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幕間「すりかえ」

 テネブラエの宮殿にて。

 私は、帝国から帰還したレヴィからあの地で何があったかについて知らされた。

 そして、彼女が大英雄に提案した『贖罪』についても。


「――というわけじゃ。異論はあるまいな?」

「構わん。好きにしろ」


 今は帝国の様子にかまけている場合ではない。

 近く、執り行われる王族会議の議題に集中しなければならないからだ。

 これまで不定期に行われた王族会議はもはやあってないようなものに過ぎなかったが、今回は違う。


 ベルフェ、マモン、ベルゼブブの好戦派が集うだけであればまだしも、此度はサタンの存在が絡む。

 あの3柱の王族は、己の力と力ある者にしか興味を示さない。かつては自分をも上回っていたサタンも、今ではか弱き魔族ほどの力しかないとなれば眼中にすらなくなるだろう。

 ――本来の魔族とはそういうものだ。仲間意識などは、力があって初めて生まれるものに過ぎない。


 今回の予期せぬサタンの帰還について、何か思うところがある者はいないはずだ。弱者が帰還したところで用はないのだから。

 だが、問題はそこではない。

 あの力あるサタンがどのような経緯を経て、次元の裂け目から現れ出でたのか。焦点はそこに絞られる。


 好戦派は戦が出来ればそれでいいと考えている。

 しかも、今回は帝国か魔術大国、あるいはその両方がサタンの失踪について何かしらの関与をしている可能性が高い以上、奴らは必ずそこを突いてくる。


 私が先代のルシファーを滅殺してからというもの、戦に興じることは少なくなっていき、ここ数百年間はまったくと言っていいほど戦場に赴くことはなかった。

 これまで私の存在だけで好戦派を抑えてつけていたが、奴らの破壊衝動も限界に近いかもしれない。

 会議とは名ばかりの衝突が予想される。


 王族の破壊衝動を抑えてやるのもまた私の役目とはいえ、今回の会議の主旨はそんなものではない。

 同胞同士で争っている場合ではないのだが――。


「ルシファーよ。大丈夫か?」

「……うん? ああ」


 気が付けば、レヴィの赤い瞳が私を見据えていた。

 相変わらず生気がなく、何かを憂えているようなその瞳がすっと細められた。


「“此度の件”に関しては、わらわからルミエルに伝えておく。ぬしはしばしの間、部屋に籠もっておれ」

「……すまないな、レヴィ。今はあいつの駄々に付き合ってやれる時間がない」


「うむ。王族会議が終わった後はぬしを好きにしてもいいから、今は我慢しろと伝えておくかのう」

「ああ、それでいい。頼んだぞ」


 レヴィが王の間から去った後、私はぱちりと指を鳴らした。

 その瞬間、今まで誰もいなかった背後から声がした。


「お呼びでしょうか、ご主人さま」

「カーラ、話がある。部屋についてこい」

「かしこまりました」


 私は振り向きもしないまま、王の間を離れて自室へと向かう。

 カーラもまたそれに続き、長い廊下を歩いていた時、1人の女と対面した。


「あら~、ご主人さまとカーラさま? これから夜伽ですか~?」

「違……いや……まあ、似たようなものか」

「まあ、そうなのですか~。お部屋のお掃除はばっちり済ませておきましたから~。ごゆっくりどうぞ~」


 茶色の髪を伸ばしたメイドの少女の姿をした者が言った。

 淫魔なだけあって、見事な身体をしている。こういう時でもなければ、しばし遊んでも良かったのだが。


「うふふ、今度は久しぶりに私のことも愛でてくださいね~?」


 一瞬の視線をやっただけで私の考えていることが筒抜けになったようだ。

 元はアスモの眷属だが、色々あって私の宮殿でメイドをしている女は間延びした口調でそう言うと、一礼してから去っていった。


 やがて、自室に辿り着くとカーラが特殊な金属で加工された扉を開いて私を中へと招いた。

 部屋には天蓋付きの巨大なベッドを始めとして、簡易な書棚やテーブルがあり、天井にはシャンデリア、床には絨毯が敷かれている。


 人間の貴族や王族が住まう部屋を模倣したものであり、私がたまに惰眠を貪る時や夫人を始めとした女と過ごす時にはこの部屋をよく使う。

 今では客の訪れない王の間の端にもソファやテーブルを配置して、気分次第ではそちらを使う時もあるが。――思えば、私が帝国に赴いたきっかけは向こうでルミエルと過ごしていた時だったな、などと考えながら言った。


