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第51話「魔王」

 薄暗い森林を、純白の翼を生やした堕天使と銀髪のメイドが歩む。

 そこかしこから低級の魔族――ゴブリンやオークの気配を感じる。

 普段は訪れない者の思わぬ来訪を悟って、遠目から様子を窺ってきているが、近寄ってくることはない。


 無理もなかった。

 ルミエルの全身からは神気が発せられている。

 人間が呼吸をするように、天使が神気を発するのもごくごく自然のことなのだが、それは魔族にとっては猛毒に等しい。


 特に力の弱い低級の魔族であれば、その神気に触れただけで蒸発するように消え去ってしまう。

 ゴブリンやオークはもとより、オーガなどの力ある種ですら彼女の神々しい気配を恐れて決して近づこうとはしない。


 ルミエルもレナもルシファーの夫人とはいえ、元は魔族と敵対する天使と人間だ。

 当然、魔族の中には彼女たちに良からぬ想いを抱いている者も多いが、抵抗した者がどんな末路を辿ったかを記憶している者たちもまた多く、彼らは決して夫人たちに手出ししてはならないと自らの子孫に伝えているほどだった。


 この鬱蒼とした大森林には、そのような魔族たちが数多く棲んでいる。

 だが、奥に進むに連れて、ゴブリンやオークが更なる力と知性を身につけた存在たちの数が多くなっていく。

 彼らは多少の神気を浴びただけでは死に至らないため、夫人たちが近付いてきても逃げ出す様子はなかった。


『これはこれは夫人さま方。我らが主、ベルフェゴールさまに何用ですかな』


 そう言ってきたのは、オークの中でも最も力の長けた種族の者だった。

 森林の最奥へと繋がる門扉を護る彼は、単体でも一騎当千の力を持つ。

 人間と同等の知能を持つオークロードの言葉に答えたのは、純白の翼を持つ堕天使。


「王族会議の招集よ」

『ベルフェゴールさまはただの世間話には興味がないと仰っています。どうかお引き取りを』

「これは『命令』です。そこをどきなさい」


 オークロードの言葉にそう告げたのはレナだった。

 彼女が発した言葉にぴくりと身じろぎした力あるオークは逡巡した後、その巨躯を動かして巨大な門扉の前から退いた。


『戦が始まるのですか』

「今回はそんな話じゃないでしょ。まあ、何をどうするかを決めるのはわたしたちじゃなくて、だ~りんと他の魔王たちよ」


 すげなく答えるルミエルは、レナと共にさっさと門扉を潜った。

 そこから更に進むと、やがて大森林の中にある開けた場所へと辿り着いた。

 中央には巨大なひし形の岩が置かれており、その上には座って瞼を閉じている大柄な男がいた。


 灰色の長いざんばら髪をした男は、片膝を立ててそこに腕を乗せている。

 無精ひげを生やし、筋肉質な褐色の肉体に薄汚れた布を纏わせているその様は野性味に溢れていた。

 微動だにしない彼の頭には、小鳥が乗っていた。ちゅんちゅんと鳴き声を上げている。


 その身体からは何の威圧感も放たれていないが、レナは緊張した面持ちで身構えている。

 一方、動じた様子もないルミエルが腕を組みながら、眠りこけているように見える男に話しかけようとした時。


「……戦か」

「なによ。起きてるんだったら、出迎えなさいよ。だ~りんの第一夫人たるわたしに対して不敬なんじゃない? そもそも、部下の豚もあんたも戦のことにしか興味がない脳筋なところはほんとに何も変わらないわね」


