爪痕と痛み
「誰だテメェ!!殺すぞ!!」
喉棒時計は噛み付くような声でそう叫び、ズカズカと音を立てつつ霜太郎の方へと歩み寄ったが、その歩みの勢いを遮るように霜太郎は叫んだ
「トンチョ!ボイパだ!」
「えっ?いいの?なんか、え?」と慌てるトンチョに対して「面白いからやっちまえ」と周囲が囃し立てるものだから、トンチョはさぐりさぐりにクチでビートを刻み始めた
「オイ!お前ら!!どういうつもりだ!!」
喉棒時計がカミナリのように言い放つも、ワル集団の勢いは止まらない。何もかも御構い無しに盛り上がるワル集団!彼らはまさに青春時代特有の飛び跳ねる精神と、時代の風とに揉みしだかれていた
その狂乱にあてられて、喉棒時計の表情は次第にニヤけっつらへと変化してゆく
「かつてないほどの盛り上がりだ。おもしれぇ!!」
体を揺らしてリズムに乗りつつ、霜太郎に近づいていく喉棒時計。彼は今まさに時代の風上へと辿り着こうとしていた
「俺が先行だ!今度は本気出す!」
高らかに且つ一方的に宣言する喉棒時計。霜太郎はその様を全く見ていなかった。空を見ていたのだ。憂鬱も、倦怠感も、情熱も、何もかも吸い込んでいったまま返してくれないような、途方もない青空を。霜太郎はじっと見ていた。そんな空の中で太陽は相変わらず霜太郎に嫌がらせするかのように眩しく光っていた
「HEY!YO!お前の腹回りは100センチ お前の足は 25センチ 顔は45センチ ブサイク体型 チョットおセンチ?YEAH……」
喉棒時計のラップを聴いたワル集団が爆発的に盛り上がる!!
「出ました!!喉棒時計さんのおセンチラップ!!」
「スゲェー!!センチの洪水だー!!」
「この技を使うなんて、喉棒時計さんマジでヤる気だ!!コレはもう勝っただろ!!」
自慢げにニヤけ、拳を突き上げてワル集団を煽る喉棒時計!!彼にはもう勝利しか見えていなかった
「オイ!!小デブ!!お前の番だ!!ツマンねーラップ聞かせたらマジ殺すからな!!」
霜太郎はまだお空を見ていたが、道路工事現場でおっさんが機械で無限にアスファルトを叩きつけている時のような、けたたましくうるさい喉棒時計の声を聞き、ようやく前を見据えた
霜太郎は思う。俺何やってんだろうと。しかし加速する青春の化け物たちに対抗するには、とにかくヤるしかないことは分かっていた
霜太郎は思う。ラップってなんだよ、知らないよ、クソくらえ……と。まぁでもとにかく何かを早口で言えばいいよねと思い、霜太郎は言葉を探してみた
何を言えばいいのだろう。わかんないけど、心の奥底から攻撃的な感情を探してきて、それをブツければいいのかな。何か無いか……何か……と霜太郎は脳内探索を開始する
そうしているウチに霜太郎の意識は、見ないようにしていたような、忘れ去られていたような精神最下層に到達してしまった。奥底に眠るアンタッチャブル・ゾーンに、その思い出は残されていたのだ。それを発見した瞬間、霜太郎の体内の血液が煮えくりかえり、熱い衝動を生み出した!それは体内を通って精神に到達し、思いっきり爆ぜた!!
