第49話「変わり果てし友の姿」
空間魔法の先に歩を進めると、そこには見慣れた私の宮殿がそびえ立っていた。
「だ~りん! だ~りんだ~りんだ~りん!!」
飛翔してきたルミエルが捨て身で突撃してくるかのように抱きついてきたのを受け止める。
猛烈な勢いで私の胸に頬ずりをしながら、凄まじい腕力で私の身体を抱きしめてきた。
テオドールの姿かたちを保っていたら、最初の突撃で全身が粉砕されていただろう。
「いい子にしていたか、ルミエル」
「えへへ~、だ~りんだ~! だ~りん! だ~りん!!」
ひたすら、だ~りんを連呼する堕天使の姿を見つめて小柄なメイドがぽつりと呟いた。
「申し訳ございません、ご主人さま。その翼の生えた天使もどきは、主の帰還があまりにも嬉し過ぎて犬未満の脳みそになってしまったようです。こちらで処分しておきましょうか」
ルミエルが相変わらず猛烈な勢いで私の胸に頭をぐりぐりと押しつけながら、さりげなく小柄なメイドに片手を向けて、その足元から神気を纏った巨大な槍を突き上げさせた。
メイド――カーラは何事もなかったかのようにひょいとそれをかわし、ルミエルは一瞬だけそれを見て舌打ちした後、やはり何事もなかったかのようにまた私に甘え始める。ああ、いつもの光景だ。
「相変わらず容赦がないな、カーラ。ルミエル、お前も少しは落ち着け」
「だってだって、久しぶりの再会なんだもん!!」
「ミルディアナで私を連れ去ってから、そう経ってないぞ」
「あの時のだ~りんは人間の姿だったでしょ。人間の姿も可愛いけど、だ~りんはやっぱりこうでなくっちゃ! かっこよくて、声が低くてぇ……ん~、だ~りん~! すてきー!!」
やれやれ。
私は天使に抱きつかれたまま歩を進めた。
すると、フリルがふんだんにあしらわれた黒いドレスを身に纏った少女が私を出迎える。
「おかえりなさい、陛下」
「ああ、ただいま。ジゼル、積もる話もあるがまずは」
「ええ。サタンならもう例の場所に転移させたわ。さあ、行きましょう」
ジゼルの背後に浮かぶ空間魔法へと足を進めた時、その中からいきなり出てきた白衣の少女と視線があった。
彼女はすぐに胡乱な表情で私を見ながら言う。
「ルシファー。ぬしには色々と話をしたいことがある」
「わかったわかった。だから落ち着け、レヴィ。殺気が隠せていないぞ」
人間にすれば子供にしか見えないが、レヴィもまた悠久の刻を生きる王族。
戦いを厭う性格の持ち主だが、だからといって戦闘能力が低いわけではない。
「この戦狂いめ。遊びと称していらぬ面倒事を抱え込むとは何事じゃ。……まあいい、ぬしの尻拭いはわらわがしてこようぞ」
「大英雄と話し合うつもりか。今の奴はひどく殺気立っているぞ。手負いの獣と同じだ」
「わらわは戦いに行くのではない。ただ、彼の大英雄との話し合いに向かうだけじゃ」
レヴィアタンはそう言うと、その生気のない瞳を私からさっさと逸らしてジゼルの作り出した空間魔法を通って帝国の地へと向かった。
それを見送ってから、私は抱きついたままのルミエルをそっと引き剥がし、頭を撫でてからこの場にいる3夫人全員に向かって言った。
「これより先にいるのは私の盟友だ。お前たちは初めてその姿を目にして驚いたかもしれんが、サタンはあの力強き姿に違えぬ実力を有している。今こそ力を失っているが、本気で戦えば私もなかなか苦戦する好敵手でもある。――暴れれば手のつけようがなくなる可能性が高い。まずその心配はないが、怖ければここで待っていろ」
そう告げると、真っ先に口を開いたのはルミエルだった。
「いーやーよ! だ~りんがそんなに大事にしてる相手なら、わたしだって気になるし!」
長い黒髪の第二夫人ジゼルが続く。
「私なら大丈夫。いざという時はルミエルのことも守ってあげるから」
「逆よ逆! わたしがジゼルを守るの! そこは第一夫人に任せなさい!」
「あら……ふふ、わかったわ。頼りにしてるわね、ルミエル。レナはどうかしら」
それまで押し黙っていたメイド姿の第三夫人レナはこくりと頷いて言った。
「私も、平気です。ルシファーさまの知己であり、偉大なる7柱がうちの1柱の魔王サタンさまの様子を間近で見守りたく存じます」
「わたしはジゼルは守るけど、あんたは守んないわよ。死んでも知らない」
「結構です。堕天使に守られるほど落ちぶれてはいませんので」
「へ~! ほ~! ふ~ん!! あの大英雄に負けそうになってたくせに~! やーい! どんな気持ち? ねえねえ~!」
「……っ!!」
レナが悔しそうに手を震わせながら、自分の回りをぴょんぴょん飛び跳ねているルミエルを睨めつけた。
ルミエルとレナが睨み合う中、ぱんぱんと手を叩いたのはジゼルだった。
