろうか。
それに狂乱の翼の群れとは……。
『森の賢者は末期の雫なり。
それは愚かなる人の手に渡るべからず。
そも愚者と賢者は相容れぬものなりけり。
融和それすなわちゆめまぼろし。
しかして愚者は過ちを認めず。人と野生の決して交わることなき隔たりを埋めた末路から学ばず。
再び愚者がはびこりし時、滅びの鐘が鳴るであろう』
……愚かなる人。愚者。これは人間を指しているんだろう。
ということは、さっきの傲慢な愚者もまた人間を指しているのか。
そして人と野生が交わらない……これは恐らく、現在もなお続いている人間と獣人の対立を表すものではないだろうか。
詳しいことはわからないけど、著者が伝えようとしているのは人のあやまち。
人間と獣人は交わらなかった。故に、人間とエルフも交わるべきものではないと主張しているように見える。
そして人間が再び慢心した時、滅びが訪れると。
確かにこの本は刺激が強いな。表に置いておくと面倒なことになるかもしれない。
特にこの街は人とエルフが当たり前のように住んでいるし、獣人の姿もそこそこ見かける。
「おい、テオドール」
「うん? なんだい?」
「お前、それが読めるのか?」
「読めるよ」
顔を覗かせたジュリアンが訝しげに聞いてきた。
無理もないかもしれない。この本に書かれてある文章は『古代文字』だ。
ここ数日ほど帝国内で色々な文章を見て回ってわかったけど、昔とは使われている文字がかなり違っている。
僕としてはこの本に書いてある古代文字の方に馴染みがある。というか、古代文字という呼び方にかなり違和感があった。僕にとっては普通に読めるものだからだ。
本の装丁はぼろぼろで少しでも乱暴に扱えば、すぐに破れてしまいそうなほど劣化していた。かなり旧い本であることがわかる。
実際に読めるのも目を通した部分だけで、他は文字が潰れていたり紙が破けていたりしてとてもじゃないけど読めたものじゃない。
「……なんて書いてあるんだ?」
「君ほど才能に恵まれていても読めないものかい?」
「別に才能なんかねえよ。竜族にとっちゃ魔術なんて出来て当たり前だからな。それより教える気がないならそう言え」
「いや、そんなことないよ。君が謙遜するなんて少し意外だなって思っただけだから。……それじゃあ、始めるよ」
僕が読んだ文章をそのまま伝えていく。
彼は真面目にそれを聞いた後、頭を振った。
「意味がわからねえな。ただ気になることがある」
「『末期の雫』かな?」
「ああ。オレが今まで読んできた本の中でもそんな言葉は出てこなかった。森の賢者はエルフの比喩だってのはわかるが」
確かに僕もそれが気になった。
魔神として過ごしてきて、種族の特性や魔術など様々な分野について知っているつもりだったけどこんな単語は初めて聞く。
しかも著者は森の賢者は末期の雫であると断じている。
「気になることは他にもあるな。森の賢者が姿を消したってところ。これは文字通りの意味じゃねえか」
「うーん……姿を消したとなると、失踪かな」
「知ってるか? 帝国内でここ2、3年の間に結構な数のエルフが失踪してるらしい」
初耳だった。
どういうことなのかと訊ねると、ジュリアンは銀色の瞳を閉じた。
「さあな。原因なんざわかんねえ。けど、失踪した連中は何も生活に困ってたとか、駆け落ちしたとか、そういう具体的な理由はない奴が大半なんだと」
「理由も無しに突然消えるのかい?」
「ああ。オレはミルディアナに3ヵ月くらい前からいたけど、そこら中で噂になってるから嫌でも耳に入るぜ。知り合いが消えたとか、知り合いの知り合いが消えたとかな」
エルフの謎の失踪か。
しかも古代文字で書かれたこの本の内容と似通っていると言えなくもないだけに、結構興味をそそられる。
「……いや、話がズレた。それより続きだ。エルフが末期の雫だってのは間違いねえだろ。そしてそれが人間の手に渡ってはいけないんだな」
「そう書いてるね」
ジュリアンは本の装丁を眺めながら呟いた。
「この本は相当の年代物だな。100年や200年じゃきかねえ」
「僕は帝国の歴史にはあんまり詳しくないんだけど、今の文字が使われ始めてどれくらい経つかわかるかい?」
「オレが読んできた限りじゃ、帝国歴700年前後――まあ今から300年前くらいか? その頃の本にはもう今の文字が使われ始めてたな」
「ということは、この本は少なくともそれ以前のものの可能性が高いね」
「要するに300年以上前に書いてる通りのことが起きたんじゃねえかな。わかる部分だけかいつまんでいけば、『エルフが失踪した。恐らくは人の手によって。それが何かしらの災いのもととなった。もう二度とあんな過ちを犯してはいけない』ってところか」
「……大雑把に言えば、300年以上前に帝国が滅んでしまいかねない大災厄が起きたと考える方がいいかもしれない。歴史書に何か書いてないかな」
僕たち魔族が帝国と戦争をしたのは500年前が最後だ。
それまでは帝国の情勢を知るのに躍起になっていたけど、そんな災厄が起きたというような情報は持っていない。
だとするなら、500年前よりもっと後の時代か……?