「お母さんの!!!カレーが!!!食べたいの!!!!!お母さんの!!!カレーが!!!食べたいの!!!!!!!!!」
一瞬の静寂。そして巻き起こる嘲笑の嵐!!ワル集団は口々に「イタすぎるだろ!」とか「帰って食えよ」とか「禿同!禿同!」とか言っていた
しかしラップ無視の突如とした夕食カレー化懇願には、霜太郎なりの理由があった
霜太郎が小学3年生の頃の事である。霜太郎は学校から家に帰ると、カバンを置いてすぐに出かける準備をした。何故なら友達と遊ぶ約束をしていたからだ。お気に入りのカードダスと、昨日見つけた綺麗な石をポッケに忍ばせ、玄関へと向かい靴を履く。そこで不意に母から話しかけられた
「今日もカヨちゃんと遊んでくるの?」
「いや、今日はカッチョン達とゾウさん池の公園行ってくる!カッチョンがね!そこでクワガタ見つけたって!だからみんなでクワガタ探すの!」
「そう。気をつけてね!」
「うん!わかった!」
「あと、今日の晩御飯はカレーよ!」
「マジ!?やった!」
「遅くならんウチに帰っておいでよ」
「うん!行ってきまーす!」
霜太郎はウキウキ気分で駆け出した。友達と合流してゾウさん池の公園へ向かい、探険隊に扮して公園内を隈なく探索した。変な虫、クサい花、死んだ魚……色んなものが見つかったが、結局クワガタはいなかった。でもそれでもよかった。目的なんて実際のところ何でもよくて、集まって遊べればそれでよかったのだ。そんな霜太郎達の事を、幼少期特有のキラキラした感覚が優しく包んで見守っていた
日が傾いてきて公園を後にし、友達と別れて家の玄関の前に到着した時に、その悲鳴のような叫び声は聞こえてきた
「裏切り者!!」
母の声だ。霜太郎は慌てて家に入ると母の元へと向かった。母は誰かと電話をしていた。その手には写真が握られていた。母の手が邪魔してよく見えなかったが、父が知らない女の人と写っているのがなんとなく分かった
「……とにかくすぐに帰って来て!!どういう事か説明して!!」
霜太郎に気がついた母は、そう言って電話を切ってしまった。何があったか聞いても答えてくれずに、母は泣いていた
その日の晩御飯はカレーではなく、トースト一枚だった
霜太郎の母はその日以来、カレーを作っていない
時は流れ、現在。霜太郎は学校の屋上で叫んでいた
「お母さんの!!!カレーが!!!食べたいの!!!!!!!!!!」
その言葉には色んな思いが込められていた。直接的な言葉では言えないような、ずっと我慢していたような、辛くて悲しくて滅茶苦茶な思いが込められていた。それを聞いたワル集団は、何も知らずに爆笑していた
しかし喉棒時計は違った。霜太郎の声を直接ぶつけられた喉棒時計だけは、笑うなんて事ができずにいた
「なんだよオイ……なんだよ……」
霜太郎の狂気が喉棒時計の精神を徐々に蝕み、苦しく悲しく混乱させていく。喉棒時計は何故だかわからなかったが、泣きたくて仕方がなくなっていた
「お母さんの!!!カレーが!!!食べたいの!!!!!!!!!」
「もう止めろ!やめてくれ……なんなんだよ……」
喉棒時計の目から、ついに涙が溢れ始める。霜太郎もだ。気付けば霜太郎も泣いていた。自身の精神を制御しきれず、感情が暴走し始めたのだ
「おがあざんなんでがれーづぐっでぐれないのぉー!!!」
「うわぁああああ!!!」
頭を抱えて、のたうちまわる喉棒時計と霜太郎!その狂気は空気を伝い、周囲の空気をドス黒く染めていく。その狂おしい雰囲気に飲み込まれたワル集団は、感受性の高い者から次第に狂い始めた
「あ……ああ……」
「うわぁあぁあぁぁあ……ぁああー!!」
「た、助けてくれぇー!!」
涙を流してうずくまる者、叫んで逃げ出す者、辺り構わず攻撃し始める者……ワル集団の全員が狂い、場を荒らし始めた!マトモな精神状態な者はひとりもいない!それぞれが逃れられない狂気に支配されていた!
曇りなき青空が見守る中、眩しい太陽が混沌を照らし出す。柔らかい風があざ笑う。彼らはもう、手遅れだ
「やっぱりだ」
混沌のハズれで、そんな言葉がこぼれ落ちた。誰もがのたうつ狂気の渦中で、たったひとりだけ正気を保っている者がいたのだ
「やっぱりキミはコッチ側の人間だね、シモやん」
そう。その暗黒狂気耐久人物とは
小田 栗毛 その人である