「ほら、2人とも。喧嘩はしないで? 陛下が困ってしまうわ」
「だって~!」
「ですが……!」
私は軽く溜息を吐いてからさっさと歩を進めた。
「喧嘩なら宮殿から離れた場所で勝手にやってこい。私はもう行くぞ」
「あっ! ちょっと待って待って、わたしも行く~!」
「わ、私もご同伴致します!」
こうして、私と3夫人は空間魔法を通って、大きな広間へと通された。
ここは私の宮殿の地下の最深部にあたる。
長い間使われていなかったが、日頃からメイドたちがしっかりと仕事をしていることもあって埃1つ落ちていない。
その部屋の中央の床には巨大な魔法陣が描かれ、意識を失ったサタンが横たわっていた。
それまでその傍らで様子を見守っていた桃色の髪の少女が立ち上がり、私の姿を見るとぱっと晴れやかな笑顔を見せて凄まじい勢いで突進してきた。
軽く受け止めてやるかと思ったが、桁外れの威力の突撃で私はそのまま吹っ飛ばされた。
地下広間の壁に全身を叩きつけられ、全身の骨が軋んだと同時に桃色の髪の少女――アスモに思いきり抱きつかれる。
「我が君~! はぁ、やっぱり我が君はこうでなくては! はぁはぁ! わたくしの愛おしい我が君~!!」
「アスモ……お前もか……」
「そのお姿なら全力で抱きしめても構いませんわよね? わたくし、もう昂って昂ってどうしようもなくて! 早速ですけれど、今ここでわたくしと愛の営みを――」
「この色狂いは何やってんのよ! だ~りんから、は~な~れ~な~さ~い~!!」
「い~や~で~す~わ~!! わたくしだってずっと我慢していたんですもの! 絶対に離しません!!」
ルミエルが思いっきりアスモの身体を引っ張るが、魔王の方が力は上だ。
私の身体にしがみついてびくともしない。
凄まじき力のせいで、背骨が悲鳴を上げる。
「ええい! 空気を読まんかお前ら!!」
大音声を上げて怒鳴るように言うと、ルミエルがぱっと手を離した。
しかしアスモは抱擁の力を弱めない、どころかますます強く抱きしめてきた。
「そうそう、それですわそれ! 我が君にはその迫力が必要不可欠! さあ、そのやり場のない苛立ちを、今すぐわたくしの身体にぶつけてくださいな」
「はいはい、アスモ。じゃれ合いは後にしましょう。ね?」
ジゼルがそう言いながら、指をくいと持ち上げると、万力の如き力で私に抱きついていたアスモから力が抜け、その身体が空中に浮いた。そしてすぐにとさりと優しくその場に着地させられる。
「もう! せっかくの機会でしたのにぃ!」
「陛下に愛でて頂くのはまた今度ね?」
床に座り込んでふてくされるアスモの身体を抱きしめて、よしよしとその頭を撫でるジゼル。
相変わらず、どちらが上の立場なのかわからんなこいつらは……。
色々と台無しな気分にはなってしまったが、私はその場から立ち上がり、サタンへと近づいた。
死んだように動かない盟友の姿を前にして、私は苦々しい気持ちになりながらも膝をついてサタンの様子を窺う。
その全身に纏われている魔力はあまりにも弱々しい。
以前の殺気にも似た魔力を放っていた男と同一の存在だとはとても思えなかった。
何故こうも弱ってしまったのか。
それを言うなら、そもそも何故次元の裂け目からサタンが現れたのか。
帝国の神殿に奉られていた水晶が破壊されたことと関係があるのか。あるのなら、その理由は一体何なのか。
つい先程、サタンに問うた言葉を心の中で反芻しながら私は呟いた。
「なあ、お前は本当に破壊衝動に支配されてしまっていたのか? 以前はいかな状態であろうと私を忘れることなどなかっただろう? こうして本来の姿に戻った私を前にしても、まだ思い出すことが出来ないのか? どうしてそうなった……教えてくれないか、サタン」
答えなど返ってくるはずもないが、言葉は止まらなかった。
「何故、私たちの前から姿を消した。どうして、次元の裂け目から再び姿を現わした? お前は彼の魔術大国と何か関係を結んでいたのか? あの地に隠れ潜んでいたのか? それとも――」
私は、考えたくもないことをあえて口に出した。
「お前ともあろう者が、何者かを相手に不覚を取ったとでもいうのか」
全力のサタンと対等にやり合える者といえば、同じくあらゆる頸木から解放されて全力を出したクロード・デュラスの姿が思い浮かぶ。
あの大英雄の足枷になっているとも言える、帝国と軍部、グランデン、領民、そして愛娘と傍に控えるメイド……もしそれらを一切考慮せずに力を振るえば、奴は私とサタンに迫る可能性を秘めている気がしてならなかった。
だが、あのような人間は初めて見た。
神剣を使いこなすだけに留まらず、私の加護をその身に宿したレナをも超える身体能力は驚異的だ。