 レナはそんな天使を半眼で見つめながら「どっちが不敬なんだか」と呟いた。

 ルミエルが「あ?」とメイドを見た時、男は言った。


「……戦じゃねえなら帰れ。俺は眠い」

「だ~りん直々の招集なんだけど? わざわざわたしが出向いてあげたのに」


 答えようとしない男を見て、ルミエルが額に青筋を浮かべた時、レナが厳かに告げた。


「『ベルフェゴール』さま。此度の招集はルシファーさまの『命令』です」

「……はっ、サタンが帰ってきたから話し合いってか」


 ベルフェゴールと呼ばれた男がその瞼を開いた時、彼の頭の上に乗っていた鳥が羽ばたいていった。

 7柱がうちの1柱の魔王は、空を仰ぎながら言う。


「……そのサタンの魔力も感じられねえが」

「だ~りんがぶっ飛ばした後に封印術式をかけちゃったもん。今は宮殿の地下でぐーぐー寝てる」

「……つまらねえ。破壊衝動に満たされてんなら、俺が相手になってやったってのによ」


「サタンさまの様子は明らかに異常でした。ベルフェゴールさまのお相手が務まるとは思えません」

「……それじゃあ興味はねえと言いてえところだが、旦那の命令だっつうなら仕方ねえな」


 ベルフェゴールは赤い瞳を眠たげに細めながら呟く。


「正式な日程が決まったら教えろ。俺はそれまで寝てる」

「はいはい。あんたらしいわね」


 ルミエルはさっさと踵を返し、レナもそれに続いた。

 怠惰な魔王の領域から抜け出た後、メイドの少女はほうと息を吐く。


「なに? 緊張でもしてたわけ?」

「……当然です。ベルフェゴールさまのご機嫌を損ねるようなことがあれば、私では到底手に負えません」


「あの怠け者がキレることに体力を使うわけないでしょ。まあ、王族会議が始まったらどうなるかわからないけど」

「……私は王族会議についてはほとんど知りません。ベルフェゴールさまやマモンさまはいつも欠席。ベルゼブブさまは気が向いた時に赴くだけで、いつもはルシファーさまを始めとした穏健派の方々だけで会議を終えてしまいますから」

「そういえば、あんたがここに来てからはそんな感じだったっけ。昔は凄かったのよ。今回ばかりはあんたも気を付けときなさい。王族の意見が真っ向から衝突した時は特に、ね」


 第一夫人たるルミエルは自らの腕を抱く。


「……あんただけじゃなくて、わたしもそうだけど。魔王という存在がどれほど凄まじくて、自分がどうしようもなく矮小な生き物だっていうことを自覚させられるかもしれないから。気を抜いたら死ぬわよ」