「カーラ。お前にしか頼めないことがある。やってくれるな」

「かしこまりました。どのようなことでしょうか」


 従順なメイド少女を尻目に、私はベッドに腰かけて衣服の襟元を緩めた。

 彼女の涼しげな瞳が少しだけ驚いたように見開かれた時、私はおもむろに爪で自らの左首筋を掻き切った。

 血液が噴水のように噴き出した時にはもう、カーラが私の首筋に齧りつき、一心不乱に吸血し始める。


 ――一体、どのくらいの時間を置いただろうか。

 カーラが私の首筋から犬歯を抜き、そこから滲み出た血液を何度も舐めながら名残惜しそうに顔を離した。

 陶然としたような表情で、頬を紅潮させているカーラはじぃっと私の首筋を凝視していた。

 そんな真祖の吸血鬼ヴァンパイアでもあるメイドは、やっとのことで自分の顔中が血に塗れていることに気が付いてはっとした様子で言った。


「も、申し訳ございません。私としたことが、理性を失ってしまい――」

「構わん。お前に血を飲ませるのも久しぶりだしな。長い間、苦労をかけた」

「とんでもございません。ただ、ただ、私はご主人さまの血を見ると、どうしてもタガが外れたようになってしまうのです。申し開きのしようもありません……」


「いいと言っている。なんならもっと吸え。お前の気が済むまでな」

「それではご主人様が干からびてしまいます」

「血など、どうせ湯水のように湧いてくる。気にせずに飲め」


 私はカーラの頭を自らの首筋に引き寄せた。

 彼女は少し躊躇ったが、またしても犬歯を突き立てた。


「満足するまで飲め。そして、私の『記憶』を余さずその脳内に刻みつけろ」


 カーラに血を吸わせている時には、言葉は必要ない。

 いくら意思が通じ合う仲でも、言葉を介さねば自らの想いは相手に伝わらない。人間はよくそう言うのだが、我ら魔族の場合はまた違う。

 言葉を以てしても知り得ないものを、人間には与り知れぬ力で直接感じ取ることが出来る者も多い。中でも吸血鬼はその力に長けていた。


 吸血を行うことで、相手の記憶や知識、思考から心の機微に至るまでを感じ取るのだという。

 いくら魔族の頂点に立つ私でも、そのような能力はない。せいぜい相手に強制的に魔力を流し込んで、無理やり記憶を引き摺り出してしまうといった強引な手法を用いれば似たようなことが出来るという程度か。