創世の大女神の加護というのは、あれほどの力をたかが1人の人間に与えるものなのか。
デュラス将軍のような実力者が、今の帝国には後4人いると言われている。そう、五大英雄と呼ばれる者たちだ。
そのうちの1人はミルディアナで出会った、類稀なる力を持ったハーフエルフの中将リューディオ・ランベール。
あの男も、末期の雫を使った天魔召喚術式の分析を即座に行い、あまつさえその魔法陣を破壊してみせた。おまけにゼナン竜王国との戦で凄まじい戦果を挙げたという話は記憶に新しい。
リューディオ・ランベールは、デュラス将軍とはまた違った意味で底が知れなかった。
そして、あれほどの力を持つ英雄と呼ばれし者が後3人。
……1人ならともかく、複数でかかればあるいはサタンが後れを取ることもあるかもしれない。
だが、サタンが姿を消したのは1200年も前の話だ。
当時の彼の国は帝国ではなく、エルベリアという名でもなかった。
ルトガリア王国と呼ばれていた当時のあの国に、今のような戦力があったとは思えない。いかに1000年以上前に竜神王を討伐した伝説の勇者があの国の出身であろうとも。
しかし、サタンが現れるきっかけとなった次元の裂け目を封印していたのは紛れもなく帝国の神殿に安置されていた巨大な水晶。
そして恐らく、ハインとトトの目的は水晶を破壊することによってサタンを呼び出すことだったのだろう。
奴らが行動を開始したのは、ミルディアナでの末期の雫事件によるエルフの大量失踪の時期と重なる。これを偶然と呼ぶにはあまりにも苦しいと言わざるを得ない。
末期の雫を作っていたギスランという者は、魔術大国キアロ・ディルーナ王国からの使者だった。
そして此度のサタンと共に現れた白い化け物共は、魔導生物の失敗作である可能性が高い。
魔導生物といえば、思い浮かぶのはやはりキアロ・ディルーナ王国に他ならない。
今現在、ロカとシャウラの祖国であるルーガル王国と全面戦争をしている魔術大国が裏で糸を引いているのか?
だが、サタンの失踪は1200年も前。現在に至るまで、他の国の誰にも知られることなくサタンの居所を把握し続けていたとでも?
それだけでも信じられないことだが、問題はその次元の裂け目を封じていた水晶が帝国の神殿にあったということだ。
年老いた神官長が言うには、あの巨大な水晶は少なくとも400年前には既に帝国の神殿にあったらしいが……。
確かに、遥か昔、帝国と魔術大国が同盟関係を結んでいた時期はあった。
魔導生物の強靭さを思い知ったのも正にその頃だったが、今は帝国がルーガル王国を支援しているため、この2国間は既に敵対しているといっても過言ではない。
――私は大きく溜息を吐き、今は意識を失っているサタンに向けて言った。
「いくら考えてもわけがわからんことばかりだ。だが、お前がこうして生きていてくれたのならそれでいい。サタンよ、いましばらく眠れ。ゆるりと休み、その弱った身体を回復させろ」
サタンが横たわっている魔法陣からは、ジゼル、レヴィ、アスモの魔力が感じられる。
私が今まで見てきた中でも、1、2を争うほどに強固な封印術式だ。かつての力を持ったサタンならともかく、今のサタンであればいくら暴れたとてびくともしないだろう。
私は無防備な状態を晒し続けるサタンの姿を見て、ぎりと歯噛みしてから呟いた。
「お前がこのような状態になった理由はわからん。だが、もしも途方もない力を持つであろう某かが関わっているのなら、既に死んでいるとは考えにくい。何かしらの外法によって、遥かな刻を過ごし今もなお生きている可能性が高い。――いずれにせよ、原因を突き止めて真相に辿り着いた時。そこに我が国に仇なす輩がいるのであれば、私自らが全力を以て滅殺しよう。お前の仇は私が必ず討つ」
このテネブラエにいる限り、お前を害する者など現れるはずもない。
安心して眠るがいい。身体を癒やし、その頭に渦巻く狂気を完全に払拭できたなら、また共に語らい合おう。
――私は立ち上がり、背後に控えていた3夫人と魔王がうちの1柱に向けて言った。
「近く、王族会議を開く。至急、残りの王族を集めろ。招集を拒絶した場合はこう言え。『これは命令である』と」
ルミエルは王族会議と聞いた瞬間、いつもとはまったく違った神妙な面持ちで頷いた。
ジゼルもそれに続き、レナはその場で跪く。
色欲の魔王たるアスモは、桃色の髪を指で弄りながらぼやいた。
「……久しぶりに荒れそうですわね」
書籍第1巻の発売から10日以上が経ちました。
近況などを活動報告に書いていますので、気が向いたらご覧ください。
また、先日ツイッターでazuタロウさんがアップしてくださったルミエルの可愛らしい画像も載せてありますので、まだ見ていないという方は是非。