「そ、それは本当に会議なのですか……?」

「見ればわかるわ。何事もなければいいって思うけど、まあ無理でしょ」


 魔王ベルフェゴールの前ですら一切動じた様子のなかったルミエルだったが、冷や汗が頬を伝っていた。

 それほどまでに紛糾した王族会議を経験したことのないレナは、この何を見ても能天気な態度を貫く堕天使ですら恐れる光景を想像して、言いようのない不安を覚えた。




 ◆




 色欲の魔王たるアスモデウスは、氷の大地を歩いていた。

 一歩足を踏みしめる度に、彼女の履いているブーツが瞬く間に氷漬けにされるのを、身体から発した魔力で砕きながら進む。

 アスモデウスは胸元の大きく開いた服と、丈の短いスカートを着用していることに早くも後悔する。


「はぁ……寒いですわね。我が君に抱きしめて頂きたいくらいですわ、まったく」


 愚痴を漏らしながらしばらく歩いて行くと、周囲の景色が一変した。

 これまでは見渡す限りが氷の大地だったというのに、今では灼熱の炎が煮え滾る火の海へと変貌したのだ。

 アスモデウスはうんざりした様子で魔力を操り、火の海を歩いて行く。彼女のすぐ横を天を突くような勢いで火柱が上がったが、それを気にする様子もなく彼女は言った。


「まったく、寒いのか暑いのかどっちかにして頂きたいものですわ!」


 灼熱地獄と化した地に吹く風は、熱風と言って差し支えなかった。

 人間どころか、中位の魔族ですらこの環境には到底耐えられない。普通の生き物が住まうような場所ではないが、そこかしこに大型の魔獣たちが居座っている。

 魔族の中でも上位に値する彼らにとっては、このような過酷な環境ですら何ともないのだろう。


「あっつ……。ちょっと、そこの貴方」


 アスモデウスが火照った頬を手であおぎながら、1匹の獅子の魔獣――キマイラへと視線を向ける。

 まるで魔獣の主でもあるかのようにどっしりと座り込んでいたキマイラは、アスモデウスが視線を送るだけで跳ね上がるように飛び起きて即座に近づいてきた。

 色欲の魔王がその背に跨って言う。


「最奥まで送ってくださる? 暑くて敵いませんわ」


 キマイラは抵抗する様子もなく頷き、その背に生えた翼で火の海の上を飛翔した。

 進むにつれ、居座っている魔獣たちは更に強大な者たちとなっていったが、その後には想像を絶する光景が拡がっていた。


 眼下には灼熱の大波。吹きつく風は生物を一瞬にして凍り付かせるような凄まじい吹雪。天空は雲に覆われて大雨やひょうが降り、数多もの稲光と落雷が発生し、どこからともなく不気味な地鳴りが響いている。

 もはや自然現象では説明出来ないような空間だった。

 さしものキマイラも、この場に至って初めて戸惑うような仕草を見せる。


「こんな所にいて何が楽しいのやら……ああ、貴方はもう帰って構いませんわよ」


 キマイラの身体から飛び降りたアスモデウスは、灼熱の海に足を付けた。

 魔力で身体を覆っていなければ、魔神の身体とはいえ多少の傷を負うだろう。もはやどのような生物でもこの地に住めるわけがないのだが。


「いるのでしょう、マモン。わたくしですわ」


 そう言った瞬間、炎の大波と猛烈な吹雪がアスモデウスに襲いかかる。

 彼女が肩を竦めてぱっと手を振り払った瞬間、巨大な竜巻にも似た暴風が巻き起こり、その身に襲いかかる天災を強引に払いのけた。

 明らかに殺意のある攻撃を受けたアスモデウスだったが、まるで駄々っ子のやんちゃを前にして溜息を尽く母親のように言う。


「こういう茶目っ気溢れる演出はやめてくださる? 何度言えばわかりますの? それとも、あまりにも頭が悪くてすぐに忘れてしまうとでも?」


 皮肉のつもりが本音を口にしたアスモデウスが歩を進めると、やがて巨大な生き物の姿が目に入った。

 それは、20メートル以上もの巨体を誇る七色の体毛を持つ馬のように思えた。

 タテガミから、その体色や長い尾に至るまでが赤、青、紫と色味を変えていく。一種の神々しささえ感じるその馬体をゆっくりとアスモデウスへ向け、その者は口を開いた。


『何の用向きかね? 色欲に耽る淫魔如きが、この我に話しかけるとはおこがましい』

「……相変わらず、傲慢そのものですわね。わたくしだって我が君の命でもなければ、このような馬鹿げた場所に赴きたくありませんでしたわ」

『口を慎むが良い、雌豚が。我が『天象てんしょうの宮』の苛烈たる気候の変化にその身は堪えられまい。疾く、この場から立ち去りたまえ』


 アスモデウスはもう暑いのか寒いのかよくわからない空間にうんざりした様子で語りかける。


「言われなくてもそうしますわよ……。――近く、王族会議がありますの。貴方にも出席して頂きますわ」

『サタンの件か。あの強者に相応しき魔力を纏った存在も、今では脆弱な身に成り果てたと聞く。哀れなり』

「今の言葉、そっくりそのまま我が君の前で言ってみなさいな。その首が飛びますわよ」


『くだらぬ。やれるものならやってみるがいい。この魔獣の長にして、王族がうちの1柱マモンをそう易々と屈服させられるのであればな』

「まったく、過去に何度も我が君に挑んでその度に数え切れぬほど殺されておいてまだそんな口を叩く余裕……いえ、傲慢と言い換えましょうか。その態度はいっそ感心してしまいますわ。――馬鹿も極めれば1つの才となるのですわね」