「……ご主人さま、すべて把握致しました。これは危急の件ですね」

「ああ。すべてはルミエルに任せることになるが、あいつだけでやらせるわけにはいかん。お前ならあのじゃじゃ馬を慣らすことくらいは出来るだろう?」

「はい。造作もなきことです」


 吸血して満足したはずのカーラは私に抱きついたままだった。


「どうした。まだ何か足りないものでもあるか?」

「……いえ。ただ、ご主人さまに抱きついている感覚を堪能しているだけです。いつもこの気分を一人占めしている堕天使には殺意が湧いてきます」

「もはやお前たちの仲についてとやかく言うつもりはないが、くれぐれも向こうでルミエルと仲違いするのだけはやめてくれ。お前たちが平気でも周囲が壊滅する」


「私はいつも冷静です。突っかかってくるのはいつもあの鳥人間です」

「レヴィからも言い含められているだろうから大丈夫だ。むしろ私が説得しなければならんのはお前の方だ」

「……承知しています。私が、ご主人さまの命に逆らったことがありましたか」


 ルミエルと殺り合うのをやめろとは何度か言った気もするが、別に命令したわけではない。

 そのような些細な小言を除けば、この従順なメイドが私の命に背いたことは一度もない。

 カーラとは古くからの付き合いだ。ルミエルがこの地にやってくる前どころか、先代のルシファーが魔族を支配していた頃からの。


「懐かしゅうございます。ご主人さま」


 考えを読み取られていたようだ。

 古き記憶の中でも、カーラは今と変わらない。


 あの頃と変わったことと言えば、お互いの立場が逆転したというところだけか。

 当時は私もカーラも先代のルシファーに仕えていた。そして眷属の序列の中では、私の方が格下だった。

 カーラを始めとした真祖の吸血鬼の力は上位の魔神に匹敵する。当時はそれほどの力を持った者が数多くいたのだが、今現在、真祖の吸血鬼はカーラしかいない。


 それというのも、先代のルシファーの主だった眷属が上位の魔神と真祖の吸血鬼だったからだ。

 先代を滅殺するにあたり、アレの眷属の大半も始末することになった。

 抵抗しない者はほとんどいなかったが、この小柄な少女は私を支えてくれた。


 先代の強い破壊衝動と、それに追従する者たち。

 アレらはこの大陸を制圧するだけの力があった。そして大陸すべてが魔族に支配された時に何が起こるか。カーラはそこまで考えが及んでいた稀有な存在でもあったのだ。


「お前には感謝している」

「今こそ私はご主人さまの従者ですが、当時は違いました。暴走した魔族の行く末に不安を感じていたから、貴方さまに協力した。ただそれだけです。感謝されるようなことではありません」


「そうか。当時は先代のルシファーの眷属として中途半端なくらいの私に、何かと目をかけてくれていた気がするのだがな」

「……それはきっと、気まぐれで飲んだ貴方さまの血の味に強い衝撃と興奮を覚えたからです。吸血鬼などそのような生き物に過ぎません」


 そういえば、そんなこともあった。

 今とは逆に、強引に身体を引き寄せられて血を吸われたのだったな。それからは気が付けば何かと共に過ごす時間が多くなり――。

 ……いや、いかん。つい懐かしさのあまり感慨に耽ってしまった。


「カーラ、しばらくルミエルを頼んだぞ」

「はい。ですがご主人さま、どうか私が不在の間にご無理をなさらぬよう」


「心配などいらん。私がどうやって先代のルシファーを滅殺し、歯向かう数多の魔族を倒したと思っている?」

「……ご主人さまの力を侮っているわけではありませんし、その点においては心配すらしていません。ただ、貴方さまは他の魔族とは違うのです。力はもとより、その心が……」

「どういう意味だ?」


 カーラはすっと離れて、じっと私のことを見据えてきた。


「些事です。お気になさらず。……それに今の貴方さまには、大事な夫人方が控えております。私がこの場にいない間は、あのお方たちに甘えてください」

「ふっ、私はいつもあいつらに甘えているさ。これ以上甘えては子供と変わらんな」

「それで良いのです。どんなに孤高を貫くお方であっても、心の拠り所は必要なのですから。――申し訳ございません。出過ぎた口を利いてしまいました」


 そう告げると、カーラの全身が光に包まれた。

 そして――その姿が、変わっていく。


「さてと。どうだい、これでいいかな?」


 私が帝国に滞在している間の姿と口調で、彼女――いや、“青髪”の彼は言った。

 見事な変身だ。帝国にいる間に姿見で確認した自分の容姿とまったく見分けがつかん。

 記憶も、言葉遣いも、感情も。カーラは私のそれらをすべて己がものとした。これなら安心して向こうでの生活を任せられるだろう。


「完璧だ。しばしの間、頼んだぞ、我が影よ」

「了解。それじゃあ、行ってくるね」


 カーラは完全にテオドールの姿に化けた後、瞬時にその場から消え去った。

 ルミエルはレヴィからの頼まれ事を完遂すればすぐに戻ってくるだろう。

 その後、ほどなくして王族会議が始まる。ルミエルやジゼルは王族同士が衝突する会議にも慣れているが、レナは初めてだったか。


 ……シャルロットに姿を見破られ、大英雄との勝負では私が止めねば敗北を喫していた上に、奴の背後にいる何者かの気配に気が付くことが出来なかった。

 生真面目なレナには相当堪えただろう。


 それに加えて苛烈なる王族会議の光景を間近で見るとなると、激しく動揺する可能性がある。場合によっては心を支えていた自尊心がぽきりと折れてしまうやもしれん。

 このあたりの事情は、心の機微に聡いジゼルにあらかじめ伝えておかねばならないか。あいつならレナがいかような反応をしても宥められるだろう。

 

 やれやれ、他にも考えねばならんことは山ほどあるな。

 私は自室からバルコニーに出た後、手すりに肘をついて魔族国に吹く風が頬を撫でるのを感じながら物想いに耽った。

幕間にしては長過ぎますが、話があまり進まないのであえてこの形に。

2章では幕間が後もう1話ある予定です。

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