もちろん、この本に書かれていることが真実とは限らないし、仮に真実であっても大袈裟に書いてあるだけかもしれないけど。
「ジュリアン、この書庫の中を全部さらってしまわないかい?」
「マジで言ってんのかよ……」
「ちょっと気になるしね。それに探すのは歴史書の類だけでいい。古代文字で書かれてあるようなものがあれば僕に伝えて、それ以外は全部放置でいいからさ」
「めんどくせえ。やるなら1人でやれよ……って言いてえところだけど」
彼は溜息を吐いて言った。
「学園の低レベルな授業には初日からうんざりさせられてたんだ。暇潰しに探すのも悪くはねえな」
「閉館までまだ時間はある。なるべく今日中にやってしまおう」
「よし、じゃあさっさと始めんぞ。お前はこの棚から探っていけ。俺は奥の方から順に見ていく」
「了解」
こうして僕は竜族の少年と共に書棚を漁ることになった。
「結局、集まったのはこの5冊だけだな」
「……うん、どれも書いてあることは似たり寄ったりだね。わざわざ特待生限定の書庫に入れないでも良さそうに感じるよ」
「この5冊は多分、著者の思想の部分で検閲が入ってる。オレが今読んだものにはエルフに対しての差別用語が満載だったぜ。エルフに親でも殺されたんじゃねえのかってくらいにな」
「ああ、そっちもそんな感じなんだ。僕が今読んでるのには、獣人に批判的な文言が多く並べられてるよ。おまけに竜もエルフもドワーフも魔族も揃って外敵扱いになってる。肝心な歴史に関しての考察はまあ普通だね」
「こんなもん書庫に入れないで燃やしちまえよ。読ませられるこっちの身にもなれっての」
ジュリアンはそう言って本をぽいっと投げ捨てた。
まあ、そうしたくなる気持ちもわからないでもない。
数時間かけてすべての本を探し出したけど、結局本格的な歴史書はこの5冊だけだった。古代文字で書かれているものについては僕が最初に見つけたあの本だけだったしね。
「ったく。特待生しか入れない書庫っていうから期待したのにがっかりだ。面白そうなのはその古代文字のやつだけじゃねえか」
「でも、おかしいと思わないかい。この本に記載されてるような何らかの災厄、あるいは歴史的事象はこの5冊の本のいずれにも一切載っていない」
ここまで調べておいて、わかったことは1つ。それは古代文字の本に書かれているようなことは帝国内では一切起きていないということだけ。
小さな事件か何かならそれも仕方ないことだけど、古代文字の本の内容から察するに激甚災害級の何かが起きた可能性が高いように思えてならないのに。
規模が大きい土砂災害や暴風なんかの自然災害のことはいくつか載ってるけど。
「ここまで来ると、その古代文字の本も偽書か何かなんじゃねえかとも思うけどな。この5冊は著者の思想こそ馬鹿馬鹿しいが、肝心の歴史部分については間違ったことを書いてねえ」
「確かに。年表のズレや解釈の違いこそあるけど、どれも同じような内容だね。ただ、僕はこうも感じるけどね」
改めて古代文字で書かれた本を壊してしまわないように手に取って言った。
「この書庫には、見られてもいいようなものしかないって」
「逆に言えば、特待生相手にも見せられないような物があるってわけか」
「そういうものが収められていそうな場所に心当たりはないかい?」
「……木を隠すなら森の中って言うだろ。このミルディアナのど真ん中にある『ミルディアナ領大図書館』がくさそうだな」
「その図書館に行ったことは?」
「もちろんここに来てから真っ先に向かって一月は通ったぜ。まあ、そこそこ面白いもんはあったけどそれ止まりだな。少なくとも、表向きは」
「ここみたいに特定の誰かしか入れない場所があるの?」
「詳しくは知らねえが、あそこは軍人も頻繁に出入りする場所だ。魔導書目的の奴が大半だろうが、1回だけランベール中将が中に入っていくのを見たことがある」
リューディオ学長が、か。