 アスモデウスの足元から火柱が上がり、幾重もの落雷が穿った。

 だが、それが彼女の身体に届くことはない。


『愚かな女よ。そこまでして死にたいか?』

「ねえ、わたくしは喧嘩をしに来たのではありませんの。あくまでも王族会議への招集をするために仕方がなくやってきたのですわ」


 マモンへの招集にだけは、配下の者たちを向かわせるわけにはいかない。

 猛り狂うこの圧倒的な力を持つ魔獣に蹂躙されてしまうに違いないから。

 それぞれが強き力を持つルシファーの3夫人たちにとっても、このマモンと直接対面させるのは躊躇われた。


『即刻この場から消え失せたまえ。そして、ルシファーに伝えておくがいい。我はくだらぬ王族会議に興味などないとな』

「残念ですけれど、これは我が君からの『命令』ですわ。何がなんでも参加して頂きます。それでも拒否するというのであれば」


 アスモデウスは右手に凄まじい魔力を漲らせ、1つの鞭を作り上げた。

 それを一度振るった瞬間、天象の宮の大地が割れ、凄まじい地響きと土煙が上がる


「その口汚い言葉しか吐けない頭を消し飛ばしても構いませんのよ。わたくしは戦は好きではありませんが――だからといって、嫌いでもなければ苦手でもありませんもの」

『不敬な。我と天象の宮を愚弄する気か。愚物に等しき人間の姿を好む貴様らしい浅はかさよ』

「……ふふ。だって、ねえ? “この姿”は便利ですわよ? 今時、人型の形態にならない時代遅れな魔王は貴方だけですわ」


 マモンの殺意に溢れた視線がアスモデウスを見つめた。

 強い魔力の籠もったそれは視線だけで弱者を射殺いころしてしまうほどのものだったが、桃色の髪の少女はまったく意に介していない。


「ここで貴方を馬肉にして、王族会議のオードブルとして使うのも悪くはないかもしれませんわね? と~っても、マズそうですけれど」

『やってみるがよかろう』

「きっと、みんな喜びますわ。貴方のような口だけの半端者が消え去ってくれるのなら」


 アスモデウスはそこで顎に指を当ててから言う。


「……まあ、レヴィは悲しむかもしれませんけれど。久しぶりに貴方と会いたがっていましたし」


 嘘である。

 だが、初めて傲慢なる魔王マモンが僅かな動揺を見せたのをアスモデウスは見逃さなかった。


『……レヴィアタンが我に何用か』

「さ~あ? わたくしはただ、彼女が寂しげに『最近、マモンの姿を見ておらぬ。元気にしておれば良いが』とぼやくのを聞いただけですし。実際に会ってみればよろしいのではなくて?」

