第15話「メイド妻の癒しと、初めての授業」
「おうち帰る……」
「る、ルシファーさま……お気を確かに」
レナのふくよかな胸に顔を埋めて、私はかつて例がないほどに落ち込んでいた。
「ルミエルが私を待っている……あいつに、何か土産の1つでも買って行ってやらねばな……何なら喜んでくれるかなぁ、色々考えたけど何も思い浮かばないや、はは。レナ、お前はどう思う?」
「ルシファーさま、言葉遣いがあやふやになっております。どうか落胆なさらぬよう……」
よしよしと頭を撫でてくれるレナに身を任せる。そのまま膝枕をしてもらった。
「……この国には、強い者や将来有望な者がたくさんいるが……もはや魔族を脅威と感じる者はいないのだな」
「500年間、大きな争いはございませんでした。ルシファーさまや他の魔神の方々にはつい最近のことのように思えるかもしれませんが、人間が脅威を忘れる時間としては十分だったのではないかと思います」
レナは私をあやしながら続けた。
「外交について私が口を挟むのは無粋だと思い、今まで申し上げなかったのですが、ルシファーさまは何故帝国を野放しにしておられたのですか? 貴方さまともあろうお方なら、本気で落としにかかればこのような国などすぐに掌握してしまえるでしょう?」
「諸外国との諍いを避けるためだ。我が国の北方の聖王国を始めとして、我ら魔族を快く思わない者たちの数が多いからな。その時に帝国を落とさんとすれば、加勢する国々が出てもおかしくはない」
「失礼なこととは存じますが、あえて発言することをお許しください。テネブラエの総力を以てすれば、諸外国も含め敵ではないと思われます」
私はしばらく考え込んだ。
レナの言うことはもっともだ。実際に魔族の中でもそういう意見が出ることはよくある。
というか、不定期に開くテネブラエを支える私を含む王族と呼ばれる魔神たちによる会議を行なえば、大半の時間はこのような事柄についての話し合いになるのだ。
「これは王族の中でも意見が分かれるところなのだがな。私は何も侵略がしたいわけではない。ましてや帝国のみならず、他国すべてを敵に回すつもりなどないのだ。そんなことをすればいくら我らが強力であっても、少なからぬ犠牲が出る」
私は「それに」と続ける。
「大陸の半分は既に我らのものだ。テネブラエより西方の諸国は先代のルシファーが既に掌握していたのは知っているな?」
「はい、存じております。もう1500年以上前のお話ですね」
「うむ……。今まで聞かれなかったから言わなかったが、いい機会だから話しておこう。私が先代を滅殺した理由をな」
私は当時の光景を思い浮かべた。血と肉の狂乱と、魔神たちの異常なほどの好戦的嗜好を。
強者も弱者も関係なく、ただ蹂躙し、略奪を繰り返し、脅威となる者たちはすべて極めて残虐なる方法で見せしめの意味合いも込めて殺害した。
1日でも血を見ない日があれば満足出来ず、自らが率いる部隊の中で役に立たない者を引き摺り出しては無意味に殺してしまう者もいた。その最たる例が、先代のルシファーだった。
「アレはこの大陸全土を支配しようとしていた。そして当時の私たちにはそれが出来る力もあった。だから、私は先代を殺したのだ」
「それは何故ですか? 魔族の繁栄は喜ばしいことなのでは?」
「アレが目指したのは大陸の支配だったが、それはやがては我ら魔族の滅びの端緒となる」
レナが少し戸惑っているような印象を受けた。
「力ある者はそれに呑まれる。本能の赴くままに他を害し、ただ蹂躙したその先には――行き場を失った力の暴走が待っている。狩り場を失ってもなお衰えないその殺戮の爪牙はやがて必ずや同胞へと向かうのだ」
「……!」
「先代はそれを理解していなかった。だから殺して私が王となったのだ。魔族が滅びの道を歩まぬように、な」
もし、私があのまま先代のやり方に異を唱えず、ただひたすらに殺戮を続けていったならば……今日のテネブラエ魔族国は存在しなかったと断言できる。
それほどに、当時の魔族はほぼすべての者が血と肉に飢え、何をしても収まることのない破壊衝動を手当たり次第にぶつけ、ただ他者を蹂躙することしか考えられなかったのだ。
あの時の魔族は、狂っていた。それは魔族の特性をも越えた狂乱の坩堝に他ならなかった。
「覇者がやがては滅亡に至る、と仰るのですね」
「そうだ。我ら魔神は時として強過ぎる力を制御出来なくなる。当時の王族だった七柱は全員がその状態だった……故に、私がやらねばならなかった。ただの低級魔神の身でありながら、先代の力をも上回っていた私が」
同胞を殺した時のことは今でもたまに思い出す。
当然、敵は先代だけではなかった。他の王族たちも、魔神たちも、その配下たちも……数え切れぬほど切り裂き、燃やし尽くし、ひたすらに殺戮した。
いくら自分も破壊衝動に満ちていたとは言え、常軌を逸した数の同胞をこの手にかけたのだ。
生き残ったのは半死半生の王族たちとわずかな配下たちだけ。
やらねばならないことだったが、それでも――。
思い出すだけで吐き気を堪えられなくなりそうだ。とても気分が悪い。
「……真面目な話をし過ぎたな。私は疲れた」
「はっ、も、申し訳ございません! 私のような者が出過ぎた真似を……!」
「構わん。それよりももっと私を癒せ。甘やかせ。よしよししろ」
「は、はい」
レナと共にベッドに寝転がり、彼女に身を任せる形で甘えた。
……このまま帝国にいて、果たして益があるのかどうかわからなくなってしまった。どうすればいいのだろうか。
まあ、いいか。明日のことは明日考えよう。今はもう何も考えたくなかった。