「それは少しおかしいような気もするね」
「お前もそう思うか? オレも初めて見かけた時からずっとそう思ってたんだよ。だってあのエルフ野郎には」
「図書館如きに収まってるような本をわざわざ見に来る必要性がない、ってことかな?」
「ああ。しかも、あいつは丸1日図書館に籠もってた。何かあっても不思議じゃねえな」
リューディオ学長はこの軍学校の学長にして、ミルディアナ軍の総司令官でもある将校だ。
そんな多忙の彼がただ図書館に寄っただけで丸1日もかけられるわけがない。その中によっぽど重要な何かがない限りは。
そこで僕はさっきジュリアンが言っていたことを思い出す。
「そういえば、ジュリアン。さっきエルフの失踪が続いてるって言ってたよね」
「ああ。つっても、今に始まったわけじゃねえけどな」
「……少し、気になるかな。調べてみるか」
「あ? 調べるってどうやってだよ」
いけない。口が滑った。
「え? あ、ああ、まあちょっと本人に直接聞いてみてもいいかもしれないかなって」
「それなら入学式の日にもうオレが聞いてる。エルフの失踪については把握してるが全貌はわかんねえってよ」
「話が早いね。リズならどうかな」
「中将でもわからねえのに、あのちゃらそうな女が何か知ってるとでも思うか?」
あの子は多分ちゃらいだけじゃないと思うなぁ。相当に得体の知れない相手だよ。
僕の陰湿でねちねちとした誘い文句に乗ってくるばかりか、逆に誘惑までしてきたからね。おまけに僕のことには別の意味でも興味津々なようだし。
正直、苦手意識がある。でも見た目は抜群に可愛いから困りものだ。
「……にしても、『狂乱の翼。白き流星』……か」
「どうしたんだい?」
「いや、大したことじゃねえ。ただちょっと気になっただけだ」
何かを閃いたというよりも、心の中で自問自答をしているように見えた。
でもジュリアンはすぐに「まあ、ねえか」と呟いて頭を振った。
「んじゃまぁ、俺はそろそろ帰らせてもらうぜ。ここにはもう何にもなさそうだしな」
「うん、ありがとう。ジュリアン。無理に付き合わせちゃったね」
「別にお前のためじゃねえよ。ま、単なる暇潰しにしちゃ面白かったぜ。じゃあな」
「ああ、ちょっと待って」
帰ろうとしたジュリアンに声をかける。
「竜族と言えば、ゼナン竜王国だよね」
「まあな。それが?」
「あの国とは数年前に戦争してたばっかりだったって聞いたけど、君はよくこの国に入れたね」
「……お前、変わってる奴だと思ったけど、マジで変なんじゃねえの?」
「えっ、な、何が?」
「帝国とゼナンの戦争がどれだけ大規模だったと思ってるんだよ。今でも北方領は戦後復興で大忙しだし、北方での出来事にもかかわらずこのミルディアナからも軍隊が派遣された。ってなくらいなのに、何でそんなに他人事みてえな面してんだ?」
知らなかったんだよ、うん。その頃は多分ルミエルとずっと一緒に過ごしてたあたりだと思うんだけど。
まずいまずい。このままだと僕が帝国の人間だっていう嘘がバレそうだ。
「あ~……その、凄い山奥の方で育ったから、最近の世情には疎くて」
「へえ。山奥育ちの平民が、最近の奴らが興味もないような勇者の話にずいぶん熱中してんだな」
「う、うん。僕のおじいちゃんがそういうのに詳しくてさ。聞いてるうちに、ね。うん」
「そして古代文字も読めるわけか」
「そ、それはおばあちゃんの方から……」
「あっそ。まあ、どうでもいいけど」
良かった。深く詮索するような相手じゃなくて。リズが相手だったらどこでこっちの急所を突かれるかわかったようなものじゃないし。
むしろ彼女が相手なら、次は急所どころか致命傷になりかねない。
「ちなみにオレは竜族でも帝国育ちだからな。元から帝国民みたいなもんだから特にお咎めはねえのさ」
ジュリアンはそう言って、こっちには視線を向けずにひらひらと手を振っただけでさっさと部屋から出ていった。
とりあえず、僕も一度寮に戻ろう。