『ぬぅ……』


 唸るなり黙り込んだ。本当にわかりやすい男だ、と内心でアスモデウスは嘲笑う。

 さっと身を翻すと、マモンは悔しげな声で言った。


『……了解した。今度ばかりは、我も出席しよう』

「最初から素直にそう言えばよろしいのですわ」


 アスモデウスは密かにべっと舌を出してから、さっさと天象の宮を後にするのだった。




 ◆



 宵闇が支配する暗き宮殿に、ルシファーの第二夫人であるジゼルが入り込んだ。

 ルミエル、レナ、アスモデウス。他の3名が王族の招集をするにあたって、その誰もが『あそこに行くのだけは絶対に死んでも嫌』と言う宮殿は、魔王ベルゼブブの住まう地。


 ジゼルが魔力で作り出したほのかな明かりを頼りに歩いていると、瞬時に大量の白い糸がその身体に纏わりつき、あっという間にぐるぐる巻きにされてしまった。

 黒髪の夫人が「あらあら」と呟くと、宮殿の天井からどさりと巨大な何かが落下してきた。

 毛深く、複数の目と脚を持つ存在を見て、ジゼルはくすりと笑う。


「久しぶりね。歓迎してくれるの?」

『キュルル』


 巨大な蟲――蜘蛛は、ジゼルの眼前に顔を近付けて甘えるような声を出した。

 この蜘蛛の魔族は、ジゼルに深い敬愛の念を抱いていた。彼女の持つ甘やかな優しさの虜となってしまっているのだろう。

 糸で束縛したのは、その場からすぐにいなくなってほしくないという一種の愛情表現だ。と言っても、他の夫人やアスモデウスにはまったく通じないのが困ったところである。


 ジゼルはふと体内の魔力を放出させ、自分をきつく縛り付ける糸をするすると解いてからその毛深い蜘蛛の顔を撫でる。


「気持ちは嬉しいけれど、お痛は、めっ。心配しなくても私は逃げたりしないから。ね?」

『キュルルル……』


 申し訳なさそうに鳴く蜘蛛をあやすように撫でていると、宮殿の奥深くから物凄い勢いで何かが迫ってきた。

 敏感にそれを察した蜘蛛が臨戦態勢を取った時、まるで立派な龍のような体格をした巨大なムカデの魔族が耳障りな声を上げて身体を持ち上げた。


『ギシャアアァァ!!』

「あら、あなたも久しぶり。ほら、こっちへ来て?」


 ムカデは威嚇するような体勢だったが、すぐに上体を降ろしてジゼルの眼前へと顔を寄せた。

 先程の奇声は敵意を表したものではなく、ジゼルの来訪を歓迎するものだった。

 その太くて長い身体に、幾重にも生えた足が動く度にギチギチと音を鳴らす。


 他の夫人たちはこの音を聞くだけで怖気が走るというのだが、ジゼルにはそのような感覚はなかった。

 ムカデの顔をそっと撫でて、よしよしと頭を撫でる。

 そして、そっとその頭に額をくっつけた。


「久しぶり。……ええ、わかるわ。前に会った時は私の腕に収まるくらいだったのに、とても立派に育ったのね」

『キュゥゥ』

「あらあら。でもやっぱり、中身はまだまだ寂しがり屋さんなのかしら? 可愛い子」


 大ムカデの伝えたいことをはっきりと感じ取ったジゼルがそう言うと、それまで大人しくしていた蜘蛛もすり寄って来た。

 ムカデがそれを察して鬱陶しそうに唸るが、ジゼルが優しく語りかける。


「喧嘩はしないで? みんなで仲良くしましょう。ね?」


 その言葉に従順になった蜘蛛とムカデが全身を押し付けてくるのも構わずに、ジゼルは言った。


「今日はね、ベルゼに会いに来たの。良かったら案内してくれるかしら?」

『キュゥゥン』

「ふぇっふぇ……その必要はないのう」


 しわがれた声が聞こえた時、2匹の蟲の魔族は飛び上がるように驚いた後、即座にその場を離れた。

 そこに立っていたのは老人だった。

 ローブを羽織った小柄な身体とは裏腹に、その身から放たれる瘴気と魔力はあまりにも常軌を逸している。常人であれば近くにいるだけで理性を失い、恐慌状態に陥るか、はたまた衝撃のあまりに死んでしまってもおかしくはないが、ジゼルにとってはそのような魔力もまた心地良いものの1つに過ぎなかった。


「ベルゼ、お久しぶり。元気そうで何よりだわ」

「ふぇっふぇ、儂の顔色を見てそのようなことを言う者は他にはおらんのじゃがのう」

「そこがいつものベルゼだもの。血色が悪いふりをして、実は元気満々でずっと悪だくみばかりしているお茶目なおじいさま」


 くすくす笑うジゼルを見て、さしものベルゼブブも溜息を吐いた。


「ルシファーが娶った女の中……いや、魔族全体を見ても、おぬしほどの変わり種は他におるまいて。他の者共が蛇蝎の如く嫌う儂の眷属を見ても、悲鳴1つ上げないどころかむしろ喜んで触れあう様はまことに――ようわからん」