翌日。
午前中の魔術講義の授業を受けていた僕は、窓際の席でぼーっとしながら時間が経つのを待っていた。
教師が教えているのは魔術の基礎中の基礎だ。人間の子供でもわかるようなものであって、聞くに値しない。
業炎術が炎、深水術が水、雷轟術が雷、土隆術が土、風迅術が風。ここまでが五大元素魔術の元になる。
そして少し特殊なものに神聖術が聖なる術、そして晦冥術が使いどころを間違うと危険な闇を操る術と続いて、全部で7系統が基本的な魔術を構成する術式だ。無論例外もあるが。
……というわけで、そんなものを今更得意げに語られても困る。この学園に入学した者の中で、このくらいの知識すらないのは魔術とまったく縁がない獣人でも有り得ない。
「……ドール! テオドール! おい、聞いているのか!」
「ん、なに?」
壮年の男性教師が僕を呼んでいた。
「なに、ではない! この魔術の魔法陣に関して何か言いたいことはあるか!?」
黒板を見れば、白墨で第2位階の魔法陣が描かれていた。系統は雷轟術。雷を扱う魔術だ。
しかし魔法陣の中に刻まれている文字の綴りが業炎術という炎を扱う術式のものになっている。これではこの魔術は成立しない。
だから僕は言った。
「その魔法陣を描いた人は馬鹿なんじゃない?」
「なにをっ……!? き、貴様ぁ……!」
ああ、そうか。この教師が描いたものだった。思わず本音が出てしまった。
「その魔法陣じゃ術式は成立しないよ」
「ほう……では、その理由は」
「雷轟術式にもかかわらず、魔法陣に刻まれている文字は業炎術式によるものだから」
「……ふふっ」
教師は不敵な笑みを浮かべた。
そこで察する。そうか、この人は僕に恥をかかせるためにあえてこんな簡単な問題を出したのか。
普通の答えで終われば、凡庸な学生だと声高らかに宣言した後にご自慢の回答を嬉々として発表するつもりだったんだろう。
「特待生枠とは言っても所詮は子供だな! いいか、この術式は」
「複合術式だって言いたいんでしょ?」
「なぁっ!?」
僕は席を立って教師の隣まで歩いていった。教室中がざわざわという喧騒に満たされる。
「先生が描いた現段階の魔法陣じゃ術式は成立しない。このままだと『炎よ、周囲を燃やし尽くせ』と書かれていても魔法陣が雷轟術のものだから意味をなさなくなるんだ。でも、この文章の頭にこう付け加える」
僕は黒板に描かれた魔法陣に刻まれた文字の頭に『雷によりて顕現せし』と書いた。
「『雷によりて顕現せし炎よ、周囲を燃やし尽くせ』と書くことによって、まず雷轟術式が発動する。そして更に雷轟術式の魔力を引き継いだまま、業炎術式が発動して文章にあるように周囲のものをすべて燃やし尽くせるようになるんだ。……もっとも、第2位階程度の威力じゃそこまで強力な炎は出せないけどね。どうかな、先生」
「うぐっ……ぐぬぬ……!」
「僕が実際に魔法陣を描いてみようか。ほら」
僕が指をぱちりと鳴らすと、生徒たちの目前に僕が言った通りの魔法陣が浮かび上がった。全生徒が驚愕する。
「詠唱もなしかよ!?」
「ふ、複合術式をそんなにあっさりと……」
魔術から縁遠い者たちは特に驚きが強いようだった。
「ああ、大丈夫だよ。発動させたりしないから。ほら、こうやって魔法陣が浮かび上がったということは、最初こそ間違いであるように見えた術式でも中身の文章を付け加えたり、書き換えたりすることによって、こんな風に雷と炎の両者の特性を併せ持った複合術式が発動できることを意味するんだ」
生徒たちの何人かが感嘆したような声を出した。
まあ、魔術に詳しくなければ複合術式のことにまでは頭が回らないだろう。
入学試験で魔術を選択しなかった生徒にとっては興味深いことなのかもしれない。
「複合術式はもっと重ねることも出来る。二重、三重に留まらず、神聖術と晦冥術も加えた7大要素をすべて備えた魔術を発動することも可能だよ」
「そ、そんなことは不可能だ!」
教師が反論してくる。
「複合術式にも限度がある。どんなに鍛錬しても、三重……極めて優れている者でも四つ重ね合わせることが限界だぞ! それ以上は頭の演算能力が追いつかんし、そもそも魔力が足りるわけがない!」
「うん、君……じゃなくて、先生には無理かもしれないけど、実際には出来る。ただし重ねた分だけ位階も上がっていくし、消費する魔力の量も桁違いだ。だけど」
「私だけではなく、ここにいる者すべてにそんな芸当は不可能だと言っておるのだ!!」
む。一理あるかもしれないな、それは。僕なら出来るけど、現在ここにいる生徒で魔術に秀でていると感じられるような者はいない。
さっきの問題のような単純な複合術式なら、鍛え上げれば出来るようになるかもしれないけどそれ以上は酷か。
せめてここにリズかジュリアンがいれば良かったんだけどね。あの2人なら、将来的には出来る可能性がある。
魔術は才能がすべての世界だ。どれだけ知識量があっても、魔力がなければどうにもならないし。
その魔力に秀でていても、人間は種族としての限界がある。たとえ魔力があったとしても、魔術の行使に身体が保たなかったりね。
いくら鍛えても絶対に出来ないことを教えるのは無意味かもしれない。これはまあこの先生が正しいかな。
「ごめん、出過ぎた真似をしたよ。じゃあもう戻っていいかい?」
「……早く席につけ」
僕は自分の席に座って、またぼーっとして過ごした。
退屈だな、と僕は心の中で呟いた。
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