「あら、だってこの子たちは純真でいい子だもの。姿かたちに囚われて、本質を見失ってはいけないと思うわ。どんなに異形と言われようとも、この子たちにだって心があるのよ。それをわかってあげられる相手がなかなかいないのはかわいそう」


 傍に控えていた、蜘蛛の顔をつんつんとつつき、ムカデの触角を優しく撫でながらジゼルは続ける。


「あなたたちはいい子だもの。ね? 帰る前に少し遊んであげましょうか」

「儂の眷属をもたぶらかすその優しさは、傲慢さにも通ずる。ある意味、最もあの男に相応しき妻はおぬしなのかもしれぬな……ふぇっふぇ」

「ベルゼだって優しいでしょう? 遥か昔、テネブラエにやってきて右も左もわからない私に真っ先に手を差し伸べてくれたのはレヴィとあなたじゃない」


 かつてのことを言うと、ベルゼブブはにぃっと不気味な笑みを浮かべた。


「それはおぬしの魔導に関する才に興味があっただけのこと。儂らが人間共の住まう国との戦に赴いた時、その戦場がどうなるかはよぉくわかっておろう」


 長い顎鬚を擦りながら、ベルゼブブは舌舐めずりをした。


「儂はなぁ、未だに忘れられんのよ。人間の――中でもわっぱの頭に齧りつき、その柔い頭蓋を砕いた後に啜る脳漿の甘美なるあの味がなぁ。儂は、またやるぞ? ルシファーさえいなければ、またやってしまうぞ? あの美味なる食材を求めて、人間共を喰い殺してしまうぞ」


 長い舌をべろりと出して涎を垂れ流す老魔神の姿を見ても、ジゼルは微笑を崩さなかった。


「でも、もうやらない。だって、陛下がいるもの」

「……いなければと前置きしたはずじゃがのう?」

「陛下はいつだって私たちと共にあるわ。あのお方は自由奔放に見えるけれど、その実はいつだって魔族の繁栄と安寧を願っているから、他の魔族を残していなくなることなんて有り得ない。だから、ベルゼももうそんなことは言わないで?」


 穏やかに告げる少女を見て、ベルゼブブは苦笑する。


「ふぇっふぇ……まあよかろう。あの男が死した時に考えればそれで良いこと。して、用件は王族会議への参加か」

「ええ。参加してくださる?」


「ふぇっふぇっふぇ、あやつが王族会議への参加を命ずるのは何百年ぶりか。行かねば、ルシファーに何回殺されるかわかったものではないわ」

「あら。ちゃっかり陛下とサタンのことを覗き見していたのね」

「こう見えても、好奇心は旺盛じゃて……」


「それじゃあ、決まりね。正式な日程はまた伝えに、来なくていいかしら。あなたなら何でもお見通しでしょう?」

『キュルル』

「ふふ、わかってる。何をして遊びたいかしら? あ……」


 蜘蛛が身体を押し付けてきて、ジゼルを大きな背中に乗せた。


「――そう。最近、新しい家族が出来たのね。じゃあ、紹介してちょうだい? あなたも一緒に来てくれる?」

『クルルル』


 じゃれついてくるムカデの頭を優しく撫でるジゼルは、そのまま蜘蛛に運ばれてどこかへと消え去ってしまった。

 自らの眷属を横取りされてしまった老魔神がぼやく。


「初めてこの国に訪れた時の怯えようはどこへ行ったのやら。ルシファーよ、気ままにぶらぶらしておると、しまいには第二夫人に権力のすべてを奪われてしまうぞ……アレは間違いなく魔性の女なれば」

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